第632話:揚水機構(1)

『どうなってるんだ? アンタの嫁さんは鉄の申し子か?』


 鉄工ギルドの工房長をしてこう言わしめたリトリィは、今やすっかり自慢の毛並みもすっかり焦げだらけだ。


 鋼管の量産にかかりっきりになったリトリィは、日に日にその美しい毛並みを傷めていった。ベッドで過ごす夜ごとに、どんどん増えていく焦げ跡などの傷み具合を見るにつけ、その過酷な労働ぶりを痛感させられる。


 手荒れもひどい。だから近頃の夜は、家事が終わったあと、暖炉の前で、ゆっくりとオライブの油を手に擦り込んでやりながら、その貢献をねぎらうのが日課となっている。


 今日だって、チビたちがクッションを抱えて、子猫のように三人で丸まって眠る寝息を聞きながら、二人、ソファーにゆったりと身を預けるようにして手に油を擦り込んでいる。リトリィ自身が望んだとはいえ、過酷な仕事に身を投じる彼女のために。


 ……の、はずなのだが、本人は至って楽しげだ。


『あそこまで同じようなものを揃えて作るような奴なんざ、初めて見たぞ。かのジルンディール師の弟子だってことを踏まえてもだ』


 どうもリトリィは、その繊細な感覚によって、手作りにしては恐ろしく正確な鋼管を量産しているらしい。工房長も、その鋼管の出来栄えには舌を巻いていた。


「だって、あなたのためですから。わたし、どれだけだってがんばれます」

「それはうれしいが、そのせいで手も、毛並みも……」

「手はいずれ治りますし、毛がひどくいたんだつぎの季節は、生えかわりのときになんだかふさふさになるんです。とくにしっぽなどは。ひさしぶりのことですから、今度の冬毛は、去年よりも長くなるかもしれませんね」


 そう言って、ずいぶんと不揃いになった毛並みを全く気にする様子がない。


「あ、でもそうすると、抜け毛の始末がたいへんになりますね。そのときは、ごめんなさい」


 なんの! さらにもふもふな冬を堪能できるならむしろウェルカム! 君のもふもふぶりをたっぷり堪能できるなら、俺は間違いなく幸せ者だ!


「ふふ、わたしだって、毎日大好きな鉄をたたくことができて、こうして毎晩、あなたにいたわってもらえます。ベッドでも、いっぱいかわいがっていただけます。わたしは冬まで待たなくても、いま、とってもしあわせですよ?」


 そう言ってしっぽを絡めてきたリトリィは、とろんとした目でキスをねだってきた。手に油を擦り込みながら、その求めに応えて、長い長い口づけを交わす。


 マイセルもフェルミも、既に二階の寝室に上がっている。チビたちも寝ている今、この家で起きているのは、おそらく俺たち二人だけだ。


 こうしていると、まだマイセルと出会う前、リトリィと二人きりでこの街に出てきたころを思い出す。彼女と初めて結ばれた夜、そしてそれからタガが外れたように愛し合うようなった、あの頃。


 それは、彼女も同じらしかった。月の光は、直接はここまで届かない。ただ、彼女の瞳が、窓からの月の明かりを受けてしっとりと濡れ輝いている。

 そっと、彼女が耳に口を寄せた。

 かすれる小さな声で、けれどはっきり、ほしいです、と、熱い吐息交じりの言葉。


 ここでか? そんな俺の無粋な──我ながら意地の悪い問いに、彼女は頬を膨らませ、けれどスカートをたくし上げて俺の膝の上に乗ってきたのだった。




♥・―――――・♥・―――――・♥


リンク先…【閑話25:離さない】

※性的な描写あり。楽しめるという方のみ、お進みください。

※読まなくても支障はありません。

https://kakuyomu.jp/works/16817139556498712352/episodes/16817330651662361738


♥・―――――・♥・―――――・♥




 月も中天に差し掛かり、乱れていた互いの吐息も整ってきたころだった。

 リトリィが、そっと胸に頭をのせるようにして、つぶやいた。


「わたし、しあわせです」

「しあわせ……か。どうしてそう思うんだ?」


 その頭をなでながら聞くと、リトリィはそっと首を動かし、俺を見上げた。


「ナリクァンさまからうかがったことがあるんです。いつまでも鉄を叩いているばかりでは、よい相手にはであえませんよって……」


 ……リトリィびいきのあの夫人なら、言いそうなことだ。

 リトリィの幸せを考えたとき、彼女が子供を産める年齢限界を考えたとき──できるだけ早く嫁がせたかったんだろう。大工を目指すマイセルの時にも感じたが、この世界はまだまだ、働く女性の地位が高くないらしい。


「でもね……?」


 俺の胸に顔をこすりつけるようにしながら、彼女は微笑んだ。


「あなたは、ちがったんです。鉄を打つわたしを、鉄のにおいがしみついていたはずのわたしを、あなたは受け入れてくださった……おなじ机で、おなじお食事を、望んでくださったんです」

「それは……」


 正直、出会ったあのころ、鉄臭いなんて思ってもみなかった。

 そんなことより、衝撃の連続だったんだ。

 ……記憶には無いけれど、この世界に落っこちてきてジルンディール親方に拾われてから二日間、ずっと彼女に抱かれるようにして眠っていたから、その間に鼻が慣れてしまっただけなのかもしれないけれど。


「ナリクァンさまもわたしにあきらめさせようとした鉄の道を、あなたはこうして受け入れてくださって、そして愛してくださいます。わたしは、国いちばんのしあわせものですよ」

「……そう言ってもらえると、うれしいな」

「うれしいのは、わたしのほうです。あなたと出会えて、ほんとうに、よかった」


 そういって、頬をぺろりとなめてくる。鼻面を押し付け、俺の耳のうしろのにおいをかぎ、幸せそうなため息をついて、そして、また体を絡めてくる。


「……リトリィ?」

「わたし、しあわせです。あなたにたくさんの愛をいただいて、しあわせになれたんです。だから、あなたにもしあわせになってほしいんです」

「俺も、幸せに? 俺だって、もう十分に幸せだぞ?」

「ううん……わたしが、しあわせにしたいんです」


 そう言うと、再び俺の上にまたがった。


「あなたのつややかな黒髪……いつもどこか遠くを見つめるような、さとい黒の瞳……あなたの血を継ぐ、男の子を産みたいんです」


 どうか、わたしに産ませてください──そう言って、彼女は悦びの声を漏らさぬように歯を食いしばりながら、再び俺を迎え入れた。




「それで、監督。これは、なんですか?」

「風車だ」

「それは見れば分かるっす。でもこんな華奢きゃしゃな風車、本当に役に立つんすか?」

「大丈夫だ。逆にレルフェン、役に立たないものを、俺がわざわざ作ると思うか?」

「監督、粉ひきでも始めるんですか? この大きな鉄の器は、引いた粉を入れておくとか……?」

「粉ひき……なるほど、悪くないな。だがエイホル、今回は違う」


 ヒヨッコたちが首をかしげるのは、揚水ようすいポンプ用の風車。

 今日、鉄工ギルドの工房から届いたのだ。風車の羽と支柱一式、そして──


「……なんか、見たことない形の……揚水ようすい機っすか? 二台もあるんすけど……」

「ああそうだ。よく分かったな」


 うちの家の庭にある井戸にはポンプが付いていなくて、いつも桶を投げ込んで水を汲んでいた。非常に綺麗な水が汲めるのはありがたいんだが、これがまた重労働だったんだ。


 今回、ナリクァン夫人という極めて強力な後ろ盾を得たことで、ポンプをちゅうてつ工房に発注。ただし、大気圧を利用したこのポンプは、理論上、一気圧分しか汲み上げることができない。地球なら十メートルだが、実際には七、八メートルほどが限界だと言われていたはず。


 一方、うちの井戸の深さはだいたい五~六メートルほどだろうか。この程度の深さで飲める水が汲み出せるのは非常にありがたいのだが、おそらくそのままだと、入浴小屋の屋根までは水が汲み出せないだろう。


「……ああ! だから、揚水ようすい機が二台……! 汲み上げた水を、もう一台の揚水ようすい機で汲み上げるんですね!」

「さすがはバーザルトだ。気づいたようだな」


 一台で屋根の上まで吸い上げることができないなら、二台にすればいい、という発想だ。

 だから一度、地上まで汲み上げてタンクに水を溜め、そのタンクからさらに屋根の上まで吸い上げるポンプによって、屋根の上のタンクに水を溜めるという仕組みだ。


 地上ポンプで汲み上げた水は、一度タンクに溜める。その際、木炭を利用した濾過装置を通すことでさらに綺麗にする。綺麗にした水はそのままでも活用できるが、そのタンクからそこからさらに屋根の上に汲み上げるポンプが水を吸い上げ、入浴小屋の屋根の上のタンクに水を溜める。


 屋根の上のタンクに水がたまると、そこから直結されている「太陽熱温水器」のパイプに水が通ることで、水はやがて温められて循環し、タンク内の水が湯になる、というわけだ。


 タンク内には浮きフロートを利用したセンサーを入れておき、満タンになったら自動的に給水を止めるような仕組みにして、逆に水位が一定以下になったらまた給水を始めるようにすれば、常にタンクから水が流れ込んで水しか使えない、などという事態を回避することもできる。


「……監督、頭の中、どうなってるんすか? 監督、狂気の申し子っすか?」


 どういう意味だレルフェン!



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