第524話:孤児の使い道(1/2)
「それにしても、明日までかかると思っていたのが、ほぼ一日で終わるたぁな。嬢ちゃんのおかげだ」
今日一日、殺虫剤を撒き続けた香料ギルドの除虫職人が、薬剤まみれの手を手ぬぐいで拭くと、孤児院の少年たちに渡す。リヒテルは手に持ったかごでそれを受け取ると、「おつかれさまでした」と微笑んだ。
「おう、ボウズたちも
「これ、洗わないとどうなるんですか?」
「ハゲる」
急に慌てだしたファルツヴァイに、トリィネが「ふぁ、ファルさんの髪はぼくがきれいにしてあげるから!」となだめる。それを見て除虫職人が「冗談だって」とげらげら笑った。
「冗談はともかくとして、これで明日はずいぶんと楽ができる。ありがとうよ」
「おじちゃん、ボクまだできるよ? どうしてあの部屋は見ないの?」
「おじさんもなあ、メシがかかってるからよ。また明日だ」
……つまり明日の日当のために、簡単に済ませることができる最後の一室を残してあるわけだ。実にしたたか。しかもあの部屋、ほぼ無事のはずだからな。朝一番に点検して、すぐに終わる気なんだろう。
不思議そうに首をかしげるリノに、俺は声を掛ける。
「リノ、このおじさんが朝に言っていただろう? この薬はひとにも害があるんだ。リノが頑張ろうとする気持ちは素敵だけど、あまり長い間、薬のにおいをかぎつづけないほうがいい。また明日、頑張ろうな?」
ナイスアシストとばかりに、おっさんがグッと拳を握ってみせる。
「そうそう! 嬢ちゃん、今日はいっぱい頑張ったろう? 先の短いおじさんと違って、嬢ちゃんの体調が悪くなっちゃあいけねぇからなぁ!」
「あのにおいって、そんなによくないんですか⁉」
リヒテルが驚いて天井を見上げ、そしてリノに口や鼻を押さえるように言った。だが除虫職人のおっさんは、「まあ、そう焦るものでもねぇよ」と笑ってみせた。
「そうだなあ。ただちに健康に影響が出るものじゃあない。だが、やっぱりあまり長いことを吸い込むのはよくねぇだろうなぁ」
「や、やっぱり駄目じゃないですか!」
「でもボク、ぜんぜん平気だよ?」
不思議そうに首をかしげるリノに、リヒテルが「リノさんは女の子だから!」とひどく慌てた様子で部屋から連れ出そうとする。
「き、聞いたことがあるんだよ! 硫黄か何かの精錬所で働く女の人は、体をこわしやすくて赤ちゃんの――」
「おいおいボウズ、それじゃ虫退治の薬を使ってそれを吸い込んでるわしらは、すぐ死ぬとでも言いたいのか?」
除虫職人は「大したことはねえ、わずかなもんだ」と苦笑いしながら、しかし否定はしなかった。俺たちと一緒に部屋を出ると、落ち着かない様子のリヒテルに笑いかける。
「……ま、確かにあまり薬ってのは長く触っとくもんじゃねえからな。手も荒れる。ボウズたちも嬢ちゃんも、あとで川の水浴び場で沐浴くらいはしとくといいぞ」
……そうだな。確かに、日本でもそういった「ただちに影響が出るものではないが」という事案は、薬害をはじめ色々とあった。ここは業者の言う通りにするべきだろう。
少し脅しが過ぎたのか、リノは少し不安そうな顔で俺を見上げる。ただ、俺が頭を撫でてやると、安心したように俺に飛びついた。
その様子を見て、除虫職人は感心したように顎の無精ひげをなでた。
「それにしてもよくなついてるな、その嬢ちゃん。面倒くさそうな
「……どういう意味ですか?」
「決まってるじゃねえか、孤児院から養子をもらってくるんだよ。あんたも、孤児院かどこかからあの嬢ちゃんを引き取ってきたんだろう? 子供のうちからうまいこと仕込めば、長く役に立つと考えてよ?」
メスなら、うまいこと仕込めば子供を産ませて、増やせますしねェ――そう言って下卑た笑顔で相槌を打った除虫職人の弟子に、条件反射で鉄拳をぶっこむ。
即座にリファルに殴られたが、こういうクソがナチュラルにこういうことを発言できるってのが間違ってるんだよ!
コントのような俺とリファルの反応のせいだろうか。除虫職人のおっさんは自分の弟子を目の前でぶん殴られたというのに、目を白黒させながら、なにもとがめてこなかった。
というか、リノは孤児院から労働力を目当てに引き取った子供ではない、ということだけは分かってもらえたようで、むしろ頭を下げられた。
とはいえ、おっさんが続けた言葉には、どうにも釈然としないものを感じさせられることになった。
「それにしても、
夕焼けがきらきらと輝く川の水浴び場。少し離れたところで、少年たちがこちらに背を向けるようにして水浴びをしている。さすがにあの案件があったうえで、リノの裸体を見ようという度胸はないらしい。こちらとしても助かるが。
「……よく、頑張ったな」
「だんなさま?」
不思議そうに首をかしげるリノを抱きしめる。
今日一日、本当によく頑張った。
門から中に入れず、震えていた彼女が踏み出した一歩。
除虫職人と共に、トラウマになってもおかしくなかったはずのツカアリの足音を探した姿。
加害した者たちとは違う、見知った少年たちとはいえ、孤児院の少年たちと共に作業した一日。
本当に、よく頑張ったと思う。
「……ボク、お役に立った?」
「もちろんだ」
「……じゃあ、ごほうび、いい?」
「もちろんだ」
「えへへ……だんなさま、大好き……!」
彼女の望むご褒美とやらが何なのかは分からないが、彼女のことだ。俺を困らせるようなものを要求することは、多分ないだろう。心の傷を乗り越えて、今日一日頑張った彼女のために、できるだけのことをしてやろうと思う。
夕焼けを反射し、輝きに満ちた水浴び場。髪から砕いた水晶の粒を振りまくように首を振って水滴を振り払った彼女を、その笑顔を、俺は懐に収めるようにもう一度抱きしめた。
水浴びを終え、少年たちと別れた俺は、リノが楽し気に先行する様子を見守りながらつぶやいた。
「リファル、俺にはあの業者の言っている意味がよく分からなかったんだが、養子を引き取るって実際問題、よくあることなのか?」
「養子だろ? よくある話じゃねえか」
「子供を養子にするっていうことが?」
「……むしろ、なんでそれが無いと思えるんだ?」
「……いや、十五になったら独立するって、聞いていたからさ」
すると、リファルはあきれたように言った。
「お前な、十五になっても孤児院にいるってことは、つまりそれまでに養子縁組の話が無かった『売れ残り』ってことだぜ?」
「売れ残り?」
「ほら、孤児院には色んな事情……といっても、まあ、親が死んでどうしようもなかったか、あるいは親に捨てられたか、だいたいこの二択だけどよ、子供たちがいるだろう? そこから役に立ちそうなヤツをもらってくるんだよ」
リファルの話では、子供に恵まれなかった夫婦が自分たちの子供にするためや、労働力の確保のために、孤児院に養子縁組を求めに来るひとたちがいるのだという。
「先に言ったほうは、自分たちの子供にするためだから、大抵は赤ん坊だ。家族が欲しいわけだからな。事故や病気で亡くした我が子の身代わりに、同じ年頃の子供をっていう話も聞いたことがある」
なるほど。子供は欲しい、けれどパートナーとの子供になかなか恵まれない、だったら……ということか。日本だと、子供に恵まれない夫婦が何十万円もかけて不妊治療をするなんて聞くけど、この世界ではそこまでの技術はないだろうからな。
「働き手が欲しい場合は、逆だ。目的にもよると思うが、それなりに手もかからず自分で考えて行動できて、力もそれなりにある年頃が選ばれるんじゃないか? 子供なら言うことも聞かせやすいし、躾ければ、よく言うことを一生聞く働き手を手に入れられるってなもんだ。なにより、女中を雇うより圧倒的に安い」
「……おい、それじゃまるで、奴隷じゃないか」
「奴隷ねぇ……。ま、大した違いはないだろうな」
つまらなそうに言うリファルに腹が立ってくる。だが彼は、ごく当たり前のように続けた。
「そもそもお前がおかしいんだよ。何の見返りも求めずに、どうして孤児を三人も引き取ろうなんて思えたんだ?」
「い、いや……関わっちまったんだから、放り出すのも後味が悪いだろ?」
「それがアタマおかしいって言ってんだって。お前、泥棒に入られた被害者だろうが。なんで家に盗みに入ったガキを拾って、しかもいずれは自分の嫁にしようなんて思えるんだ? そんなお人好し、聞いたことねえぞ」
「……ほっとけよ」
頭のおかしな人間扱いされて、俺も苦笑いするしかない。
だが、目の前で、道端の屋台の商品を見ては楽しそうに歓声を上げているリノを見ていると、彼女たちを引き取ったことは、決して間違ってはいなかったと思うのだ。
「……そりゃ、間違ってるとは言わねえよ。アタマおかしいって言ってるだけでよ」
「それ、どこが違うんだ」
「同じに聞こえるか?」
「聞こえる」
即答した俺の頭を、リファルがはたく。
「バカ、てめぇは間違っちゃいねえよ。どうしようもなくアタマがおかしい程度にお人好しってだけでよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます