第526話:放置がもたらすもの

 ツカアリ駆除から五日。

 駆除については、思ったよりスムーズに進んだ。なにより、リノの鋭敏な聴覚のおかげで、的確に薬剤を流し込むことができたからだ。


 一か所、想定外のところからアリがあふれ出て、そいつらを潰すのに大わらわだったこと以外は、大して問題はなかった。


 作業が完了した五日後に、リノの耳を頼りに念入りに確認したが、無事ツカアリの駆除ができていたようだった。本来なら何日もかけて、あちこち穴をあけて確認をしながら行うらしいのだが、リノのおかげでその必要もほとんどなかった。


獣臭い連中ベスティアールってのは面倒ごとばっかり起こす厄介な連中だと思っていたが、こうやって躾ければ、ずいぶんと役に立つこともあるんだな」


 駆除職人は、あらためてリノの耳の威力に感心しながら帰っていった。いや、感心の仕方が差別意識丸出しだったのは腹が立ったけれど、これで獣人への偏見がやわらぐならと、ぐっとこらえた。


 ツカアリの駆除が終われば、次はいよいよ屋根のき替えになる。

 ここからは、先日、マレットさんが約束してくれた人材が三人、加わった。以前、俺の家を建てるときに一緒に参加した大工見習い二人と、職人が一人。見習いといってもマレットさんの弟子だから、信用できる。


 さっそく瓦をひっぺがし、腐ったりツカアリに食い荒らされたりした屋根材を撤去して、新しい材に継いでいく――のだが。


 なにせ、日本のような重機などないから、引っぺがした屋根材を重機で一気に下ろすなんてことはできない。ブルーシートのような防水対策もないし、天気予報も職人の長年の勘に頼るしかないから、一気に屋根を剥がして、なんてことも難しい。


 よって、一日で作業する区画を決めて、地道に進めていく必要がある。クレーン車があればどれだけ楽だったろうか、と思うが、無いものねだりをしても仕方がない。すべて手作業で進めてゆく――のだが。


「……ああ、予想通りとはいえ、こりゃひどいな」


 リファルが瓦を剥がしながら、顔をひきつらせた。一緒に上らせたリノが、リファルの剥がした瓦の下をのぞき込む。リノには「遠耳の耳飾り」を付けてもらっているから、彼女が見たものや聞いたもの、手の感触などが俺に伝わってくる。


 そこには、真っ黒になってぼろぼろな「バラ板」があった。虫退治の時に屋根裏から確認はしていたから分かってはいたが、板というよりスカスカの繊維状のスポンジといったありさまに、ぞっとする。


 ずいぶんと長い間、傷みを放置されてきたのだろう。修繕するカネもないから、雨漏りは避ければいい、という程度の認識だったのだろうか。


 屋根は、ただ瓦がそこにあるのではない。

 まず、横方向で支える「母屋もや」、縦方向で支えてひさしも作る「垂木たるき」という柱のようなものがあり、その上に野地のじいたを打ち付ける。

 この野地のじいたというのが、屋根材を直接支えている。構造用こうぞうよう合板ごうはんが普及する前の日本は、バラ板と呼ばれる細長い板を並べていた。この世界でも、そこは同じらしい。


 現代日本ではその上に「アスファルトルーフィング」という防水シートを敷き詰めて水漏れを防ぎ、その上に屋根材――瓦とか、ガルバリウム鋼板とか、スレートとか、アスファルトシングルとかを打ち付けるのだ。


―――(説明の近況報告ページへ)―――

※屋根の構造について

 https://kakuyomu.jp/users/kitunetuki_youran/news/16817139558727464922

※構造用合板とバラ板の違いについて

 https://kakuyomu.jp/users/kitunetuki_youran/news/16817139558727467743

※屋根材の違いについて

 https://kakuyomu.jp/users/kitunetuki_youran/news/16817139558727470428

―――――――――――――――――――


 この世界には、当然ながら防水シートは存在しない。釘もあまり使わず、野地のじいたに直接、アスファルト塗料で貼り付けるという工法を取っている。瓦の状態が、そのまま屋根の防水能力に直結している仕様だ。


 リファルは次々と瓦を剥がしていくが、途中からもう、無言だった。屋根の半分ほどはき替える必要がある、と頭では分かっていたが、実際にぼろぼろな野地のじいたがあらわになるたびに、ため息しか出てこなくなる。


 そういえば、雨漏りがひどいはずだったのに、少年たちはそれを当然のものとして受け入れていた。

 雨漏りが一か所から二か所、三か所になり、避け続けるうちにいつしかそれは慣れになり、しまいには我慢する、声も上げない、という具合になっていったのではないだろうか。


 たった一か所の不具合の放置が、積もり積もって彼らの心をも蝕んでしまっていたのかもしれない。


 しかも問題は、野地のじいただけでは収まらない。それを支える「垂木たるき」のいくつかに、白アリのように木を食い荒らす、ツカアリの巣があったことも厄介だ。


 おそらく中身は空洞に近い状態だから、うっかり足を乗せたら、以前リノがやらかしたように、屋根を踏み抜いてしまうだろう。

 ツカアリに食い荒らされた部分も腐食した部分も、すべて交換だ。


『ムラタ、こりゃあ大変だぞ?』


 リノに向かって――リノの目を通して見ている俺に向かって、リファルがうんざりした様子でつぶやいた。




 昼の休憩時間、俺とリファルは赤ん坊の世話をしている部屋に顔を出した。俺が以前見たときには、手ぬぐいでぐるぐる巻きにされた赤ん坊たちが転がされているという、地獄のような部屋だった。今はどうなっているのだろう。


「あっ……ムラタ、さん。どうも、こんにちは」


 部屋に入ると、相変わらずの臭気の中で、コイシュナさんが丁度赤ん坊のおむつを替えているところだった。見ると、リノに下衆な行為をしようとしたクソガキ三人が、同じようにおむつを交換している。


「や、やあ、コイシュナさん! お忙しそうっすね、なにか手伝えること、ありますか?」


 部屋に入った途端、俺の後ろにいたはずのリファルが前に出てそんなことを言うものだから、俺は二度見してしまった。あれほど、女の仕事には手を出さないと言っていたのに。


「あ、大丈夫ですよ。この子たちが手伝ってくれますから」


 そう言って、コイシュナさんは三人の少年に目をやった。

 少年たちは、赤ん坊の濡れたおむつに顔をしかめながらも、幾分慣れた手つきでおむつを交換する。

 コイシュナさんほどではないが、この数日間で、赤ん坊のシモの世話にもそれなりに慣れたのかもしれない。


「……あ、そうっすか」


 あからさまにがっかりしてみせるリファル。

 いや、お前、コイシュナさんが大変だって大騒ぎしていたじゃないか。彼女が少しでも楽になったのなら、お前の懸念が一つ解消されて万々歳だろ。


「そういうことじゃねえよ、てめぇは……」


 顔を押さえてうなだれるリファルは、とりあえず放置しておくことにする。それよりも、少年三人のそばにいる女性が気になった。地味な黒いロングドレスに質素なエプロンをまとった、眼鏡の女性だ。赤ん坊を一人、胸に抱いている。


 一人の少年がおむつ交換を終えたことを報告すると、その具合を触って確かめ、そしてにっこりと微笑んでうなずく。少年はなんだか鼻息荒く、次の赤ん坊のおむつの様子を触って確認し、小さくうなずいてからまた隣の赤ん坊のおむつを触ると、新しいおむつを取りに行った。

 そうした少年たちの様子を穏やかな微笑みで見守っていた女性は、抱いていた赤ん坊をベッドに戻し、別の赤ん坊を抱っこした。かすかな声で何か言っているのは、子守歌らしい。


 その女性に、俺は見覚えがあった。先日、ナリクァン夫人のもとに行ったとき、リノが性的暴行を受けたことについて告白したと報告してくれた女性だったはず。


 ……そうか、ナリクァンさんが言っていた「手配した子守女中」ってのはこの人だったのか。あのとき、初対面だったにもかかわらずリノが心を開いて話せたってことは、子守のプロフェッショナルなのだろう。


 俺と目が合った彼女は、一度深々と頭を下げ、また少年たちの手元に目を移す。失礼のないようにするだけで、あとは俺など眼中になしといった様子だ。さすがプロ。




「コイシュナさん、オレが持ちますから。どこに運べばいいっすか?」


 コイシュナさんが、汚れたおむつを集めた籠をもって部屋を出て行こうとするのを、リファルが横から奪い取るようにして手に持った。


「え、でも汚いですから……!」

「なあに、これでもオレ、弟たちの面倒見るの、得意だったっすから。任せてくださいよ」

「で、でも、お客様にそんなことをさせるのは……」

「いやだなあ、気にしないでくださいよ。こういう力仕事は得意っすから」


 コイシュナさんは、申し訳なさそうに何度も頭を下げると、中庭の井戸のそばだと言って先を歩き始めた。


「……お前、何やってんだ?」

「ムラタ、お前こそオレがやろうとしてること、邪魔するなよ?」

「……リファル、午後の鐘が鳴ったら作業再開だからな? 戻って来いよ?」

「分かってるって。またな」


 コイシュナさんとリファルがいなくなり、部屋の中は三人の少年たちと、それから子守女中の女性、そしてたくさんの赤ん坊たち。


 しばらく黙って見守っていると、女性はまた、赤ん坊をベッドに戻して、違う赤ん坊を抱き上げた。軽く揺らしながら、子守歌を歌う。


 その間にも少年たちがおむつの交換の出来を確認するようにやってきて、できていれば微笑みを、不十分であればどうすればいいかを助言してやり直させる。


 嬉しそうにそのやり取りをしている少年たちを見て、やはりこいつらは成功体験を認められるってことが少なかったのかもしれないと思う。


 この「恩寵の家」が併設されている神殿に祀られる神様は「イアファーヴァ」というそうだ。質素倹約を旨とし、神の愛を信じて清く正しく慎ましく生きることを求められるらしい。


 もちろん、そこに愛がなかったわけでもないだろうが、清貧を貫く生き方というのは、息苦しいものなのかもしれない。


 それにしても、相変わらずほとんど泣き声を上げない、ある意味で不気味な赤ん坊たち。

 赤ん坊というのは、もっと手足をばたばたさせて、声にならない声を上げて、そして泣くものだろうに。


 おむつの巻き方に合格をもらって嬉しそうにする少年たちを見てしまうと、まるでお地蔵さんが寝かされているような無表情ぶりの赤ん坊たちが、どうしても自然には思えないのである。

 こう言ってはなんだが、放置とまではいわないが、あまり構ってもらえなかったからではないだろうか。


 コイシュナさんの負担は確かに軽くなったのかもしれないが、やはり俺にはこの部屋のありさまが異常としか思えなかった。

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