第20話

(20)


 比嘉鉄夫は面前を勢いよく去ってゆく若者を見てもそれほど驚かなかった。むしろ自分には余裕が有ったからだ。


 その余裕とは何か?


 比嘉鉄夫は若者が面前を過ぎ去った時、追いかける素振りをした。それはあくまでも素振りなのだ。そしてそれは素振りだけ良いのだ。

 何故なら、若者には自分が仕掛けた罠が見破られては困るからだ。

 そう、相手の挑発に対して激高こそしたが、だがそれは百パーセント十言うほどのものじゃない。

 勿論、激高は本気だ。何故なら自分にとって大事な存在ともいえる『彼女』を侮辱とまでは言わないが、知り尽くすているような素振りで挑発したことは、彼女の名誉を損なわすことだし、それはつまり、自分を卑下した態度だからだ。

 そう、だから半分は本気で激高したが、しかし半分は冷静だ。

 何故ならそうでもしなければ魔術師なぞを相手に勝てる筈もなく、まぁ自分にとっての勝利とは自分と彼女とのこれからの『新世界』を邪魔する存在だからこそ、排除しなければならないのだ。

 手強いのは魔術師の『松本』という三十代の男らしいが、面前に現れたのは若い奴。まぁ、つまり見習い程度の身の程なのだろう。

 だが、それでいいのだ。

 大物魔術師を倒す為に用意したものでまずは小物を処理するのだ。

 その為の謂わば半分演技みたいなそぶりで、あの若い奴は十分はまってくれた。

 比嘉鉄夫は嗤う。

 逃げた若い奴は分かるまい。

 もし、この街一帯が現実ではなく精緻な『魔界』だとしたら、どうなるのか。

 魔界を作り出せる工作、それが魔界ジオラマの成せる業だとしたらどう思うか。

 それも俺の支配下に置かれているのだ。

 お前がどこに行こうが、隠れようが、既にこの中津界隈は全て『魔界』と化している。


 ――古代スパルタの戦士もローマの剣闘士も、

 また戦国時代の侍も

 戦場で勝利する者はひとえに誰よりも戦場の熱気に触れても、かつ心の中に『冷静』を保ち得る者だけだ。


 デアルカ、

 なら、俺こそそうじゃないか?

 若造。


 比嘉鉄夫は乱れて垂れた髪を手で整えると、投げ出されたサンダルを手に掴み、履いた。

 履くと不意に声がした。

「おい、君」

 見ればビルを管理する警備員だった。訝し気に比嘉を見て言った。

「…君?何かさっきから変なことしてないか?ちょっと…来てくれないか?」

 言うや比嘉鉄夫の肩に手を触れようとした。


 ちょぃやあぁああああああああ!!


 いきなり奇声を比嘉が挙げた。上げるや空間に亀裂が入り、黄金色が噴出して、敬意尾員に向かって塊が命中した。

 瞬間!

 ゴリッ!!

 鈍い音がした。

 惑星落下(メティオ・ストライク)が発動して、警備員を撃ったのだ。

 声無く警備員が倒れる。

 突如現れた岩石は、警備員の頭を直撃し、悶絶させて地面に倒した。

「邪魔が!!」

 比嘉が声を荒げると、不思議だが警備員が徐々に人間の姿から、ゃがて白くなりそしてプラスチックの塊になるとピキッとする破裂音を出して、粒状になり、やがてコンクリートに広がり跡形もなくなった。

 それを見て比嘉が言う。

「なぁんだ、魔界の人型かぁ、驚かすな。もしマジ人間だったら、ほんまにやばいとこだった」

 やはり、

 と比嘉は思った。

 少し冷静さがコントロールできない程、いかれちまった気分だぜ。

 唾を吐いた。もうそこには警備員はいない。

 比嘉は手の甲で唾を拭く。

 自然と眼が黄金色と深紅に爛爛と輝く。

(…やはり『彼女』の事に対するあいつの発言が俺をコントロールさせなくなっちまってるな)

 そう心の中で思い浮かべると、比嘉はスマホをズボンから取り出す。取り出すと外面左端にある渦巻き状のアプリを起動させた。

 それから画面を見る。

「5Gになってより鮮明になったぜ」

 そこに広がるのは『地図』

 つまり、

「魔界地図ってやつがよ」

 独り言のように呟く。

 これでその若造が今どこにいるのか、はっきりわかる。

 比嘉はにやりとほくそ笑んだ。


 ――お前がどこに行こうと、俺には分かる。

 この中津界隈はすでに俺の魔界となっているからよ。

 

 アプリの中で何かが動くのが分かった。


(見つけたぜ…)

 注意深く見れば、阪急の高架した沿いを走っている。あの付近は人通りも少ない。

 そこへ俺をおびき寄せようとしているに違いない。

 思うと比嘉はスマホを取り出したポケットから何を取り出した。それは白い形をしたプラスチックの物体だった。まるで小さな蜥蜴のようなものだ。それをぽいと投げる。すると今度はそれが徐々に白色から段々と人間の姿形になってゆく。

 それは先程の警備員とは逆の運動で。

 そして最後にゆっくりと比嘉と同じ背丈格好になって面前に立った。

 何という事か、そこにもう一人の比嘉鉄夫が現れた。

「大上出来だ。流石人型プラモデルだな。もともと技術者だった俺にはまぁ簡単すぎるぐらいのものだったが」

 まったく同じ背丈で、同じ人間がそこにいた。

 本物と偽物の比嘉鉄夫が対峙している。

 だが偽物はどこか魂が無いただの存在に見えた。

「おい、偽もん」

 本物の比嘉が言う。

 それに応えて首を偽物が縦に振る。

「あいつを追いかけな!!今すぐだ。俺はゆっくり行く」

 その言葉を聞くや、命令を受けた兵士のように、偽物が走り出す。

 その走り出した姿を見て、比嘉を再び笑った。

 まる絶対的勝利を掴んだ将軍の様に。

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