第17話 すばらしき戦争⑤ 慟哭の顎 下編

 ―――翌一〇月二七日。

 既にベラファラス湾海戦の大勝利やモーリア市の陥落なども伝わるなか、アンファウグリア旅団は最初に架橋に成功した一本目の大型浮橋を使い、残置部隊全てが渡河を完了。

 橋頭堡の拡大を開始した。

 この辺りには、前哨陣地付近から枝分かれするように、北に向かって合計して三本の街道がある。

 もっとも大きかった一本に騎兵連隊一個、猟兵大隊二個、山砲四門、グラックストン機関砲二門、野山砲隊六門、工兵小隊一個の強力な支隊を作り、これはディネルース・アンダリエル以下旅団本部が直接率いて向かう。

 狙うは河岸から見て一二キロ先にある国境警備隊の本隊分屯地。

 他の二本には残部隊を二隊に分けた。

 前哨陣地跡に広げた旅団本部―――といっても、野外に机を広げただけの場所で、

「いいか、アーウェン、エラノール―――」

 それぞれの支隊を率いて行くことになるアンファウグリア騎兵第一連隊長アーウェン・カリナリエン、同第三連隊長エラノール・フィンドルの両中佐へと軍用地図のうち二万五千分の一詳図と、同一万二千五百分の一詳図、手書きの状況図を示しつつ、ディネルースは指示を下す。

 侵攻前から事前計画は練ってあったが、改めての、最終的な下達ということになる。

「我らの役割は、要は全軍の尖兵だ。奇襲効果が失われないうちに衝撃効果を加え、街道上の村を。村という村を片っ端から落とせ。出来得る限り、無傷でだ」

 この時代―――

 星欧の村や街は、意外なほど食糧や飼葉類を蓄えている。

 国を挙げて食糧備蓄に努めていたオルクセンは輪をかけてそうだったが、これは何処の国でも街町村落ごとに大なり小なり同じようなことをしていた。

 理由はいくつかあるが、飢饉や戦乱への備えという点が大きいだろう。

 気候や土壌を理由として穀類の作付けに不安のある地域など、新穀を残して備蓄に回し、前季のものから手をつけるという制度を長い間とっていた場合もある。

 これら備蓄食糧は、そのまま軍需物資たり得た。

 その貯蔵量は、信じられないほど豊富であった例も珍しくない。

 デュートネ戦争のときだが、僅か戸数四〇、住民数六〇〇の寒村が、グロワールの丸々一個軍団の宿営を支え得たという記録まである。一個軍団といえば、約四万である。

 オルクセンのようにあれこれ兵站について弄り回すのではなく、各国が現地調達に主眼を置いていたことには、それなりの理由があるというわけだ。

 またそのオルクセン軍にしても調達物資の効用については認めていて、「発見せる貯蔵食糧は軍隊をして補給の煩を免れしむ」と教令にも記している。

 むろん、兵站補給が追従できた場合にはそちらを使う。現地調達だけに頼った全体作戦を立てるな、というのが彼らの思想だ。

 第一軍には、ファルマリア港を叩き落すまでの間、その現地調達が許可されている。

 旅団全隊は、兵馬及び糧秣車に携行口糧と携行馬糧を一日分そなえて行くが、これに手を付けるのは最後の手段、必要な対価を支払い各村より物資を調達し、まず調達物資から消費する。

 また、そのような村が軍用に供されていた場合、これを陥落せしめ物資を確保すれば、むしろ別の軍法解釈上の存在となる。

 戦利品だ。

 戦利品に対価を支払う必要はなかった。

 ただしこれも無制限というわけではなく、またその境界線引きはたいへん難しい問題を孕んでもいて、いずれにしても現地住民を窮地に貶めるほど奪ってはならないというのが、オルクセン軍教令の定めるところである。

 もし無分別な調達をすれば、恨みを買ってただでさえ複雑な占領行政を更に手間のかかるものとしてしまうし、後続部隊がその村を養ってやらねばならなくなるので結局は元の木阿弥となってしまうからだ。

 アンファウグリア旅団そのものの需要を満たす必要分だけ物資を得たあとは、作成した残存数量表とともに後続部隊に託す。

 また街や村は、軍隊にとって重要な宿営地となる。兵馬ともに欠かすことのできない水源を得つつ、冬季においてはとくに重要となる舎営―――屋根の下での宿泊を成し得る。

 そして、村落は重要な防禦拠点ともなる。

 「天然の支撐点ししょうてん」であるとまで、オルクセン軍教令は規定する。

 支撐点とはまた難しい言葉だが、防支防禦の要となる地、という意味である。

 敵に近い村には防禦陣地を築き、橋頭堡を支え、また更なる進撃拠点となる(ただし主要防御線は村落の前縁より更に外に置くべし、としている。自らの支撐点である村を直接的に戦闘に巻き込んでしまうことになるからだ)。

 つまりアンファウグリアは自身のためにも、また後続軍進撃路としても、行く手の村落を全て確保してしまう役割を担った。

「また、絶えず敵状は捜索すること。各村、とくに大きな村においては住民の聴取、郵便電信局における新聞紙、親書、書類、電信印字紙を押収。現地地勢の修正、敵情状況図とともに私のもとに送ること。連絡困難な場合は、第一軍団司令部に直接後送することを許可する」

 こちらは、軍先鋒の目や耳である、斥候としての役割となる。

 オルクセン軍がとくに重視したのは、電信記録と内容の複写物たる印字紙、現地地勢に地図と乖離があった場合の修正情報、そしてもちろん敵状報告であった。

 これらを総合して判断すれば、軍を勝利に導く一歩となる。

 またこの情報報告は迅速に行わなければならない。

 情報とは生き物である。

 例えば三日前に敵が通過しましたよなどというものを、一週間もたってから送っては意味がない。直ちに直属上官及び近隣部隊へと送らねばならぬ。

「最後に。改めて述べるまでもないが―――」

 ディネルースは麾下の二指揮官を眺め、ちょっと壮絶な笑みに片眉を上げ、告げた。

「発見した敵は、蹴散らせ。橋頭堡には一歩も通すな。では、かかれ!」

「はっ!」



 アンファウグリア旅団の前進速度は凄まじかった。

 この一日の間に、渡河点から概ね約三〇キロの線まで進出してしまっている。

 本隊は国境警備隊分屯地を砲撃し、これを壊乱、壊走させてもいるから、戦備行軍としてはたいへんな速度だ。

 夜が明けると、大鷲軍団主力が飛び立ち、彼女たちに広範な偵察情報を直接に与えたこともこの前進運動を助けた。

 歩兵部隊の旅程行軍がおおむね二〇キロ、騎兵のそれで五〇キロが限界とされている。

 ファルマリア港まであと二〇キロ。指呼の距離といえた。

 アンファウグリアはこの拡大行動で、合計して一二の主要村を落とした。細かなものまで数えると四〇を超えてしまう。

 あまりの急進撃に、ファルマリア港攻略作戦を成功させるまでの上級部隊とされた第一軍第一軍団司令部は、司令官ホルツ大将名で進撃の停止を命じたほどだった。

 ―――止まれ、止まれ。進み過ぎだ。

 と、いうのである。

 半ば悲鳴じみていた。

 このとき、第一軍団司令部とアンファウグリア旅団の間に交わされた通信のなかで、後世、たいへん有名となったものがある。

「要望せる格別の補給品なきや?」

「我に国旗残存無し、追送されたし」

 軍団司令部は制止と慰労の配慮の意味もあって、何か食べたいものでもあるか、そんなつもりで訊ねたのだが、アンファウグリア旅団側から戻ってきた答えがそれだった。

 各村の広場などに治安維持のための配兵残置と、オルクセン国旗を掲げてから進撃したため、予め用意してあった手持ちが底をついてしまった、というのである。

 このためこのときはや、オーク族の兵たちから、

「旗立てアンファウグリア」

「怒涛のアンファウグリア」

 などといった、いささか無責任かつ無邪気な綽名が贈られた。

 機動性の高い騎兵旅団に、現地調達という組み合わせは、それほどの効果を発揮した。

 占領先での彼女たちへの軍事的抵抗は、まるで無かったと言っていい。

 住民の白エルフたちは半ば茫然と侵攻を迎え、またその衝撃が去ると恐怖した。なぜならこれら国境地帯の村の大半は、元ダークエルフ族のものが殆どだったからである。

 あのダークエルフ族駆逐があったのち、エルフィンドの施策によって入植してきた者が住民のほぼ全てだった。

 俄なオルクセンとの開戦を、下手をするとアンファウグリア旅団の進出によって知らされた村が殆どで、彼女たちが復讐のために乗り込んできたと思い込むのも無理はない。

 住民たちの側からすれば、これはたいへんな恐怖感情になった。

 アンファウグリアに後続しているのがオークの軍勢であるという点も、恐慌を増幅させた。一般白エルフにしてみれば、オーク族とは未だ暴虐そのもののように思えた存在である。

 ディネルース・アンダリエルたちが宿営地にして防禦陣地構築地と定めた、シルヴァン川から二八キロの地点にあったスコルという村でも同様だった。

 両腕を兵に掴まれてディネルースの前へと連れて来られてきた白エルフ族の村長は、本隊が砲撃で壊乱させファルマリア方向へと逃走した国境警備隊分屯地の兵をかくまったりしていないかどうか、尋問を受けた。

「・・・・・・」

 村長は答えなかった。

 というよりも、全身が瘧のように震え、歯まで鳴り、応えることが出来なかった。

 やや尋常でない怯えようである。

「どうした、村長殿。思い当たる節でもあるのか?」

「・・・・・・いいえ」

「ならいい」

 ディネルースは、村の詳細や、武器などを隠していないかどうかを尋ねたが、やはり返答は無言である。

 そのころになると相手から恐怖は拭われつつあり、代わって侮蔑のような色が瞳に現れはじめた。

「・・・デックめ」

 村長は横を向き、小さく言い放つ。

 聞き逃さなかった周囲の兵は一斉にいきり立った。ダークエルフ族へ白エルフ族が向けるものとしては、完全に差別用語であったからだ。

「やめんか。お前ら」

 ディネルースはこれを制した。

「言いたいことがあるなら聞かせてもらおうか」

「・・・幾らで売ったの?」

「何?」

「オークどもに。その体。武器や、軍服の代わりに。それとも仲間を喰わせたのかしら?」

「・・・・・・」

 旅団参謀長のイアヴァスリル・アイナリンドが先に動いた。

 彼女はその白エルフの頬を引っぱたいた。

「黙れ下衆! 貴様らが・・・貴様らが我らを・・・!」

「・・・やめんか! ヴァスリー!」

 引き止めなければもう今度は拳を作って殴打しようとしていた彼女を引っ剥がし、敬愛する旅団長まで侮辱されて先刻の比ではないほどいきり立つ兵たちも止め、ディネルースは鼻血を流していた村長に相対した。

「部下が失礼をした。お詫びする。またこの状況でそのような発言を成せる貴殿の勇気には敬意を払おう。だが・・・」

 ディネルースはちょっとそこで空を眺めた。

 すでに夕刻。

 あと二時間ほどで、ある意味、オルクセンにとってもエルフィンドにとっても、いちばん長い二四時間が経とうとしていた。

 ―――一日。

 そう、まだ侵攻開始から二四時間。その二四時間すら迎えきっていなかった。

 視線を戻したディネルースは、いた。

「私は愉快でならない。このような日を迎えることが出来たことが、本当に愉快でならない」

 そうして、呆気にとられる村長をぐいと引き寄せ、その耳元で何かを囁いた。

「・・・ひっ」

 白エルフは悲鳴を上げ、顔を真っ青にしてへたり込んだ。

 尋問を続けろ、もう何もかも喋るはずだとディネルースは踵を返し、旅団司令部舎営地と定めた村会所に向かう。

 イアヴァスリルが駆け寄り、従った。

「・・・申し訳ありません。取り乱しました」

「・・・まあいいさ。飲んで、忘れちまえ。何もかも。ただし二度とやるな、兵の前であんな真似は。止められなくなる」

「はい」

「だが。礼は言わせてもらおう。はっきりと。お前、あいつを平手打ちしたな? 私のために。ありがとう」

「いえ・・・そんな・・・」

「ついでに。あいつに何を言ってやったか、気になってるようだから教えてやる」

「はい・・・」

「“お嬢さん。本当にオークの牙とあれ・・は凄いぞ。御所望かな?”。そう言ってやったんだ。嘘はついちゃいないぞ、私は」

 イアヴァスリルは呆気にとられた。

 確かに。

 旅団長なら、嘘は言っていない。

「すまんが。警戒陣地の具合を見てやってきてくれ。お前の飯は確保しておく」

「はい!」

 そうして愛する部下とわかれ、自室だと兵が定めてくれた部屋に入ってから。

 ディネルースは泣いた。

 声もなく慟哭した。

 音を立て閉じた扉に背を預け、崩れ落ちて泣いた。

 この村の建物の壁にはあちこちに焼け跡があった。この村会所のように多くは直されていたが、焼け落ち、崩れ落ちたままの家もまだあった。

 かつてここにいたはずの住民たちの、笑顔や、歌声や、営みの姿は無く、代わってあの村長のような、見ず知らずの者たちがさも我らのものでございという顔で住んでいた。

 まるで別の村になってしまったかのようだった。

 それでいて、広場の噴水や、家の並びや、石畳といったそこかしこにかつての名残りがあり、ディネルースの背に一斉にのしかかってきた。

 ―――ここスコルは、かつて彼女の治めていた村だった。

 氏族長として、多くの氏族を失ってしまった故郷であった。

 そんな場所で、軽蔑され、侮辱をされた。

 それを知るイアヴァスリルや兵たちは、だからこそ、なおのこと、より一層に腹を立ててくれたのだ。



 侵攻戦初期のアンファウグリア旅団は、かつての故郷を攻めたために、それが武器ともなり、また悲劇ともなって、このディネルース・アンダリエルに起きた出来事のように彼女たちに降り注いだ。

 その最大のものは、三本の街道のうち一番西側を進んだ、第三騎兵連隊を中心にしたエラノール・フィンドル中佐の率いる支隊に起きた。

 場所は渡河点から二三キロほど進んだ場所にあった、ヘイズルーンという村。

 正確にはその村外にあった、レーラズと呼ばれていた森である。

 この付近を通りかかったとき、

「白銀樹の気配がする。こういっちゃ何だが、やはり生まれ故郷はいいな」

 三連隊騎兵本隊の、行軍隊形基準隊―――第四中隊の誰かが言い出した。基準隊は行軍隊形においても横隊に展開するにしても中心軸となる隊で、全体指揮官はこの側に就く。どれか番号で決まっているわけではなく、行動中、所属部隊が奇数ならその中央、偶数なら中央の一個後ろもしくは左の隊だ。

 白銀樹は、ダークエルフ族にとって神聖なものである。聖地とされているその根元で生まれ出でると、枝先の一本を氏族の者がもらい受け、胸元に吊るすあの護符を作る。

 彼女たちの魔術反応に、その白銀樹の気配が確かにあったのだ。はっきりと。

「ああ、まったくだ」

「本当に」

 同意する者たちも出た。

 すると、

「いやあ、この辺りに白銀樹は無いよ。いちばん近くのもので、もっと山の奥だ」

 兵の一名が答えた。

 その兵は、ヘイズルーンの出身だった。

「馬鹿な。白銀樹の気配が確かにする」

「ああ、するよ」

 それはレーラズの森からだった。

「無いってば。枝ぶり見てみろよ。トウヒばかりじゃないか」

「・・・確かに」

 そこまで話して、その意味するところに思い至り、みな真っ青になった。

「・・・連隊長!」

「ああ、第四中隊長、全騎連れて見てこい!」

 騎兵三連隊はレーラズの森に一隊を差遣、送られたほうはどんどんと濃くなる白銀樹の気配に、動悸ばかりが高まった。その反応はやがて、森のほんの少しばかり外れ、下草の具合が明らかに他と違う、ことがはっきりした。

「円匙だ、円匙! 工兵小隊も連れてこい!」

 誰もが必死に掘った。

 己たちの予感が当たって欲しいと思っていたものは、誰一人としていなかったが、否定しきれる者もまたいなかった。

 そうして、すぐには見つかった。

 靴、衣服、白骨。

 あちこちから見つかった。

 膨大な数に思えた。

 白骨の胸元には、皆、白銀樹の護符があった。

「・・・・・・・」

「・・・・・・・」

「・・・・・・・」

 振り払っても振り払っても白銀樹の気配は漂い続け、彼女たちはその下草の具合が違って見える箇所を見渡してみて、茫然とした。

 あまりにも広い範囲だったのだ。

 伝令が駆け、連隊長エラノール・フィンドル中佐もまた言葉を失った。

 森に埋まっていたのは、大量の、そう大量なまでのダークエルフ族の遺骸だ。

 ―――世にいう、「レーラズの森事件」である。

 このとき彼女たちは進撃を続けなければならず、その全貌は明かせていない。

 旅団本部と、後続の第一軍団に伝令を飛ばして後事を託し、それはまた第一軍司令部―――即ちグスタフ王以下の総軍司令部へと引き継がれて直轄調査事項になった。

 この日から戦線の後方で一年ほどかけて行われた発掘や周辺村落への聞き取り調査で、最終的に見つかった遺骸の数は一万を超えた。

 合計して七つの穴に幾層にも重なってそれがあった。

 どうも周辺の村へと入植してきた住民たちは、事件の存在を薄々知っていたらしいということも判明している。

 スコルの村長が尋常でない怯えを示した原因は、ここにあった。復讐を警戒したのである。

 遺体には損壊の激しかったものもあり、その正確な数は現在をもってもわからない。

 国際赤星十字社を介して行われた戦中の問い合わせに対し、エルフィンド政府は当初はその存在自体を否定し、やがて様々な証拠を突き付けられると「不幸な事故をうけ、埋葬されたものだ」と主張した。

 だが、ダークエルフ族の者たちはこれをきっぱりと否定する。

 白エルフも、ダークエルフも、埋葬時には護符を回収して、生まれ故郷の白銀樹の元に還すのが習いである。これを行わずに埋めてしまうことは、彼女たちの信じるところによれば、もう二度とこの世には生まれ変われないことを意味した。

 白エルフ族がこの習慣を知らないはずなどなく、これはあの民族浄化行為の渦中に、故意に行われた虐殺と、その隠蔽のあとであるとダークエルフ族は主張した。

 これはオルクセン政府の公式見解となり、戦中のうちには発表されることになる。

 その結果、エルフィンドの持っていた、清楚で、高潔で、まるで無垢な存在であるという白エルフ族への人間族諸国からの心証を完全に破壊、粉々に打ち砕き、奪い去ってしまうこととなるのだが―――

 当事者たる、アンファウグリア旅団の者たちにはどうでもいいことだった。

 彼女たちは、ただただ悲嘆に暮れ、慄然とし、慟哭した。

「どうして・・・どうしてここまで・・・」

「どうして・・・」

「どうして・・・」



 このような侵攻初期のアンファウグリア旅団の姿を、当然ながら目撃していた者たちも存在している。

 シルヴァン川で支援にあたった、海軍第一一戦隊―――屑鉄戦隊の者たちもその一部だ。

 彼らはこの戦いで、一発も発砲せずに作戦を終えた。なにしろベラファラス湾海戦で仲間たちがたいへんな戦果を挙げた報はすぐに伝わってきていたから、その戦勝に歓呼の声を上げつつも、彼らを大いに腐らせたのだが。

 実際のところ、屑鉄戦隊が果たした役割は彼らが思っている以上に大きい。

 彼らがいたからこそアンファウグリア旅団は安心して前進できたのだし、彼らが降ろした汽艇による援助があってこそ、工兵の架橋は大いに進んだのだ。

 そんな支援任務に当たっているころ、最初の一本目の浮橋が通ったのちの、二七日の朝。

 すでに二本目の浮橋が組みあがりかかっており、三本目や四本目の架橋材料も艀となって南岸にある。もう周囲に敵の気配はないことははっきりとしており、今日の屑鉄戦隊の役目はその支援ということになるだろう。艦内配置も戦闘配置から交替直制へ戻るよう発令済だった。

 早朝、まだ空が白みはじめたころ、三頭の巨狼が風のように現れ、門橋舟で北岸から南岸へと戻っていった光景には、乗員たちは少し驚いた。

「・・・・・・」

 砲艦メーヴェ砲雷長ドゥリン・バルク中尉は、双眼鏡を構え、浮橋の様子を眺めていた。

 この前夜。

 第三軍による旧ドワーフ領首都モーリア陥落の報が伝わってきたときの、彼の喜び様といったらなかった。

「我らのドワーフの街だ! 懐かしきドワーフのモーリアだ!! ドワーフ万歳!!」

 あの、ぼふぼふとした銅鑼声で歓声を上げ、メーヴェの狭い艦橋で両手を振り挙げ、涙まで流したものだった。おいおい、お前ドワーフの国が滅んだころまだ生まれていなかっただろと大いに突っ込まれもしたが、それすらも嬉しそうであった。

 だがこの朝。

 艦橋に立ち、しばらく周囲を眺めたあと、あの生真面目な彼が戻ってきた。

 その背は、心沈んでいるようにさえ見えた。

「・・・よう、バルク」

 背後からコーヒーの匂いがした。

 振り向くと、ポットと朝食を乗せた皿を携えた従卒をしたがえ、艦橋に上がってきたエルネスト・グリンデマン中佐だった。

「さあ、食え」

「はい、艦長。いただきます」

 三隻の砲艦はまだ警戒態勢にあって、戦闘配食扱いの、黒パンに缶詰のコンビーフとピクルス、マヨネーズソース、黒胡椒を混ぜ合わせた具をたっぷりと挟んだものを受け取る。

 艦長は一度休息のために自室に降りたばかりだったから、そとの空気を吸いながら朝食を摂るという口実で、様子を見にきたらしい。

「・・・どうした? 浮かない顔だな。喜び疲れたか」

「いえ―――」

 バルクは己の抱いていた感慨を口に出したものか、躊躇っているようだった。

「俺はまだ仮眠中だ。ここにはいないはずだ。独り言を呟いているつもりで話せばいい」

「はっ、では―――」

 バルクは浮橋を示した。

 アンファウグリア旅団の輜重隊の最後の一隊が、一列になって渡河を始めているところだ。

 昨夜から、彼らはそういった光景をずっと見ていた。

 渡渉していく山岳猟兵。

 ずいぶんと数が多いように思えた騎兵たち。架橋完了直後、夜の明けぬうちに渡っていった砲兵隊もいた。なるほどこれが音に聞こえたダークエルフ族の戦闘集団かと、皆で目を瞠ったものだった。

 とくに印象的だったのは、彼女たちの顔だ。戦化粧を施したダークエルフ族たちの顔貌が、覇気や闘志に満ちながら、どこか無理をしているようにも思えた。その目や、表情は、海軍の者たちをなんともいえない気分にさせたものだ。

「私は、我がモーリアを直接撃たずに済みました。あの街の歴史も直接には経験しておりません。無邪気に喜ぶだけでよかったんです。ですが彼女らは―――」

「・・・・・・」

「例えその地に、宿敵ともいえる憎悪の対象が住んでいようが。撃つ場所、破壊する場所は紛れもない生まれ故郷だ―――」

「・・・・・・」

「艦長。生まれ故郷を攻め落とす身になるってのは、どんな気分なんでしょうな・・・」

「・・・ふむ」

 コーヒーを含みつつ、グリンデマンはしばし沈思する。

「そいつは、いまお前さんが思っている通り―――」

「・・・・・・」

「問わず、語らずってやつだろうさ」



(続)

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