第525話:孤児の使い道(2/2)

「バカ、てめぇは間違っちゃいねえよ。どうしようもなくアタマがおかしい程度にお人好しってだけでよ」


 リファルに頭をはたかれた俺は、負けずにはたき返しながら言い返す。


「お人好しって評価だけはありがたくもらっておくよ。でもお前の話――孤児院で養子にする子を見つけて引き取るって、そんなによくあることなのか?」

「よくある、の意味の受け取り方だな。誰だって自分の生活が大事だ、親戚でもねえ子供を引き取るなんてこと自体がよくあることとは言えねえけど、ねえことはねえ」


 リファルは、自身もひとから伝え聞いた話だからどのくらい「よくある話」なのかは分からないが、と前置きしたうえで話してくれた。


 それによると、一般の家庭が孤児院から子供を引き取るケースというのはあまり聞かないらしい。まあ、当然か。基本的には配偶者との子供を欲しいと思うだろうからな。


 しかし、子供が独立した老夫婦が、家事手伝いなどの働き手を求めて孤児院の子供と養子縁組をするというケースは、たまに聞くことがあるようだ。


「考えてもみろ。夫婦にしてみりゃ自分たちの老後の世話をさせる使用人を手に入れる。孤児院の子供にしてみりゃ、三食付きで寝床もある働く場を手に入れる。しかも、上手くいけば遺産だって分けてもらえる。どっちにとっても、悪い話じゃねえってわけだ」


 子供のいない夫婦が、子供を求めて養子縁組をする――それは分かるが、労働力にするために子供を引き取るだなんて! それは間違っているのではないかと思ったが、しかしそういえばと思い直す。


 かの名作『赤毛のアン』では、年老いた兄妹が働き手を求めて孤児院に男の子を見繕いに行き、そこでアンと出会ったのが物語の始まりだった。発展途上国では、子供は家族の貴重な労働力だし、それが普通なのかもしれない。


「あとは……これを言うとお前、怒りそうだけどな。金持ちが、息子のを抑えるために、年頃の娘を引き取るって噂も、聞いたことがある」


 なんでも、金持ちが雇う女中メイドさんはそれなりの素性であることも多く、場合によっては手を出すとその親族から訴訟を持ち込まれる恐れがあるのだそうだ。


 だから、後腐れなく遊ぶ・・・・・・ことができる相手として、孤児院から年頃の娘を引き取ってきてあてがう、という噂があるという。

 仮に子供ができても文句の出どころがなく、できた子供は産ませてから孤児院に送り込めばいい、ということらしい。


 あくまで噂だがな、とリファルは繰り返したが、とんでもない話に俺は胸が悪くなる思いだった。

 火のない所に煙は立たぬというし、頻度の多少はともかく、実際にあったケースなのだろう。いや、今この瞬間にも、そんな交渉が行われているのかもしれない。


 ――そんなこと、あってほしくない。

 脳裏に浮かんだ考えを、暗澹たる思いで否定する。


 そうでなければ、孤児院が孤児院の名を借りた、人身売買の場所ってことになってしまうじゃないか。

 少なくとも、ダムハイト院長が少年たちを労働力として売る、そんな人間ではないことを信じたい。少なくとも、あのクソガキ二人をかばったのは彼の人格の表れだと。


「そういう意味じゃ、あのおチビちゃんは随分と運が良かったってことだぜ?」


 ゆったりと流れる水路を覗き込み、カモのような水鳥が浮かんでいるのを楽しそうに見ているリノを、リファルが笑いながら指差す。


「運が良かった?」

「お前みたいなお人好しに拾われてなきゃ、いずれはかっぱらいなり何なりが見つかって袋叩きの野垂れ死にか、そうでなきゃ飢え死に、凍え死に――とにかく、ロクでもない結果になっていたってことも考えられるからな」


 そう言って、リファルは俺の肩をぽんと叩いた。


「俺はお前のそういうトコロ自体は、嫌いじゃねえぜ? お前はひとを陥れたり騙そうとしたりするヤツじゃないからな。お人好し過ぎて、見ていてイライラすることもあるけどよ」


 イライラはするのかよ!




 家に帰ったリノは、しかしご褒美についてなにかねだるようなことはせず、けれどずっと落ち着かない様子だった。

 いつもなら夕食中、今日はこんなことがあった、などと身振り手振りを加えて楽しそうに話すのだが、今日は妙にそわそわしているばかりで、一言も話さない。


 そういえば、リノの欲しいご褒美とはなんだろうか。我が家の女性たち四人が、キッチンに並んで後片付けをしている後ろ姿を見ながらそんなことを考えていると、後片付けを終えたリノが俺のところにやってきて、手を引いた。


「……話? 外で?」


 うなずくリノに、なぜ外なのかを聞き返そうとしたが、普段は自分の思ったことをすぐに言う彼女だ。きっと俺だけに伝えたいことがあるんだろう。そう思って、あえて何も聞かずに一緒について行く。


 リノは俺の手を引っ張るように、庭のすみに向かった。

 そこにはシェクラの木がある。それなりに大きな木で、春になるとピンクの花をつける。ひと月ほど咲き続けるその木の下で、昨年、俺はリトリィとマイセルと共に結婚式を挙げた。今年も、つぼみがもうじき開くだろう。楽しみだ。


 ――そうか、もうあれから一年が経とうとしているのか。


 この一年、様々なことがあった。大変なことばかりだったようにも思うが、そのぶん、家族で愛を深めることができたと思う。


「だんなさま」


 木の下までやってきたリノは、くるりと俺に向き直った。

 俺もしゃがみこんで、彼女と目を合わせる。


「……どうしたんだ、リノ」

「ボク……ご褒美、ほしいの」


 リノはうつむいて、そう言った。


「ああ、そうだったな。今日はとっても頑張ったし、俺にできることならなんだってするぞ? 言ってごらん」


 俺の言葉に、リノは少しだけためらったあと、また顔を上げて、言った。


「ボク、だんなさまに、ぎゅってされたいの」

「ぎゅっ……?」


 ハグか? 俺は苦笑すると、そっと抱きしめてやる。


「リノ、それだけでいいのか? それなら、これからも毎日だってぎゅってしてやるぞ?」


 ところが、リノは首を振った。


「ちがうの……。ボクにも、だんなさまがお姉ちゃんたちにしてるみたいにぎゅってしてほしいの」

「リトリィたちにしているみたいに?」


 体を離すと、彼女の顔をまっすぐ見て聞き直す。

 リノは大きくうなずき、そして言った。


「だんなさま、お姉ちゃんたちの上に乗って、はだか同士でぎゅってして、ゆさゆさしてたでしょ? お姉ちゃんたち、すごく幸せそうだった。だからボクにも、同じこと、してほしいの」


 真剣な目でそう言われて、俺は固まった。

 返答に困り、鯉のように口をぱくぱくさせながら。


「……それは、いつ、どこで見たのかな?」

「昨日の夜だよ?」


 ギャース!

 油断してた、よりにもよって昨夜かよ! フェルミまで抱いた夜じゃねーか!


「あのね? ボク、途中で起きちゃったの。そしたら、だんなさまがリトリィ姉ちゃんの上で、はだかでぎゅってし合って、ちゅっちゅしてて。だんなさまがゆさゆさして、ベッド、すごい揺れてて。マイセル姉ちゃんもフェルミ姉ちゃんも、優しい顔で見てた」


 ああ心当たりあるよ! 二回目、それもフィニッシュの体位だな⁉ 


「リトリィ姉ちゃん、両手と両脚で、だんなさまにぎゅーってしがみついてた。あれが『オトナの抱っこ』なんだよね? ボクにもオトナの抱っこ、ぎゅーってしてほしいの」


 もう、何も言えない。

 リノは、そのあとのマイセルとフェルミとの愛の行為もしっかり見ていたらしかった。ただ、彼女自身も子供が見ていいものだとは思わなかったようで、だからバレないように、薄目で見ていたのだそうだ。


「お嫁さんになったら、ボクもあんなふうに抱っこしてもらえるんだって思ったら、ボク……どうしても、一度、あんなふうにぎゅーってしてもらいたくなっちゃって」


 できませんっ!

 少なくとも、今の君には!


 ……と言いたいところだが、ものすごく期待に満ちた目をきらきらさせているリノに、「あと数年後にね?」だなんて言えるか!

 ううむ……どうやって「今は」できないと納得させようか。


 頭から煙が出そうなほど必死に考えていると、リノが寂しそうに笑った。


「じゃあ、だんなさま。朝だけでいいから、ボクのこと、ぎゅーってして?」

「……朝?」

「うん。水浴びしたあと、ぎゅーって」


 水浴び……。

 朝、そういえば宣言したんだっけか。二人で水浴びするのは、今日限りでもう、やめようと。


「ボク、だんなさまが大好き。だんなさまはボクのこと子供扱いするけど、好きって気持ちなら、ボク、お姉ちゃんたちに負けないもん」


 リノは、頬を赤らめつつ、しかしまっすぐ俺の目を見て言った。

 胸が痛くなる。

 こんな少女が、自分の想いを、まっすぐ俺にぶつけているのだ。


「だからね? 『オトナの抱っこ』はオトナになるまで待つから、そのかわり朝、ぎゅーってして?」


 ロクな恋の経験がなかったからこそ、俺は恋に憶病になり、そしてリトリィを何度も悲しませてきた。それに対して、この少女はどうだ。こんなにも、澄んだ瞳を俺に向けて。


 いや、少女だからこそ、よりまっすぐなのだろう。

 ……他に恋を――出会いを知らないからこそ。


「……だんなさま、ボクのこと、もう、ぎゅーってするのイヤなの……?」


 ――俺は卑怯だ。

 結局、自分自身に言い訳をしてしまった。彼女が望んでいるのだから――と。

 

 いち大人として、彼女の想いを尊重しつつ、しかし別の方法に誘導することもできたのかもしれないのに、俺は、目の前の彼女を抱きしめることで、彼女の望みを肯定してしまった。


 だけど、「うれしい……!」と何度も震える声を、涙と共にこぼし続けながらすがりついてくる彼女に、どうして抗えるだろう。




「『オトナの抱っこはまた今度』――リノちゃんが言ってたのは、そういうことだったんですね」

 

 マイセルが、汗で胸に張り付いた髪を整えながら苦笑する。リトリィに憧れて伸ばし始めた髪も、随分と長くなった。汗の浮かぶ白い肌に絡みつく栗色の髪が、やけになまめかしく感じられる。


「変なところで潔癖なのが、ムラタさんらしいといえばらしいですけど」

「仕方ないだろう。抱きしめるだけといっても、子作りの真似事なんて、あんな子にするわけにはいかないじゃないか」


 変なところで潔癖、なんて言われても、どう考えたって倫理的に問題ありだろう。そう答えると、リトリィがいたずらっぽく笑ってみせた。


「どうしてですか? 赤ちゃんの順番なら、もう気にしませんけれど」

「気にしない……?」

「だってだんなさまったら、フェルミさんとも赤ちゃんをこしらえたんですもの。もう、あきらめました」


 ぐふっ!

 やめてくれリトリィ、その悟りは俺に効く……!

 けれどリトリィは、すました顔で続ける。


「だんなさまは手慰みに女を抱くようなかたではないって、分かっていますから。わたしにとっても、リノちゃんは大切な家族です。リノちゃんが幸せになれるなら、先に赤ちゃんをこしらえてもらっても構いませんよ?」

「そういう問題じゃない、リノはまだ……」

「ムラタさん、ひょっとして女の子も十五の成人を待って結婚、なんて考えてます?」


 マイセルに探るように問われて「当然だろう!」と大きくうなずくと、彼女は苦笑いした。


「男性は家族を食べさせていく責任がありますから、成人しているのが条件の一つですけど……。女はそんなに、厳しくは求められませんよ? リノちゃんなら、もう結婚だって大丈夫だと思います」


 おいおい、大丈夫なわけがあるか。瀧井さんだって、ペリシャさんが十五歳になるまで待ったんだぞ?


「それは、タキイさんがけじめをつけたかっただけでしょうね」


 いやマイセル、そういう問題か⁉

 あんなちんまりした女の子を相手になんて、真似事だってできないって!


「ふふ、おっきなおっぱいがお好きですからね、だんなさまは」


 そう言って、俺の腰にまたがりつつ両手で胸を押し上げてみせるリトリィ。

 たぷんと音がしそうな、複雑な流体力学を感じさせる揺れに思わず目が吸い寄せられて――って、そーいう意味じゃないんだって!


 てかマイセル、そんな悲しそうに胸をさすらないでくれよ! 手のひらに収まる君のサイズだって可愛いし、妊娠してからだいぶ大きくなっ、てる、ような気が、しないでもない、から……!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る