第13話 すばらしき戦争① べラファラス湾海戦

 ―――魚雷トーピード、という兵器がある。

 正式には、魚形水雷。

 これは当時まだ出現して間が経っておらず、オルクセンを含む星欧各国では、実用化した技師の名からアルビニー魚雷などとも呼ばれていた。

 火薬の詰まった弾頭部に、機関部の仕込まれた中部から後部と、末端に姿勢を保つための鰭と推進力を生み出すためのスクリューとがあり、つまり、水中を突っ走る丸太のようなかたちをしている。

 星暦八七六年一〇月二六日、オルクセン王国とエルフィンドが開戦したとき、まだその実用化から一〇年ほどしか経っていない兵器であった。

 発明はそれより少しばかり前だったが、兵器として使用するために性能を安定させるにはやや時間がかかった。このころには水深による加圧を感知して、これを鰭に伝え、そうやって深度を一応は保つための改良が施されるまでにはなっている。

 これもまたある意味、装甲の発達により砲撃によって軍艦は沈めえないとなった結果、生まれた兵器の一種ともいえる。ちょうど時代的にそのようなときに作り出された。

 信頼性も威力もまだまだだったが、小さな艦艇からも発射でき、またいかな装甲艦といえども船底に穴をあければたちまちに沈めることができると期待され、改良されつつ、あっという間に各国に普及した。

 また、これより以前には円材水雷スパー・トーピードという兵器が生まれている。

 名前はよく似ているが、こちらは少しばかり―――というより、かなり物騒な使い方をする、やはり対艦用の兵器だった。

 ざっくりとその概要を言えば、艇から突き出した長い竿の先端に爆薬をつけ、刺突するなり、導線で点火するなりして敵艦の舷側に大穴をあけてやろうという、実際に扱うことになった者の心境を考えるなら、なかなか思い切った兵器であった。

 このどちらを使うにしろ、何しろものがものだったので、小さく、高速性のある舟艇を整備して運用するのが効率的であるとされた。

 円材水雷はもうそのまま敵艦のどてっ腹に向けて突っ込んでいくわけだし、魚雷のほうもまだうんと近づいてやり、直線的に放たなければまともに使えなかった。

 そんな真似をするには、動きが機敏で、すばしっこい艇を作ったほうがよかった。

 ちょうど蒸気機関の信頼性と性能とか、どんどん向上して、そんな汽艇が作れるようにもなっていた。

 こうして両者を合わせるかたちで生まれた兵器が―――水雷艇トーピード・ボートだ。

 これもまた、あっという間に各国に普及した(海軍大国でもあり新規な発明も大いに好むはずのキャメロットでは、そんな真似は卑怯者のすることだといって、意外にもすこしばかり遅れている)。

 例え小さな国の小さな海軍でも、負担少なく、数を揃えられることが普及を加速化した。グロワールなどは、大国にも関わらずこれを随分たくさん作った。

 最初は本当にまるで小さなものだった。

 おおむね、排水量一〇トン以下。七・五トンであるとか、五トンであるとか。

 うんと沿岸から近い範囲だけで動き回るか、母艦などに艦載させて、艦から揚げ降ろしして使った。見た目も汽艇そのもので、大きさの割には力のある機関を積んだから煙突がちょっとばかり目立つくらい、これに円材水雷や、まるで小さなものだった発射管をちょこんと乗せただけの、きわめて原始的な代物であった。

 それがだんだんと大きくなって、この開戦のころには各国概ね五〇トンほどになっていた。

 ただ―――

 オルクセンはそれを、もっと大きく造った。

 最初は艦載水雷艇型の、僅か五トンという代物も整備したが、それに対する興味はすぐに失われていた。

 コルモラン型砲艦で得た教訓などがまさしくそうであったように、荒れる北海では、舟艇といえども大きくしなければ使えなかったのだ。

 少なくともオルクセン海軍の運用目的には合致しなかった。

 これを航洋性などというが、そうして多少の距離は自力で動けるよう大きくして、オルクセン本国からベラファラス湾奥のファルマリア港を直接に狙いにいけるように計画、整備をした。

 ―――T〇一型水雷艇、という。

 排水量二〇〇トン。全長約五〇メートル。これに小さな三・七センチ砲を二門と、三六センチ魚雷発射管を二基積んだ。細長いが、艇の部類としては船体を大きくしたから、余裕のある機関を乗せることが出来て、太く短い二本の煙突から排煙をふりまいて出せる速力は一九ノット。

 八七六年一〇月二六日、午後五時五二分。

 もはやまるで暗闇となったファルマリア港に最初に突入したのは、この水雷艇六隻で編成された第一水雷艇隊と呼ばれる連中だった。

 これより四〇分ほど前にベラファラス湾湾口を突破したあと艦隊本隊から分離して、機関を一杯に回し、焚火兵たちは罐に盛大に無煙炭を放り込み、東西二三キロ、南北二五キロの同湾を一直線に突っ切るように針路を採った。

 各艇、発射管は船首にあってまっすぐ前を向いた作りになっていたから、横一杯に広がった横陣襲撃隊形であった。

 むろん全艇が、申し訳程度のマストのトップに、うんと小さなものではあったもののオルクセン海軍旗を掲げている。

 オルクセンの海軍旗は、国旗の意匠を基調にしたもので、白地に細い飾り線を従えた太い横棒と縦棒を一杯に引き、その左上面に跳ねる猪を描いている。

 合成風力によって、その全てが目いっぱいにたなびいていた。

 各艇は開戦前に、オルクセンの海軍規定に従って明るい灰色に塗られている。

 煙突上部に、一朶の締まりのように黒帯。

 その姿は、海上を行く、狼の群れのようであった。

 これをペリエール中佐という隊司令と、次席指揮官としてフォルストマンという少佐が各艇長を従えて突っ込んでいった。

 二人とも艇長兼任だったとはいえ、隊や艇の規模の割には指揮官が多めに配されていたのは、水雷艇はあまりに小さく、また襲撃のために激しい機動をするのでしばしば各艇ばらばらになってしまうことが訓練を重ねた結果わかっていて、そうなった場合に付近の艇を取りまとめるためだった。

 しかもこの開戦時の場合、奇襲であるので、コボルト族兵の魔術通信は封止されている。

「おるぞ、おるぞ! おるおる!」

 横隊の中央付近に陣取ったT〇一の、艦橋とはまるで呼べないような、ほぼ船体そのものに柵を囲っただけのような場所に突っ立ったペリエールが叫んだ。

 水雷艇の船首は波捌けがよいように、まるで亀の背のように丸めたかたちで作られていたが、最高速度を出して白波を蹴立てれば、もう何の意味も成さない。

 彼ら乗員の全身はとっくにずぶ濡れとなり、外套と首に巻いた布がどうにか襟元くらいは守ってくれる、そんな具合だった。

 外気温は既に摂氏三度にまで下がっている艦橋で。オーク族の巨躯には、骨がきしむほど堪えた。

 水雷艇隊の前面には、黒々とした敵艦群がぐんぐんと迫ってくる。

「内港に商船多数!」

 ファルマリア港は、ベラファラス湾最奥にあって「象の鼻」と呼ばれていた突堤に囲まれた内港と、その外側の外港とがあり、外港側を軍艦ばかりが錨地として使っていたから、エルフィンドや、キャメロットなどの商船を誤射する心配はなかった。また、内港は決して攻撃してはならないと、これは厳命されてもいた。

 近づくほどにはっきりとわかってきたが、エルフィンドの艦艇からは、信じられないことに明かりが漏れていた。

 舷窓を閉じもせず、午後四時半ごろの夕食を終え、エルフィンド水兵たちは就寝までの休息時間を過ごしていた最中であった。

 彼女たちは、まるで開戦を警戒していなかった。

 ファルマリア港の外港背後には、ハーフン岬砲台という、一五センチ砲六門を備えた有力な砲台があることも過去の諜報結果によりわかっていたが、これもまた何らの反応も示さなかった。砲員も満足に配されていなければ、砲の解撤さえなされていなかったのだ。

 オルクセン国王グスタフ・ファルケンハインの予測通り、オルクセンの宣戦布告が伝わり切ってもいなかった。

 まったく、開戦のこのとき、エルフィンドの海軍は弛緩していた。

 水雷艇隊は、この在泊艦艇の明かりも頼りにして突入した。内港側は街の灯を含め更に多くの灯火があったから、容易に見分けはついた。

 エルフィンド海軍艦艇にも、通常の配置として当直に就いている者はもちろんいたが、魔術探知を出してもいなかった。

 これには、やや説明を要するかもしれない。

 魔術の使用は、例えそれがどれほど術者の数に恵まれたエルフィンドのような国であってさえ、常時行われているようなものではなかったからだ。

 ディネルース・アンダリエルたちの使用の仕方を見てもわかる。

 それはダークエルフ族などが表現するところの「五感を研ぎ澄ませたようなもの」で、目的上の必要にかられ、使用意思があって初めて、集中力を発揮して発動させるものだったからである。

 エルフィンド海軍艦艇の一部当直たちが、迫りくる水雷艇隊の気配を察したときには、もうまるで遅かった。

 艦の罐に本格的な火などくべられてもおらず―――つまり、例えこの瞬間に全ての対応が上手く行われていたとしても、ファルマリア在泊エルフィンド海軍艦艇は動くことができなかった。

「魔術探知波感知!」

 ペリエールの足元で、コボルト兵が叫んだが、彼にはよく聞こえなかった。

 興奮と波音と機関音とが、そうした。

「なんだって? 構わん、ここまで来て引き返せるか! 突っ込め!」

 もう一度叫んでもらってから、彼は大喝一声した。

「前部左発射管、よし!」

「前部右発射管、よし!」

 既に残り三キロ、一・六二マイル。最大速度目一杯一九ノットに達した水雷艇隊にとって、これはたった五分ばかりの距離でしかない。

 ―――第一水雷艇隊は、突入に成功した。

魚雷発射トーピード・ロス!!」

「魚雷発射!」

「魚雷発射!」

 ほぼ一斉に行われたその魚雷発射位置は、おおむね各艇、目標に対して三〇〇メートルを切っていた。

 信じられないことだが、最初から当て舵をしてやり、やや斜めに突っ込んで、僅かに変えられる発射管の角度も操作して、残り四〇メートルにまで迫って発射した艇までいる。

 発射すれば各艇が右に転舵をして離脱するが、そんな距離から発射すれば、「舷々相摩す」の言葉通り、まるでエルフィンド艦艇と衝突寸前のようだった。

 彼らはたった二門備えられた三七ミリ砲による砲撃まで行いつつ、遁走に移った。目指すは湾口外、彼らの母艦である。

 それでも何もかもが上手くいったわけではない。

 むしろその逆で、各艇とも己が雷撃した相手はいったい何が何やら、という状態だった。

 幾ら明かりが漏れていたとはいえ闇夜のことであり、オーク族特有の夜目を頼っても艦型の識別は困難を極めた。

 艦影と艦影とが重なり、まるで巨大に見え、我こそはオルクセン海軍最大の仇敵リョースタ型を雷撃したと主張した者もなかにはいたが、戦果確認もままならず、それはのちのちになっても真相はわからずじまいだった。

 魚雷もまともに走らなかった。

 彼らが三〇〇メーター以下の距離から発射したのは、もちろん根性が座っていた結果でもあったが、それほどまでに迫らなければこの当時の水雷艇用魚雷の射程距離はその程度のものだったからでもある。

 機械的信頼性にも、まだまだ乏しかった。

 着水の衝撃でいきなり駄目になってしまったもの、外圧変化を舵に伝える機構がまるで作動せず上下に揺れ動いてしまったもの、そもそも火薬式発射管から飛び出すも駆走もせず海底へと沈んでいったもの―――

 六隻合計で一二本発射されたはずの魚雷のうち、まともに目標へと到達できたのは、二本だけであった。

「命中―――!」

 脱兎の如く逃走運動に映る彼らの背後で水柱が二本上がり、続いて重苦しい衝撃音。

 もはや、どの艇がどの目標に放った魚雷かすら分からない。

 ―――それでも。

 彼らは、外港の最外側にいた一隻のエルフィンド砲艦を撃沈。巡洋艦一隻を大破させた。

 彼らの背後から、かんかんと鐘の音が聞こえたのは、ようやくに事態に気づき、エルフィンド側各艦が警鐘を鳴らし始めたからであった。騒然とした気配も、漂ってくる。

 だが、既に遅い。エルフィンド海軍艦艇の受難は始まったばかりであった。

「来た、来た、来た! 来たぞー!」

 ペリエールの視界に、黒々とした、それでいて明るい灰色の艦影が幾つも入り始めていた。南側だ。一六隻のオルクセン海軍主力全艦が単縦陣となって、水雷艇隊の襲撃と間を置かぬよう取り計らい、最大戦速で突入を開始しようとしていた。

 ペリエールは、実にオーク族の牡らしい朗らかな調子で、げらげらと笑った。

 愉快であった。

 オルクセン海軍主力艦群の突入のまた成功するのはもはや確実であったからだし、彼らが今宵上げた戦果は、例え僅かなものといえども歴史に刻まれることもまた確かであったからだ。

 ―――水雷艇隊による、夜襲突撃。

 ―――魚雷による、水上艦艇の撃沈。

 近代魚雷の開発以降、対エルフィンド戦争は初の戦争だった。運用法もまだ確立されているとも言えない。つまりこれは、世界海戦史上、初の出来事であったのだ。



「やりました! やりました! 水雷艇隊、突入に成功!」

「よーし!」

「続くぞ! 戦闘旗揚げ!」

「魔術通信、封止解除! 主隊全艦、我に続け!」

「距離四八〇〇!」

「距離と速力に注意せよ!」

「左舷戦闘!」

 艦隊総旗艦レーヴェ艦橋上で冬季軍装に外套、マフラーを巻き、双眼鏡を首からぶら下げ、制帽を目深に被って仁王立ちになったマクシミリアン・ロイター大将の周囲では、如何にも海軍らしい号令の数々が、高まる興奮と、熱気と、狂騒とを煽るように響き続けていた。

 同様の服装をした参謀長、参謀、艦長たち。

 真新しい冬季軍装に水兵帽の、水兵たち。

 ベラファラス湾への突入前、既に艦上艦内甲板の各所には、砂が撒かれている。これは軍艦に乗り込む者にとって、戦きを覚える作業だ。つまり、負傷者や死者が出た際、その流血で足を滑らせないための処置である。

 椅子、家具の類が固縛され、臨時の医務室に仕立てあげられた士官室では、軍医たちが待機していた。

 艦内各砲には砲員たちが配置につき、ファイティングマストには狙撃のための小銃を携えた海兵隊員も登った。

 それより以前に済ませた夕食には、塩茹でしたヴルストをみなで腹一杯になるまで食べた。

 そうやって戦闘準備を整えられたレーヴェの後方には、やはり同様の作業などとうに終えた装甲艦五隻、巡洋艦八隻、水雷巡洋艦二隻が縦一列になって続航している。

 艦隊速力は、集団としての最大戦速である一四ノット。

 機関室では焚火兵たちが汗だくの煤まみれとなりながら、オーク族ありったけの体力を使って無煙炭を罐へと放り込む。備え付けられた刻印式魔術金属版による冷却効果が、この冬季に作動するような環境である。

「みんな付いてきとるか、参謀長?」

「はい、全艦欠けることなく!」

「よろしい! 艦長、準備が出来たら始めていいぞ!」

「はっ!」

 オルクセン海軍主力たる荒海艦隊の主隊が、いわゆる単縦陣形を描いてベラファラス湾に突入したのは、戦術的な目的もむろんあったが、夜襲であること、地形的には狭きものであるうえに不慣れな場所での運動、離散防止等を考慮した結果、比較的単純なこの艦隊陣形がいちばん適していると戦前研究により判断されたからだ。

 海図は古く、突入は夜間、航海燈もほぼ消しての運動だ。

 それ以外の選択肢はなかった。

 世界中の海軍のなかでどちらが優れているか論争が続いている、横陣を採るつもりは最初からなかった。

 つまり彼らは、ついさきほどまでエルフィンド艦隊に食らいついていた水雷艇隊のような襲撃運動を行うつもりはない。

 衝角攻撃は実施しない。

 ベラファラス湾南岸に沿って弧を描くように機動、そのまま最大戦速でファルマリア港を航過。片舷側の全力集中射撃により、エルフィンド海軍外港泊地の在泊艦へとありったけの砲弾を叩き込む―――

 これが彼らの起こそうとしている、戦闘行動であった。

 ―――砲弾で軍艦を沈めることは出来ないのではなかったのか。

 そのように思われるであろうし、これは彼らとて同様に理解している。

 だから彼らはもう何年も前から、別の思考法を選択し、これを採ろうとしていた。

 ―――沈めることを、狙わなければいい。

 唖然としてしまわれるかもしれない。

 だが、格別に新しい発想でも、革新的な選択でもなかった。

 ずっと古くからある。

 極めて当たり前のことだが、軍艦とは船舶の一種にあたる。頑丈な船体をし、砲を備えてもいるが、船として必要な基本的な機能はその上、艦の上部構造物に通常の船舶と同じように存在した。

 マスト、艦橋、煙突。

 それらに備わった、帆、索具、航海器具、換気口など。

 これら上部構造物を薙ぎ倒し、破壊してしまえば、それはもう船舶としては行動不能になることを意味した。

 デュートネ戦争や、あるいはそれ以前にはもう存在した戦法だ。

 当時は葡萄弾と呼ばれる散弾の一種や、焼夷性のある焼弾を使った。

 そのころの艦船は風の力を得て海をいくばかりだったから、ようするにマストと帆を破壊してしまえばよかったのだ。船体も木造だったから、ときにはそのまま炎上した。

 だが、こんにちの艦艇を相手にした場合、そのような時代の艦船ほどの延焼効果までは見込めない。

 そこで彼らは、このいにしえの戦法にアレンジを加えることにした。

 円材水雷に代わって魚雷が登場したように、最新の、科学技術の力を借りることにしたのだ―――

「ちっくしょう、まだかぁ・・・」

 レーヴェ左舷にある三〇口径一五センチ副砲の一門を担当する、そのオーク族の三等兵曹は、同砲の砲員長を務めている。

 やや年嵩でありながらその階級でその地位というのは、出世が遅れていることを意味した。

 実際のところこの牡、もっと階級を重ねることも出来たのにかなりの跳ねっ返りで、上官たちに睨まれていた事実もあるが、半ば自らの意思で出世をしてこなかった。

 つまり、経験も根性も階級以上にたっぷりとある下士官であり、実際、砲を扱い、その部下砲員たちを義侠的に纏める能力にも不足はなかった。

 仲間内では「狼」という綽名で通っている。

 そんな男だから部下たちの人気はあり、綽名は尊称であり畏敬でもあった。

 その「狼」は、いまかなり焦れていた。

 とっくに配員も砲の装填も済んでいて、射程にも入っており、砲を操作すれば射角内にも到達していたが、まだ砲撃命令が出ないのだ。彼自身は、砲側照準器を覗き込んだままになっていた。

 艦隊は、大胆にも外港に対して距離二〇〇〇メートルの線まで接近しようとしていた。

 水雷艇隊の夜襲を受け混乱するばかりで、まるで不甲斐ないエルフィンド海軍にその至近距離から引導を渡してやろうと、これは闘将ロイター提督の決心による。

 航海士たちは古い海図を相手に水深がわからぬので真っ青になったが、ロイターにいわせるならこれほどの敵艦が集まれる錨地であるのだから、それは取り越し苦労というものだった。

 ―――タンタンタンタカターン。

 艦橋上の掌角兵により、喇叭が吹き鳴らされる。

 午後五時五八分のことだった。

 砲撃開始を意味した。

「左舷各砲、独立打ち方。打ち方始め!」

 同時に天井にある伝声管から、砲術長の号令が響く。

 待ちに待った瞬間だった。

「それ行けぇぇぇ!」

 裂帛の気合とともに、狼は砲の撃鉄を引いた。狙いは直近にいた二等装甲艦。エルフィンド海軍の、準主力艦だった。

 照準は、距離にしてはほんの微かばかり仰角をつけてある。通常の砲弾のように、船体側部から下部にかけての舷側を狙うのではなかったからだ。

 砲口から飛び出した砲弾は、距離が距離ゆえ、初弾から命中した。

 着発した瞬間、とてつもない光景が広がる。

 閃光。爆発。白煙。弾ける火花。直視できないほど盛大だった。閃光は白色そのものというほど鮮烈で、鋭く、その燐光に橙を広げて、爆発的であった。

 ―――オルクセン海軍対艦焼夷弾。

 通称、「電光弾ブリッツ」。

 恐れと畏れを込めて、「悪魔の発明」とも呼ばれていた。

 同口径砲の他弾種砲弾よりやや長く薄い弾殻に収められて、命中の瞬間に火薬により着火、爆散するのは、アルミニウムの粉末と酸化鉄の混合物だ。

 鉄道の軌条を溶接できてしまうほどの高熱を発しながら、その構成成分を敵艦上部構造物へと巻き散らす。散った先で更に周囲を燃焼させ、そのうえ、例え放水しても消火は困難。むしろ水分に触れると再び化学反応を引きおこして火花を巻き散らし、さらに燃焼範囲を広げかねない。

 まさに悪魔の発明といえた。

「打て! 打って打って打ちまくれ!」

「込めろ込めろ!」

「打てぇぇぇぇ!」

 他の一五センチ砲や、主砲の二八センチ砲から放たれた砲弾も次々と着弾して、排水量二九〇〇トンほどあったそのエルフィンド海軍二等装甲艦は、あっという間に炎上した。

 電光弾は、ヴィッセル社研究部の技師トーマス・ロッホが、約一年前に開発したものだ。

 海軍は当初、この戦法に陸海軍がずっと以前から照明弾として使用していた、白燐弾を使おうとしていた。

 だが何度か実験してみても、上手くいかなかった。白燐は生物など可燃性のある物質表面への焼夷効果は確認されていたが、こと構造物を炎上させようとするにはその組成から向いていなかったのだ。

 マグネシウムを添加させる等の実験が繰り返されたが、副産物として燃焼時間の長い照明弾が出来たと苦笑いするだけになってしまった。それでも多少の燃焼効果はあったからこれを採用しようとしたとき―――

 海軍へと、まったく系統の異なる別の方法を提案したのが、ロッホである。

 彼は自社の連中が確立しかかっていた、とある鉄鋼材溶接法に注目した。

 アルミニウムに酸化鉄を混合させ着火すると、強烈な高熱燃焼を起こすことが分かりかけていたのだ。その着火は非常に小さな火壺でも行え、鉄道の敷設現場などでも使えるのではないかと、そのような目的で研究されていた技術であった。

 オルクセンにおけるアルミニウムとその周辺技術の研究、その結果としての製造や生産技術がこのように異様なほど急速に発展したのには、無論理由がある。

 刻印式魔術用の、金属版の製造だ。

 刻印式魔術を発動させるには、科学的にいえば熱伝導率の高い金属が向いていることは、ヴィッセルを中心としたドワーフ族の研究によりかなり以前から判明していた。ふるくは無垢にちかい銀を使って造られていたのだ。

 だがそんなものを使用していてはとても商業利用などできず、大量生産も困難だ。

 これに代わって、登場したのがアルミニウムだった。

 アルミもまた当初は製造そのものにたいへん手間がかかり、とても商業利用できるほど価格を落とせなかったが、研究に研究を重ね、ここ近年で大量生産できるようになった。

 質の安定はまだまだだったが、いまでは軍の飯盒や水筒、汎用運搬缶、そして刻印式魔術用金属版を無理なく量産できるほどになっている(魔術式刻印版の他国輸出価格が高く供給量がほぼ皆無に近かったのは、金属版への魔術刻印加工作業に手間がかかることと、グスタフ王の方針による。彼は他国の食糧保存技術の向上を少しでも遅らせたがっていた)。

 電光弾は、そのような技術的蓄積の結果生まれた。

 海軍は狂喜した。

 これを使えば―――

「なんという光景なのだ・・・」

 ロイターは、やや茫然としている。

 全速力で航過しつつ、全力砲撃を続ける艦隊の中にあって、その呟きは隣に立つ艦隊参謀長にさえ聞こえない。

 荒海艦隊全艦が次々と至近距離から悪魔のような砲弾を撃ち込んだ結果、在泊エルフィンド艦隊はまるで松明のように炎上していた。

 通風筒や煙突から燃焼混合物が飛び込んだのだろう、船体内部にまで燃え広がっている艦もいた。

 木造部分の多い小型艇など、そのまま沈み始めるのではないかと思えるものまでいる。

 陸上実験は何度か行われていたが、実戦投入はこれが初めてだ。

 まさかこれほど効果のあるものだとは、オルクセン海軍当事者たちにさえ思われていなかった。

 そもそも電光弾はまだ生産量が少なく、一五センチ砲以上の砲弾しか用意されていなかった。それ以下の口径の砲からは、通常の徹甲弾が撃ち込まれていたのだ。

 これは一種の保険でもあり、小口径ゆえに速射性があって発射弾数の多いそれらの砲で、多少なりとも敵艦を損傷させえるだろう、そう考えられてのことだ。

 おそらくだが―――

 自身を含め、世界の海軍関係者は装甲というものを恐れすぎていたのではないか、ロイターにはそのように思われた。

 ここ一〇年ほど近代的な海戦がまるで行われていなかったため、日々発展していく兵器や技術の脅威を多分に想像に頼って予測してきた。

 実際のところ、通常の砲弾を撃ち込んでさえ、艦の装甲が施されていない部分や、非装甲艦には損傷を与え得る。沈めるまでは出来なくとも、上部構造物そのほかを、電光弾ほどではないが破壊できたのではないか。一〇年ほど前に、星欧南方で繰り広げられた最新戦例の大海戦のように、決戦は衝角でやるしかないと、信じ切ってしまっていたのではないか。

 そうでなければ、如何な新兵器を投入したといっても、これほどの戦果が上がるはずがなかった。

 むろん、洋上での戦闘ではなく、無防備極まる状態で停泊していた艦隊へと、至近距離から一方的な砲撃を撃ち込んだ結果だったというのもあるだろう。洋上で、更に砲戦距離が遠ければ、まずこれほどの命中率も期待できない。

「・・・・・・・」

 風に乗って、無数の悲鳴が流れてきた。

 後続艦の砲火が集中した、排水量五〇〇トンほどの砲艦の、その上部構造物ごと、エルフィンドの艦隊乗員が焼かれているのだ。構造物はおろか甲板上まで延焼しはじめたため、あれでは脱出もままなるまい。

 それでも、敵艦各艦から脱出を試みるものはいた。

 悲鳴を上げ、火達磨になりながら、舷側から飛び込んでいく影が幾つも目撃された。

 しかしながらそれは苦しみを増大させるだけだった。重度の火傷を負った者が海に飛び込めば―――

 全てを記す必要のない結果となる。

 なまじそれら全てが女性のものであるだけに、本当にファルマリア港外港は地獄のようになりかけていた。

 魔術通信及び探知を担当するコボルトたちは、もっと悲惨なものに己が魔術を消し去りたくなっている。

 あちらの巡洋艦。

 こちらの装甲艦。

 もはや沈みかかっている水雷艇。

 そんなもの全てから、魔術上でさえ悲鳴や救助を求める声を上げるエルフィンド海軍将兵ばかりになり、彼らの頭蓋はそれで一杯になった。ついには精神上も魔術上も耐え切れなくなり、失神するコボルト兵さえ出た。

 そのような光景が繰り広げられるなか、

「左舷、距離一八〇〇! リョースタ型一隻炎上中!」

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 見張員の報告に、そればかりは全艦挙げての大歓声になった。

 オルクセン海軍の仇敵、最大の仮想敵の一隻が、ぱっと大輪で白色の爆炎を上げ松明になっていた。歓呼の声があがったのは当然のことであった。

「打て! もっと打て! どんどん打て!」

 砲術長が叫ぶ。

 ただ、リョースタ型炎上の報を成した見張員はもはや見張の用を果たせなくなっていた。

 電光弾には、欠陥もあったのだ。

 いってみれば炸裂の瞬間に無数の小さな溶鉱炉を生み出してしまうような代物だったゆえに、直視を続けていると瞳孔が耐えられなくなってしまう。

 この状態は、見張員や、砲側で照準に就く者に続出した。またこのため、海兵隊員のほとんどは狙撃を行うことも出来なかった。

 ついには、砲撃を中断せざるを得なくなった。

 それでももはや、在泊エルフィンド海軍艦艇の過半は使いものにならなくなっていたが。

 艦隊の最後尾にいた、排水量一〇五〇トンの水雷巡洋艦ザルディーネとロッヘンが、手近にいた敵艦へとうんと距離を詰め、魚雷発射まで実施した光景は、もうまるで幕間劇に近かった。

 参謀たちが、苦労に苦労を重ねて、戦果を確認した。

「・・・・・・間違いないのか?」

 ロイターの声は、沈んだままだった。

「はい・・・」

 つい先刻まで、予想を上回る大戦果に狂喜していた参謀長まで、鎮痛な表情へと変じていた。

 ―――リョースタ型一隻がいない。

 どう確認しても、リョースタか、スヴァルタか、そのどちらなのかまでは分からなかったが、二隻のうちの片割れが見つからないのだ。念のため内港を望遠してみても、同様だった。巡洋艦の何隻かも足らないようだった。

 ―――たいへんな事になってしまった。

 よりにもよって、リョースタ型を取り逃がしてしまったのだとすれば、攻撃の効果は半減したも同じだと言い出す参謀まで現れた。

 多少、反撃を試みた敵艦はいたものの、錨鎖を巻き上げられたような艦は一隻もいなかったから、

「・・・諜報員たちが入出港を見逃したのだとしか思えません」

「止むを得まい」

 元々、リントヴルム岬の出入港監視は完璧なものだとは思われていなかった。海峡距離一五キロとは、それほどの空間だ。

 彼らを責めるようなことは到底できないと、ロイターは思う。

 取りこぼしが出たとはいえ、開戦時奇襲に成功したのは彼らの功績が大きい。湾口水深を調べ、誘導波まで出してくれた。

 感謝こそすれ、何を恨むことがあろうか。

 行先さえ不明のリョースタ型一隻その他をいずれ捜索しなければならないとしても、それはオルクセン方向ではないと思われた。本拠地がこれほど無防備だったのだ、訓練出港にせよ何にせよ、北へと向かったのだと推測できた。湾口外には、突入に際し残置した水雷艇母艦と、艦隊給炭艦が哨戒にもあたっていた。

 ならば。いまはやれることを確実にやるのみ。

 そのような捜索を後顧の憂いなく、このベラファラス湾をも自艦隊の根拠地に変えて実施できるよう、即断的に行動すべきだ。ロイターは決断した。

「参謀長。まだ弾はたっぷりあるな? もう一周しよう」

「・・・は?」

「ベラファラス湾をもう一周して、ファルマリア港の在泊艦艇は一隻残らず徹底的に破壊してしまう。やれるまで何度でもやる。それしかあるまい」

「・・・戦果拡張ですか。攻撃は反復されねばらない、と。陸軍の作戦を続行させるためにも」

「そうだ、その通り」

「夜食もただちに用意させましょう。水兵たちには苦労をかけます」

「うむ、よう言うた。それと、最大出力で魔術通信波を発信。我、奇襲に成功せり、とな。受信波が帰ってこなければ、何度でもやれ」

「了解致しました。規定の暗号にて発信させます。おい、信号長!」

「はい!」

「最大出力で発信。牙三連―――牙、牙、牙!」

 その報は、この上空を飛んでくれているはずの大鷲へと受信されて、国王大本営へと逓伝されるはずである―――

 この夜、オルクセン海軍は夜明けまでになんと五度周回襲撃を繰り返した。

 測鉛を入れつつ測深をし、艦隊としての接近距離を更に縮めもした。

 そのころには敵の抵抗はもうまるで皆無になっていて、敵艦上に僅かに生き残っていた者たちへの狙撃まで行われた。

 最終的な戦果は、一等装甲艦一、二等装甲艦二、巡洋艦六、砲艦三、水雷艇三、補助艦艇四を撃破。その多くは上構の破壊、炎上であり、本当に沈んでしまったものはあまりいない。

 だがエルフィンド海軍艦隊主力は、開戦の四日前に出港していたリョースタと二等装甲艦一、巡洋艦一を除くその全てが壊滅した。

 狙い通り、もはや艦船としての機能を喪失した残骸になっていた。

 期間があればどうにか回復できた艦もいたであろうが、これらの損傷修理を迎える前に、オルクセン陸軍第一軍の侵攻がファルマリア港に到達してしまったのだ。

 その残骸は、この一晩中炎上を続けた。幾度か誘爆も起き、外港そのものが溶鉱炉にでもなったかのような光景だった。

 オルクセン海軍側の損害は、二度目の襲撃の際、俄かに反撃してきた敵艦弾の至近弾によりレーヴェの左舷側短艇が一隻壊され、信号旗揚降索が切断されるなど八個所が損傷したのみ。

 ―――この戦い、のちにベラファラス湾海戦と公刊戦史に呼称されることになる。

 戦役の初期段階が済んでから従軍した各国の武官や記者たちは、ファルマリア港外に黒焦げのようになって浮かぶエルフィンド海軍艦艇の姿に、戦慄した。

 グロワールの、とある新聞記者は次のように本国へと記事を書いて送っている。

「奇術か、魔術か。オルクセン海軍の使用した悪魔のような威力の砲弾については、詳らかになっていない。エルフィンド海軍の残存艦艇がいて、これとの決戦も控えている以上、彼らがこの詳細を公表することもないだろう。だがこれが世界の海戦史上に重大な変化をもたらすことは間違いない」

 我が国としてもうかうかしていられない、という論調である。

 これは各国の総意でもあって、ベラファラス湾海戦の戦訓が伝わって以降、世界の海軍は軍艦への鉄鋼材の使用を更に強め、帆装を排し完全な汽装とし、戦闘に際しては可燃物を投棄するようになった。

 そしてグロワール海軍は、一〇年ほどをかけ、メリニットと呼ばれる、また違った科学的アプローチによる燃焼性火薬を作り出すことになり、キャメロットもリダイト火薬という名でこれに続き―――それと同系統のものが、ずっと道洋の、新興近代国家でも産まれることになるが。

 これらはまた、別の物語である。


 

(続)

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