残金 2,900,170円
「「イェーイ!!」」
ホームレスさんに誘われてやってきましたアメリカ合衆国。
ロサンゼルスの空港でUSAの縁取りのサングラスを買い、車で約一時間。砂漠にドデンとあるラスベガス。
青い空のもと、安っぽい色で塗りわけられたカジノの看板前で荒ぶる鷹のポーズをキめ、パシャリと記念写真を一枚撮ってもらう。
「どうよ、うまく撮れたかい?」
「バッチリ映えって感じだ。さすが借金取りさん」
僕とホームレスさんは借金取りさんの端末を覗きこみ、その写りを確認して手を叩いた。
「褒めても減額はしないぞ」
実はこのゴリラ婿回避旅行は借金取りさん同伴である。「あれだけ大口を叩いて、ラスベガス」と悪態をつきつつも、アロハシャツを着て海外旅行に内心ワクワクしているのが丸わかりだ。
とはいえ、「百億稼いだあとにトンズラこかれても困る」と言っていたので仕事をする気はあるのだろう。何が何でも僕をゴリラに嫁がせるつもりでは? 旅行中くらい仕事を忘れればいいものを、根が真面目なんだから。
「そろそろ行こうぜ。武者震いが止まらん」
ホームレスさんが歴戦の落武者の横顔で、カジノに乗りこむ。僕もその背を追って、誘惑の甘いかおり漂うカジノに足を踏み入れた。
まずは窓口だ。泣く泣く二百八十九人の諭吉を両替機に吸わせ、ベンジャミン・フランクリンを経てカジノチップに変換する。しばしの別れだ諭吉。バックヤードで増殖して待っていて欲しい。必ず迎えにくる。
ホームレスさんはスロット台に向かったけれど、僕はポーカーの台へ。
「ダハハハハハハ! もっとチップ持ってこい!」
ポーカーは乱暴に言うとトランプの麻雀。手札である五枚のカードの組み合わせが、作りにくいものであるほど強い役になるメジャーなカードゲームだ。
ゲームを重ねれば重ねるだけ、イカサマする僕のそばに極彩色のチップが積み上がっていく。
僕がしているイカサマは、イカサマと言っても別に手札を袖に隠したり相手の札を盗み見るなんて手品じみたものではない。
自分に渡った札と場に出された札から勝率を弾き出し、勝てそうならベット、そこまででもなければあまり賭けない、堅実な手の繰り返し。
勝ちを重ね、高レートのテーブルへとチップの養殖場を移し、十ドルのチップが百ドル、千ドル、と置きかわっていき、手持ちがとうとう一千万ドル——日本円に換算しておよそ十億円になる。
今、手元にはスペードの五から九のストレートフラッシュ。すでに出ているカードを合わせて考えると、僕が負ける確率は0.00000513パーセント! ほぼ勝ちである!
——今が賭けるべきとき。
「
僕は手元のコインをすべて前におしやった。ディーラーは眉を跳ね上げ、同じ卓についている客も見ている客も目を見開く。
そりゃあそうだろう、僕の全てをかけているんだから。
ここで勝てば百億の諭吉に手が届く。手札のオープンが待ち遠しい。
自信満々の僕に恐れをなして自主的に降参していく雑魚を見送り、僕が賭けた膨大な山チップに目が眩んだ者たちが残りのラウンドを終えるのを今かいまかと待つ。
無駄な努力に頭が下がる。どうせ勝てないのだから諭吉を置いていけばいいものを。
「ショーダウンです」
ようやくベットの声が止まり、ディーラーがゲームの終了を宣言した。
プレイヤーが一人一人、口々にポーカーの役を述べながら手札を晒していく。
「ツーペア」
「フルハウス」
「フォーカード」
ショボいカードばかり、と言ってやるのは可哀想だろう。フォーカードは僕がいなければ勝てたのだから。
諦めをまぶした注目が僕の手元に突きささる。
「ストレートフラッシュ」
決まった……! 我ながら会心のドヤ顔をしている自信がある。
鼻息が荒くなってしまうな。
そんな僕を、いや、テーブルに広げられた僕の手札を、ディーラーが神妙な顔つきで見ていた。
「お客さま。その、それ、ストレートでございます」
「なんだってええええ!? 嘘お!? ええええっ、僕のチップ!」
ディーラーのみじかく整えられた爪に弾かれて、ひょっこりとクラブの六が飛び出す。コイツはなに食わぬ顔でスペードのフリをしていたのだ。
とうことは僕の手札は数字が並んだだけのストレート。これはフォーカード、どころかフルハウスより弱い役である。
——つまり、僕の負け。
積み上げに積み上げた諭吉への積立金が、となりでフォーカードを出したデブに掻っさらわれてしまう。
ジーンズとTシャツの隙間から腹の肉をはみ出させた金髪のデブが、思わず立ち上がった僕を見て「ハッ」と鼻で笑った。
「残念だったなァ。ここは深追いするような素人が来るようなところじゃない。さっさとアジアに帰りなフィッシュボーイ? バーガーの匂いがつきそうで辟易していたんだ」
「どう見てもお前の方がハンバーガーだろうが! ご丁寧に顔にセサミ散らしやがって極めつけに髪はポテトか? 油きってから出直してこいよ!」
「お客さま、落ち着いてくださいませ! 賭け金のないお客さま!」
どうどう、と気焔をあげる僕を宥めようとするディーラーの後ろでニヤニヤとこちらを眺めるデブ。弓なりの目で、僕が稼いだチップを舐めさえした。
殺す! このデブを殴る! 札束でな!
「誰か札束をここに! このハッピーセット野郎の顔をベンジャミン柄にする! 二百万でいいから貸してください!」
「どうかお気持ちだけで! なにとぞお帰りくださいませ!」
「くっそおおおおお!」
一瞬でチップを失った僕に与えられるのは冷ややかな笑い声のみ。
喚く僕は壁に控えていた黒づくめの男にひきずられ、ペイと外のゴミ捨て場へと放り出されてしまった。
なんてこった、バックヤードに諭吉を置き去りにしてしまった。僕は怒りに燃えていた。けれど再入場はできそうにない。出入り口にはグラサン用心棒が仁王立ちしている。この調子だと他のカジノにも情報がリークされていそうだ。
くそ、どうにか中に入れれば床に落ちているチップを拾ってまた一からチップを増殖させられるのに。ゆくゆくは億という諭吉に再会できるのに。
「ゆきち……」
カン、カララン、と道ばたを空かんが転がっていく。
アメリカなんて一歩奥に路地を移せばゴミ溜めだ。流石の僕もここまで長い時間諭吉と離れ離れになるのは子どものころ以来で、なんとも心細い。僕までゴミになった気分だ。
火事さえなければ僕は今ごろ諭吉に埋もれていたのに。こんなハエのたかるゴミ袋のクッションにではなく。
いよいよ着飾ったゴリラに貞操を狙われるのかもしれない。
満ち潮のようにやってくる悲壮感に溺れかけたところに、長い影が差しこんだ。
「なんであんたがアメリカにいるのよ——じゃない、いるんだ」
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