第10話 戦争のはじめかた④

 この時期、オルクセン国軍参謀本部は、予算や人事といった軍政を司る陸軍省、軍の教育を受持つ各兵科監、あるいはときに海軍最高司令部などとも共同して、実に様々な戦争準備を実施している。

 それはあまりに膨大な作業であって、その全てを数え上げることは不可能に近い。

 それでも、いくらか試みてみるなら―――

 例えば、参謀次長、兵器技術局長、砲兵監及び工兵監などで陸軍内に横断的に構成される内部組織である陸軍技術審査委員会は、あらかじめ各造兵工廠の戦時増産体制構築を事前に準備できることは極力成しておくことにした。

 国内に二つあったエアハルト造兵廠とアムベルト造兵廠は、年間一二万丁の小銃生産能力があったが、これは平時における生産量だ。

 日産にしてみれば各々三〇〇丁ほどだったその能力を、戦時においては八〇〇丁乃至九〇〇丁を目標に拡充させることが望ましく、これに要する工場拡張、工作機械、工具、臨時職工、指導技師などの数を調査し纏め、予算を算出しておき、戦時となったその瞬間ただちに発動できるようにした。

 造兵廠は、兵器部で砲車や砲架、弾薬車、火工部で銃弾や砲弾、照明弾の類も生産していたから、これらについても同様だ。鍛工部で製造されていた輜重馬車用馭者台、乗降車用踏み台、蹄鉄なども例外ではなかった。

 またこんな作業もあった。「高級指揮官教令改定案」「陸軍野戦通信規定改定案」「同野戦魔術通信規定改定案」「大規模兵站拠点勤務令草案」「輜重輸卒勤務令改定案」「輜重補助輸卒勤務令草案」「架橋縦列勤務令改定案」「野戦鉄道隊勤務令改定案」「野戦工兵廠勤務令改定案」「飛行兵勤務令草案」「野戦酒保設置規定改定案」といったかなりの数の諸規則の改定案及び草稿案を作り上げると、国王グスタフの裁可及び陸軍省の充裁を受けて、全軍に配布した。

 これは過去の陸軍演習における教訓や、最新兵術への検討内容、来るべき将来戦場での軍のあるべき姿などをまとめ、これらに対応させるためのものだ。

 オルクセン特有の、官僚主義や文書主義、あるいは教条主義などと呼ばれるものの極みのようでもあったが、国軍参謀本部にしてみれば将来戦場における行き当たりばったりな行動を招いてしまうことこそが無責任であり、このような検討、実行は戦争準備に必要不可欠なものであった。

 民間企業体からの兵器及び物資調達についても極力事前検討し、予算措置上において手をつけられるものは用意、集積しておくという作業もあった。

 ヴィッセル社への発注もこの具体例として挙げられるが、馬車製造会社ヴェーガ社への予備軍用輜重馬車の発注量計算及び一部事前確保、機械製造会社グーテホフ社への旋盤機械発注、鉄道車両製造会社モアビト・キルヒ社等各社への鉄道車両発注準備など。

 戦争が始まってから必要数や予備数が足らないと準備を始めては、対応が後手に回ると思われたためにとられた措置だ。

 この作業がどれほど手の込んでいたものか一例を挙げれば、彼ら国軍参謀本部はエルフィンドに侵攻した場合に本土から延伸させる電信線に要する材料を事前計算し、このうち野戦電信用柱一二〇〇本、電纜六四キロ分が野戦電信隊だけの手持ち器材では不足すると算出、確保と集積をファーレンス商会に命じていた。

 海岸防備のための沿岸要塞砲を点検確認する作業も行われている。

 オルクセンの北海海岸各所に築かれた沿岸砲台には、ヴィッセル社製一二口径二八センチ榴弾砲六〇門があったが、これらは普段、その砲口を薄くべトンで仮塗りして塞いである。

 防塩防錆のための措置だが、これを解撤まではしないものの、動作や予備品類に支障や不足がないか改めて調査していた。もし不幸にして敵海上兵力を海軍が撃破しえなかった際の、海岸線防禦のための措置である。

 参謀旅行と呼ばれるものも北部域へと実施した。

 国軍参謀本部の若手参謀や測地測量部の技官たちをグレーベン少将などが引き連れて、みな狩猟の装いと準備をなし、実際にこれを楽しみつつも、兵要地誌では補いきれない実際想定戦場の起伏や街道の具合を確かめた。この方法を最初に生み出したのはグスタフ王であり過去にも行われたことがあったが、より入念に、丹念に、精査に行った。

 また実に彼ららしい、たいへん細かな検討もあった。

 将来戦役で動員される予定の、輜重補助輸卒について、この兵種についてはいったい背嚢を背負わせていくのがよいのかどうか、という検討会を兵站局が中心になって開いたのである。

 輜重補助輸卒というのは、現行の軍内で物資の輸送や管理を担っている補給科の輜重輸卒とは異なる。

 彼らを文字通り補助するため、想像も絶するような膨大な作業量となることは火を見るよりも明らかな鉄道兵站拠点駅や兵站拠点に配して、鉄道車両からの荷下ろしや輜重馬車への積み込みといった、物品を捌くための作業を担う、いってみれば作業夫として動員される予定のものであった。

 国民義勇兵や、ファーレンス商会などからの斡旋で雇用することになっていた。

 では、果たしてこの補助輸卒に対し出征時に背嚢を支給する必要があるのかという検討会は、あまりにも微に入り細を穿ちすぎているようにも思われる。

 だがなるほど、こんな部分も煮つめに煮つめておかねば、実際に戦争が始まってから困るのは彼らではあった。

 彼らはそれほどの「準備」をしていたのだ。

 ではなぜ、国軍参謀本部はこれほど急き、焦れ、形振り構っていなかったのか。

 それはこの時期、彼らはもはやエルフィンドとの戦争は国民感情上不可避であると見なすと同時に、同国政府の外交的対応に愛想を尽かしかけており、参謀次長グレーベンなどは、次のように日誌に書いている。

「今日ノ形勢ニテハ行掛リ上開戦止ム無ク、以テ曲ヲ我ニ負ワザル限リハ如何ナル手段ニテモ開戦ノ口実ヲ国軍参謀本部ニテ作ルベシ」

 つまり、軍事的にエルフィンドを挑発し、難癖をつけてでも戦争を吹っ掛けろ、そんな意味の所見を述べていた。

 そのための具体的手段も、彼が一番信頼する部下である作戦局参謀のライスヴィッツ中佐と組み、考案している。

 擲弾兵の一個中隊、軍艦の一隻でもいいからエルフィンドの国境や沿岸の眼前に展開して撃たせてしまえ、そんな方法だった。

 流石にこのようなあざとい真似は国王グスタフ及び外務大臣ビューロー、総参謀長ゼーベックの三者協議により却下されていたが、彼らもまたグレーベンらの猛烈な戦争準備を止めようとまではしなかった。

 彼らは外交的手段を以てエルフィンドを挑発するという方針を採りつつも、グレーベンの軍事的挑発案を検討もし、その上で戦争準備そのものについては有用と判断したのだった。

 これは極めて意味深長である。

 グスタフたちは何も博愛主義に目覚め、戦争を避けようとしていたわけではない。

 まるでそうでは無かった。

 軍事的挑発手段は、外交的挑発が失敗した場合の次善策にしたのだ。

 エルフィンドとの戦争は不可避であって、「曲ヲ我ニ負ワザル限リ」―――つまり相手に失策させた上で大儀名分を得て戦争を吹っ掛けるという方針は、現行取り得る手段が異なるだけでオルクセン首脳とも合致していた。

 剣呑極まった。

 あるいは、これは剣呑というより辛辣かつ冷徹、徹底した自国防衛思想でもあった。

 何しろ彼らは、デュートネ戦争において自国へ攻め込まれている。

 それは二度と繰り返してはならない過ちであり、彼らのなかにおける現代戦争とは自国の側でその主導権を握り、相手へと吹っ掛けるものだという理解になっていたのだ。

 これらの外交方針や考えは国王自身から官邸へ呼び出されたグレーベンに説明もされ、

「ほう、そのような方法を採られていると。我が身はまだまだ非才ですな。これで安堵致しました、我が王。二度と出過ぎた真似は致しません。どうか我をお見捨てなきよう」

 この傲慢な天才をして、珍しく低頭誠心に満足させている。

 彼がそのように素直に己の考えを改める相手は、ゼーベックかグスタフくらいのものであっただろう。

 グレーベンのような者にも国王への尊崇の念はしっかりと存在していて、これは非常にこの傲慢な牡らしいことでもあったが、彼は王の能力を評価していた。

 王は軍事面に限ってみてもときにたいへん面白いことを思いつく方であったし、自身であのデュートネ戦争へ出征もし、そうでありながら自身は軍事の素人だといい、国軍参謀本部に全てを任せてくれ耳も傾けてくれる度量のある王だと、これがグレーベンのグスタフ王への評価である。

 そもそも今回の件にしても、ゼーベック参謀総長辺りに諫めさせ抑えさせれば済む話だ。

 それを自ら己のような者を諭してくれたのだと、尊崇の念を新たにした。

 同時にこれは、グレーベンにとって実務段階での戦争準備に一縷邁進しても構わないという、国王自らのお墨付きを得たことも意味している。

「もし準備において更に予備的費用が必要なら、国王官邸の官房機密費も使って構わん」

 グスタフはそこまで明確に、明瞭に、誤解の余地なく、彼に命じた。

 グレーベンは狂喜し、奮起し、猛烈に働いた。

 九月に入ると、彼はオルクセン国有汽船会社社長エルンスト・フォアベルクを国軍参謀本部へと招致した。

 国有汽船会社オルクス・ラインの資本金は五〇〇〇万ラング。オルクセン最大の汽船会社である。

 何事かと、そのオーク族特有の巨躯全身を以ていぶかるフォアベルクに対し、参謀本部次長室の応接で待ち構えていたグレーベンは、ファーレンス社が発行してちかごろは各国の船乗りなども愛用しているファーレンス商船簿から、既に国有汽船会社の保有船舶より目的に合致したものを拾い上げた一覧資料を準備していた。

「ここに記載されている船舶一七隻、我が参謀本部が呼集をかけた将来的任意の日時、任意の国内港へ、義勇艦隊法に基づき徴用することは可能でしょうか」

 フォアベルクの困惑は深くなった。

 記載された一七隻は、最大のもので七〇〇〇トン級一隻。残りも五〇〇〇トン級から三〇〇〇トン級を主体に、最小の船でさえ一〇〇〇トン以上と、総じてみれば国有汽船会社が所有する大型商船のほぼ全てだったのだ。

「それは・・・可能ではありますが」

 フォアベルクとしては首肯せざるを得ない。

 ―――義勇艦隊法。

 もし不幸にもオルクセンが戦時に突入すれば、国内の商船は全てこれに所属し、海軍の指揮下に入り国家の統制を受ける、という法律だ。

 戦力に不足しているオルクセン海軍を補填する目的のもので、このため、国内商船学校出身の船長資格有者はその全てが海軍予備将校制度というものに基づき、海軍予備大佐の資格を持ってもいる。

 だがそれは、あまりにも古い法律である。

 デュートネ戦争のころの、軍艦も商船も構造上の違いがあまり無いころのもので、しかもそれは海軍が主体的に定めたものであり、国軍参謀本部から要請されるのはフォアベルクにしてみれば不可解極まった。

「応じてくださる、と。それは安心致しました。参集令を発した場合、どれほどの期間が必要でしょうか。想定する場所は我が国内港いずれかで結構です」

「・・・そう・・・ですな・・・北星洋航路に就いている船もございますから、最大で二週間といったところです。三々五々集合してくる様子を御想像いただければよろしいかと」

「最短の船は?」

「三日といったところでしょう。むろん、その任意港にすでに在泊していた場合は、即日となりますが」

「なるほど、大いに結構です」

「しかし・・・その・・・これは、いったい―――」

 フォアベルクは、このような場が設けられた理由の説明を欲した。

 何の理由もなく、全てを受け入れられるような質問でもなければ、また容易に軽々しく承諾や保証のできるものではない、と。

 例えば義勇艦隊法の本来の趣旨、徴用された上での特設軍艦への改造等を欲されているのであるならば、参集はともかく、積荷を全て荷揚げし、入渠する必要がある。これだけの船舶をいったい何に使うつもりなのか―――

「・・・ふむ。それもまた道理ですな」

 グレーベンとしては、含意を漏らさざるを得なかった。

 彼は慎重に言葉を編んだ。

「我が国にとって最大の、懸案を解決する日がやってきた場合に、ということです。具体的用途は軍の機密もあり、申し上げられません」

「・・・・・・我が国にとって最大の懸案」

 フォアベルクはその言葉を舌先で転がし、

「・・・・・・」

 全てを理解した顔になった。

 彼は居住まいをただし、告げた。

「承知致しました。そのような御理由となれば重役会にも図れませんが、私の一存にて、この場において承諾致しましょう。むろん、この場のことは一切他言致しません」

「ご理解いただけたようですね」

「はい。すべて」

「それは私としても安堵しました。百万の味方を得た気分です」

「参謀次長殿。わたくし、こう見えて歓喜に打ち震えております。まさかこのような・・・このような日が来ようとは―――」

「ほう。それは?」

「私めは、かのロザリンド渓谷の会戦で兄弟全てを喪っておりますのです。私は当時船乗りで、私だけが生き残ってしまいました・・・」

「・・・・・・」



 オルクセンは、秋を迎えようとしている。

 黄金の季節。

 落葉樹は色づき、この時期、オルクセン各地の都市では街路樹に用いられているこの国原産のオオマテバシイの並木が、ドングリを落とし始める。

 初めてこのドングリを見たディネルース・アンダリエルらダークエルフ族たちは、ずいぶんと驚いたものだった。

 とてつもなく大きく、丸い実なのだ。

 この国でいちばん直径の大きな硬貨、二ラング銀貨と同じくらいある。

 一つか、小ぶりなものでも二つも握れば、もう掌が閉じられなくなるほど。

 そんな目を瞠るようなドングリのうち、気の早いものが落ち始める、九月上旬―――

 ディネルース・アンダリエルは、首都ヴィルトシュヴァイン西方郊外の、陸軍第一擲弾兵師団駐屯地シュラッシュトロスを訪れていた。

 公務である。

 参謀長のイアヴァスリル・アイナリンド中佐、作戦参謀のラエルノア・ケレブリン、それに麾下の三個ある騎兵連隊のうち、第一騎兵連隊長にあたるアーウェン・カリナリエン中佐を伴っていた。

 グスタフといつものように共に迎えたさきごろの朝、シュラッシュトロスへ部下も連れて来い、いいから来い、いいものを見せてやると、日時を指定して命じられたのだ。

 ここは彼女にとって、もはや馴染みのある場所である。

 あの旅団編成完結式だけを見ても随分と世話になった部隊の衛戍地であったし、同じ首都駐屯の部隊同士何かと日常的に業務連絡のやりとりをすることもある。

 そしてここには、彼女たちの衛戍地ヴァルダーベルクには存在しないものもあって、良くそれを借りに来ていた。

 射撃場だ。

 兵士一名あたりで一射線使用する全長二〇〇メートル以上あるそれが、露天のもので計六〇。それに何かと近在の一般市民も増えてきた昨今の情勢のため作られた、一射線ずつ防音のための蒲鉾型屋根まで設けられたものが七本。

 ヴァルダーベルグにも射撃場はあるにはあったが、そこは急造の衛戍地である、これほど大規模なものはこちらだけであって、ヴァルダーベルクから六キロと近くもあり、よく中隊ごとに邪魔をし使わせてもらっていた。

 到着してみると、いくらかの軍の高官たちや技官、それにヴィッセル社から来たドワーフ族の技師たちが、その射撃場に集まっていた。

 グスタフ王が既にいて、珍しいことに普段あまり表には出てこない陸軍騎兵監アウグスト・ツィーテン上級大将もいた。

 ちょうど、彼ら二人が軍用折りたたみ椅子の前で何事かを言い合っているところへ着いた。

「いいから座れ。座れったら、ツィーテン」

「しかし、我が王。王の前で臣下が着座するわけには・・・」

「まだそんなことを言ってるのか、この真面目な頑固じいさんは。お前は我が宿将、大事な大事なそのひとりではないか。お前が座らんというのなら、私も立ったままにするぞ。お前に苦労などかけたくないのだから!」

「・・・・・・はい、我が王。ありがたく・・・ありがたく・・・では・・・」

 一体何を揉めているのか、ディネルースにはすぐに察することが出来た。

 持病として関節リウマチを患うツィーテンのためにグスタフが着座を勧めたが、生真面目極まる気質の上級大将はそれを固辞したのだろう。

 彼ならさもありなんと頷けたし、それを自ら自身まで説得材料にして彼を座らせるグスタフもまた、この王らしいと言えた。

「お、来たな。少将」

「はい、我が王」

 ディネルースの姿に気づくと、グスタフはさっと片手を上げた。

「それで今日はいったい―――」

「まぁ、見てろ。きっと君は面白がる」

 秘密めかされ、肩透かしを食わされた。

 そもそも今日に至るまで、いったい何だ、何があるのだと幾ら訊ねても、グスタフはまるで子供のような眼をして韜晦するばかりで、教えてくれなかったのだ。

 そうして、その「答え」は姿を現した。

 四頭曳きの軍馬。

 これに繋がれた前車と砲車。

 その編成からも大きさからも姿からも、軍の使っている五七ミリ山砲とよく似ているように思えた。

 だが、それよりちょっとばかり背丈がある。

 砲車があり、砲架があり、俯角等の調整のための螺と転把ハンドルがありといった様子はどう見ても火砲だが、では野山砲かといえばそこまでは大きくない。

 牽引する軍馬、射撃展開を始める兵の様子から言って、見た目の割にはずいぶんと軽そうであった。砲ほどの重さがないのは確かだ。

 兵たちが弾薬車の即応箱から取り出したのは、奇妙な代物である。

 細長い、金属製で、側面の溝から見るに、どうも何か小さなものが縦列に詰まっているらしい。彼らはその底面に土埃などがついていないのを確認すると、ガシャリと音を立てるまで、砲の上部の金属枠に差し込んだ。

 螺を操作するための転把の数が多いことにも気づいた。

 縦方向だけでなく、横にも動かせるようだ。

 最後部にも、ひと際大きな柄付きのものがある。

 ヴィッセル社製火砲のような、閉鎖機式後装砲の螺柄に似ていたがもう一回りは大きく、先端に横柄もついて、回し易くしてある。

 そのくせ、後装式火砲には必須の存在、砲弾を装填する閉鎖機はどうも存在し無いようであった。では前装砲かと思い、砲身に目を向けるとそうではない。

 最大の差異はそこにあった―――

 遠目には比較的短かな砲身に見えたものが、鉄や鋼の塊などではなく、細い管状のものを一〇本ばかりも束ねたものであることがわかった。

「それでは、始めさせていただきます」

「うん」

 グスタフ王が頷くと、兵たちは射撃場の的に向かってそれを発射しはじめた。最後部の転柄を手動で回転させることで、その操作は行われる。

 身構えたほどに、音は大きくない。

 むしろうんと小さく、呆気ないほどのものでしかない。

 ただそれは酷く規則的で、高速であり、連続していた。

 強いて似たものを挙げるとすれば、機械式のミシンの音に似ている。

 あの束ねられた管状のものが、砲尾方向から見て時計周りに全体が回転していた。

 音響のたびに白煙も上がり、それはいつまでも発射が続くのでやがて盛大なものとなった。

「・・・・・・・」

 ディネルースは双眼鏡を、あのたいへん遠くまで良く見えるプリズム式野戦双眼鏡を構えて、的を確認した。

「・・・・・・・」

 それには大量の穴があき、ハチの巣状となり、ついにはぼろぼろとなって破れ落ちてしまう。

 脳内が混乱する。

 これは。

 こんな。

 こんな馬鹿な。

 こんなことが。

 ようやくこの奇妙な火器の正体に気づく。

 上部に差し込まれている金属箱の中身は、大量の銃弾に違いなかった。

 一〇本束になっている管状のものは、それ一本一本が小銃のような銃身。

 それが回転操作を与えられる度に、膨大にも覚える銃弾が凄まじいばかりの高速で撃ち出されているのだ。

 その構造と意味とに気づいた瞬間には、全身に悪寒が走り、鳥肌立った。

「機関砲。グラックストン環状機関砲というんだ。七六年型」

 グスタフが言った。

 面白くもなんともない。

 本当に面白くなかった。

 恐ろしい、化け物のような、怖気もふるう兵器だ。

「センチュリースターが内戦をやって国が真っ二つに分かれたとき、北側の民だった医師のグラックストンが作ったものだ。なんだかんだで発明されてからはもう一〇年ばかりになる」

 医者。

 医者がこんなものを作り出したというのか。

「ちかごろ各国に売り込みがあってね。構造が複雑にちがいない、高価極まりない、弾を使いすぎるだの何だの言って見向きもしない国も多かったようだが、うちでは製造権を買って、エアハルトと同じ一一ミリ銃弾が撃てるように構造を変えて生産させてみた。その試作砲だよ、これは」

「王、我が王―――」

 それまで黙して眼前の光景を眺めていたツィーテン上級大将が、眉を寄せ、呻くように捻り出す。

「これは。これでは、騎兵は滅びますな。戦闘での話だけではない。こんなものが出現し、普及すれば、兵科としていなくなってしまうでしょう。将来的には、きっとそうなる」

 その通りだ。

 ディネルースもその可能性に思い至ったからこそ、悪寒まで覚えていた。

 そもそも―――

 あのデュートネ戦争のころでさえ、騎兵は一度突撃を行うとその乗馬の大半を喪うようになっていた。それどころか、歩兵ががっつりと密集隊形により作り上げた防御陣、方陣を組んで援護し合えば、突き崩すことすら出来なくなっていたのだ。

 前装式の、つまり装填速度が遅く、おまけにいまよりずっと射程の短かなものだった小銃を持つ歩兵相手でさえ、騎兵の突撃襲撃は文字通り命がけのものに転落していたのである。

 それがエアハルトのような、うんと高性能の小銃が生まれ。

 ヴィッセルのような後装式火砲が作られるようになり。

 ついには人間族は、こんな怪物のような代物まで生み出してしまった。

 そう。魔族種の己がいうのは妙なのは百も承知だが、これは化け物に違いない。

「うーん・・・ だが、騎兵がいますぐただちに無用になるほど軟なものだとは、私には思えないな」

 グスタフは己が考えを述べた。

「騎兵科最大の武器が、突撃力からその機動力に変わったと思えばいい。戦場を大きく繞回、迂回をして。戦闘は下馬をして火力で行う。突撃は相手がよほど弱っているような場合のみ。いまの歩兵の連中の操典と同じさ。そうなると思う」

「それはもはや騎兵ではありませんぞ!」

 ツィーテンの叫びは、彼自身が思っている以上に大きく響いたに違いない。

 騎兵科の親玉で、苦労に辛苦を重ねて、問題だらけのオルクセン騎兵を育ててきた彼にしてみれば、魂からの絶叫だった。

「それは・・・それは・・・乗馬歩兵というのです。我が王」

「―――ああ、そうだ。騎兵はそうなる。そうならなければ、生き残れない」

 グスタフの返答は、無慈悲にさえ響いた。

 突撃に浪漫を見出す、突撃こそが騎兵の華などという感情は捨てろと言っていた。

 その変化に乗れなければ、本当にいまこの瞬間を持ってさえ騎兵は滅びるのだと、彼は無情に、冷静冷徹に、だが、だからこそ論理的に告げている。

「それにだ。こいつは、このグラックストンは、騎兵にとって武器にもなると私は思っている。おそらく全兵科でいちばんこいつの運用に向いているのは、騎兵だ」

「・・・それは?」

「こいつの重量は約八〇キログラム。本当に何もかもに使えるほど機動性を持たせるにはもっと軽くなったほうがいいが、うちの五七ミリ山砲よりまだ三割ばかり軽いのは間違いない。弾薬車も同様。なにしろ運んでいるものの、もとの重量が違いすぎる。砲弾ではなく銃弾だ。開発から一〇年、ものとしての信頼性もある程度は保証できるとこまで来ている―――」

「・・・・・・」

「つまり、最前線で故障が頻発して使い物にならないということはない。一一ミリ弾を撃てるようにさせたから、現行の弾薬縦列からだって補給も出来る。だからこいつを騎兵連隊に引っ張っていかせれば、滞陣した場合の騎兵の防御力の弱さを補填できるに違いない―――」

「・・・・・・」

「軽易簡便にして強力な防禦火器。そういった使い方が一番向いていると思うな」

「・・・・・・なるほど」

 ツィーテンは大きく息を吐いた。

 ディネルースにも理解できた。

 何故グスタフが、歩兵や砲兵の連中ではなく、騎兵科の側近たちを集めてこの新兵器を見せたのか。このことである。

 また同時に、彼女はグスタフの物事の進め方を悟ることもできた。

 彼は段階を踏み、周囲を納得させてから改革をやるような、そんなやり方をずっとやってきたに違いなかった。

 農事試験場を見ればわかる。

 新規な技術、革新的な手法というものは、例えそれにどれほど効果があったのだとしても、その新鮮さ、斬新さゆえにこそ、周囲の戸惑いや反発を誘う。

 彼ひとりが何かを理解していたのだとしても、周囲の納得がなければ物事は進まないのだ。

 グスタフほど配下や腹心に恵まれていても、彼はもうずっと、この一〇〇年ほどをかけて、彼自身は焦れるようなこんな手法を使ってきたに違いなかった。

 だから何事も一〇〇年かかった、そう理解してやれた。

 かつて彼自身も言っていた。

 夢物語のように僅かな年数でやれることなど、本当に僅かだったに違いない。

「アンダリエル少将」

「はい、我が王」

「こいつの量産型が製造されたら、まず六門ばかり君のところに預ける。アンファウグリアの各騎兵連隊に二門ずつ。一門あたりの操砲は四名となっている。山砲編成を流用してものにしろ」

「はい、我が王」

 ―――この話には、やや後日談めいたものがある。

 この新兵器視察からさほど日の経たないうちに、来るべき将来戦争では第二軍の軍司令官就任に予定されていたツィーテン上級大将が、これを辞退したいと言い出したのだ。誰か、若い者を代わりに立ててくれ、と。

「あの頑固じじい・・・!」

 グスタフは参謀本部から知らせうけるなり叫んで、自ら翻意を促すために彼の邸宅を訪れた。

 国王紋章付きの馬車を使い、半非公式半公式といった具合扱いのもので、護衛は無しだったが、同じ騎兵科の者ということで選ばれたのだろう、侍従武官的にディネルースを伴っていた。

 ツィーテンの邸宅は、旧市街にある。

 アンファウグリア旅団駐屯地のヴァルダーベルグからは、さほど遠くない辺り。

 オーク族様式の木造漆喰仕立てで、庭付きの、立派な作りの邸宅ではあったが、軍の最上級幹部の一翼、グスタフ王最側近中の側近という立場からすれば、質素なものだった。

 ツィーテン本人と、家人や家令一同の出迎えを受け、応接間に通されたグスタフは、そこでもまたあの座れ座らないというやり取りをしてから、本題に入った。ディネルースは部屋の隅で立ったままこれに従った。

「どうしたんだ、ツィーテン。リウマチがいけないのか」

「それもあります」

 リウマチは魔族種にとっても厄介な疾病である。

 原因がわからない病だったうえに、あのエリクシエル剤でさえも治癒できない。

 改善された報告とむしろ悪化した症例とがあり、医師たちはこの症状への使用すら止めている。

 そうなると不老不死である魔種族たちにとって、一生付き合っていかねばならない病だった。

 とくに関節リウマチの場合、巨躯で体重が大きいオーク族には堪えた。

 おまけにツィーテンの場合、その症状が膝に出ていたのでたいへん辛かった。

 騎兵科出身の彼にしてみれば乗馬もままならなくなり、これもまた絶叫したいほどのものだったであろう。彼はずっと黙してそれに耐えてきていたが。

「それも、か・・・ 他に何か理由があるんだな? 言ってみろ」

 ツィーテンは少しばかり躊躇ってから、だがきっぱりと告げた。

「・・・・・・私には、もうシュヴェーリンのやつのようには、最新の兵学や技術についていけません。あのグラックストンを見て、つくづくそれを思い知らされました」

「・・・・・・」

「このまま一軍を率いれば、我が王にも、軍にも、きっとご迷惑をおかけします」

「・・・・・・」

「我が王には、感謝の念しかございません。一二〇年前、我らは本当に文字通り藁小屋に住み、粗末でわずかな食べ物を分け合うばかりでございました。それが、丸太となり、煉瓦となり、いまではこんな立派な家に住まい、明日の糧を心配しなくてよい日々まで送れるようになりました。物分かりの悪い我らを、ここまで導いて下さった。本当に感謝と畏敬の念しかございません。王の・・・いや、あなた様の身に起こった辛苦、労苦を思うなら、百篇の言葉も百万の感謝でも表せるものではございません」

「・・・・・・」

「であればこそ。だからこそ。ご迷惑はおかけできません。どうか、どうか。若い者を・・・」

「・・・・・・」

 グスタフは、首を振り、微かに肩を震わせ、何かを堪えるようにし、目頭を揉んだ。

 この馬鹿。

 この頑固者。

 彼が小さく涙声で呟くのを、ディネルースの「耳」は確かに捉えた。

「作戦は司令部の参謀たちがやる。そのための参謀将校だ。うちの軍の制度はそれでやれる。お前はどっしり、何も考えずに、彼らの上に座っているだけでいい。参謀たちに全て任せ、口を挟まず、黙って彼らの全てを見てやりながら、そのうえで判断をとる際の責任さえ負う覚悟があるならば、軍の統率者には必ずしも最新知識は必要ない」

「・・・・・・」

「私の知る頑固者ツィーテンは、それくらいのことは朝飯前でやれるおとこだ」

「・・・・・・」

「それにな、ツィーテン―――」

「はい・・・・」

 グスタフはツィーテンの両手をとり、その耳元で何事かを囁いていた。

 それはあまりにも小さく囁かれた何かで。

 ディネルースにさえ聞き取れなかった。

 だがグスタフ王誠心誠意の、真摯な何かであることはその様子から間違いないと推察することだけは出来た。

「・・・・・・そんな。そんな・・・ 本当にそんなことが?」

「ああ。そのつもりでやることだ」

「可能でありましょうや?」

「ああ、やれる。いや、何としてもやらなきゃならんことなのだ、これは」

「・・・・・・・」

「だから、お前や、ゼーベックや、シュヴェーリン。皆がいてくれなきゃ困る。私が背中を預けられる奴がいてくれなければ。あのデュートネ戦争のときのように、お前に背後を守ってもらわなければ私の心が休まらない。病身のお前に、我ながら酷いことを頼んでいるのは承知のうえだ」

「・・・・・・・」

「どうだ。一緒に来てくれるか?」

「・・・はい。はい。非才な我が身でよろしければ。きっと。必ず。這ってでも」

 グスタフがこのときいったい何をツィーテンに告げたのか、ディネルースは帰りの馬車内でも訊こうとしなかった。

 それはグスタフと古参の側近らの間にだけ成り立つ、深い信頼感や、いままでの関係性、歩みなどといったものに裏打ちされた何かであろうことはわかって、容易に立ち入れることではない、踏み込んではいけないもの、またそうしたいものとは彼女にさえ思えなかった。

 また帰路におけるグスタフは車窓の景色を見つめるともなく物思いにふけっており、何か話しかけられる様子ではなかった。

 我ながらまったく嫌になったが、決して物分かりよく全てを察してやれたわけでもない。

 そんな彼の姿に寂寥や疎外感を得なかったのではなく、あれほど篤く肌身も情さえも触れ合っている彼へ、何か急にぽっかりと恐ろしい断崖が開いたような、むしろそんな距離さえ感じたが、これは己の我儘、傲慢、思い違いであろうと目を伏せるしかなかった―――

「・・・あ。おい停めろ。停めろ、停めろ」

 何を目にしたのか、グスタフの瞳に俄かに清輝が戻り、天井にしつらえられた呼び鈴を鳴らし、馬車は静かに停車した。

 官邸への道半ば、そこにあった噴水の端だ。

 何事かと目を剥いていると、グスタフは自ら扉を開けて飛び出し、訳のわからぬまま続こうとしたディネルースを手で制して、

「いいから、いいから。良いものを買ってきてやるから待ってろ、ディネルース!」

 彼はそういって、路端に店を広げていた露店へといっさんに駆けていった。あの軽挙癖が出ている。

 視線を巡らせると、ちょっと何を商っているのかわからないような、特徴のある露店だ。

 手押しの小さな屋台の態であって、子供の喜びそうな汽車を模した見かけをしている。それほど玩具じみていながら、ちゃんと煙突からは熱量が放出されていることをしめす、陽炎が立ち上っていた。

 グスタフは店の主にあれこれ注文し、両腕をいっぱいに広げる仕草をした。いちばん大きなもので寄越せといっているようだ。

 店の主は頷き、まず汽車様の手押し車の上部から開閉させることのできる、釜の蓋をあけた。

 湯気が立ち昇る。

 ついで取りだした大振りの紙袋に、つやつやと輝きながら湯気をたてる、マローン色をした何かを小さなシャベルで釜のなかから次々と放り込む。

 その何かは、硬貨大をしていた。

 あれは。

 既視感から正体へと気づく前に、グスタフは戻ってきた。片腕に紙袋を抱え、また一方の手には白ワインのボトルを握っていた。それも売っていたらしい。

「さあ、ディネルース、こいつは美味いぞ! あっち、あちちちち・・・」

 グスタフはそのゴツい手で、それを取り出した。

「・・・これは。その・・・私の見間違いでなけえば、ドングリではないのか?」

「ああ、そうだよ。オルクセン秋の名物、焼きドングリだ」

 啞然とした。

 あの街路樹から落ち始めている、オオマテバシイのものと同じ、うんと大きなドングリだったのだ。

「ド、ドングリは食べられないだろう・・・!」

 ドングリは苦い。

 そのうえ毒がある。

 そんなことはディネルースでも知っている。

 子供が遊戯に拾い集めるならともかく、焼いて食うとはどういうことなのか。

「いやいや、安心しろ。オルクセン原産の、オークが昔から食ってきたこいつは大丈夫なんだ。君たちや、人間族が食ったって平気だ。ちゃんと科学的に証明もされてる。こいつに有毒成分はないんだ」

「ほ、本当か・・・?」

 何か担がれているのではないか、そのような気分が拭えない。

 疑うばかりのディネルースを前に、グスタフはその固く大きな実を一つ割ってみせる。

 中からは茶褐色で艶やかな、ふっくらとした実が湯気を立てて出てきた。

「さ、食ってみろ。私が君に食い物のことで嘘を言ったことがあるか?」

「そうだな・・・うん、その通りだ・・・で、では・・・」

 恐る恐る手にとり、含んでみると。

 ―――甘い。

 たまらなくというわけではないが、ほんのりとして、滋味のあるような、それでいてしっかりと感じられる甘味があった。

 何よりも、そこにしつこさがないのが良かった。

 紛れもなく大地の恵みそのままのような、無垢な甘さをしている。

 焼き上げられたことによる温かみと香ばしみも素晴らしい。

「・・・・・・これは美味い!」

「だろう?」

 グスタフはくすくすと笑いつつ、次々と固い皮を器用に割り、供してくれる。

 ひとつやらせてもらったが、上手く割れない。

 固さによるものというわけでもなく、またオーク族による力の具合というわけでもなく、どうも何かコツのようなものがあるらしい。

「いいから、いいから。何も考えずにどんどん食べるんだ。誰も見ちゃいない。子供のように、口いっぱいに。そうするとこいつは最高に美味い!」

 恥を捨て、そのようにしてみると、本当に美味かった。

 あのほんのりとした甘みが、濃厚なものへと変じて、口いっぱいに広がる。

 すると―――

「そして、おとなはこいつを合せるんだ」

 高級馬車らしい、座席下にあった車内備え付けのボックスからグラスとコルク抜きとをグスタフは取り出し、白ワインの封を開け、注ぐ。

「さ、やってみろ。いっておくが、こいつは火酒でもカルヴァドスでもだめだ。白ワインがいちばん合う」

 それはよく冷えていた。

 どうもああいった店では、刻印式魔術つきの容器を備えておいて、ボトル売りやグラス売りのワインも扱っておくのが定番らしい。似たような商いは、あのヴァルダーベルグの朝市でも見たことがあった。

 ようやく口いっぱいのドングリを嚥下できたところへ一口含んでみると、

「・・・・・・!」

 ―――清涼。芳醇。甘露。

 ボトルを眺めなおしてみる。

 確認してみても、どうということのない安ワインだ。

 だがそれが、一級の高級銘柄であるかのように味蕾にしたたり、喉を滑り落ちていく。

 恍惚でさえあった。

 やや辛口なところがいい。

 焼きドングリの甘味も、白ワインの酵熟も、そのどちらもが相乗しあい、共鳴し、融解していく。

「感想を聞くまでもなさそうだな。喜色が満面になっている」

「こんなことが・・・こんなものがあるなんて・・・思ってもみなかった」

「ふふふふ。こいつは、おとなも子供も、オルクセンの国民にとって秋の何よりの楽しみなんだ。ああ、あとは豊穣祭もあるが」

 豊穣祭というのは、この一年の大地の恵みに感謝して、毎年一〇月にオルクセン全土で開かれるという、国民的祝祭のことだ。下旬から一週間、長いところで二週間は続き、皆で民族衣装を着て、おとなは麦酒に酔い、子供は小遣いなどもたっぷり貰って各地の出店を楽しむ―――そんな祭りだとディネルースは聞いている。

 その期間になると街路樹はオルクセン国旗の色彩による飾布で彩られて―――

 そこまで考えて、はたと気づく。

「・・・街路樹。あの街路樹はこのためなのか・・・!」

「あー・・・うん。いまではそうだが。本当は違う―――」

 グスタフ曰く、オルクセンの街路樹がオオマテバシイばかりなのは、非常食のためだったのだという。

「もし飢饉に陥ったり、あるいは万が一戦争で都市が包囲されてしまっても大丈夫なように。そう考えてむかし植えさせた。食糧庫は何処にもあるが、食べられるもはあってもあっても困るということはないからな」

「・・・・・・」

「こいつなら誰でも食べられるし、家畜の餌にだってできる。それに、私が治世に失敗をやらかして貧民を出してしまったとき、こいつを拾えば何とか生きられるだろうし、目先に困った者にも元手無しで商売にできる。まあ、ちかごろじゃそんなことは無いうえに、街路樹からは落ちるがままになっているが―――」

「・・・・・・」

「いまではドングリ売りたちも、街路樹のものは使わない。質のいいものを、森や農家から仕入れているようだ。無駄になってしまって、もったいなくもあるが。それはそれで、私の治世は上手くいっているのだと思えて、ありがたくもある」

 今更のことではあったし、何度目の思いかもわからないが。

 このひとは。

 もうずっとそんなことをやってきたに違いない。

 文字通り、一二〇年かけて。

 ツィーテン上級大将も言っていた。

 藁小屋から丸太小屋へ、そして煉瓦の家へ、と。それは比喩ではあったろうが、真実でもあろうことは間違いない。

 きっと彼らの会話はそれに起因するもので。

 ディネルースは、もう己でさえ狭量に思える感情など、捨て去ることにした。


 

 世の森羅万象は、例えどれほど慎重に条理を尽くして予想や計画を事前に成していたとしても、ときにあっさりとそれを裏切るものである。

 星暦八七六年一〇月一三日に起きた、この年における星欧諸国外交関係上最大の事件もまた、その当事者たちにおいてさえまったく予期しえないほど不意で、突発的であり、慮外のものであった。

 この日午後、オルクセン首都ヴィルトシュヴァイン新市街の国王官邸には、二名の賓客があった。

 キャメロット外務省在オルクセン駐箚公使クロード・マクスウェル。

 同差遣特使サー・マーティン・ジョージ・アストン。

 用向きは事前に伝えたうえでの、丁重なアポイントメントを取得した訪問である。

 アストンはマクスウェルの前任のオルクセン駐箚公使だった人物で、人間族における、星欧内屈指の魔種族研究学者だった。

 温厚篤実、紳士的な人物であり、グスタフとの親交も厚かった。

 在任中のみならず、いまでもときおり私信のやりとりもする。

 彼はキャメロットにおけるその道の研究の泰斗であって、ときに国王グスタフから貴重な書籍を借り受けることがあり、つまりそれほど馬の合った私的な友誼関係があった。

「やあ、アストンさん。お久しぶりです」

「国王陛下におかれましてはご機嫌うるわしゅう」

 彼ら出迎えたのは、オルクセン国王グスタフ・ファルケンハインと、外務大臣クレメンス・ビューロー。

「ポンドビダンの博物史。如何でしたかな、あれは」

「たいへん興味深いものでした。いまはプリニウスとの比較をしております」

「それはそれは」

 グスタフとアストンとの間に友誼的にやり取りしている、いにしえの博物書について話している。

 それはあまりにも古い時代に当時の人間族の学者たちの手により書かれたもので、例えばオークの足には関節がないだとか、サイには背中にも角があって魔種族の一種であるとか、北海には全長二〇キロを超える怪物が棲んでいるといったような、こんにちの目でみれば魔種族たちだけでなく人間族から見ても荒唐無稽な内容の代物だった。

 しかしアストンはこれらを当時の学者たちの夢物語や妄想として一笑に付すのではなく、何か伝承上なんらかの由来があったのではないか、だとすればそれは何であったのかといった考察を試みる、民俗学的魔種族研究ともいうべき探求をもう何年もやっていて、これはグスタフとしても興味のある内容だった。

「このような会話ばかりを楽しめればよかったのですが・・・」

 アストンはちょっとそれを残念がり、

「まったくですな」

 グスタフは肩をすくめるような仕草と表情とで、これに応じた。

 この日アストンは、母国から一通の外交書簡を携えて差遣されてきていた。

 キャメロット外務省からのものではない。

 正確にいえば間接的にはそうなるが、発行元はエルフィンドの政府だった。外交上の仲介により、彼らはオルクセンへとそれをもたらす役割を果たしたのである。

 中身については、まだ彼らも詳しくはわかってはいない。

 エルフィンド女王よりオルクセン国王への親書であると伝えられ、手交を依頼された書簡であった。

 だからこの日の会談は、二対二のものになっていた。

 科学技術発展著しいこんにちとはいえ、長距離の情報伝達手段や、あるいは複写謄本を行うような技術はまだまだ全幅の信用はおけないもので、互いに錯誤や誤伝、あるいはもっといえば改竄や改変がないよう、このような場合は双方多くの者が参加し、互いに内容を確認しあうのが常である。

 グスタフはとくにそうしていた。例え、先方から求められなくとも。

 そのような、些末にも思えるようなことが先方からの信頼を生むのだと、これはビューローなどにもよく言い聞かせていることであった。

 そのグスタフは内心、やっとか、などと思っている。

 エルフィンドを外交的にせっつき、ようやく戻ってきた返答だ。

 これをきっかけにして、更に内容を問い詰め、修正を求めるなどした書簡をこちらから送り、また先方の返信書簡を待ちうけ、更に協議書を送付して―――そんなやりとりが、一年ばかりは続くだろうな、という予想を彼と彼の配下たちはしていた。

 軍の連中は、開戦は行動に制約を受けにくい夏季がよいと希望している。

 エルフィンドにおいてさえ夏穀の刈り入れが済み、都市や村々の食糧保管庫には新穀が満ちて、海軍としても波の穏やかなその時期がよい、と。

 また海軍はこのころ、エルフィンド海軍の巨艦と十分にやりあえる排水量一万トンの一等装甲艦二隻を建造しつつあり、一番艦などはすでに進水を終え、その完成を待ち望んでもいた。

 だから外交交渉の終末点をその辺り、つまり来年夏季のころを目指して行い、それでもなお埒が明かなければグレーベンなどの提案していた軍事的挑発案を採って、開戦に持ち込む―――

 そんな未来絵図を描いていたのである。

「では―――」

 グスタフは執務机からペンナイフをだし、封蝋の施された外交書簡を開封した。

 一読する。

 書簡の内容は素気ないものだった。

 短く、簡潔としている。

 アストン特使の口上通り、時候の挨拶などの前文もあり、親書の態をとっている。

 同じ内容のものが二通あった。

 一通はアールブ語、もう一通はキャメロット語で書かれている。

 肝心の内容のほうはといえば、オルクセンにおいては我がエルフィンドの内政に干渉しないでほしい、それを出来れば文書で確約してほしい、というものだった。

 ダークエルフ族に対する大量殺戮のことなど、おくびにも触れていない。

 つまり、簡潔な内容としながら抽象的表現とすることで慎重に自国の起こした政治的弱点を晒さぬようにしていた。流石は言葉遊びを得意とする白エルフ族、見事といってもよかった。

 だが―――

 グスタフは、その内容に強烈な違和感を持った。

 だから、異なる言語で記された二通を、もう一度両方読んだ。

 違和感は変わらなかった上に、その理由への確証も持てた。

 正確にいえば、ただ一個所に。それは実際の内容でいえば、末尾に近い部分へ、次のように記載されていた。


 ・・・であるから、オルクセンにおいてはシルヴァン川流域より手を引き、二度と干渉介入せぬことを書簡にて誓約してもらいたいと願うものであり・・・


 彼はそのなかでも、更にただ一部分に、重大な瑕疵があることに気づいた。

 それに気づいた瞬間、全身が震えた。

 これは。

 こいつは。

 ―――奴ら、とんでもない失敗をやりやがった!

 グスタフは、エルフィンドがそんな真似をしでかしてしまった理由まで察してやることができた。

 おそらくだが―――

 あまりにも長い期間にわたって自国だけで閉じこもりすぎたこと、そして彼女たちの種族が自ら用いる「言葉」に対し、慢心ともいえる自信を持ちすぎていたこと。その二点に依る。

 意訳してやるなら、「過去のことは十分ご存知でしょ。いまさら記載するまでもございませんわ。二カ国語でも出してさしあげるのだから、貴方がたにも読めますでしょう」そんな文書の作り方が原因だろう。

 その傲慢が招いた、重大な過失。

 たった一個所の、それでいてあまりにも致命的な瑕疵。

 あるいはそれは、オルクセンの外交に自ら密接に関わってきた、彼にしか瞬時には気づけないような代物であった。

 ―――「」。

 たったその一個所に、エルフィンドにとって致命的となる過失は存在したのだ。

 この時代、外交文書のなかでは実に様々な地理的概念を示すあやふやな言葉が飛び交っていた。

 流域。上流域。下流域。利害区域。調整区域。暫定国境線。権益線。利益線、等々。

 星欧列商各国の、人間族の国々が世界中に乗り出すようになり、未開だった地には植民地や保護領が誕生し、あるいは道洋における華国のような国々を侵すようになって、それらの言葉は生まれた。

 そんな利害と利害のぶつかり合いであるからこそ、このような曖昧な言葉の数々は、慎重にも慎重を期して用いねばならないものだった。

 例えば、だが。

 どこかの山脈を境にして、植民地や保護領なるものが隣合わせていたとしよう。

 その山脈「より南」と「以南」では、まるで意味が異なる。

 山脈一個含むか含まないか、外交文書でやり損ねれば大騒動だ。だから外交官たちは慎重に言葉を選ぶ。いってみればこれは、外交官たちにとっての戦争だ。

 そのような外交的常識のなかにあって、エルフィンドが軽々しく用いた「流域」という言葉は、あまりに危険で迂闊、不用意な代物だった。

 ―――シルヴァン川流域には、のだ。

 オルクセン外務省の公式見解によれば、東部域における南岸は明白にオルクセンの領土であり、これは実効支配においてもその通り。しかもその境界は、河川を国境とする以上、シルヴァン川の川幅中央に国境線を引くべくものであった。

 そこから「手を引け」という文章はつまり、

「オルクセン領からも出ていけ」

 そう読むことも出来てしまったのだ。

 おまけに、これを書簡で確約しろ、という。

 しかもこれは、元の文書に、何らの改変も、改竄も、意図的誤訳も施さずそうとしか読めないのだと主張することが出来た。

「自国の領土から出ていき、これを文書で約せ」

 とんでもなく無礼で、傲慢で、親書とはとても呼べず。

 オルクセンに対する最後通牒だとすら主張できてしまう内容だった。

 もちろん、エルフィンド側にそのようなつもりはなかったことを、グスタフはちゃんと理解している。

 だが。

 だが。

 ―――奴らは大失敗をやらかした!

 刹那のうちに、己だけで決断を下してしまわなければならなかった。

 こんな機会は、おそらく二度とない。

 だから彼は、このあとどのような態度を周囲に示すか、あっという間に決めた。やるしかなかった。

 ここまでの思考を、ビューローや、マクスウェルや、アストンから見れば、まるで一瞬のうちに決めた。

「こんな・・・ こんなことが・・・」

 グスタフはひねり出すように言った。

 声が震えたのは、怒りを示す演技のつもりなのか、長年の友誼を持つ友人さえ騙そうとしている緊張からなのかは、彼自身にもわからなかった。

 そんなグスタフの様子に、周囲の三名は何事かと目を瞠る。

「どうぞ、特使。ご確認ください・・・ これが親書だとは。こんなものを親書として送ってくるとは・・・ 私には俄に信じられません・・・」

 アストンが文書を受け取り、読み取り、確認しはじめる横で、グスタフは大迎に荒々しい言葉を吐いた。彼へと、キャメロットの外交官たちへと、その重大な瑕疵への誤った解釈を植え付けるために。

「シルヴァン川流域の・・・我が領土から出ていけとは・・・こんな・・・こんな無礼な親書があってたまるか・・・!」

「これは―――」

 思惑は図にあたった。

 アストンは顔面蒼白となり、これをマクスウェルにも確認させ、彼もまた同様となった。彼らは、これほど怒りを露わにするグスタフを初めて目にしたのだ。

 この間グスタフはビューローへと視線をそっと送り、頷いている。彼にはそれだけで良かった。

 アストンたちからはまるで神話伝承上の、伝説の魔王のように見えているだろうな。そう僅かに哀しく思いつつ、グスタフは仕上げをした。

 彼は唸るように、俯き、震え、怒りを全身全霊で抑え込んでいるかのようにし、告げた。

「私の一二〇年に及ぶ治世において・・・これほど恥知らずで、傲慢に満ち、厚顔無恥な外交文書は、目にしたことがない・・・」



「どうか、お気にやまれず。事態ここに至りましたことはまことに遺憾ではございますが、貴国の外交的仲介には心より感謝しております。どうかそれだけは誤解なきよう―――」

 彼らとしても事態を本国へと打電したいのだろう、外交的儀礼もそこそこに辞去の挨拶を済ましたキャメロット公使と特使とが退出していくのを、グスタフは内心焦れるように待っていた。

 彼らが去ると、グスタフは狂喜して叫んだ。

「ビューロー、やった、やったぞ! こいつは開戦理由になる! どうやったって戦争に持ち込める! 他国からさえどう見たって疑いの招きようのない、我らが求めてやまなかった、大義名分だ!」

「はい、我が王!」

 そして執務室の、あの軍艦の装甲のように重厚な扉をあけ放ち、叫んだ。

「ダンヴィッツ! 伝令だ、伝令! ゼーベックと、海軍最高司令官のクネルスドルフを! ああ、あとグレーベンのやつもだ! アドヴィン! ミュフリングを連れてくるんだ!」

 このとき。

 俄かな参集を受けた国軍参謀本部参謀総長カール・ヘルムート・ゼーベック上級大将は、国軍参謀本部一階の将校食堂で、グレーベンら幹部と夕食を共にしようとしていた。

 海軍最高司令官クネルスドルフ大将は、庁舎から退出しかかっているところだった。

 彼らは国王官邸へとただちに集うと、前者二名は事態に狂喜し、後者はややその顔貌を突っ張らせた。

 そうして軍幹部たちは、国王への軍事上の保証をした。

「陸軍はやれます」

「海軍としましては・・・新造艦が間に合わないのは断腸の念ですが。この季節というのは不幸中の幸いです。まだ、艦艇の戦闘行動はやれます」

 グスタフは頷き、

「よろしい。ならば始めようじゃないか」

 命じた。

 この日のうちに、国軍参謀本部は各軍司令部や師団司令部にあてて一本の電文を発した。

 それはオルクセン陸軍史上もっとも短かな電文であり、そうでありながら受け取る側はただそれだけで一切を理解できる手筈になっていた。そこまで体制は整っていたのだ。

 本文は、ただ一言だ。

白銀ジルバーン

 戦争準備における最終段階、オルクセン軍による戦時動員と兵力展開が始まった。彼らが目指す方角はただ一路。

 エルフィンドとの国境である―――



(続)

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