第634話:事前の準備
早めの食事を済ませた後は、正午に略式の
で、その後の午後からの作業は、緊張の連続だった。なにせ、大重量の鉄製のタンクを据え付ける作業に移ったのだから。
家の建材と違って、物自体はすでに加工が終わっているから、事前の準備はもうできていると言っていい。あとは現場でうまくかみ合ないパーツとパーツを、削るなり何かを噛ませるなりしてどうにか組み立てるだけだ。
しかし、一つ一つのパーツが重い。さすが鉄。
「気をつけろ!
「はい!」
きびきびとした返事は威勢がいいけれど、それが安全を担保してくれるわけでもない。非常に重いタンクを小屋の上まで持ち上げるときは、本当に緊張した。
第二タンクから入浴小屋の屋根の上のタンクに、水を供給。風呂用のタンクの水は太陽熱温水器の集熱パイプへと流れていき、片流れの屋根の上一杯に配置された集熱パイプは、太陽光の熱を吸収。温まった水は対流の力で自然にタンクに戻り、代わりにまだ冷たい水が集熱パイプに流れ込む。
この循環を繰り返すことで、タンク内の水は、夜までに湯になるというわけだ。温水ができるまでに、一切の燃料も電力も不要! 天気力だけで湯ができる! 素晴らしい!
……んだけど、これが本当に大変だったのだ。
「監督ーっ! もういいっすかーっ!」
レルフェンの悲鳴のような確認の声。
「もう、腕が、もちませーんっ!」
「もう少し耐えろ。バーザルトがあと一枚、板を噛ませるまで」
「か、ん、と、くぅぅうううっ!」
「うるせえ。レルフェン、監督が耐えろと言ったら耐えろ。泣き言を抜かす奴はジンメルマン組に置いておかねえぞ」
「そりゃないすよ、とうりょぉぉぉおおおおおっ!」
ああ、分かるが耐えてくれレルフェン、もう少しだ。彼自身ももちろん分かっているだろうが、万が一、固定作業がいい加減なものだったら、最悪、タンクが転がり落ちて、支えているレルフェン自身がそれに
タンクだけではない。屋根の上一杯に広がった鉄パイプも、とにかく重い。作業中は、ヒヨッコたちにずいぶんと無理難題をふっかけてしまった。
おまけに完成すれば水を溜めるのだ。さらにものすごく重くなる。
加えて、何重にもキルティング生地を巻いた上にタール塗料を塗って、さらに雨でぬれないように板金でケースを作って、保温性もできるだけ確保した。
もちろん、その分も重くなる。
「……もう、オレ、ムラタ監督の現場では、絶対に働かねえ……!」
鋼管うねる屋根の上で、ぐったりと大の字になったレルフェンに、俺は心温まる言葉がけをする。
「レルフェン、休んでいる暇はないぞ。ほら、次は屋内への配管だ」
「お、鬼ぃぃぃいいいいいっ!」
そんなわけで、とんでもない重量物を頭に載せる小屋が出来上がった。しかもこの世界でも地震はあり得る──それを身を以て体験したからこそ、屋根はもちろん、柱も梁も当初の予定よりさらに多くして、とにかく頑丈に作った。風呂に入っている時に天井を突き破って鉄のタンクが落ちてくるなんて、想像もしたくないからな。
ずいぶんと大変な工事になったが、日が沈む前には、かろうじて形になった。井戸から水を汲み上げる第一ポンプまでは試験的に動かし、見事に水を汲み上げることにも成功した。
しかし第二ポンプ以降の動作試験は、もし不具合があって水漏れなどを発見できたとしても、もう暗くて細かな場所を探るのは難しく危険だということで、明日に回したけれど。
多数のブレードを持つ風車は、それほど風が強くなくてもよく動くが、ある程度風が強くなったら自動的にギヤが切り替わって機械を保護する変速機構も、手で思いっきりブレードを回してみることで動作確認済みだ。
それから、あまりにも風が強い日には、ギアを切り離してポンプを保護する仕組みにもなっているけれど、これは実際に風が吹いてみないと分からない。
だが、それよりもだ。
「すごい……! こんな簡単に、水が汲めるなんて……!」
工事に携わったヒヨッコたちが、目をきらきら輝かせながら、ポンプからあふれてくる水に手を浸して笑っている。
「しかもこれ、ぼくたち、ポンプに触ってもいないんだよ⁉ 風車が回ってるだけなのに!」
「
「……知らん。作ったのはそこのムラタ監督だ。監督に聞け」
汲み出される水に負けず劣らず目をきらきら輝やかせる少年たちに、次から次へと質問攻めにされて、俺は「後で教えてやる」とかわすしかなかった。
それにしても、これといった事故もなく、レルフェンがへばった以外は特にけがなどもなく、無事に何もかもが終わった。
──本当に、よかった。
「オレ、今度また監督の現場があったら、真っ先に駆けつけるっすから!」
レルフェンが、口いっぱいに芋を頬張りながら言う。調子のいい奴だ。
で、その横では今回のヒヨッコたちが、マイセルの持つかごからパンのおかわりを奪い合うようにしている。
家の前の庭──結婚披露宴のパーティをした庭で、俺たちは夕食会を開いた。
もちろん、料理は全て、リトリィとマイセルを中心にした、うちの女性たちの手作りだ。ここまで頑張ってくれた皆への感謝と労いのための夕食会。
ただ、一つだけ誤算があった。
『遠慮せずにどんどん食ってくれ』──俺は確かにそう言った。そう言ったが、ここまで無遠慮に食い散らかすとは思わなかった! 特に新人ヒヨッコたち!
以前、我が家となった小屋を一緒に建てたバーザルトとレルフェン、そしてエイホルは、便宜上、ヒヨッコとは呼んでいるけれど、ずいぶんと成長していた。
そんな彼らが連れてきた大工見習いたち──新人ヒヨッコたちは、家庭を持っていないこともあってか、ここで摂取カロリーを稼ごうとでも言わんばかりに、ものすごい勢いで飯をかっ食らっている。
食うなとは言わないが、もう少し遠慮しろ。せめてもう少し綺麗に食え。両手それぞれにパンを握って食うんじゃない、まったく……。
「リトリィ、シチューはまだあるかい?」
「はい、だんなさま。まだまだ、いっぱい」
「もっとヒヨッコどもに、どんどん食わせてやってくれ」
「ふふ、わかりました」
「あと、揚げ肉はもうおしまいか?」
「まだすこしありますけれど……」
「全部新人の連中に食わせてやってくれ」
「……いいんですか?」
「いい。全部食わせてやってくれ」
俺の言葉に、リトリィが微笑んで家の方に入っていく。
「なんだ、えらく気前がいいな」
マレットさんが、揚げ芋をつまみながら笑った。
「いえ、後進に腹一杯食わせるのは、大人の義務みたいなものですから」
「大人の義務、なあ……」
「もっと肉ないすか、肉!」
レルフェン、お前にはくれてやらん。そこの揚げ芋を食っていろ。
食後、揚水用ポンプのこと、そして太陽熱温水器についての質問攻めに遭った。やはり大工を目指す彼らにとって、興味が湧くものらしい。
大工職人に向かってまっすぐに努力し続けるのもいいけれど、色々なことに興味を抱き、自分の引き出しを広げておくのは、彼らの今後の役にも立つだろう。頑張ってほしいものだ。
そう、微笑ましい思いを抱きながら質問に答えていた時だった。
「そういえば、監督のお子さん、もうすぐですね?」
バーザルトが、マイセル、そしてフェルミを見ながら聞いてきた。
「分かるか?」
「自分も、子供が二人いますから」
「そうか……」
「特にマイセル……さんは、お腹もだいぶ下がっているみたいだし、もうすぐ生まれますよね?」
バーザルトはマイセルと顔馴染みだし、その辺り、気になるのかもしれない。
「今月が一応予定なんだ」
「それは楽しみですね。でも、大事にしてあげてくださいよ。
バーザルトの話によると、彼の奥さんも二人目の出産の時、
「監督は、お二人の出産が近いみたいですし、お気をつけて」
「そうだな……」
お腹が下がってきている、と言われて、初めて気づいた迂闊さを思う。
そうか、見る人が見れば、もうマイセルはいつ出産の時を迎えてもおかしくないのか!
「な、なあ、バーザルト。お前の嫁さんは、その……出産のとき、どこの病院に行ったんだ?」
こういう時は経験者からの情報収集に限る! そう思ったら、予想とはずいぶん違った答えを返された。
「ビョーイン……? 貧救院かなにかのことですか? まさか! もちろん、家で産みましたよ」
家で出産!
そういえば俺が暗殺者に襲われて命の境をさまよう大怪我をしたときも、家に医者を呼んだうえで、家で看病されたんだっけか。
「じゃ、じゃあ、出産までに準備しておいた方がいいものってなんだ?
「抱き枕ですね。ほら、お産の時、それを抱えてお腹を踏ん張るんですから。あとは……綺麗な手ぬぐいがいっぱいあるといいかと」
そ、それもたしか見たことがあるぞ! ミネッタの出産を不可抗力でのぞいてしまったとき、確かにクッションみたいなものを抱えていた気がする!
出産がもうすぐだっていうのは、頭では分かっていても実感が伴っていなかった。でも、せっかくバーザルトが教えてくれたんだ。今からでも遅くはない、事前の準備を急がないと。
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