第9話 戦争のはじめかた③

 星暦九五四年一一月三日機密指定解除/当該資料のうち一部機密指定解除対象外/閲覧許可済/オルクセン連邦国防省歴史資料保管室



 第六号作戦計画第六次修正/星暦八七六年八月七日/国軍参謀本部


序 本作戦計画は従来の第五次修正案までのものと比べ、内容が大幅に変更されている。関係各位にあっては留意のこと。

一)作戦予定地域

 ベレリアンド半島エルフィンド国内。

二)作戦予定地域概要

 総面積七万二七〇平方キロメートル。

 国民数八〇〇万 そのほぼ全てが白エルフ族と思われる。

 国家歳入一億八〇〇万ラング 過半が内需。

 地勢概要 険峻な山脈、湖沼、河川、湧水地、森林が多く、平野部は乏しい。

 この地域、なかでも作戦実施予定地域の気候は、半島西部沿岸へと流れ寄せる北星洋海流の影響により、冬季においても緯度の割には温暖である。ただし強い季節風の影響が及ぶ地域においては、体感気温はたいへん低くなる。

 冬季平均気温は、首都ティリオン近郊部で摂氏一度。

 山間部はともかく平野部における積雪量は少なく、地域によってはまるで観測されない年もある。 

 夏季においては総じて清涼。夏季平均気温は首都近郊で摂氏二〇度弱。

 年間降水量は約八〇〇ミリ。

 これらの値は、星欧大陸北部とさほど変わりはない。

 ただし夏季の西部沿岸及び冬季の半島北部は、たいへんに霧の発生率が高く、この影響はしばしば半島内陸部にまで及ぶ。

 詳しくは付属の当該地方地図及び、各位において兵要地誌第■■巻より■■巻を参照のこと。

三)仮想敵兵力

 <陸上兵力>

 参謀本部では、仮想敵の最大動員可能兵力を約三七万と見積もっている。

 うち歩兵戦力約三二万、騎兵及び砲兵その他約五万。

 その大部分は志願制義勇兵により構成された常備制国民兵であり、これに戦時における国民義勇兵動員制を組み合わせたものである。身体能力は高く、とくにそのほぼ全てが魔術通信及び探知能力を有するとみられることが最大の脅威であり、特徴といえる。

 ただしエルフィンドは兵器の自国生産能力に乏しい。

 主力小銃、火砲等、陸上火器のほぼ全てをキャメロットからの輸入に頼ってきている。

 銃弾薬の製造能力はあるが、火砲及び砲弾製造能力については極めて低いと参謀本部は分析している。

 <海上兵力>

 一等装甲艦二隻、二等装甲艦二隻、巡洋艦七隻、砲艦三隻、水雷艇三隻

 総じてキャメロット製であり、その性能は高い。

 ただし乗員練度については稼働不活発であるため、我が海軍より高いとは思われていない。

 その全兵力は、半島東部南部にある同海軍唯一の根拠地、ファルマリア港に集中している。

 詳しくは海軍側敵情報告資料第■■■号を参照のこと

四)開戦時我が軍投入戦力(陸上。括弧内については作戦開始時司令部所在位置)

 第一軍(メルトメア州アーンバンド)  一七万三〇〇〇

 第二軍(メルトメア州クラインファス)  六万五〇〇〇

 第三軍(メルトメア州シュトレッケン) 一六万五〇〇〇

 総予備(メルトメア州ラピアカプツェ)  六万五〇〇〇

 総計四六万八〇〇〇

五)各軍作戦目的(第一段階)

 <第一軍>

 開戦当初、同軍は隷下戦力のうち一個軍団及び増強戦力(約三個師団弱)を割き、シルヴァン川東岸渡渉地周辺よりこれを渡河。

 軍団及び軍輜重段列の総力を投じた梯団輸送により支えつつ、同川より約五〇キロ北方の港ファルマリア港を攻略、これを確保すること。

 軍の残置部隊は、このため計四本の大型架橋資材を以てシルヴァン川に迅速な架橋を実施、補給隊を抽出部隊へと追従させること。

 また同期間中、一線部隊には補給隊追従困難な場合に備え、現地調達を許可する。

 本作戦により、仮想敵唯一の海軍拠点を奪取し、この継戦能力を破壊せしめるとともに、海上補給路による兵站拠点地となるファルマリア港を確保することを第一目的とす。

 同港商業港には港湾施設、港湾引込線まで存在する。奪取に成功し本国より鉄道車両及び兵站物資を送り込んだ暁には同軍の行動を戦役全期間にわたって、第一軍を支え得るであろう。

 なお本作戦には海軍も大いに期待しており、また本作戦期間中、仮想敵海上兵力に痛打を与えるべく、彼らの海上作戦も実施される。我が国初の、陸海協同の性質を帯びた作戦となる点に留意すべし。

 <第二軍>

 第六号作戦計画第五次修正案までと大差ない。

 仮想敵のシルヴァン川南岸入植地のひとつであるノグロストを奪取、占領すること。その後は同地を中心に西岸部一帯の警戒、味方部隊の側防にあたること。

 <第三軍>

 従来計画と違い、第一軍の編成により参加兵力を減じている。

 これは兵站線の負荷を低下させ、むしろ運動力と戦略的兵力価値を向上させるための処置である。

 またその作戦方針は第五次修正案と大差なく、開戦直後、ただちに仮想敵シルヴァン川南岸入植地の中心地である、旧ドワーフ領首都モーリアを攻撃、占領すること。

 同市域には、シルヴァン川唯一の橋梁群である、作戦呼称パウル橋梁群が存在する。

 同橋梁群を速やかに占拠、確保し、自軍進撃路及び兵站路とすること。

六)各軍作戦目的(第二段階以降)

 <第一軍>

 第一軍には二つの作戦行動が想定される。

 一つは敵海上戦力の無力化に成功した場合、いま一つはそうでなかった場合である。

 前者の場合、全軍を以てファルマリア港に集結。

 同地を兵站根拠地として、また同地より延びる一部復線化された鉄道路を進撃路及び兵站路として利用しつつ、仮想敵東部沿岸を北上。

 この方面の敵兵力を誘引、撃破しつつ、各地の港を奪取せよ。

 最終的には、仮想敵首都東方に広がるネニング平原に到達。同地にて第三軍と合同、協力。仮想敵残存野戦兵力の撃滅を図る。

 開戦初頭時期において、不幸にも敵海上戦力を撃滅しえぬ場合、海上補給路の確保は至難の業である。

 その場合ファルマリア港の港湾施設を徹底的に破壊後、陸上兵站線の負荷のかからぬ位置まで撤退し、第三軍の側防警戒にあたること。

 本作戦は我が陸軍にとって初となる陸海共同作戦であるが、半島進撃を継続することとなった場合の必要船舶及び搬入鉄道車両の計上、調達、確保には兵站局が万全を期している。

 とくに鉄道車両については鹵獲車両の使用は前提としていない。軍にあられてはご安心されたい。

 <第二軍>

 西部沿岸地帯を警戒しつつ、戦況許さば仮想敵本土西方海上に浮かぶ島嶼を海軍と共同の上、奪取、占領せよ。

 西方島嶼を代表するアレッセア島は仮想敵における数少ない商業港、鉄鉱石鉱山、周辺有望漁場を有し、戦争がどのような状況で終結するにせよ、有力な交渉材料たりえる。

 <第三軍>

 同軍はモーリアと我が兵站拠点の鉄道線連結後、シルヴァン川北岸より侵攻、仮想敵地最大の穀倉地帯であるアルトカレ平原を確保しつつ、同平原中央にあってこれを扼すアルトリア占領を目指すこと。

 同地は旧時代のものながら要塞都市化されており、また駐留戦力も相当大規模なものが見込まれる。万難を排して撃滅、排除せよ。

 アルトリア確保後の行動は、本軍においても敵海上兵力撃破の有無によって二つの案が存在する。

 海上兵力が撃破され東岸海上補給路が確保された場合、これは第一軍が半島東岸を北上することを意味する。

 その場合、第三軍はアルトカレ平原を突破、同半島中央山脈群の山間道を抜け、ネニング平原にて第一軍と合同。共同一致し、敵残存野戦兵力を撃滅すべし。

 不幸にして第一軍が北上を断念した場合、第五次修正案と同様の事後行動を執る。この場合、総軍予備兵力より必要兵力が第三軍に充当される。

 参謀本部は総力を以てこの兵站を支援するから、軍単独を以てネニング平原に到達。同地にて敵野戦兵力を撃滅せよ。

七)各地域仮想敵陸上兵力予想

 アルトリア方面 一六万乃至一七万

 ファルマリア方面 一万乃至二万

 首都ティリオン及びネニング方面 一八万

八)作戦全般説明

 本作戦の眼目は、その極めて高い柔軟性にある。

 従来の第六号計画は、第三軍に作戦上の役割全てを期待している硬直性のあるものだったが、本修正では第一軍の作戦行動が追加されている。

 海上敵兵力撃滅に成功した場合の事後行動における第一軍と第三軍は、そのどちらが主攻というわけでもなく、また助攻というわけではない。

 仮想敵兵力が第一軍を押さば第三軍が進み、第三軍敵兵力吸引せば第一軍が敵首都に雪崩込む。

 またすでにご理解頂いたかと思うが、双方が初期段階作戦地域周辺の敵兵力を撃滅出来れば、両軍はネニング平原にて合同。

 圧倒的兵力を以て残存仮想敵兵力及び敵首都攻略を行い、仮想敵に城下の誓いを成さしめるであろう。

 敵動員可能兵力から言って、仮想敵が第一軍及び第三軍の双方を抑え込むことは不可能であると参謀本部は考えている。

 また不幸にして海上兵力撃滅不成功に終わりしときは、従来計画通り第三軍がその猛進猪突を遺憾なく発揮すべく対応できる柔軟性をも含有させてあることもご理解いただけたものと思う。

九)特記

 作戦実施予定地域全般においては、エルフ族及びかつてのダークエルフ族が聖地として奉じている箇所が多数存在する。

 これは彼女たちの種族にとって、赤子として生まれ出でる場所であり、文字通り母なる地といえる。

 とくに後者のものについては、今後の国民数増加への期待もあり、各軍は隷下部隊に対し徹底した保護と管理を行い、間違っても戦禍に巻き込まぬこと。所在地については付属資料第■■号を参照のこと。

 なお本作戦の実施下においては、技術的手段及び道徳的概念の発展著しい昨今、列商各国による注視の目が極めて高いと思われる。

 各軍は、一兵士に至るまで軍規の徹底を図ると同時に、諸外国観戦武官及び国内外記者従軍せる場合はとくに彼らの扱いに自ら十分配慮すること。

 本計画書のご裁可を求めたところ、国王グスタフ・ファルケンハイン陛下におかれては大いにこれを御気に召され、即断了承された。

 また陛下ご自身はオルクセン国王としての責を果たすべく、第一軍の御親率を希望されている。

 これが実施された場合、国軍参謀本部は国王副官部及び各省より派遣の次官と合同、戦時大本営設置条例に基づく国王大本営として陛下に同道、総軍指揮と第一軍の作戦指導を輔弼する。

 また国王陛下におかれては、本作戦に対し作戦名を下賜された。


 対エルフィンド侵攻作戦「白銀の場合ケース・ジルバーン


 事後、第六号計画は同名称に改称する。

 我らの母なる大地、母なる祖国に豊穣あれ。


 正署 国軍参謀本部参謀総長 陸軍上級大将 カール・ヘルムート・ゼーベック

 副署 同参謀本部次長兼作戦局長 陸軍少将 エーリッヒ・グレーベン




 オルクセン北部メルトメア州。

 州都ラピアカプツェ。

 居住民数一四万五〇〇〇。

 オルクセンに八つある州都のなかでは、小さな都市である。

 街の規模としては、メルトメア州内だけを見渡してみても、同州北海沿岸にある港湾都市クラインファスのほうが大きなほどだ。クラインファスの街はキャメロットなどとも交易がある貿易港であり、また北海漁業も盛んであり、幾らかの工業もあって、富んでいた。

 一方のラピアカプツェは、工業よりも農業、酪農や牧羊などを産業中心とした街である。

 グスタフ国王がかつて国土全土に造営した農事試験場のうち、オルクセン北方国土の天候や土壌に対応するために設けたかなり大規模なものが古くからあり、いまではこの用地を取り込んでオルクセン最大の農業大学がある。

 同大学は農業であれば幅広く教鞭をとっていたが、なかでも酪農、畜産、牧羊を得意とした。

 この学府が域内に広めたバロメッツ種の羊は毛量の採れ高がよく、多くの農家にとって重要な糧となっている。

 星欧における羊毛産業は、キャメロットがこれを席巻するほどシェアを占めていたが、オルクセンは粘り強く続けていた。

 国からの援助もいくらかあった。

 羊毛からできる毛織物は、民需用のみならず軍の被服、外套の類にもなり、この原材料を国産で賄えるか輸入に頼るしかないのかは、重要な国防上の選択たり得たからだ。

 またバロメッツ羊には肉量もあり、市内を中心に食肉としても供給されている。

 羊の肉には独特の臭みがあるが、その控えめな子羊のものが中心に流通し、また臭みを打ち消すための調理法も考案されており、ラピアカプツェで生産されている濃厚な味わいのビールと合わせて、いまでは同市の名物にまでなっていた。

 このように一見長閑な地方都市という趣のラピアカプツェには、もう一つの顔も存在した。

 多くの軍部隊が駐屯、衛戍していれば、その司令部施設もある「軍都」としての側面だ。

 オルクセンの州都は、もともと旧政オルクセン時代に存在した膨大な数の軍をロザリンド会戦後に八つの軍団に整理整頓し国土に分散、その各駐屯地方での生存競争の中心たらしめようとした、グスタフ王の制度を元に発展した。

 改革や連絡を成すにはどこか一個所に集まっていたほうがやりやすくもあったが、そんなことをオーク族がやったら、たちまちのうちにその地方は干上がってしまう。

 だからグスタフは、軍を八つに分けた。

 何かあれば自らのほうが赴き、彼らを即戦力的な現地労働力にして、農耕や酪農、産業殖産等を指導したのだ。

 州に軍団、県に師団、郡に連隊。

 そんな具合に配され、新生オルクセンの汗と涙と労苦、歓喜と笑いと豊穣とを勝ち取ってきた彼らは、行政や治安維持の中心的役割を務めていた時代もあったから、自然、オルクセンは軍事国家となった。

 国防法で師団の数が決まっているのも、このため。

 このように伝統ある組織は、簡単に増やすことも減らすこともできない。なかでも州都における軍の存在は大きく―――

 ラピアカプツェも例外ではなかった。

 星暦八七六年現在、第七擲弾兵師団、第七軍団隷下重砲旅団、各工兵隊や補給隊などが衛戍し、なかでもひときわ大きな軍施設が市内郊外の第七師団中枢と同居している。

 ―――北部軍司令部。

 平時おいては北部三つの州の軍組織を管理統制している、あの猛将、アロイジウス・シュヴェーリン上級大将の司令部である。

「おはようございます、上級大将」

「うむ、おはよう!」

 やや眠たげな顔で、自身の腹心たる軍参謀長ギュンター・ブルーメンタール少将の出迎えを受けたシュヴェーリンは、前日夕刻職務を終了してから届けられた隷下部隊からの報告書や、朝届けられることになっている軍中央からの通達書を受け取り、熱く濃いコーヒーをオーク族特有のまるでビアカップのようなコーヒー椀から含み、火のついていないパイプを咥えつつ、軍司令官公室の執務卓でこの日の執務を開始した。

 報告書や通達書を眺め、ときに読み込み、ブルーメンタールに質問をし、署名する―――

 その様子は、ふだんの彼が周囲から抱かれる心象とは、まるで違っていた。

 シュヴェーリン上級大将といえば彼を知るほとんどの者が連想するのが、闘将、猛将、歴戦の士。豪放磊落で、粗野で、騒がしい。その声は銅鑼の音のようで、ときに戦場一杯にまで広がるほど大喝一声、隷下全軍猪突して、居並ぶ敵をなぎ倒す―――

 彼の騒がしさは、実にオーク族らしく朗らかで、一度懐に入れた部下将兵全ての面倒を親身に見るというような、まったく根明な質のものだったから、「粗にして野だが卑ではない」、そんなところだ。

 そういった心象を、彼のあの戦場での古い傷跡と、折れた片牙、筋肉質の巨躯とが補強して増幅、相乗させてもいる。

 ところが。

 家族や、あるいはブルーメンタールのように己が長女の婿でもあるような最側近だけを前にしたときの日常の彼は、非常に慎ましく、静かで、紳士的であり、教養の雰囲気さえ漂わせていた。

 たいへんな勉強家でもある。

 いまも自身の知識、認識において不明を認めた箇所については、丁寧にブルーメンタールへ質問し、その回答に素直に耳を傾け、吟味、咀嚼して、理解しえたと判断してから、署名をいれる報告書もあった。

「参謀長、この兵站局が書いて寄越した刻印魔術式物品管理法というのは何だ?」

「ああ、何か新しい試みのようです。シュトレッケンに一部完成した兵站拠点駅で実験してみたいと。上手くいけば鉄道車両からの需品の荷下ろし、管理時にたいへんな効果を発揮するとか・・・」

「なるほど、なるほどな・・・刻印魔術式物品管理法、刻印魔術式物品管理法・・・」

 何度かメモに書き記し、早くもその新たな用語を覚え込んでしまったようである。

 ちなみにそんなメモ類は、今回のように軍の機密用語が含まれていることがあるため、ちゃんと丁寧に破棄もする。

 そうやって覚え込んだ事柄の数々を、すぐに我がものとして展開、考察、分析する能力もあった。

「しかし、なんだ、シュトレッケンもそうだが・・・ 参謀本部の連中、よくこれだけ短期間で兵站拠点駅を五つも国境部に着手できたな。最大の兵站駅で五面一〇線。引込線、転車台、給炭給水設備、格納庫や糧抹保管庫群に輜重馬車用展開路・・・他もさほど変わらん。ざっと総予算三六〇〇万ラングだったか。本年度の臨時軍事会計費は、アンファウグリアの編成でほぼ使い切ってしまったんじゃなかったのか?」

「どうも、あくまで噂ですが・・・」

「うん?」

「装備更新で返納されたGew六一小銃の一部を、もちろん一部をですが、陸軍省や財務省に未決のままファーレンスに売り飛ばしたそうです。むしろ収支として余ったと。陸軍省のボーニン大将はかんかんだと伺いました」

「・・・ふふ。ふはははは! やりおる。やりおるな! おおかた、グレーベンの坊主あたりの考えそうなことというところか。しかし、また参謀本部の独断と暴走だと言われかねん。ボーニンのやつは誰かが宥めてやらにゃならんな・・・あとで手紙のひとつも書いて、酒の一本でも送っておくか」

 ―――面白い方だ。

 彼との軍及び私生活上のつきあいまで長いブルーメンタールでさえ、そのように思えてしまう。

 シュヴェーリンは、そんなおとこだった。

 あるいは、当然のことだと言えるのかもしれない。

 ―――勉強家でなければ、己が研鑽を続ける者でなければ、一〇〇年以上軍で幹部は務まらない。

 日々新たに接する新技術や、戦術や、思想。

 とくに科学技術の発展著しい昨今、そんなものの知識更新を図っていかないと、いかな長命長寿、不死にさえ近い魔種族といえども、ただそれだけでは現役を続けられるわけがなかった。

 シュヴェーリン自身としては、なんと読書家でもある。

 毎晩寝床におさまると、愛妻の傍らで本を読む。

 その行為自体も、彼の若いころのオルクセンには国家制義務教育などなかったから、文盲だったところを一軍の指揮をとるようになって、必死に文字を覚えた上でのことだ。

 枕頭に持ち込むのは古今の兵学書や歴史書が多かったが、意外極まるともいえる趣味嗜好としてはキャメロットの文学を愛していた。いまではキャメロット語の原書とも不自由なく向き合える。

 もう数十年前のことになるが、オルクセンとキャメロットのあいだに修交通商条約が結ばれたとき、グスタフ王は今後の人間族の国々との付き合いを深めることも見越して、調印のため自ら同国の首都に赴いた。

 シュヴェーリンはそのとき主席随員を務め、彼の目からは非常に洗練されたものに映った、キャメロットの文化に魅了されたのだ。

 愛飲酒としてもキャメロットのブレンデッドウィスキーの名門のひとつ、キャメリッシュ・ブラックバーンを好むようになり、なかでも故郷北部の山々から切り出された清廉な氷塊をグラスに入れ、ロックにすることを何よりの贅沢とした。どうもその飲み方自体は、常温での飲用を習慣とするキャメロットの人々からではなく、グスタフから教わったらしい。

 文学としては、キャメロットの生んだ偉大な劇作家のものを好んでいた。

 その劇作家が送り出した劇脚本が全集化された一揃いを彼自身への土産として持ち帰ってきて、毎晩寝る間も惜しんで―――あのオーク族の者が、寝る間も惜しんで読んだ。それほどに魅了されたのだ。

 喜劇、悲劇、滑稽劇。

 魅惑的な物語の数々に接することは、実務上の必要性に駆られての勉強熱心なばかりに過ごしてきたシュヴェーリンにとって、初めて彼一個の牡として得た文化的読書であったのかもしれない。

 しかし―――

 彼は事情を知らぬ他者、とくに兵たちの前では、剛毅で、豪放で、磊落な「シュヴェーリン親父」のままであり続けた。

 教養的な部分は、その一切を包み隠していた。

 それはシュヴェーリン曰く、絶対に必要なことだ。

 断じて譲ることの出来ない態度であった。

 そんな真似、振舞いこそが兵たちを惹きつけ、士気を保ち、ときには無茶もさせ得て―――戦時ともなれば、死を賭しての任務を命じることが出来るのだ、と。

 これもまた、長い軍隊生活で彼が「学び得た」ことなのかもしれない。

 兵たちは無論そんな彼を慕った。「親父」「我らの親父」と。

 そうであるからまた、軍におけるシュヴェーリンの指揮は一見無謀のように見えながら、その実たいへん計算高く組み上げられたものだった。

 例えば彼はよく「オーク族の軍隊にとって、無茶が出来るのは四日が限界」と口にするが、ではその四日目一杯かかるような作戦は決して立てなかった。

 彼曰く「戦場には匂いがある」といい、味方の機微と敵の気配を感じ取ることこそが己のような質の将官の成すことで、その匂いを嗅ぎ取った上でたいへんに絶妙な采配をした。

 例えてみるなら、二日というほど杓子定規に慎重ではなく、四日というほど兵に無茶をさせず。三日目に目標を叩き落すような、そんな指揮を執った。決してただ無謀に突っ込んでいるわけではなかったのだ。

 ブルーメンタールは一度、シュヴェーリンに彼の私的な部分も少し表に出してはどうかと勧めたことがある。それはそれで、貴方の魅力である、と。

 シュヴェーリンはまったく不思議そうな顔をしたあと、その太く短い首を横に振った。

「この世は舞台、生きとし生ける者はみな役者というではないか」

 そうして、兵たちの前ではあの粗野で豪放ないつものシュヴェーリンのままであり続けている。

 星暦八七六年のこのころ、彼はその「演劇」に必要な小道具を、どうやって来るべき将来戦場に持ち込んでやろうかと、そればかり考えていた。

 軍用兜ピッケルハウベだ。

 それは彼にとって長い間、兵たちの士気を盛り上げてやるための必須の「小道具」で、己は逃げ隠れもしない、常に兵たちとともに最前線に立つ、シュヴェーリン親父ここにありと示すためのものだった。

 彼はもう、ずっとそんな真似をしていた。

 デュートネ戦争のころなど、当時将官や士官の制帽だとされていた二角帽を極めて大振りに作り、派手な飾りをつけて出征したものだ。

 しかしこれに関していえば、既にグスタフ王の、「来るべき将来戦争においては、軍幹部及び将校はみな略帽を被って出征せよ」との厳命があったのもまた確かである。

 シュヴェーリンにしてみれば、兵から怯懦と見られるのは耐えられない。

 どうしたものかと、執務を一通り済ませ、このころ新たに参謀本部から届けられた作戦計画書について部下たちと討議を重ねたあとで有閑を得ると、頭を悩ませてばかりいた。

「それほどお悩みでしたら、もう何も仰られず被っていかれたらどうです?」

「・・・それはできん」

 奇妙なことにシュヴェーリンは、王の命を完全に無視することもまた、己には出来ない、決して出来ないという。だから何か手を考える、と。

 これもまたブルーメンタールからすれば、たいへんにわかりにくい、この闘将の心の機微であった。

 シュヴェーリンの軍における立場は、他者に類を見ない。

 ゼーベック上級大将やツィーテン上級大将と同格ということにはなっていたが、オルクセン軍幹部としては経歴も実力も一頭抜きんでていることは間違いなかった。

 また彼の隷下部隊は、シュヴェーリンをたいへん慕っており―――こんなことをもし口にすれば王への忠誠篤い彼からは八つ裂きにされかねないが、仮に彼が叛乱決起を企てたとしても、多くの部下将兵がこれに従うだろうと思えるほどのものだ。

 他国なら彼のほうから気を遣うのではない、王のほうが気遣いを要するほどの身に、シュヴェーリンはあった。

 だが、シュヴェーリンは決して、断じて、絶対に王の命を裏切ったことがなかった。主君の言葉には背きたくはないのだ。それは出来ない、やれない、やりたくない、という。

 どうもブルーメンタールが彼との付き合いを得るようになった以前―――あのロザリンド会戦のあたりで、王とシュヴェーリンには何かがあったらしい。そしてそれゆえに、シュヴェーリンは「儂は王を裏切れん。二度と見捨ててはならんのだ。王はもう気にしてはおられんが・・・あれは一生抱えていく儂の罪だ」そう漏らしたことがあった。

 闘将シュヴェーリンがそのような相克に悩んでいたこの日午後、グスタフ王から私信のかたちで小包が届いた。首都からわざわざ、国王官邸副官部のミュフリング少佐が携えてきた。

「お。おおお、おお! ありがたい、ありがたい!」

 シュヴェーリンは実に嬉しそうに、その場で包みを開封する。

 珍しいことではなかった。

 周囲と騒ぐことを好むオーク族はよく、折に触れて仲間内で何かを贈り合う。

 なかでもグスタフはそうで、抱え入れた腹心たちには分け隔てなく、彼らが喜ぶ何かを贈った。ひとつひとつは決して豪華なものではなかったが、それゆえに余所余所しさなど微塵もなく、真心が籠っていると贈られる側からは思われる品が多かった。

 シュヴェーリン宛でいちばん多いのは、キャメリッシュ・ブラックバーンだ。

 何か同じような価格帯のものを贈り返すのが習いで、シュヴェーリンは王に喫煙具や、なかでもパイプを贈ることが多い。かつて王にパイプ煙草を教えたのは、自身でもその嗜好を持った彼なのだ。

 ただ、この日はちょっと様子が違っていた。

 軽かった。

 たいへん軽い。

 包みをとき、中身を見て、また同封されたグスタフからの手紙を一読したシュヴェーリンは、

「・・・王! 我が王! 感謝しますぞ! ああ、王、我が王。これでこそ我が王・・・」

 この牡、涙まで流した。

 王からの贈答品は、まだとても珍しい防塵眼鏡であった。

 革材と、真鍮の枠、高価なドワーフ族製耐圧ガラストリニタイトを用い、やはり貴重なゴム素材を使って作られており、全体的な仕上げは土埃色。オーク族の体躯にあわせて作りは大振りである。

 手紙にはこう綴られていた。


 シュヴェーリン 我が誇りの牙 この悪党!

 きっとお前は、どれほど諫めても軍用兜を被って行きたがるだろう。全軍全将兵の手前、それは許さない。

 だからこれを贈る。これを略帽の胴に巻いていけ。兵たちへの誇示にしろ。

 参謀本部から、例のもののいちばん新しいやつはもう届いていることと思う。

 発動の暁には、第一軍は私が自ら率いていくつもりだ。第三軍はいままで通りお前だ。つまり私たちは肩を並べて彼の地を行く。

 かの地の首都で会おう、シュヴェーリン!

 グスタフ


 秘するべき内容があるものは必ず丁寧に処分する闘将シュヴェーリンは、この手紙だけはそうしなかった。

 そして家令に命じ額を用意させ、己が自宅の書斎に飾り、毎日のように眺めた。

 信仰を持たず大地と豊穣への感謝の念しか持たぬオーク族の彼にとって、一種の崇拝の対象であるかのように扱った。

 オルクセンが全力を以て想定していた戦役が始まったときには、同期間中における彼の軍装の最大の特徴となったその防塵眼鏡を略帽に巻き、出征した―――



「来たれコボルトの勇士諸君。極めて危険な任務。高額手当支給。要、記載体格要件。階級は問わず。選考あり」

 その奇妙な募集要項が、軍に属するコボルトたち向けに発せられたのは、まだ八七六年の夏が訪れる前だった。

 各地の衛戍地の食堂で、どこの衛戍地にもある部隊内向け掲示板に張り出された。

 君だ、君こそ必要なのだ、そんな具合に見える、こちらへ指を突き出すような図案で募集を盛り立てるコボルト兵も描かれていた。

 どうも、記載の体格要件を見る限り、小柄なコボルト兵を集めたいらしい。

 いったいどんな任務に就くのかは、まるでわからない。

 それでも全国各地から、総じてみればなかなかの数になったコボルトたちが上官へと志願を願い出て、連綿と、選考試験を受けるべしとされた首都ヴィルトシュヴァインの第一擲弾兵師団衛戍地へと向かった。

 ある者は高額手当という箇所に惹かれていたし、またある者は危険な任務という言葉に、子供っぽい、無垢な愛国心を刺激され、純粋な憧憬や義侠心を抱いて志願していた。

 これから先に見るもの、受けるもの、また全ての選考を無事終え辿り着いた先に待ち受けるものについては、例え脱落しても一切他言しないという誓約書に署名させられたあと、幾つかの集団にわかれて、彼らは奇妙な試験を受けさせられた。

 身長、体重、視力、聴力。

 肺活量。

 種族としては総じて高いものである、夜目が効くかどうか。

 その様子は、少し徴兵検査と似ていた。

 一次選考に受かった者は、また別日に集団となって、今度はとびきり妙な試験を受けさせられた。

 どうも軍や民間の学者らしい連中の立ち合いのもと、ヴィルトシュヴァインにある大時計台の尖塔へと連れていかれて、観光展望台から下を覗いてみろという。

 まるで平気な者ももちろんいたが、怖がる奴が続出した。彼らの選考はそこで終了である。

 また、こんな試験もあった。皆で首都西方郊外の、なかなかの高さのある山に登らされて、耳が張った感じにならないか、痛くならないかと質問されたのだ。なっても構わないが、唾を飲みこんでも元に戻らない者は、また選考から外された。

 残った者たちは、日を選んで首都大学の体育科運動館へと送り込まれた。

 また官民の教授たちの立ち合いのもと、そこで受けさせられたのは、本当に奇妙な試験ばかりだった。

 移動遊園地の回転遊具を改造したらしい装置で、円弧を描くように、ぶん回される試験。

 同様の器具で、どんどんと上下に揺さぶられる試験。

 ブランコのような器具にぶら下がって、前後に行ったり来たりさせられる試験。

 挙句、腰にロープを結ばれて、地面には分厚い緩衝材は万一のためもちろん敷かれていたが、校舎の上から飛び降りてみろなどという試験まであった。

 奇妙なことに、彼らを振るいにかけていく連中は、コボルト族たち最大の特徴である魔術力にはあまり興味がないようだった。

 確かに魔術については最初から募集要項にはなく、有無や強弱を調べる試験はあったがそこで落とされる者もおらず、また魔術力の高さから自信満々でやってきたコボルトが、あっさりとどこか別試験の段階で選考から外されることまであったからだ。

 魔術力があればあるでいいが、なければないで構わない、本義は別試験の内容。それが試験官たちの態度だった。

 そうして、何度かそんな奇妙な選考を繰り返すうちに、最終的には五〇名ほどのコボルトが「合格」となり、首都南方郊外シャーリーホーフに存在した軍衛戍地へと、辞令書を与えられて、汽車と軍用馬車に乗せられ、送り込まれた。

 シャーリーホーフは、ちょっと他の衛戍地と様子が違っていた。

 蒲鉾型兵舎をもっともっと大きくしたような、巨大な構造物が三つほどある。

 庁舎や食堂などの出入口は、うんと大きく両開きの扉になっている。

 高さのある、塔状の見張り台のようなものもあった。

 風向きや風の強さを見るためだろう、白と赤に塗り分けられた筒状の吹き流しも。

 そして営庭にあたる部分が異様に広く、防水性の太い白布を地面に打ち付けたもので、二重の巨大円が四つほど描かれていた。

 何よりも―――

 もちろんオーク族の兵隊などもいたが、そこにいて場を取り仕切っている連中は、大鷲族ばかりだった。シャーリーホーフは、国軍大鷲軍団の本拠地だったのだ。

 総勢五〇羽ほど。

 巨大営庭―――離発着場に控えていた大鷲の中には、その首元に乗馬具をうんと小さくしたような鞍と鐙を取り付け、待ち構えている者がいた。馬具と違っていたのは、手綱は嘴にではなく、それ自体がしっかりと固定された鞍に取り付けられていたことだ―――

 察しのいい連中が気づいて叫んだ。

「畜生! 何てことを考えつくんだ、上のやつら! 俺たちを、この俺たちコボルトを大鷲に乗せて空に飛ばそうって気だ!!」

 それは正鵠を射ていた。いやこの場合、正鷲を、というべきか。

 そんな方法を思いついたのは、当の大鷲族たちだったのだ。

 彼らは三角測量式魔術探知の方法を試しているうちに、その必要性に駆られた。

 むろん、理由あってのことだ。

 まず、彼らが空に携えていくものが余りにも多くなりすぎていた。

 地図、コンパス、おうおう正確に報告するにも距離を測るにも時計や気圧計もいるぞ、などという話になり、これらを収める木枠はどんどん大きくなっていった。

 飛びにくくて仕方ない。

 また元々、彼らが覚え込むべしとされた軍事上の知識も多岐にのぼっていた。

 通常の空中偵察での視認にさえ、実に様々なものを学習しておく必要があったのだ。歩兵の隊形にはどんなものがあるか、大砲の種類は、上空から見て集団でいる兵がどれほどの数なのか、いま飛んでいる高度は他種族式に表現すればどれくらいなのか―――

 また、別の理由から何等かの助けも必要としていた。

 大鷲族は、基本的には夜になると飛べない。

 いわゆる、鳥目というやつである。

 それでも軍の主兵たるオーク族も、最大の仮想敵であるエルフィンドのエルフたちも夜目が効く、夜戦も厭わないというのならば、どうにかしてその時間帯も彼ら種族として役に立ちたかった。

 軍に従事している大鷲族から、何とか夜間―――月夜の晩くらいにならものが見えるという一〇羽ほどが集められて、夜間飛燈火行を試してみたが、思いもよらなかった障害が続出した。

 黒々とした高き樹々や、山が見えず危なっかしくて仕方ない。

 飛び立つのはまだ良かったが、着陸しようにも離発着場との高度が昼とまるで違って見え、突っ込んでしまいかけた者まで出た。空中で方向感覚や高度感覚を喪失し、挙句には水平に飛んでいるかどうかすら分からなくなった一羽もいた。

 離発着場の位置は、衛戍地から魔術通信波を出してもらい、燈火を灯してもらうことで確認できるようになったが、こんな危なっかしい飛行はよほどの覚悟か―――誰かの手助けがなければやれないことだ。

 大鷲軍団団長ヴェルナー・ラインダース少将は、正直なところ頭を抱えた。

 これでどうやってグスタフ王や、この国の軍隊の役に立とうというのか。従来通りの空中偵察をやるのが精いっぱい―――彼にはそう思えた。

「団長、我らはコボルトを乗せるわけにはいかんのですか。オークなんぞ乗せようとすれば潰れちまいますが、あいつらの体格なら何とかなりそうですが」

 ある日の通常訓練飛行前、一羽の大鷲が言いだした。彼の視線の先には、衛戍地に需品を届けにきた輜重馬車が―――その馭者台の上の、コボルト族輜重兵の姿があった。

 ―――それだ! どうして今まで誰も思いつかなかった!

 ラインダースは彼らの直轄上部組織だった国軍参謀本部に請願を出し、そして要望は認められ、こんな危険な真似に適性を持つと思われるコボルトたちが選考にかけられ、集められたというわけだった。

 八月下旬。既に、コボルト兵を乗せた飛行を幾らか試すまでになっている。

 最初は慎重に、徐々に範囲と距離、機動、数とを増やしていき、首都近郊を連日飛んで経験と教訓を増やしていっている。夜間飛行の試みはまだまだだったが、こんなにも楽になるものかと一同驚いていた。

 まず、偵察にも探知にも、思惑通りコボルトたちが大いに手助けしてくれた。

 彼ら種族はその特徴として頭の回転がよく、また数字に強かったので、計算や計測の類は全て任せることが出来た。地図を読むにも、コンパスを見るにも、角度を測るのにも、みな彼らが素早くこなしてくれたのだ。

 大鷲族から見れば、コボルト族の五指の手は羨ましくなるほど器用に思えた。

 首の付け根のところに彼らを乗せ、しっかりと固定された鞍に更に安全具を帯びさせ落とさぬようにし、それでも幾らか機動が制限されたが、いままでの苦労はいったい何だったのだろうと、全大鷲たちが半ば茫然とし、また喜びもした。

 いってみれば、飛行と、魔術探知と、通信だけに専念すればよくなったのだ。

 相棒となった者が魔術力を持ったコボルトなら、探知と通信も任せられたが、そこまでやらなくとも効果は抜群だった。

 何度かの試行の末、大鷲族たちに跨って空へとあがるコボルト兵たちの、専用被服も作られるようになった。

 空の上は、夏場でさえ気温が下がる。

 最初は通常の兵隊服のままだったが、寒くて仕方ないと言い出す者が続出したのだ。革製の、頭をすっぽりと覆ってしまう帽子に、しっかりと防寒できる上下に革製長靴が作られた。

 また常に風を浴び続けるため、瞳が乾いてどうにもならないとなり、コボルト族向けに小さな小さな防塵眼鏡が設計、制作された。

 視察にきた参謀本部の連中が、これは砂塵の多い地上戦場でも便利だと、つくりを大きくしたオーク族向けの物も試作される副次的効果まででたのは、やや幕間劇にちかい。

 このような試行錯誤を繰り返すなか、コボルト兵たちをたいへんに喜ばせたのは、大鷲軍団にいる限り、通常の軍部隊よりはるかに量の多い肉類にありつけるとわかったことだ。

 元より大鷲たちは肉類を好む。

 というより、肉ばかりを食べる。それもなるべく新鮮なものを好んだ。

 このため大鷲軍団には、師団補給隊の精肉中隊の編成を流用した、オーク兵たちで構成される専属の精肉班がいて、供給された牛や豚類を毎日裁いていた。

 そこへ配属されてきたコボルトを配給対象に加えても、部隊としての頭数はたいへんに小さな所帯だったから、精肉の余りをそのままか、あるいはヴルストやハム、サラミなどに加工して、危険任務従事者加給の意味も持たせて、コボルトたちに供給することが可能だったのである。

「見ろよ、この肉! 霜降りの具合のたまらないこと! ああ、最高だ!」

「この生ハムの塩気! たまんねぇ! なんてこった、こんな贅沢毎日続けさせてもらったら俺は病院送りになっちまうぜ!」

 コボルトたちは、毎日兵舎食堂で狂喜していた。

 また、軍の募集要項通り、命も張れば危険も伴う任務だというので、兵の身分からすればたいへん高額な追加手当が支給された。

 その手当は暫定的ながら飛行一度で六ラングと定められ、これはただそれだけで下級兵月俸額の約半額に相当する。流石に無制限というわけではなく、月当たり幾らまでという上限こそあったものの、これもまた実に彼らを喜ばせたのも確かであった。

 彼らは自然、任務にも精を出した。

 最初はあまりに突拍子もない「極秘任務」に戸惑うばかりだったが、なかには空を飛ぶことそのものを純粋に楽しみはじめる者まであらわれた。

「最高の気分だよ! 僕らはコボルトの歴史上初めて、空を飛んでるんだ!」

「ふふふふふふ、それほど面白いか、坊主」

「うん! 凄いことだよ、これは! オークや、ドワーフの兵隊さんだって、何なら国王陛下だって、まだ空を飛んだことはないでしょう?」

 最初にその歴史的に重大な事実に気づいたのは、やはりいちばん最初にコボルトたちのなかで空を飛ぶことを楽しみはじめた、北方からやってきた元輜重兵のフロリアン・タウベルト―――あの、今春の師団対抗演習で浮橋倒壊事故から救われたタウベルトだった。

 彼もまたこの奇妙な募集に最初は高額手当支給という部分に学資の欲しさから惹かれ、あまり深く考えず応募し、選考に受かり、着任していた。

 輜重隊で彼の直属上官であった「怖い顔をした曹長さん」は、浮橋倒壊事故の件から幾らかの後ろめたさを感じていて、推薦状まで書いてくれた。

 タウベルトの相棒となったのは、大鷲軍団のアントン・ドーラ中尉。

 大鷲族としては若手の部類に入る一羽だった。飛行技量はまだまだ、ただし度胸はあると評価されている。

 大鷲族とコボルト兵の会話は、なにしろ部隊としての頭数が少ないので、ごく初期の互いに緊張しきった時間を過ぎ、打ち解けてくると、階級差をまるで気にしない、ざっくばらんなものになった。空の上でいちいち階級章の線の数を気にかけ、敬語を使っていたら面倒だったという理由もある。

「凄い・・・ 本当に凄いよ。ね、あの鉄橋の橋脚、潜り抜けてみない?」

「無茶をいうなよ、坊主。団長にどやしつけられるぞ」

 ドーラはくっくと喉を鳴らした。

 実のところ、タウベルトとドーラはそれほど年齢は変わらない。

 だが大鷲の風格と、彼ら種族の好むやや時代がかった言葉使いがどうにも遥か年上だとタウベルトの誤解を招いてしまい、ドーラは面倒だからそのまま訂正せず、またこれを面白がって、彼のことを「坊主」と呼んでいた。

「あの組は、ずいぶん楽しんでいるようですな。バーンスタイン教授」

 離発着場の端の、地上からその様子を遠目に確認していたラインダースは苦笑した。

「ええ、彼はかなり適性も高かったですし」

 ラインダースの足元で応じたのは、コボルト族の民間女性である。

 尾っぽの毛並の長い、ダックス種。

 色は金髪にちかい蜂蜜色。

 コボルトの同族から見れば、睫毛が長く、すらっとしていて、相当な美形だった。

 こう見えて正規の大学教授だ。

 彼女は、非常に亜種族が多いコボルト族の体力や魔術力の違いについて専門に、首都ヴィルトシュヴァイン大学で研究を続けてきたその道の泰斗で、今回のコボルト兵選考にあたって軍の依頼をうけて協力してきた。

「そういえば、少将」

「はい、バーンスタイン教授?」

「このコボルト兵たちの名称を、国軍参謀本部が決めたようです」

「ほう、何事にも正式名称を、というわけですか。まったく、軍のやることですな。して、どのような名称に?」

飛行兵パイロット。低地オルク語ではピロート。貴方がた大空を飛ぶ大鷲族を、大海を行く船に例え、その水先案内人パイロットを務める役になぞらえた、と」

「飛行兵・・・飛行兵・・・ なるほど、よい響きですな」

 ラインダースは、目を細め、くっくと喉を鳴らす。

 軍の発想も、名称も気に入ったのだ。なかなか詩的なことを考えるな、連中。そんな風におかしみを覚えている。

「して、バーンスタイン教授。本当に午後から貴女ご自身で飛ばれるおつもりですか?」

「ええ、もちろんです」

 この教授は、それを希望していた。

 今後も選考は続けなければならないだろう。

 元々数の少ない大鷲族で軍に志願できる者は現状この大鷲軍団の規模が限界だったが、平時においても事故は起こりうるし、戦時になればなおさら―――彼女としてはコボルト飛行兵の補充供給体制を考えねばならなかった。

 最初の選考に用いた方法の数々はかなりの試行錯誤であり、彼女自身の目から見ても妙なものばかりとなってしまっていた。

 今後のためには、まず自らも空を飛んでみたいと、ラインダースに願い出たのだ。既に周囲が止める間もなく、飛行用装備―――飛行服を着こんでもいた。

 大鷲軍団としては万が一の粗相や事故があってはいけないと、隊でいちばん飛行技量もあるラインダースが彼女を乗せて上がることにしたが。

 それにしてもたいした度胸だ、このお嬢さん、などと思っている。

「ああ、それと少将。どうか私のことは堅苦しく姓と教授ではなく、名でお呼び下さいと。そうお願いしたはずです。何事も彼らと同じようにしてみませんと。私も貴方のことは努めてラインダースとお呼びしますので」

「そうでしたな・・・」

 それは騎士道的精神をもったラインダースからすればかなり迷う行為だったが、当の教授自身の希望とあれば仕方がない。

 まるで人間族の伝説の騎士が忠誠を誓う仕草のように、片翼を折りたたみつつ頭を垂れ、告げた。

「これは失礼いたしました。空は素晴らしいところです、どうかお楽しみに。メルヘンナー」


 

 オルクセン西部リーベスヴィッセン州。

 グロワールとの国境州にあたる。

 この州を東西に流れる大河メテオーア川を挟みこむかたちで、オルクセン最大の工業都市ヴィッセンはあった。

 総住民数は一〇万を超える。つまり、州都並の大都市だ。

 同市及びその周辺を工業都市たらしめている企業体は三つ。

 上流域にあって屈指の埋蔵量を誇るヴィッセン炭鉱と、国内最大の馬車製造会社ヴェーガ社、そして下流域にある重工業企業ヴィッセル社―――あのオルクセン最大の鉄鋼業社にして兵器製造業者のヴィッセル社だ。

 このヴィッセル社、創業当初は造船会社だった。

 星欧大陸のほぼ中央に造船会社とは奇妙な―――などとも思えるが、内陸河川は星欧大陸において古くから主要な通商交通路である。

 こんにちでは鉄道の登場でややその価値を減じてはいたものの、船舶を使って往来すれば、陸上路よりはるかに多い人や物資を一度に運ぶことができる。

 例えば同市を流れるメテオーア川は、流水量一秒間あたり七〇立方リットルをこえる一級の大河であり、下流域で別河川へと合流、そのままグロワール国境を越え、更にはアルビニーを経て、海へ―――北星洋に到達する。上流へと目を向ければ、内陸運河であるアンターレス運河を経てミルヒシュトラーセ川へ繋がり、首都ヴィルトシュヴァインに通じていた。

 星暦八一一年、まだデュートネ戦争の真っ最中だったころ、棟梁一名、従業員たった二〇名だった当時のヴィッセル社は、たいへん大胆なものを造った。

 グスタフ王の依頼により、創業者であるドワーフ族の棟梁ヴィーリ・レギンが技術的もろ肌を脱いで、当時としてはまだたいへん珍しかった蒸気船を建造したのだ。

 キャメロットなどから情報を仕入れ、試行に錯誤、悪戦に苦闘を重ね、ヴィッセンの露鉱から試掘された石炭をもちい、わずか一八馬力の機関で動く小さな代物だったものの、この船は一応の成功を収めた。

 それまで帆と、運河などではオークの腕力や馬にひかせることで往来していた内陸河川用船舶にとって、自在に進むことも引くことも出来るということは、まるで「魔法」のようであった。

 このいわば試作一号船は、さっそく艀をひいて、デュートネ戦争における兵站物資の河川輸送に使われた。

 なにしろたった一隻のことで戦争の帰趨にはまるで寄与しなかったけれども、戦後の八一八年には、更に一回り以上大きくし、技術的にも幾らか進んだ蒸気船「オルクセンのウィリー号」を造り、国内での商業運航も始めた。

 この成功で大いにグスタフに気に入られたレギンとヴィッセル社は、また別の依頼を受けた。

 当時、多くの亡命ドワーフ鍛工たちに命じられてはいたものの、技術的にも経営的にも上手く進んでいなかった鉄鋼の製造に、ヴィッセル社も挑んでみないかと誘われたのだ。

 国からも予算を出すし、必要用地も下賜すれば、コボルト族を始めとする金融家などに公的社債の購入も促すという―――

 造船技術だけでなく、義侠心にも富み、彼自身としては鉄も打ち叩いていたレギンはこれに応じた。

 彼は蒸気船で培った技術をもちい、まず陸上に蒸気機関を据え、ドワーフ族を中心に六七名の従業員を雇い入れた。

 そしてレギン自身は、メテオーア川のほとりに水力を利用したまるで掘っ建て小屋のような「研究所」を建てて、小さな小さな炉に火を入れ、金床に槌も振るえば鞴も吹いて、この分野ではもう先行していたキャメロットの技術を取り込むところから全てを始めた。

 最終的な目標としたのは、ドワーフ族内ですら製造技術が失われかかっていた、モリム鋼の復活と、その大規模鋳造である。

 あの蒸気船を造ったときのように、いや、注ぎ込まれた技術と汗と涙と時間の量からすればそれ以上の、試行錯誤、困難辛苦、悪戦苦闘の始まりだった。

 

 八一九年、鋼鉄溶解工場完成

 八三〇年、完全なキャメロット式坩堝鋼の精錬に成功

 八三七年、冷間引抜工法による鋼鉄製マスケット銃身の製造に成功

 八四七年、最初の鋳鋼製火砲を鋳造

 オルクセン陸軍から三〇〇門の火砲発注

 八五一年、鋼製火砲及び巨大鋼塊を第一回ログレス万博に出展。金賞獲得

 八五三年、無継目鉄道車輪の生産に成功。特許取得

 八六四年、毎年一万本の鉄道用車軸と二万の車輪を製造開始

 鋼鉄製後装式火砲の製造開始

 八六六年、コークス炉完成

 モリム鋼の大規模鋳造に成功、モリム鋼製火砲の製造開始

 同技術は国家機密指定に


 ヴィッセル社の歴史は、オルクセン近代化の歴史そのものと言ってもいい。

 彼らの作り出した鉄、鋼、高性能鋼製鉄道部材及び車両材料、工業製品材料、そして兵器は、国内に供給されるのみならず、それそのものが輸出され、更には同社製原材料を用いて作り出された工業製品も海を越えるようになり、とくに近年は北星洋を挟んで対岸の新大陸―――南北センチュリースターや、遠く道洋の華国などに積極的に売り込まれ、人気を博していた。

 星暦八七六年現在の本社従業員数は、二万名を超えている。国内鉄鋼生産量のほぼ全ては、彼らが作り出していた。

 近年もっとも社を忙しくさせているのは、道洋輸出向けの火砲製造。

 そして国内向けの、刻印魔術式用金属板の製作である。

 創業事業である造船業も忘れておらず、河川用船舶や、ドラッヘクノッヘンその他の北海沿岸三か所にある大型造船所で、海洋向けの船舶造船にまで手を広げていた。

 社の利益をずいぶんと思い切って注ぎ込んでいる部署、研究部もある。

 彼らはまだまだ謎の多い、いにしえのドワーフ族の冶金技術を復活させようと、懸命だ。世にモリム鋼と呼ばれているものは、どうやら冶金学的には二種類以上あったことがわかりかけており、従来のものにニッケルを合成させた試作品を完成させようとしているところだ。

 創業時を思うなら、いまや巨大極まりない敷地及び建屋となった工場内は、毎日たいへんな喧噪に包まれている。

 それは工業的栄華とも呼ぶべき光景だった。

 大量のコークスを注ぎ込まれ、峻烈な熱量を起こす高炉。

 前星紀の怪物の卵かとも思わしき、銑鉄を鋼鉄へと精錬させる巨大極まる転換炉。

 偉大なる蒸気の力を用い、金属を鍛造する鉄槌。鍛錬された素材を健淬するための冷油槽。

 大口径砲身にさえ寸分たがわぬ旋削と削開を行う深穴加工機械―――

 ヴィーリ・レギンはといえば、そこは寿命を持たぬといってもいい魔種族の牡だったから、毎日隅々まで社内を見回りつつ、いまは煉瓦製となったものの大きさはさほど変わりのないあの「掘っ建て小屋」で、彼自身としてはまだ己が腕をふるった鍛工をしていた。

 そろそろ社を後代に引き継ぎ始めようと、会長職になって、彼からは何とも頼りなく見える息子のヴェスト・レギンを社長職に据え、こちらもまた叩き鍛えようとしている。

「父さん」

 八七六年八月末のその日、掘っ建て小屋へと飛び込んできたのは、立派な仕立てのフロックコートに身を包んだヴェストであった。ふだんはヴィッセル社正面にある、州政府の建物よりもまだ大きいと思われるような本社屋ばかりにいる。

「お、なんじゃ」

 振り向く父ヴィーリ・レギンはといえば、油汚れにまみれて年季の入ったつなぎに、分厚い牛革の防炎エプロン。

 鉄の具合が見えなくていけないと、色眼鏡などはつけていない。

 太い眉の下にある、意外なほどつぶらな瞳を細めることで鉄と向き合っている。

 手には槌を持ち、金床で叩いていたのは、勤労賞を授与する従業員のためにあつらえてやろうとしている鋼製テーブルセットの一そろいであった。彼自身のゴツいみかけに見合わず、たいへん精巧な花柄模様まで入れようとしていた。

 室内に本来あるべき暑熱は、冷却系の刻印魔術式金属板でかなり和らげられている。

 ちなみに彼ら種族としての特徴で背丈の低いずんぐりむっくりした体形の上、そろって赤茶色の長く濃い髭の親子なのでたいへんよく似ている。

「お前も叩きにきたのか?」

「いやいや・・・」

「お前な、鉄も叩けずに何がドワーフか! いつまでも澄ました顔に洒落た格好しとらんでさっさと―――」

「いいから、いいから! それどころじゃないって」

 息子ヴェストは発注書―――国軍参謀本部からのそれを差し出した。

「えー、なになに。鉄舟三〇〇艘・・・なんじゃ、この鉄舟とは?」

「工兵隊が使う架橋資材だそうです。長さ六メートルほど、いまの木製浮橋用舟を規格はそのままに鉄製に変えたものだとか」

「ほうほう・・・それにしても一挙に三〇〇隻は剛毅じゃな―――」

 そこまで話し、ふと気づく。

「・・・ヴェスト。この前は重砲と砲弾の発注があったばかりじゃな?」

「ええ。一二センチ榴弾砲を二四門、砲弾はひとそろいで一万二〇〇〇発」

「その前は、エアハルト造兵廠用の、小銃製作用冶具と旋盤、工員への技術指導者派遣の打診」

「ええ」

「そのまた前は、新大陸の連中が生み出したあの妙な銃火器と、刻印魔術式用の金属版」

「はい。金属版のほうには驚きましたね、四〇〇〇枚以上だもの。納入先は国有鉄道ってのも妙だ」

「・・・・・・・・製造のほうはどうなっとる?」

「うーん、そうですね・・・ 納期までに間に合うよう、工員を配置してあとふたつきは―――」

「馬鹿!」

 ヴィーリは怒鳴り散らした。

「輸出向けの工員を差し向けてでも、そっちを大急ぎでやれ! 納期よりも早く納めてやるんじゃ! ただし、やり損ねの品など作りおったら、ぶん殴るぞ! 検品の者も増やせ!」

「えええ、でも納期はまだまだ―――」

「馬鹿もん! お前にはわからんのか? これは・・・こいつは・・・こいつは・・・」

 発注が国軍参謀本部なら、陸軍省会計すら通っていまい。

 参謀本部お得意の、ごり押しの事後承諾だ。

 臨時軍事会計費で発注と一部支払いだけ済ませてしまい、翌年度の本予算編成で陸軍省をきりきり舞いさせ、財務省にも補填させる、まるで国家相手の詐欺師の如きやり方。

 だが問題はそこではない。

 そのような方法を取るにしても、発注量が多すぎた。

 レギンにはわかる。

 まるでデュートネ戦争のころの、国を挙げての形振り構わなさに似ていた。

 これは。

 ―――これは、戦備増産だ。

 そしていまオルクセンが戦備を急ぐような相手といえば―――

 ヴィーリ・レギンは生粋の技術者である。

 だが同時に、いわゆる愛国者でもあった。

 だからグスタフ王を敬しつつ、自らの希望としても国の要請に応じ、ヴィッセル社を大きくしてきた。

 彼の両親は、一二〇年前ドワーフの国がエルフィンドに攻め滅ぼされたとき、一族親類ごと亡くなっていた。


 

 メルトメア州リントヴルム岬。

 巨大な翼竜の上肢にも似たかたちをしたこの岬は、緯度的にいってオルクセン王国領の最北端にあたる。

 眼前に広がるべラファラス湾を挟んで対岸は、エルフィンド領のヴィンヤマル岬であって、直線距離にして約一四キロ。晴れた日には十分に、ヴィンヤマル先端にある、エルフ族たちの称するところの「大灯台」まで望見できた。

 べラファラス湾はベレリアンド半島の東岸付け根にあたり、東西約二三キロ。南北に約二五キロ。

 ほぼ真円形をしており、そのかたちのあまりの不自然さから、どうもここもまた創世のころに星の欠片が落ちた場所なのではないかと学者たちは言う。

 この湾の最奥やや北側辺にあるのが、エルフィンド最大の商業港にして軍港、ファルマリア。そしてそのファルマリア港の南側にある巨大な河口が、あの大河シルヴァン川の東端だ。

 べラファラス湾南岸は紛れもないオルクセン領だったが、このように複雑極まりない情勢下にあるため、リントヴルム岬周辺の漁師たちも、同湾にはあまり立ち入らない。

 鰯や、鰊や、鱈などの豊富な漁場たり得ることは彼らにもわかっていたが、しばしばエルフィンドの軍艦が出入りし剣呑で、魚介資源豊富極まりない北海全体から見れば、そこでなければ駄目というものでもなかったためだ。オルクセンの漁師たちは主にリントヴルム岬より南側で漁をしていた。

 そんなリントヴルム岬に、オルクセン首都ヴィルトシュヴァイン大学海洋生物学科に所属するという、オットー・リーデンブロックなる教授と、その甥で助手という触れ込みのアクセル・リーデンブロックなるオーク族の二頭がやってきたのは、八月下旬のことである。

 この地域にもしばしば回遊してくる、鯨類や海豚類、鯱類の研究をしているのだと、最寄りの漁村の者たちは聞いた。

 彼らが最初に宿舎とした、村でたった一軒の酒場兼宿屋の女将さんがそう耳にしたのである。なにしろ、田舎のことだから噂は広まりやすい。

 当初は様子を伺うように「都会者」の彼らを遠巻きにしていた村の者たちだが、酒場で遭遇してみると実に気さくであり、麦酒やワインなどを気前よく奢ってくれ、他愛もない漁の話題などにも耳を傾けてくれるとわかると、徐々に打ち解けていった。

 やがて首都から、幾つかの荷が届いた。

 油紙に包まれた干し肉、樽につめられたワイン、缶詰、ロープや、測量士の使うような計測器具、双眼鏡、ランプ、コーヒーポット、鍋、生活用品などが丁寧に幾つかの木箱に梱包されたものであった。

 教授と甥は宿屋の女将さんにたっぷりと礼金をはずみ、部屋をもう一つ借り、荷を一時預かって貰った。

 そうして村の大工を訪れ、国の許可は得てあるのだと書類なども見せ、また報酬は前払いとし、岬の上に小さな小屋を建ててくれるように頼んだ。

「あんなに風の強いところにかい?」

「うむ。だから私たちが泊まり込めればそれでいいのだ。低く、小さな小屋でいい。あそこは鯨類の回遊を観測するのに最適なのだよ」

「なるほどねぇ。では、ひとつやっつけましょう」

 既に彼らに何度か酒を馳走になったことのあった棟梁は恩返しの意味もあり、職人魂もまた刺激されたのか、基礎周囲にこの辺りでとれる岩塊を積み上げて頑丈なものとし、防水防風のために板材の表面には焼き入れをして、丈夫な柱を入れ、小ぶりだが竈もある、そんな配慮に満ちた小屋を岬の先端付近に建ててやった。

 小屋が完成すると、教授と甥は馬丁を雇って荷を運び入れ、泊り込むようになった。

 その様子を目撃した者によれば、測量機を使って熱心に海の方角を測ったり、風向計を立て風向きと風量を記録し、また双眼鏡を日がな一日構え、彼らのいうところの鯨類の研究を行っているという。

 数日に一度、甥のアクセルのほうが村に降りてきた。

 飲食料の買い出しと、首都の海洋生物学科に打つための電報のためだといい、逓信省郵便局を訪れた。ちかごろは文明と科学がこのような場所にまで訪れ、海難事故に備えるためもあり、電信設備が村の郵便局にもあったのだ。

 彼らの放つ電信は簡素であった。研究のためのものらしい。

「ナガス二、スナメリ三、シャチ六、湾内にあり」

「スナメリ一、湾外へ出る」

「スナメリ、戻る」

 ほう、こんなに鯨やシャチが来るのですか、それは知らなかったと、純朴な郵便局員など驚いたものであった。

 やがて、彼ら宛の局預かり電信も、稀にだが届くようになった。

「母、やや症状重し」

「母、症状重し」

「病状、変化なし」

 どうも教授と甥の親族に、闘病中の者がいるようである。

「たいへんですね・・・」

 すっかり彼らと打ち解けていた若い郵便局員など、しんみりと心配してやったものだ。

「うん。何とか戻ってやりたいんだけど。大学の研究予定もあって。まあ、でもそれほど重い病気というわけでもなくてね。ありがとう」

 アクセルは頷き、礼を述べた。

 やがて村民たちとすっかり仲もよくなった彼らは、謝礼も弾み、漁船を雇うこともあった。

 最初はリントヴルム岬の辺りを、それを何度か試すと次には無理を頼むという態でべラファラス湾側にまで行き、決してエルフィンド領側には踏み込まなかったものの、その周囲で舟から測鉛レッドを垂れ、水深を測った。

 これも、鯨類の回遊路を調べるためだという。その記録もまた電報となって、首都大学へと送られた。

 この日の夜―――

「幾ら夜目が効くといっても、流石に夜は監視しきれんなぁ。霧や霞のある日も無理だ。視程は良くて二キロほどまで下がってしまう日も多い。完璧とは言い切れんぞ、これは。増援にコボルト族でも派遣してもらうか」

 小屋の中で、教授と呼ばれるオークは愚痴を漏らした。

「止むを得ません。これだけでもうちとしては大助かりです」

 昼間海風に晒された体を温めるためにウイスキーを幾らか垂らした熱いコーヒーを差し出しながら、甥だとされているオークは慰める。

「それに・・・ 以前からわかってはいましたが、エルフィンドの艦艇は想像以上に不活発だ。予算があまり無いというのは本当のようです。あれでは航海技量も砲戦技量も、決して褒められたものではないでしょう」

「やはりあれだな、海軍さんはどっしりと紳士的に構えているな。ええ?」

「からかわんでください、陸軍さんには負けますよ」

「褒め言葉として受け取っておくよ。つらい任務だが、母の病状は重いまま―――エルフィンドとの外交情勢は悪化のままか。続けるしかあるまい」

「終わりの見えん任務というのは、つらいものですな・・・」

 純朴な村民たちは知らなかった。

 ヴィルトシュヴァイン大学に海洋生物科など存在しないことを。

 そして同科宛とされた電報は、国軍参謀本部兵要地誌局へと転送されていたことを。

 また、彼らが送る電報に記載された鯨類のなかには、そもそもこの海域に回遊などしない種まで含まれていたことを。

 何よりも、教授と呼ばれる者の正体は陸軍測地測量部の少佐で、若い甥は海軍省勤務の海軍大尉だったことを。

 彼らが監視していたのは、鯨類などではない。

 エルフィンド海軍艦艇の出入港だった。



(続)

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