第14話 すばらしき戦争② モーリアの戦い 上編

 ―――星暦八七六年一〇月二六日午後六時。

 東西約二五〇キロのシルヴァン川流域において、これを西から順に第二軍、第三軍、第一軍の三つに区所して全面奇襲攻撃に出たオルクセン軍にとって、もっとも奇襲効果を発揮したかった場所はどこか。

 それは第三軍担当正面にあった、旧ドワーフ領首都にしてエルフィンド南岸入植地の中心たるモーリア市だった。

 住民数六万を超えていたから、当時のエルフィンドにおける都市としてはなかなかの規模である。

 南岸を中心に市街地が広がり、ほんの僅かばかり北岸側にも新興の郊外域がある。

 周辺での農業と、市東方郊外―――オルクセン側名称でツェーンジーク山脈西方端の麓にある鉱山での鉄鉱石採鉱、製鉄業、そして南岸入植地における商業を産業中核にしていた。

 ただ、オルクセン側としては、こういっては何だが街そのものや鉱山などにはまるで興味がなかった。

 問題はこの街の中心部背後北側に存在した、大河シルヴァン川に架かるものとしては唯一といっていい、三本の橋梁群だ。

 道橋が二本、鉄道橋が一本。

 わけても鉄道橋は今後の侵攻作戦のためにはどうあっても確保しなければならない、「大動脈」である。

 鉄道は、もはやオルクセン軍にとって軍事行動上欠かせぬものだ。

 既に開戦前から、第三軍の背後では、軍に合計で六隊配備された鉄道中隊、一個中隊あたりおおむね鉄道技師二名、工員二〇〇名で構成された鉄道専門の工兵部隊が寄り集まって、第三軍策源地からモーリア市へと向けて鉄道線の延伸作業にも入っていた。

 国有鉄道社の技師たちも軍属となって動員されていれば、初期作戦に投入されない後方予備の一般部隊将兵まで、総出でこの作業に当たっている。

 モーリアを陥落させれば、エルフィンドとオルクセンの鉄道線を連結して、第三軍の背後を支えるためである。

 オルクセン軍の野戦軍一個を支えるには、国軍参謀本部作戦局長―――開戦後は総軍作戦参謀であるエーリッヒ・グレーベン少将などがいうように、一日辺り平均四編成の輸送列車による約一二八〇トンの軍需物資輸送が必要だ。

 第三軍がエルフィンド領を北進するには、何としてもモーリアの橋梁群、なかでも鉄道橋を奪取せねばならなかった。

 むろん、道橋も重要な進撃路かつ兵站路となり得る。

 軍ではこの三本の橋梁に、作戦上の呼称としてパウル橋梁群と名付けていた。

 西から順に、パウル〇一、パウル〇二、パウル〇三。

 どれも川幅約八〇〇メートルに架かった大規模橋梁だ。

 物としては、〇一と〇三が比較的近年竣工のもの。〇三が鉄道橋である。

 このように重要極まりない目標であるから、第三軍司令部は隷下部隊四個軍団のなかでもっとも戦力評価上の信頼を寄せることができる、第七軍団をモーリアの攻略戦にあてた。

 オルクセン軍の野戦軍団編成は、おおむねどの軍団も同じである。

 二個師団に、軍団直轄の野戦重砲旅団と、兵站部隊。

 合計約四万。

 他国ならこれに軍団麾下の騎兵旅団がついたりもするが、オルクセン軍は周知の事情により師団騎兵以外はただ二個のオーク族騎兵旅団しか持っていなかった。

 そのような諸軍団のなかから特にこれと見込んで第七軍団が先鋒に抜擢されたのは、隷下に置かれている主力の二個師団が、第三軍のなかで最精強のものと見なされていたからである。

 北部軍最強の誉れ高く、あの今春における師団対抗演習で首都師団の防禦陣を粉砕した、第七擲弾兵師団。

 やはり北部軍のなかで猟兵の精鋭とされている、第九山岳猟兵師団。

 いずれも、第三軍司令官アロイジウス・シュヴェーリン上級大将子飼いの兵といってもよかった。

 これを軍団の野戦重砲旅団に加え、軍直轄の野戦重砲旅団からも一部を割いて支援する―――

 これはこの前日に全戦線全部隊にて行われたことだが、出撃部隊にはとくに、昼食時麦酒とヴルストの特配があった。

 麦酒のほうは無制限というわけにはいかなかったものの、水で薄めてもいない、の濃いもの。オルクセンでは「飲むパン」とも呼ばれる豊潤なものを皆で飲んだ。

 これは開戦に際しての景気づけであったし、動員期間が国民総出の楽しみであった豊穣祭に重なって行われたことへの、代償的意味合いもあった。

 軍団指揮官は、やはりシュヴェーリンの信頼も厚く、猛将の評も高かったコンラート・ラング大将。

 ロザリンド会戦における数少ない生き残りの、オーク族の将軍だった。

 同会戦では殿軍を引き受け粘り強く抵抗して、全軍撤退の機会を作り出した牡であり、単なる攻撃一辺倒の闘将ではないことを示してもいた。

 彼は、午後六時ちょうど、国境部から六キロ乃至七キロの線にあたる侵攻発起点まで前進していた隷下部隊に対し、侵攻開始を下令している。

白銀ジルバーン

 各師団司令部は、動員令下令時のように、ただひとことそれだけを野戦電信隊により受信した。

 第七軍団は、第三軍方面へは四羽が回った大鷲軍団アドラー・コープスワシミミズクウーフー中隊の夜間空中偵察支援を受けつつ、前進を開始。

 ただし大鷲たちは、モーリアには約二〇〇〇が駐屯しているとされていたエルフィンド軍側国境警備部隊が奇襲に勘づき大挙して動いたというような、よほどのことがない限り、自らからは通信発信を行わないことになっていた。

 少なくとも第七軍団が攻撃に取り掛かり、魔術通信封止が解かれるその瞬間まで。気配を消すためである。

 上空温度は、地上の摂氏三度付近よりはるかに低い。合成風力もある。

 大鷲たちの背では、コボルト族兵たちがある新装備の威力に感謝していた。

 毛皮に裏打ちされた飛行服の襟部分に仕込まれた刻印魔術式金属板―――温熱魔術板だった。

 オルクセンでは食糧保存を中心に研究と運用がなされてきた冷却系と違って、温熱系刻印魔術式の解明と、その実用化はほんの数年前でしかなかった。

 まだまだ質の安定には達していないアルミニウムのなかでも選別を施した金属板でしか効果を発揮しえず、この戦争では大量生産は間に合わなかった。ほんの一部、大鷲軍団のコボルト兵や、海軍の救命具用に徐々に支給されているだけになる。

 それでも、例え襟裏の周辺だけでも暖かい空気が満ちるというのはたいへんな効果があって、この夜、ワシミミズク中隊の背に乗って飛び立ったコボルトたちの飛行服にはその全てに対し追加装備されていた。

 空に上がれるというだけでなく、とくに中隊のコボルトは通信や探知も負えるほど魔術力のある者ばかりが選ばれていたから、軍はそれほど貴重なものと見なし、優遇していたのだ。

 彼らの空中支援のもと、第七擲弾兵師団は、兵站根拠地であるシュトレッケン方面から進出し、そのままモーリア市の東方端側へ。

 第九山岳猟兵師団は、同じくリヒトゥーム方面から進出、その機動力を買われて、モーリア市の南方正面やや西方寄りから、西方端にかけて繞回進撃している。

 歩兵や猟兵たちの軍馬、あるいは輜重馬車、野戦炊事車といった車両は、侵攻発起点後方に設けた野戦厩に残置していく。

「進め、進め・・・!」

「駈足、駈足だ・・・!」

 サーベルを抜き、うんと声を絞って叱咤する将校たちのもと、進軍する彼らの速度は、両師団でやや異なる。

 言わば旋回軸となる第七擲弾兵師団は、慎重に。

 展開運動量の多かった第九山岳猟兵師団は、駈足である。

 あのオーク族兵による体力を駆使した行軍は、他種族から見れば恐怖でしかない。

 これほどの規模の部隊が、最長で約五キロを進むに要した時間は、平均して三〇分ほど。

 このとき彼らが行っている運動は、敵と遭遇する可能性がある行軍―――戦備行軍というものになるが、更にそのなかでも速度を強めておこなう強行軍であり、加えて夜行軍という分類になる。

 いずれにしても人間族の軍隊における同様運動の、約一・五倍から二倍の速度に達した。

 そもそも人間族の星欧の軍隊は、夜間これほど自由に動き回れない。通信連絡手段に乏しく、落伍者や道に迷う者を出しやすい行為だった。

 オークの軍隊はそんな運動をまるで平気にやれた。

 このような運動の最中、では通信隊などに配されたコボルト兵たちはどうしていたかというと、彼らは同僚のオーク兵に抱えられるか、背嚢その他を持ってもらい、コボルト族が必死の場合にしか行わない四つ足全てによる駈足で追従していた。

 これが、オルクセン軍において彼ら種族が大隊系以上の部隊にしか属していない理由のひとつである。中隊以下の運動となると日常的な行軍―――旅程行軍においても徒歩に頼ったものばかりになるから、そんな規模の隊にまで配すればたちまち追従困難に陥り、落伍してしまうからだ。

 侵攻部隊は、発起点が近づくと意図的に速度を落としている。

 巨躯のオークが集団で速度を出せば、比喩的表現でなく実際に地響きが鳴り、これによる敵からの察知を避けるためである。歩みを遅くし、屈み、やがて伏せて展開した。

 歩兵部隊がそのように最終的な攻撃発起点へと展開するなか、彼らの背後後方では連隊や師団、軍団直轄及び軍差遣の火砲が砲列を敷く。

 砲兵の位置は、概ねモーリアから三〇〇〇乃至三五〇〇メートルの線である。

 必定、この戦闘時は砲兵の展開のほうに時間がかかった。

 前線各部隊は、さっと浅い壕のようなものを掘った。もしくは地形を利して薄弱ながらも攻撃発起点の防禦にして隠蔽とし、伏し、息を顰めて戦闘開始の瞬間を待つ。

「隊長、まだでしょうか・・・」

「落ち着け、心配せんでいい。待て、待て」

 小声で焦れる部下たちを叱咤したのは、モーリア南方正面近くに布陣した、第九山岳猟兵師団第七山岳猟兵連隊に属する、アルテスグルック中尉。

 ハウプトシュタット州ゴルドブルン市出身。

 この戦役には、国家制義務教育初等学校の教師となっていたところを動員された予備役将校だった。

 小隊を率いている。基幹の下士卒を除くと、彼の隊には招集された兵卒も多い。

 ヴルスト焼きの屋台を引いていたという兵、博徒で舎弟たちの取り纏め役だったという兵、染色を営み家計を支えていたという兵、歓楽街の下働きだったという兵・・・動員から僅かな時間しかたっていないためまだ彼らの機微まで掴みきれているとは言い難かったが、同じ予備役同士、なんでも相談しろと親身になって取り纏めている。

 年の割には父性的で落ち着いた彼の性格に、部下たちもみな着いてきてくれていた。

 このときアルテスグルック自身、焦れるような思いをしていたが、将校たる者ここはさも落ち着いているような態度をとらねばならないと己に言い聞かせる。

 サーベルの具合を確め、将校用拳銃を確める。

 そうしてから伏せたまま、野戦双眼鏡を構えてみた。

 月明りは弱々しく、またこの日は雲があり、まるで闇夜であったが、夜目を効かせてモーリア市を望遠した。

 高さ二〇メートルほどの城壁を周囲に持つ、星欧における古いつくりの街。

 その周りに広がるようにして下町。

 街明かりがある。

 夜目にもくっきりと浮かび上がった城壁上を見渡してみるが、兵の姿などまるでない。

 城門も開け放たれていた。

「・・・お前ら。エルフィンドのやつらはまるで油断しているぞ。安心していい」

 小声で告げると、周囲の部下たちが闇夜にそればかり目立つ白い牙を上下させた。笑ったのだ。

 このとき、彼らからみてやや北西側にあたる方向、第九師団最北翼では、まだ運動を続けている連中がいた。位置としては、パウル〇一橋梁より三キロほど西側になる。ギリギリのところで、モーリア市からの魔術探知範囲外。

 シルヴァン川南岸に集結した、第九師団第三四連隊に属する第三大隊だ。

 その選抜二個中隊。

 彼らは師団架橋隊から本来は架橋材料である舟艇を用意してもらい、静かに渡河を開始した。目的は、攻撃開始前に渡河を実施、対岸からパウル〇一の側面を突き、一帯を制圧してしまうつもりである。

 これはエルフィンド軍による橋梁の爆破を、万が一にも防ぐためだった。

 指揮官は同大隊長ユリアン・コーフ少佐。オーク族。

 使用するのは六名乗り小架橋舟と、兵員なら八名が乗れた馬舟である。鉄製架橋舟は開戦時まだ全軍には普及しておらず、その全ては第一軍に投入されていたから、木製だった。

「小さな舟ばかりですな」

「せめて大型架橋舟を使えれば・・・」

 小さな声でぼやく兵たちに、

「諦めろ。それとも砲艦が来るとでも思ったか」

 にっと父性的に微笑んで窘めた。

 コーフは、渡河の最先頭に立った。乗り込んだ架橋舟でも更に舳先付近にいる。兵たちを落ち着けるためだ。

 だがその内心は、緊張に満ちている。

 待ち伏せや、奇襲に気づいたエルフィンド軍の反撃も予期されていた。

 同乗させた大隊のコボルト通信兵による魔術探知と、上空を飛んでくれている大鷲族による警戒、自ら種族たちの夜目だけが頼りであった。

 静かにサーベルを振った少佐の合図で、一斉渡河が開始される。

 ―――豊穣の大地よ、守り給え。

 宗教を持たぬオーク族にとってただひとつの拠り所、祖国の大地へと少佐はそっと内心で祷り続ける。

 豊穣の大地よ、守り給え。

 豊穣の大地よ、守り給え。

 豊穣の大地よ、守り給え。

 彼らがシルヴァン河を渡り切ったころ、不意に、背後から轟音が響いた。

 まるで雷鳴だ。

 ―――始まった!

 彼らを含む全攻囲部隊は狂喜した。

 オルクセン軍の将兵にとって、もはや頼もしき相棒の響き、ヴィッセル砲の砲撃音だ。師団、軍団、軍差遣の砲兵隊が、モーリア市西部域を目標に試射を始めたのだ。

 むろん一度にやると観測など出来なくなるから、砲兵隊は事前の打ち合わせをしておいたし、砲撃開始の瞬間に砲兵隊のみ封止解除された魔術通信や、遮光覆いつき発光通信器で相互連絡を取り合いつつ、順に試射をした。

 まず撃ち始めたのは、モーリア市を取り囲む各擲弾兵及び山岳猟兵連隊に各六門配された、五七ミリ山砲だった。

 彼らのうち一部、第九師団側が中心となって射撃を開始。

 発射したのは、白燐照明弾だ。

 コーフは山砲隊の同期将校から耳にしたことがある。

 オルクセン軍歩兵科部隊を直接的に支えているこの火砲、軽量であることや機動性ばかりに目がいきやすいが、本当に優れているのは仰角がとれる点だという。

 だから直射のみならず、山なりに敵陣を頭上から叩いたり、照明弾を上空に放つことまで出来る。

 このころ、他国の軍隊はロケット花火をちょっと大きくしたような程度のもので照明弾を打ち上げることが多かった。

 またオルクセンの照明弾そのものが他国のものより技術的に洗練されており、白燐に対してマグネシウムが混合添加されていて、その光芒は強く、光輝はやや橙色めいている。

 炸裂した瞬間に広がる小さな落下傘があり、物の怪の尾っぽのように光芒と白煙をひきながら、他国のものよりは長い燃焼時間でゆらゆらと揺れながら降下して、モーリア市を照らし浮かびあがらせる。

「あれは上からドンちゅう技ですわ」

 兵の誰かが、その様子に含み笑いを伴いながら嘯いた。

 モーリア市にあって屋外にいた市民たちは、まずこの突如とした照明弾照射に驚いた。

 だが何事かと理解しきる前に、野山砲や重砲隊の試射弾が降り注ぎ始めたのである。

 この照明弾の輝きに支援されて、この夜モーリア市を砲撃したのは、五七ミリ山砲二四門、七五ミリ野山砲及び野砲九六門、八七ミリ重野砲一二門、一二センチ加農砲三六門、一二センチ榴弾砲一二門。計一七〇門。

 なかでももっとも高威力を発揮したのが、オルクセン軍にとって最新の野戦重砲、一二センチ榴弾砲ヴィッセルH/七五だ。

 六頭輓曳式。この前年に採用されたばかりの最新式で、まだ軍内においてもまるで数はない。第一軍と第三軍の配下に、合計で五八門があるきりだった。

 オルクセンを含む星欧各国はこのころ、野戦重砲としては加農砲を使っていた。

 たいへん大雑把に説明すると、加農砲というのは、直線的に遠くまで砲弾を放つ砲のこと。

 一二センチ級となると、鋼製のうんと背の高い砲架に乗せ、なかなかの苦労をしながら砲弾を込め、運用していた。

 一方、榴弾砲は、仰角―――空のほうへ角度をつけて砲弾を山なりに飛ばすことが出来る砲のことだ。

 ご先祖様に近い存在は、近世では臼砲といった。

 文字通り臼のような形状の砲を木製砲床などに乗せ、地面に対して斜めに寝かせて打つような砲である(臼砲は臼砲で、その後は全体が鋼製になるなどして発展、このころまだ存在している)。

 これほど口径があって野戦に投入できる榴弾砲は、一種の、新兵器と言ってもよかった。

 それは、概要上の説明を試みるなら、以下のような流れのなかで生まれたものだ。

 オルクセンは、このころ人間族諸国家への警戒からグロワールやアスカニアとの国境線付近に煉瓦やコンクリートべトンを多用した、新戦術思想による近代要塞を幾つか造り上げていた。

 軍学史的には、オルクセン学派近代要塞と呼ばれるものだ。

 ところが、これを他国も模倣して同じようなものを造築しはじめた。

 星欧各国で何星紀と繰り返されてきた、軍学や兵器の相互模倣である。

 造られてしまった以上、それは将来的な仮想戦場となる。

 国軍参謀本部が例によってこれについて研究しているうちに、将来戦場において自らの野戦軍がその相手をしなくてはならなくなった場合、従来装備の加農砲ではこれを攻略しえないのではないかという危惧が、砲兵科の連中から出されるようになった。

 それまでの、いってみれば、地面に平べったく、張り付くようにして、街なども内包して地表に存在した前星紀型の要塞なら加農砲でもよかったが、自らたちが生み出した近代要塞は半ば地下に潜るように造られていて、またその防禦施設が防禦正面に対してもっとも厚いうえに防禦火砲もろとも全てを内部――掩体に収まるように考え出されており、いくら直線的に砲弾を撃ち込まれても貫かれず、掩体内部には何の損害も与え得ないように出来ていた。

 ところが、これをグロワールやアスカニア辺りも作り始めたから、弱ったことになってしまったのだ。

 この状況はほんの少しばかり、海軍艦艇における相互発展、主砲と装甲の均衡関係崩壊に似ている。

 そこでオルクセンは、山なりに弾を放つ火砲―――榴弾砲の口径の大きなものを製造して、将来戦場においてこれに対抗しようと考えた。

 要塞防禦正面を真横から叩くのではなく天空から破砕する。またこの方式であれば掩体背後に隠れ潜んだ敵兵も吹き飛ばせる―――

 こうして、一二センチ榴弾砲は生まれた。

 ただしこのころ、オルクセン軍内ではこの一二センチ榴弾砲でもその威力では自らたちが生み出してしまった近代要塞というものの攻略には不十分であろう、もっと大きな火砲が必要なのではないかという意見まで既に出ていたし、これに対応する試みも始められていたから、兵器の相互発達とは本当に恐ろしいものだ。

 あるいは、敵は我らを常に上回っているはずだ、そうだ、そうに違いない、もっと凄いものを作らなければ―――などという、オルクセン軍において特に強かった、相手への恐怖を根幹とした物の考え方を、というべきか。

 なにしろこのころ実際には、他国から見ればオルクセン軍の野山砲の性能でさえたいへんな脅威だったからだ。

 またグロワールなどにしてみれば、オーク族の兵による突撃の恐ろしさをデュートネ戦争で味わい抜いたからこそ、国境部にオルクセンの方式を真似た要塞群を築こうとしていたのだが。

 ―――モーリア市は、こんな代物を撃ち込まれた。

 もちろん、数の上での主力となったのは、九六門もあった七五ミリ野山砲及び野砲だったが、そちらにしても、人間族の国々が言う通りたいへんな威力である。

 その砲撃過程は、おおむね次のようなものになる。

 六門で一個中隊を成す各砲は、まず試射には霰弾を発射した。

 信管は着発。

 つまり、砲弾弾殻の内部に比較的大きな七六発の亜鉛製弾子が入って飛び散る砲弾を、目標に命中した瞬間に爆発するかたちで撃ち込む。

 これを二発から三発ほど撃って弾着を修正すると、横一列に並んで展開した中隊全てで修正値を共有、

「右よりぃぃぃぃぃ撃てぇぇぇぇぇぇ!」

 六門ある砲が、いちばん右にある一番砲から順に六番砲まで本格的射撃―――効力射を始める。

 この段階で撃ち込まれるのは、榴霰弾。

 こちらは霰弾より更に邪悪極まる存在だった。

 内部に、一二六発の弾子が充填されている。

 信管には曳火を使用した。つまり、目標周辺上空で砲弾が空中炸裂する。

 目標付近に弾子を巻き散らすために、榴弾砲ほどではないがやや弧描かせるように弾道を計算し、目標手前上空で炸裂するように撃ち、弾子を地面へと傘状に拡散させて叩きつけるのが理想的であり効果的とされていた。

 わざわざ試射及び修正射と効力射で弾種を変えるのは、霰弾のほうが観測しやすいためである。

 発射した砲は、反動によりガラガラと後退。

 これをオーク族砲兵たちが馬鹿力で手早く元の位置へと戻し。

 次発装填。

 また発射という行程を繰り返す―――

 このころヴィッセルの砲は、総じて薬莢式ではなく、薬包式という形態だった。

 つまり砲弾と発射薬は一体になっていない。

 弾を込めると、続いて白リンネルで包まれた火薬を押し込む。

 この薬包には絹や綿布は使用しない。燃滓が残ってしまい、つまり次弾を装填する際に誘爆を引き起こす原因になってしまうので、みなリンネル製だった。

 重砲隊も、基本的にはこれと同じ作業の繰り返しで撃つ。

 ただしこちらは砲の反動がうんと強いので、少しでもこれをやわらげるために、野山砲にはない装置が着いていた。

 車輪と車輪の間に、原初的な管状の伸縮装置があり、この頭部を予め据えておいた砲床に固定、更に砲架後部に連結して、反動をほんの気持ちばかり吸収する。似たようなものは一二センチ加農砲にも着いていた。

 こんなものを木製砲床ごと設置しなければいけないから、重砲隊は当然ながら野砲より展開に時間がかかる。本来なら野戦展開においては事前に射撃陣地を築いておくのが理想的なもので、だから両者が展開を終えたのは、この戦闘においてはいちばん後になった。

 また、うんと弾を撃ち込まなければならない対要塞砲ゆえに、各砲一〇〇〇発もある弾薬定数のうち、ほんの僅かなものにあたる砲車と弾薬車分しか持ち込まれてもいなかった。

 機動性と展開速度を優先したのだ。

 この時代、砲が反動で後ろへと下がってしまう現象―――後座を完全に抑え込む技術はまだ生まれていない。

 どうしても元の射撃位置へと押し戻してやる操作が必要で、光学観測機器の発達もまだまだであり、ゆえに砲撃の精度は昼戦でさえのちの時代に比べるとずっと低かった。

 砲戦距離が延びるほどその傾向があり、人間族の軍隊では、なかでも夜間の砲撃などコケ脅し―――擾乱射撃以上にはなりえない、そう見なす国ばかりである。

 モーリアの戦いにおいてオルクセン軍が自身たち種族の強みである夜目を発揮しつつ、まず照明弾を打ち上げたのはこのためだったが、この夜、こののち彼らの砲撃精度を更に補う仕組みへと発展していく、ある戦術の萌芽がオルクセン軍に生まれている。

「あー、こちらブラウ〇三―――」

 それはたった一組の、第七師団上空にいた大鷲とコボルトによる魔術通信から始まった。

 砲撃開始によって彼らの魔術通信封止も解除されていた。

「いま着弾した、大きな爆発のもの。誰が撃ってるか知らんが、街の手前に落ちたぞ」

 しばらくして、

「こちらホルン〇一。ブラウ〇三、そこから見えるのか? 大鷲族は夜目が効かないと聞いていたが―――」

「ああ、見えるよ、ホルン〇一。俺はコボルトだもの。送れ」

「・・・ブラウ〇三。それ、続けてもらえないか。街を飛び越えてしまったらえん、手前に落ちたらきん。それだけで伝えてくれればいい。送れ」

「ああ、うん? そんなことでいいのか? お安い御用だ。送れ」

「頼む、じゃあ撃つぞ」

 南東方向から射撃音。

 首を竦めたくなるほどの、砲弾の飛翔音。

 着弾。

「ホルン〇一、遠だ。送れ」

「了解」

 再び、射撃、飛翔、着弾。

「命中! 命中だ、ホルン〇一。送れ」

「助かったよ、ブラウ〇三。また頼むかもしれない、そのときはよろしく! ホルン〇一、終わり!」

「役に立てたなら良かった。ブラウ〇三、終わり!」

 ―――空中弾着観測射撃。

 のち、そのように呼ばれることになる戦術の始まりだった。

 砲兵技術的には間接射撃の一種になる。

 なんとも滑稽なことに、開戦のこの瞬間まで、砲兵たちも大鷲軍団もコボルトも、そして国軍参謀本部でさえ、誰もそのようなことが出来るとは思っていなかった。

 皆が皆、他者の能力への想像が及ばず、またいかなオルクセン軍といえども砲隊の演習には空砲を使うことが多く、そして大鷲軍団はその上を飛んだことしかなかった。

 実際の戦場で実弾を用いて、しかもほんの気遣いばかりにその結果を伝えたことから、この技術は生まれた。

 しかしながら―――

 こんな代物たちを撃ち込まれた側からすれば、どれもこれも些末な問題に過ぎないであろう。

「いい! いいじゃないか!」

 戦線やや後方にあって、高さのある丘の上に司令部を開設していたラング大将は、満足気に牙を揺らし、双眼鏡の視界内で次々に着弾、爆発するモーリア市の様子を幕僚たちと眺めていた。

 彼らの侵攻発起点からモーリアへはなだらかな勾配で標高線が下がり続ける地形をしていたので、非常に良く見えた。砲兵たちも丘なども利用してなるべく俯瞰して射撃するよう陣取っていたから、砲撃戦はやりやすい。

 着弾は、同市西部の、城壁で囲まれた地域に集中していた。

 そのあたりに、エルフィンド軍国境警備隊の司令部及び主力駐屯地があるとされていたからである。

 ―――当然ながら。

 その周囲にある、民間住宅街、商業地、文化施設なども巻き添えを喰っている。

 白エルフたちは、夕食をし、一杯飲み、団欒し終え、入浴し、気の早い者などは寝床に入ったところを、そのまま砲撃された。

 野山砲の使う榴霰弾は、基本的には兵馬殺傷用である。

 石材でできた家に住んでいたとしたら、その建物ごと吹き飛ばされたりはしない。

 しかし、比較的柔らかい屋根などを榴霰弾の弾子は貫通した。その内部まで飛び込むこともあり得た。

 屋根が石材より脆い木材や薄い瓦、藁などで構成されていた場合、破壊力を維持したまま梁まで倒壊させてしまうこともある。

 また石材で出来た家はその構造材内部で弾子が飛び跳ね回り、建屋内部のもっと柔らかいもの―――白エルフ族を攪拌、粉砕、殺傷して、被害を拡大させる事例もあった。

 もっとも凄惨だったのは、一二センチ榴弾砲の砲列が撃ち込んだ砲弾だった。

 彼ら攻城重砲隊が使ったのは、七五ミリ野山砲弾のような、本来は野戦での兵馬殺傷用の榴霰弾ではない。ベトン製の対要塞戦用に開発され、うんと爆薬を内部に詰めた、物体破壊用の檄爆榴弾とも言うべき代物だった。

 これを着発で撃ち込んだ。

 その破壊力は絶大で、こちらについては、直撃を受けて家屋の過半ごと吹き飛んでしまったような白エルフ族もいた。こうなるともはや瓦礫の下に埋もれて生存は極めて困難であり、またあるいは命中の瞬間に一塊の肉片となった。

「やった! やった!」

 幕僚たちは快哉を上げた。

 攻撃発起点で見守っていた兵隊たちも同様である。

 これはこの時代、彼らが殊更に残虐であったことを意味しない。

 軍隊を内包した都市は、砲撃されようが戦争に巻き込まれようが、当然のことだった。

 出来れば迂回し、攻撃するならなるべく事前に降伏勧告することが望ましいが、出来れば、なるべく、望ましい、である。それはどちらかというと戦術要求上そのように取り計らうものであり、表向きはともかく本音としては慈善や人道目的に行われるものではなかった。

 無防備都市宣言など都市の扱いについての条項を含む国際陸戦条約が出来るのは、この戦争よりあとのことだ。またその条項についても曖昧さを含むものであり、如何様にも言い訳や解釈ができ、その後の歴史もまた都市を守らなかった事例のほうが多い。

 この夜、攻撃準備射撃でモーリア市に撃ち込まれた砲弾は、各種合わせて二八五五発。

 たいへんな量に思えるかもしれないが―――

 これは砲一門あたりの砲弾消費量にすれば、一五発でしかない。

 七五ミリ野山砲など、段列所持分も合わせて一門あたりに割り振られた砲弾定数は、一四四発である。一五発という数は、砲に付属している弾薬車分すら使いきっていない。

 砲兵たちの感覚にしてみれば、あー、教本通りの一戦闘分使ったなぁ、というところ。

 例え補給を受けずとも、まだまだひと戦闘もふた戦闘もやれた。オルクセン軍の場合、そんな真似は兵站組織側の自尊心が許さず、必ず補給をしたが。

 三〇〇〇発近い砲弾を一つの街に放って、たった、それだけ、ちょっと。そんな感覚になってしまうところに、近代戦の恐ろしさがある。

 更に言えば。

 これはこの戦争で行われた大規模陸上戦闘のうち、弾薬消費量だった。

 あるいは、これもまた撃ち込まれたモーリア市側からすれば、まるで些細な事象に過ぎないのかもしれない。

 国境警備隊司令部は崩壊。

 駐屯地兵舎や通信施設も吹き飛ばされ。

 周辺市街地の被害こそが大きく。

 生き残った白エルフたちは、この突如とした、天災にも似た被害にわけもわからず、ただただ震え、怯え、逃げまどい、茫然自失とした。

 それでも意外にも、この砲撃を生き残った者は多かった。

 遮蔽物のなかにいて砲撃を受けた場合の生存率は、そうでない場合と比べるなら、ずっとのちの時代になっても高いものだ。

 彼女たちにとってもっとも被害を拡大させたのは、砲撃により市庁舎の一部が吹き飛ばれてしまい、市長が公舎ごと瓦礫の下となり、また国境警備隊司令アグラミア少将が邸宅において頭部に弾片を受け昏倒したことだろう。

 つまりモーリア市とその駐留軍は、奇襲によって突如とした砲撃を受けたうえに、その被害によって事後対応能力まで喪失してしまった。

 そしてそんな状態に陥ったところに、第九師団と第七師団が突入を開始した―――



(続)

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