第631話:見直したんですよ?

 帰ってくるなり、にやぁ~っとしてみせるフェルミ。


「……なんだその顔は」

「いぃえぇええ? ただ、今日はとぉ~っても、お楽しみだったんスねぇって。ケガを押して、オトコとして頑張ったことを見直したって、言いたいだけっスよ?」


 玄関口からぎらりと目を輝かせて、居間のソファーに座っている俺を見ながら言うフェルミ。つい、猫のフレーメン現象を思い起こさせるその顔に、俺は一瞬で嗅ぎ取られたことを悟る。そしてその物言いで、即座にピンときたのだろう。マイセルがフェルミを肘で小突く。


「そういうこと、言わないの。お姉さまもはやく赤ちゃんが欲しいんですから」

「リトリィ姉ちゃんも赤ちゃんができたのか?」


 ニューが、なんだかうれしそうにリトリィを見上げる。


「そうだったらいいスねえ、という話っスよ。……ねえ、ご主人?」


 あくまでフェルミは俺をおちょくるような、実に楽しそうな顔だ。

 で、マイセルとフェルミ、そしてヒッグスとニューとリノを玄関で出迎えたリトリィが、恥ずかしそうにうつむく。


 今さっきまで、ふたりでしっとりとした時間を過ごしていたというのに、あっというまににぎやかな我が家に戻ってしまった。

 まあ、うん、俺たちの家族ってのはこれでいいんだよ、きっと。


「うふふ……マイセル、今夜からご主人の復活っスよ?」

「フェルミも好きね……。じゃあ、お姉さまと二人でムラタさんから搾り取ってちょうだい。私はいいです」

「そんなこと言っちゃっていいんスか? 昨日の夜は自分で……」

「あーっ! あーっ! 聞こえないですっ!」

「……お前ら、もういいから、いつまでも玄関で騒いでないでとっとと入ってこい」




「小屋の方はもう、ほとんど完成といったところね」

「はい。フェルミ……さん」


 小屋を見上げながら聞くフェルミに、微妙な顔で答えるレルフェン。フェルミの大きなお腹が気になるようで、気にしていないようなふりをしながら、やっぱりちらちらと見ている。


「フフ、気になるの?」

「え、いや、その……」


 お腹をさすってみせながら艶っぽい笑みを浮かべたフェルミに、レルフェンがしどろもどろになる。彼は、フェルミが男を装っていた頃を知っているからだろう。どこかぎこちない。


「やっぱり気になるのね。別に私のこと、女だなんて思わなくていいんですよ?」

「い、いや、だって、フェルミ……さん、今は監督の奥さんだし……」

「え? 私は『外の』──」

「フェルミ、あまりこいつらをからかわないでやってくれ。特にレルフェンはまだ独り身なんだから」


 フェルミが「外の女」なんて言いかけたから、慌てて口を挟む。俺の子を産んでくれる女性を、愛人扱いになんてできるものか!


「か、監督! そんなこと言わなくたって……!」

「事実だろ。そんなこいつが美人を前に緊張して手元が狂ったら、目も当てられないことになる」

「……自分のオンナを、『美人』だなんて自慢するものじゃないですよ、ご主人?」


 そんなこと言いながら、顔を赤らめてうれしそうにしやがって。フェルミのくせに可愛いらしいじゃないか。なんで俺は、こんな可愛らしいひとを男だと思い込んでたんだ、ちくしょう。


 そんな俺の葛藤など知ってか知らずか、バーザルトがにこにこしながらレルフェンの答えを継いだ。


「たしかにほぼ完成ですね。外壁に関しては、あとは壁を塗るだけです。この方法、山のふもとの村なんかで好評なんですよ」

「山のふもとの村?」


 俺は思わず横から口をはさんでしまった。。

 俺が日本から落ちた先は、この街からもその威容がよく見える、バーシット山。そこでリトリィをはじめとした隠居鍛冶師の家族に拾われ、この世界での生活が始まった。


 その山を下りてきて、今こうしてオシュトブルグの街で暮らしているが、ここから山のふもとの森に至るまでに、点々と家や畑が続いている。オシュトブルグの街の近くにも、村というか、小さな集落があちこちに点在しているのは、リトリィをさらった奴隷商人たちの足取りを探るときに知った。


 そういった村で好評? 聞いたことないが、どうしてだ?

 するとバーザルトが、不思議そうに首をかしげた。


「どうしてって……監督が考案した構法ですよ?」

「いや、それは分かるが、どうして好評なんだ?」

「だって、簡単で早く家が建つからに決まっているじゃないですか。街と違って不燃材で覆う必要もありませんし」


 徹底した合理主義のアメリカで生まれた、「簡単に家が建つ」と評判だったバルーン構法のアレンジだからな。確かに早くできるけれど……。


「早く、安くできるってのは、大きな魅力みたいですね。自分も、この一年半で何件か関わらせていただきました。職人的な技術があまり活かせないのはもどかしいですけど、やっぱり喜ばれるのはうれしいです」


 バーザルトはとてもうれしそうだ。気持ちは分かる。やっぱりお客さんに喜ばれるっていうのは、仕事を続けるうえで大きなモチベーションになるからな。


「へえ……。私、この構法知らなかったんだけど、この小屋が小さかったから早くできたわけじゃなくて、普通の家もこんな感じに早くできるの?」

「はい。基礎だけはしっかりと作らなきゃだめだと思いますけど、基礎ができて、床ができてしまえば、あとは早いですよ? フェルミさんが今住んでいる家なんですけど、監督がこの家を、『できるだけ早く、安く、実用的に建てる』ために考案した構法なんです!」


 なんだか自分のことのように誇らしげなバーザルト。

 フェルミは「……さすがご主人」と珍しく目を丸くし、マイセルは「そうなんですよ!」と胸を張り、リトリィもつんと澄ましているように見せて、しっぽをばっさばっさと振り回してたりするわけだ。


 いや、そんなにも俺のことを誇ってくれるのはとってもうれしいんだが、この構法の元を考えたのは十九世紀のアメリカ人で、俺じゃないんだけどな? もう今さら、そんなこと言い出せないが……。


「それで、外は不燃材で壁を塗って終わりなんでしょうけど、中はどうなるの?」

「内装は、監督の話だと壁はワックスをしっかり塗り込めて防腐処理をして、床は砕いた軽石を混ぜたモルタルを塗ったうえで、木のを置くそうですけどね」

「軽石? どうしてまた、そんな?」

「え? 監督がそう言ったんですけど。フェルミさんは聞いていないんですか?」


 ああ、話していなかったな。


「軽石は、熱を伝えにくいそうですよ?」


 正確には、モルタルに骨材として軽石を練り込むのだ。骨材を使うのだから、正確にはモルタルではなく「コンクリート」なのだけれど。


 断熱性は、「熱を伝えるものがない」ほど高い。最も良いのは「真空」だが、空気も熱を伝えにくい。だから、空気の層を持ち、しかも空気が対流などで動かない小部屋に閉じ込められていることが、断熱性能を高めるコツだ。


 たとえば木材は、顕微鏡レベルで見ることができる微細な部屋──つまり死んだ細胞が大量の空気を保持しているため断熱性が高い。軽石も、多孔質の建材。同様の効果が期待できる。


 今後、間違いなく大家族となる我が家では、風呂の時間も長引くだろう。軽石を骨材として混ぜたモルタル──軽石コンクリートを床に使うことで、少しでも熱を逃がさないようにできたら、というわけだ。


 ということを、バーザルトに追加で説明をしたら、全員、不思議そうに首をかしげていた。


「……まあ、とにかく冷めにくい部屋になるように工夫してみるっていう話だよ。本当に冷めにくい部屋になったら、断熱工法の一つとして今後も提案できるから、その実験だな」


 そう言って話を打ち切ると、作業の再開を促す。

 ヒヨッコたちは我に返った様子で、それぞれの持ち場に散っていった。


「……ご主人、私、ご主人のこと、初めて見直したかもしれない」

「初めてってなんだよ。まったく、お前は俺を何だと思ってるんだ」


 俺は苦笑いしてみせたが、フェルミはもう一度、「ご主人、ただの大工じゃないんだって、見直したんですよ? 本当に……」と頬を紅潮させてつぶやく。

 ──お前、からかってるんだよな? いつもみたいに。



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