第633話:揚水機構(2)
「それにしても、なんか見たことのない型だな。これはどういう構造なんだ?」
毛長牛が引っ張ってきた荷車にある様々なものを指差しながら、ハマーが興味深げに聞いてくる。
「なあに、お兄ちゃん。知らないの?」
「ばっ……知らないわけないだろ! これが井戸の
妹のマイセルに問われて、ハマーは顔を真っ赤にした。
「──ただ、こんな型の
ハマーの言いたいことも分かる。よくあるような、手押し式の長い棒状のハンドルがなく、代わりに歯車と棒が組み合わさった、自動車のエンジンの内部のようなものがくっついているのだから。
「単純なピストン・クランク機構だよ」
「ぴすとん……?」
ハマーもマイセルも、首をかしげてみせた。
自動車のエンジンの中身と、構造はほぼ一緒だ。違うのは、爆発によってピストンを動かすのではなく、風車による回転力を使って歯車を回し、歯車が連接棒を動かすことでピストンが動く、という、エンジンの逆の動きをするということだけ。
ピストンの直線往復運動が回転運動に変換されるのがエンジン、風車の回転運動をピストンの直線往復運動に変換しているのが、今回のポンプに取り付けられた「ピストン・クランク機構」だ。
風車の回転の力が歯車とシャフトによって伝達され、ピストンが往復するたびに負圧が発生して、水を吸い上げ続ける──ただの手押しポンプに、風車が回り続ける限り延々と水を汲み出すようにした仕組みだ。
山で作った手押しポンプを無理矢理動かすものではなく、あらかじめ汲み出し機構と一体化させただけのものだ。
「だんなさまが、山の家で作ったものとは違うのですか?」
いっしょに荷車から鋼管やら何やらを下ろしていたリトリィも、不思議そうな顔をする。
「山でも似たようなものを作ったけど、あの時はあまりじっくり考えることができていなかったし、歯車も作れなかったからな。単純化した機構でしか作れなかったんだ。でもこの街にきてからじっくりと思い出すことができたし、なにより上質な歯車職人がいる。山の時よりいいものが作れるぞ」
そう。山で作った揚水用の風車では実現できなかった、傘歯車。でもこの街には、歯車職人がいる。
直角に歯車を噛ませる方法のほうが簡単だけれど、ここは街の中。ガリガリと音の大きい仕組みよりも、耐久性が高く、かつ騒音の少ない仕組みが使えるなら、それに越したことはない。
それにしても、
風車のブレードも、鉄工ギルドの職人に作ってもらった。鋼鉄製のブレードは、リトリィによって施されたマットブラックの
「親父殿にもフラフィーにも、仕事はすべて自分でやるもんだってぶん殴られたけど、こうやって得意を活かして分業すれば、一人ではなかなかできないことも、より効率よく、より早く、より優れた完成度で達成できるんだってこと、伝えたかったな」
「……いまなら、きっとそんなことはないですよ。だって、だんなさまはたくさん、おしごとをなさいましたから」
リトリィが微笑むと、それまで黙って様子を見守っていたマレットさんも、大きくうなずいてみせた。
「刀鍛冶と俺たち大工では仕事の範囲も量も、そもそも全然違うからな。関わる人数も違うし、仕事の期間も違う。だから考え方も違って当然だ。仕方ねえ」
そう言うと、マレットさんはポンプを興味深げに触っているエイホルたちに向かって怒鳴った。
「さあヒヨッコども! いつまで遊んでるんだ。日が高くなる前に始めるぞ!」
慌てて背筋を伸ばしてマレットさんの方を向いた弟子たちを見て、彼は満足気に笑った。
「いいかお前ら。今日は大いに学ぶ日だ。今日の経験を、よく頭に叩き込め。今回の仕事を、いずれ一人前になった時に一生の糧にできるように、気合いを入れてかかれよ!」
ヒヨッコたちが一斉に「はい!」と返事をするのを見て、中学時代を思い出した。
『技術家庭科こそ「総合的な学習の時間」だ! お前らが一人で生きていくことになったときに一番「やっててよかった何たらゼミ」以上の価値がある教科だから、気合い入れろ!』
中学時代の技術家庭科の
今から思えば、あの先生から技術科を学んだことが、俺の進路を決定づけたのかもしれない。もともと工作好きだった俺に、「学問としての技術」を教えてくれた、もうひとりのおふくろのようなひとだった。
女性が技術職に就くことに違和感を覚えないのも、
だとしたら、大げさかもしれないが、十年後しにリトリィとの縁を取り持ってくれたひとだとも言えるのではないだろうか。ひとの縁というのは、本当にどう繋がってくるか分からないものだ。
「さあ、お前ら。まずは風車塔を建てるぞ。ジンメルマンの弟子として、嵐でもびくともしねえものをな!」
「はい!」
小気味よい返事だ。これまで、入浴小屋や渡り廊下を組み立ててきた彼らだ、今日の作業もきっと頑張ってくれるだろう。
俺もとりあえずできることとして、モルタルを練るところから始めよう。
いつもと違って、今日はヒヨッコたちに加えて、マレットさんの部下が何人か来てくれている。世襲
「風車の基礎を打ったのはどいつだ!」
「はい、自分です!」
「そうか、バーザルト、お前か……」
ツェーダ爺さんが、帽子のつばを少し持ち上げ、バーザルトの顔を見上げる。
「……まったく、つまらん。お前でなけりゃ、褒めてやったところだ」
「ありがとうございます!」
つまりはきちんとできていたことを誉めてやろうとしたけれど、担当者が、ヒヨッコの中でも優秀なバーザルトだったものだから、素直に褒めたくなくなったのだろう。
バーザルトに同情すると、目が合った彼は、苦笑いをした。けれど、それはツェーダ爺さんという人物のことをよく分かっている、といった反応だった。
「よし、ワイヤーを張れ! ──エイホル、もっとしっかり腰入れて張らねえか!」
ヒヨッコたちが、ベテラン大工たちにどやされながら、それでも楽し気に作業を進めていく。早朝から始まった作業はスムーズに進み、昼食前には風車塔が組み上がっていた。
「それにしても、なんだか意外にあっさりとここまで来ましたね」
「当たり前よ、婿殿。ジンメルマン組を侮ってもらっちゃ困る」
マレットさんが上機嫌で麦酒をあおる。
「これでも一応、世襲を仰せつかっている
「……でも、なんで
ハマーが、パンをかじりながら風車塔を見上げる。
疑問はもっともだ。本来なら、こんな見張り台なんて不要なのだ。
だが、これには深い理由がある。
昨年、俺が『幸せの鐘塔』のコンペティションで落とされたとき、仕方なく集合住宅の仕事を受注したときだった。
あのとき、少しでも日光を住人が利用できるようにベランダを取り付けることを提案した時に、いろいろと法律を勉強したんだ。
その時に知ったのが、「
そしてこのとき、ベランダも「
「……だから見張り台を付けたのか! そりゃ痛快だ!」
「お父さん、気づいてなかったの?」
マイセルがあきれたように言うと、マレットさんは大声で笑った。
「このお人好しの婿殿が、裏でそこまで考えてるなんて思わなかったからな!」
そういう言われ方をすると、なんだか汚い仕事をしてるみたいで胸にグサッとくるよ、マレットさん。
「なに、家族を守るために、アンタもそれだけ知恵を働かせるようになったって言ってるだけだ」
マレットさんは、実に愉快そうに笑い続けた。
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