第16話 すばらしき戦争④ 慟哭の顎 上編

 のちに伝説的な光輝さえ帯びたかのようにその名を語られるようになるダークエルフ族戦闘集団アンファウグリア旅団は、ベレリアンド戦争の開戦時、実はそれほど練度は高くなかった。

 彼女たちは、この年の七月に編成を完結したばかりである。

 その後わずか三か月で開戦を迎えている。

 この年初頭から錬成を始めていたとはいえ、それにしても一年経っていない。

 騎兵を中心とした部隊であるという特殊性からも理想をいえば、もう一年は練度を高めてから開戦を迎えたほうが万全であったであろう。

 オルクセン国軍参謀本部は、これを認識してもいた。

 ―――ではなぜ彼女たちを、奇襲開戦という重要な場面において最先鋒に起用、投入したのか。

 ひとつには、ダークエルフ族そのものが有していた戦闘力の高さがあろう。

 とくにディネルース・アンダリエルに率いられた一隊が、ダークエルフ族脱出行に際して非常に有効的な後衛戦闘を実施したこと。

 国軍参謀本部はこれを高く評価していた。

 オーク族はその種族としての習性からか、前へ進むこと、滞陣すること等は得意でも、後退戦闘は苦手だという自覚があったから、なおのことである。

 またひとつには、彼女たちが現地の情勢及び地勢に対し、これ以上詳しい部隊はいないと思われていたこと。これは渡河においてもその後の対岸橋頭保確保においても、有力な先鋒たり得るであろうと思われていた。

 これら判断に依る。

 だが当時のオルクセン軍高級指揮官教令を紐解くと、別の側面も見えてくると言う者もいる。

「渡河戦闘にありては敵先進部隊を駆逐すべく、はほとんど常にこれを必要とす」

「該部隊は、架橋縦列援助せんがため深く配備中の

 アンファウグリアは、作戦を成功せしめるための囮であった、と。

 要するに、無事架橋が済み後続隊が渡河できるまで、敵の目も弾も引き付けろというのだ。

 またその内容も苛烈であった。

「河岸において退却旋回せんか、かえってこれ敵に側面を晒し自己を攻撃せられ、かつ、架橋点を敵に暴露するに至るべし」

 渡ったら最後、どれほど危急に陥ろうが、退却すれば架橋点をも危機に貶めると、述べている。つまり「生半可なことでは戻ってくるな」という含意である。

 これらの事実を以て、のち、「アンファウグリアはいわゆる禊をやらされたのだ」と主張する歴史学者も少なくない。

 ダークエルフ族そのものもまた、オルクセンの国民となって一年経っていない。

 対エルフィンドの初期戦において苛烈な任務を引き受けることにより、全滅を賭し、血を流し、命を懸け、軍組織としても国民としてもその存在意義を立証させられたのだ、という説である。

 これはある程度説得力を持っており、なかにはダークエルフ族出身者自身でさえ後年これを信じ、主張する者もいて、たいへんに流布した。

 ただし、これはいささか穿ちすぎな見方である。

 先述の規定の数々は、アンファウグリア旅団に対して個別に起草された命令などではない。決してそうではなかった。

 あくまで教令に記されている、戦術上は全軍かくあるべしという教示例であり、これは例えアンファウグリア旅団ではなくオーク族の部隊がこの作戦の先鋒を引き受けていたとしても、同様の行動をとらされたであろうことは間違いない。

 実際、モーリアの戦いにおけるコッホ大隊の渡河戦闘は、かなりこの戦術教本に近い行動を取っている。

 また、先の教令は次のように続く。

「先方諸部隊渡河成功後、爾後の前進に必要なる十分な兵力を得るに至るまで、絶えず我岸より有力なる兵力によりてこれを援助するを要す」

 これほど過酷な任を請け負う隊には、成しうる限りの支援を与えよ、という一項である。

 だからこそ国軍参謀本部は、侵攻開始時の彼女たちに幾つもの支援を与えている。

 それも手厚く、強力に。

 決して禊をさせようだとか踏み絵を踏ませようだとか、そんなことは欠片も考えていなかった。

 シルヴァン川南岸には第一軍第一軍団に属する砲兵が砲列を敷いていたし、河川中央には海軍屑鉄戦隊の砲艦三隻が陣取った。何かあれば強力な火力支援を与えるためである。

 上空には、大鷲軍団夜間空中偵察中隊が飛んだ。少しでも軍事上の目線を広げるためだ。

 また、一隊―――

 とある、夜間行動を大いに補助するための部隊が彼女たちには随行していた。

 それは非常に小規模な隊で、本来なら戦闘任務には直接投入されない目的で組織されたものたちだった。開戦前、渡河作戦の検討段階でそれを使いたいといいだしたのはアンファウグリア旅団側であり、ディネルース・アンダリエルなどはとくに強く要望した。

 彼女にすれば、その隊を構成するものたちがどれほど強力で、恐ろしく、ゆえにこの開戦時奇襲のような場でどれほど有効であるか、骨身に染みるほどよく知っていた―――



 シルヴァン川東部下流域渡渉地より、北へ六キロ。

 エルフィンド軍国境警備隊の、当地における前進国境守備陣地があった。ここより定期的に斥候を派遣して、国境を直接的に警戒させるための拠点である。

 兵力数はそう多くない。

 本来は一個中隊配置となっているが、定数は満たしておらず、欠員大いにあり。本隊はこの陣地より更に北、国境守備隊分屯地に居た。

 国境線直近にこういった陣地を置くと、仮に侵攻してきた相手から砲撃により直接吹き飛ばされてしまうため、やや煩雑にも思えるこのような体制をとることは、これはオルクセン軍や他国でも行っている真似で、この地域においてことさらエルフィンド側が弛緩していたわけではない。

 むしろ、同陣地におけるエルフィンド軍指揮官は有能だった。

 モーリアやファルマリア港の友軍のように弛緩も怠慢も怠惰もせず、どこの国でも平時予算上補充を欠きやすい手持ちの国境守備兵力から日に二度、朝と夜に、斥候を派出する作業をしっかりと続けていたのだ。

 一度の斥候に派遣していたのは、四名から六名ほどだった。

 これもまた、六キロ全てを踏破せずともシルヴァン川を範囲に収められるあたりで魔術探知波を出せばよいエルフィンド軍からすれば、格別に手落ちがあったわけではない。

 この夜七時半に前進陣地を出発した斥候班は、伍長一、兵三。

 オルクセンによるエルフィンドへの宣戦布告の報は、まだ届いておらず、まったく通常の斥候派出だった。

 ―――これは信じられないことだが。

 エルフィンドの外務省は、この夕刻、宣戦布告手交があったことを周囲に伝えていなかった。

 国王グスタフなどが想定していた、伝達は遅くなるだろうなどという代物ではない。翌朝以降に周辺対応しようとしていた。

 彼女たちに言わせるなら、まずキャメロット側の手交がエルフィンド官庁の退庁時間ギリギリであったことがいけなかった。

 エルフィンドの国民は、夕食をたいへん大事にする。それは一日のうちでもっとも豪華に摂るべきもので、習慣であった。だから官吏なども退庁時間を迎えるとみな帰ってしまう。

 いまひとつは、彼女たちはオルクセンのに困惑していた。

 いったい、親書を送ったつもりだというのに宣戦布告を送り返してくるとは、どういうことなのか。

 日頃は友好的に接してくれていたキャメロットの特使と公使の態度も、よくわからなかった。

 彼らはかなり不愛想な態度で「これ以上の仲介はできない。かかる事態に陥りたる以上、爾後の責任は全面的に貴国にある」と、仲介手交に言葉を添えてきたのだ。

 そうして一時間ほど雑談したのち、いったい己たちが何をやらかしたのか、初めて理解した。

 エルフィンドの外交中枢たちは真っ青になった。

 言葉遊びを得意技と自負する彼女たちにとって、看過せざる過ちである。

 特使や公使が帰ったあとで、大臣はこんなことが報告出来るかと喚き、同席していた次官はいったい誰のせいだと退庁しそびれていた文書局長を呼び出し、責任の擦り付け合いに陥った。

 そんなことをやっているうちに、たっぷり夜になってしまった。

 彼女たちが報告すべき相手が、首相のみならず直接的に女王だというエルフィンドの統治制度も残酷に伸し掛かった。このような失敗をやらかし、女王の夕食や入浴、就寝を中断させ、報告することなど出来ない―――

 外相らが僅かながら心の拠り所としたのは、この時代の、それまでの戦争形態だ。こうして宣戦布告を開戦前に送ってきた以上、オルクセンはに違いない。実際の開戦はになるであろう。常備軍制の我が国が負けるはずがない、むしろ逆侵攻できる機会すらあるはずだ―――

 常備軍制のエルフィンドは徴兵制のオルクセンに対し動員能力で勝るという考え方は、これは日頃、エルフィンドの将軍たちが吹聴していた説でもあり、根拠がないわけではなかった。

 キャメロットなども同様に思っている、と。

 一二〇年前、当時のオルクセンを惨敗させ、その国王の首まで取った軍幹部たちの発言内容にはたいへんな説得力もあった。

 この「そうであるに違いない」「そうとしか考えられない」「世界一優秀な民族である我ら白エルフに間違いなどあろうはずがない」というようなエルフィンド側の思考法は、ベレリアンド戦争において終始彼女たちに付きまとっていくことになるが―――

 ともかくもこの夜、国境線に開戦の報は伝わらなかった。

 斥候に出た四名は、エルフ族の、ダークエルフ族ほどではないがよく効く夜目も働かせつつ、約三キロ半の夜間行軍に出た。

 魔術探知の可能範囲約五キロというのは、体調も集中力も天候も良い場合である。

 確実にシルヴァン川を探知するには、それほど近づいたほうが良い。これは守備隊指揮官から厳命されてもいた。

 兵のうち一名は、つまらん真似だなぁ、将校はいつもえばっていて好きになれない、などと内心思っている。

 白エルフ族にとって軍役に就くのは一時的なことであり、食い詰めてなどいなければ出来れば選択したくない行為だ。

 彼女たちが尊ぶのは、まず文化。歌や楽曲、詩作である。また、学問。いにしえに学ぶことは何にも優れ、故国の平穏と安寧を導くとされていた。

 次に、官吏になること。高官採用試験に受かることは、魔族種の長命長寿ゆえに社会制度が停滞しているエルフ族にとって一生の夢である。たいへん面倒くさいその試験に何度も挑む者もいる。

 そして農業。三圃式農業は世界一優れた仕組みだと、神話伝承上における偉大なる指導者が授けてくれたもの。かつ商業。かつてはコボルト族どものものだったが、今や我らのもの。なるべく誰かを使えるほど立身するのがよいとされていた。

 軍に入ることはその下、下も下だ。

 ―――ダークデックどもを狩ったりしなければ良かったのに。

 その兵自身は、無言で歩みを進めつつ、不満に思っている。

 国境警備など、そんなものはあいつらにやらせておけば良かったのだ。いやま、私自身も奴らは鼻を摘まみたいほど大嫌いだったが。

「・・・・・・」

 おもしろくない気分ばかりでいたから、先頭の伍長が左腕を広げて待ての仕草をし、停止したとき、危うく見過ごすところだった。

 なんだ、なんだ。

 兵は、その伍長も嫌っている。軍に残って下士官に上るつもりらしいと耳にして以来、頭がどうかしているのではないかとみていた。

「・・・何か、妙な気配を感じないか」

 伍長は周囲を警戒していた。

 いや、何も。兵は内心、いったい何を臆病がっているんだと嘲りを覚えた。

 雲に隠れているが、月もある。川はもうすぐ。以前はこの近くに住居が幾つかあったが、いまは誰も住んでいない。ダークエルフどものものだったから。

 どこかで枯れた下草がざわざわとそよいでいる音が。ええい、雑草だらけだ。一年ほど前までは畑だったが、いまは荒れるままになっている。

 ―――待て。

 風も無いのに、下草が?

 その騒めきは段々と、しかも速度を強めて近づいてくる。一方向からではない。気づけば、四周から。驚くほど至近から。幾つも。やがてそれらは信じられない勢いとなり。

 何か白銀色の巨大な影が、街道上の彼女たちへと向かって飛び出してきた。

 悲鳴や警鐘の声を上げる間もなく、伍長と、二名の兵がどっと衝撃音を立てて吹っ飛ぶ。影はどこにもいない。茫然と兵が斃れた三名を見ると―――首がなかった。兵の全身には生暖かいものが降り注いでいた。三名うち誰かの、間欠泉のように吹き出した鮮血だった。

「ひっ・・・」

 戦慄き、腰を抜かしてへたり込んでしまった兵の背後に、いつの間にか、荒い息遣いがする。かなり大きな生き物の気配がし、ぞっとした。生暖かい感触が股間にも広がる。

「―――小便臭いぞ。小娘」

 含み笑いを孕んだ、地獄から這い出たような鋭く低い声が耳元真裏から響き。

 振り向く前もなく、その兵もまた首を吹っ飛ばされた。

 より正確に表現するならば。

 何者かの巨大極まる、乾いた顎アンファウグリアに嚙み砕かれ、刹那ほどの間に引き千切られていた。


 

 三つの影は、信じられないほどの俊敏な、まるで一陣の風となって後退し、斥候隊襲撃現場から一キロほどのところまで迫っていた黒軍服に銀絨の集団と合流した。

 約二〇〇〇の猟兵戦備行軍縦列、その中央付近にいた指揮官のもとへと現れる。

「やあ、連隊指揮官殿。脇の備えが甘いぞ。あぎとにかけようと思えればやれる」

「・・・驚かせんで下さい」

 アンファウグリア山岳猟兵連隊長エレンウェ・リンディール中佐は、正直なところ半ば本気で寿命を縮めたかのような心持ちを味わいつつ、答えた。

 ダークエルフ族に多い銀髪灰眼の額に汗が滲んだかとさえ錯覚し、あのアンファウグリア山岳猟兵特有の芯無しケピ型略帽―――彼女たち自身は、鍔付き舟型略帽と呼んでいるものを被り直す。

 相手は、国王護衛役巨狼、あのアドヴィンだ。二頭の同族を伴っていた。

 皆、首から軍属を示す半月状の真鍮製金属板をぶら下げている。

 この肩高一メートルを超える灰色に輝く北方系巨狼たちには、エレンウェの上官、アンファウグリア旅団長ディネルース・アンダリエル少将がとくに要望して軍の許可を取り、渡河及び橋頭堡確保へと随行してもらっていた。オルクセン軍では本来は憲兵隊に属していて、このように直接的に戦闘を行う連中ではない。

「定時斥候は片づけた。急いだほうが良いかもしれない」

「報告の魔術通信が戻らなければ、ちょっとした騒ぎになりますな」

「そういうことだ」

「わかりました。感謝致します」

「なに―――」

 巨狼はくすくすと笑った。

「貴公らが我が王に警護をつけてくれたおかげで閑になって仕方なかったのだ。それに、久しぶりに狩りが出来て楽しい限りだ」

 アドヴィンの巨大な顎が心底楽しそうに捻じれ、エレンウェはぞっとした。

 まったく。我が旅団長は何という連中を呼んだのだ。

 ―――ああ、母なる白銀樹よ。彼らが敵でないことに感謝します。

「では、我らは前哨陣地の周辺へ行く。迂闊な哨兵がいれば、狩らせてもらおう」

「はい、我らも続行させていただきます」

 巨狼たちはあっという間にまた風にして影のようになり、周囲に駆け散った。

 まったく、一体どうやって意思疎通をやっているのだろうな、連中。

 畏怖ばかり覚える。

 巨狼には魔術はなく、ただただ野性で鍛えられ先鋭した獣性のみであのような群としての動きを成し遂げているからだ。

 この国の民となるまで、彼らには名すら無かったらしい。もう二〇頭ばかりしか生き残っていないが、皆、王が名をつけたという。

 正確には、軍に属している、この国の民となっているというより、アドヴィンを頂点とした群として、彼らが主と認めた王に従っている。彼の命だから従っている。そんなかたちなのだそうだ。

 ―――行け。やれ。散れ。

 野にあるころの彼らは、そのような短かなやりとりを、瞳を交わし合うだけで全てを悟り、ただそれだけで暮らしていたというのは本当なのだろうか。

 きっと間違いないことなのだろう。私は最後まで彼らをただの一頭も狩れたことはなかった。うちの種族でそれを成し遂げた者は、旅団長と、指で数えるほどの者でしかない。

「連隊長殿。尖兵隊の強行軍の準備が整いました」

「よし」

 報告にきた幕僚に頷く。

 尖兵―――最先頭にいる、いちばん警戒態勢を整えて行軍する隊のことだ。

 巨狼族の手まで借りたのだ、誇り高きダークエルフ族としては、何としても前進陣地を、国境警備隊本隊に気づかれないうちに葬り去ってしまなければならない。

「連隊長殿・・・・」

「うん?」 

「巨狼ってのはそんなに恐ろしいものなのですか?」

 なんてことを言うのだ。

 そういえばこいつは、巨狼がエルフィンドからいなくなってからの生まれだったな。

「お前な。もしあいつらがまだ一〇〇頭ほどいたら―――」

「はい?」

「それだけでエルフィンドなんて、滅んじまうくらいだぞ」



 アンファウグリア旅団のなかでも、そのまた更に最先鋒を務めた山岳猟兵連隊は、うち一個大隊を急進させてエルフィンド国境警備隊前哨陣地を襲った。

 巨狼族の手も借りたこの襲撃は、極めて猛威を振るった。

 彼女たちは、まず陣地後方に少数の一隊を回り込ませて電信柱によじ登り、警備隊の電信線を切断。

 そうして、周囲の哨兵から片づけた。

 ある者は巨狼に斃され。

 またある者は、そっと近づいた猟兵にダークエルフ族特有のあの山刀で葬られた。

 この彼女たち種族の特徴的な山刀は、一名一名の私物であるのでそれぞれ差異がある。

 おおむね全長約四五センチをしていて、刃渡りは二五センチ。鍛造モリム鋼製。柄の素材にもやはり差があるが、いちばん多いのは頑丈で艶のでる、アオバクルミと呼ばれる胡桃の一種。片刃の、包丁に近い見た目をしており、刃の厚さは五ミリほどとかなりある。

 これを革製の鞘に入れ、腰のうしろに下げていた。

 たいへんな斬れ味があり、枝を払えれば薪も割れ―――大型動物のような獲物にさえとどめをさせる。片刃の研ぎは先端を覆うように達しており、切ることも出来れば、突くことも出来た。

 彼女たちはこれを、成年に達したと判断されたとき、氏族一同から贈られ生涯大切にする。クロームとモリブデンを含有しており、斬れ味は長持ちした。乾燥させていれば大丈夫だが、やや錆を生じやすいという欠点はあり、ゆえに油を塗るなど手入れは欠かさない。

「一度抜いたら獲物の血を吸うまで鞘に戻してはいけない」

 そんな掟があるのだと、まことしやかな説がこの戦争ののち流布したが、これは俗説である。だがそれほど猛威を振るった。のちの世にいうところの近接戦闘術の一種。手練れの者は、必ず急所を狙い、相手―――白エルフ族たちに、悲鳴すら上げさせなかった。

 アンファウグリア旅団には、「牙」が二本あったのだと表現する者もいる。

 ひとつは、オルクセンで身につけた近代的な戦術思想、火力。

 いまひとつは、この山刀を振るう彼女たちの姿が象徴したような、ダークエルフ族の種族そのものとしての戦闘力。俊敏で強靭な体力と、魔術により補正された夜目や、魔術探知能力、通信能力といった部分である。

 この開戦時、彼女たちは近代軍制下の集団としては練度不足であったゆえに、後者を重んじ、利用し、発揮して戦った。

 前哨陣地を取り囲んで一挙に襲う体制に入った大隊各中隊のうち、正面に配された一隊などとくにそうだった。

 この一隊は匍匐前進して陣地前面の堡籃でできた警戒陣地に近づくと、その防備があまりにも薄弱であることを感得した。警戒が及んでいないというより、配兵がまるで不足しているようだ。

 そこで中隊長の判断により事前の打ち合わせを無視して一挙に突入し、内部にいた僅かな兵たちを短小銃に装着した銃剣で刺突するか、山刀で刺殺、斬殺した。

 そうして何喰わぬ顔で、攻撃開始の瞬間を待った。

 この行動は後日、少しばかり猟兵連隊内で問題になったが、ともかくも前哨陣地全体への攻撃が始まったときには、彼女たちはここから飛び出して兵舎を襲った。

 ―――夜襲は、成功した。

 静かな、それでいて暴風のような襲撃だった。

 彼女たちは、オーク族兵のような喊声はまるで上げなかった。自らは一声も発さず、そうして前哨陣地を襲い、エルフィンド軍国境警備隊を一名残らず塵殺した。

 まず電気を断ち、真っ暗闇にし、次いで突入した各隊のなかには、信じられないことだが監視哨として一つあった望楼に梯子を登って踊り込んだ兵までいる。

 立哨中に斃された者。

 兵舎で寝込みを襲われた者。

 指揮官は何事かと飛び出したところを、待ち伏せていた兵に背後から首を気管まで切断された―――

 アンファウグリア山岳猟兵連隊による前哨陣地攻略がこれほど見事に行われてしまったのは、彼女たちの戦闘能力だけが理由ではなかった。

 ここはかつて、彼女たち自身が氏族ごとに兵を差し出し、国境警護の任にあたっていた場所だった。陣地内の構造を最初から手にとるように、理解していたのだ。こういった周辺事情への詳しさは、この戦闘でも、このあとの橋頭堡拡大でも、おおいに彼女たちの武器になった。

「・・・お見事」

 戦闘が終わると、あのアドヴィンは実に楽しそうに、かつての敵手たちにして今や彼ら種族の祖の名を頂く兵たちを、褒め讃えた。



(続)

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