まといと塩川

 夕暮れの道路をまといと塩川は歩いていた。

 ティータイムの後夕方になるまで二人の任務の話を聞いたまといは塩川に送ってもらうことになった。車を出すという塩川にまといは近くだから歩きたいと言い、根負けした塩川はまといと一緒に歩いていくことになった。5年前伝えたかったということは聞けなかったが塩川達の任務の話はとても面白く、まといはご機嫌だった。ただ塩川がそこにいるだけでまといは幸せになる。そんなまといを呼ぶ声があった。


「朱都!」


 まといと塩川は声の方を振り向く。カフェから青年がのぞいていた。


「木村君」


 カフェの給仕制服に身を包んだ木村は大きく手を振る。


「ノート返したいんだけど、今いいか?」


 まといは塩川を見た。


「ちょっといいですか?」

「おう。行って来いよ」


 塩川に微笑むと、まといはカフェへと走っていく。塩川は、ぼんやりとまといの背を見つめた。店の入り口でまといと木村が楽しそうに談笑している。ただ、塩川はそれを見つめていた。塩川の胸に去来する感情を知るものはいない。少しの後、ノートを抱えたまといが塩川のそばに戻ってきた。まといは塩川に一言二言詫びを入れると、ニコニコと笑った。


「お待たせしました」

「いーや。もう大丈夫か?」

「はい!」


 まといは元気よく返事をした。それをみて塩川も微笑む。


「なあまとい、ちょっとゆめみ公園に行かないか?」


 塩川はゆっくりと、噛みしめるようにそう告げた。




 夕暮れのオレンジは夜の紺へと近づいていく。ゆめみ高台公園に向かう階段をまといと塩川は並んで歩いていた。公園にたどり着くころには日もすっかり暮れ、暗くなっていた。


「昼と夜じゃやっぱり雰囲気違いますね」

「そうだな……暗いと思い出すよ。もう5年も前なのにな」


 塩川は遠くを見て言った。まといも同じ方向を向いて微笑む。


「……俺が別れ際、なんて言ったか覚えてるか?」

「忘れるわけないじゃないですか。『伝えたいことがある』……って」

「ああ、そうだな」


 塩川の落ち着いた声の調子に合わせたかのような静寂が園内に満ちていた。その静寂を壊し、塩川が元気よく言った。


「じゃあ帰るか!」


 ずっこけた後、まといは大声でツッコむ。


「ちょっと!」

「あ?」


 はぐらかそうとする塩川をまといは真っ直ぐ見つめた。しかし塩川の態度は変わらない。まといはわざとらしく咳払いをし、真剣な眼差しを塩川に向けた。


「先輩が、私に伝えたかったことってなんですか?」

「一生そばにいてほしい」


 間髪入れずさも当然のように塩川は答えた。塩川の真っ黒な瞳にはまとい以外映っていない。まといは目を見開いた。と、次の瞬間塩川が大きく息をついた。


「って言いたかったんだけどさ、やっぱ無理だわ」

「は」


 まといの口から言葉とも息ともつかないものがもれる。


「5年前まといは俺をただの塩川だって言ってくれたけど、俺はやっぱりジョーカーなんだよ」


 塩川は苦しそうに笑った。塩川の脳裏に再生されているのは木村とまといの姿と、それを見ている自分の影だった。


「年も離れてるし、お前にメリット何もないもんな。ごめん」

「……」


 うつむくまといに塩川は続ける。


「明日にはここを出てくよ。ありがとう。会えてよかった」


 まといには塩川がどうしてそう言うに至ったかなんとなくわかるような気がした。そして塩川が大切な時に嘘を言うような人間ではないということも、あの大きく立派な屋敷を塩川なら惜しむことなく捨ててしまえるだろうということも……まといはよく知っていた。それらすべてを飲み込んで、まといがバッと顔を上げた。


「うるさーい!」


 まといの声量に圧倒され、塩川は面食らっている。


「なんですかなんですかなんですか! 黙って聞いてりゃうだうだと!」


 まといはどんどん塩川に近づいていった。塩川は後ずさるしかない。


「私はね、ただあなただけを思ってこの5年待ってたんですよ! なんでかわかりますか?!」


 ベンチに突き当たり、塩川はそれ以上後退できなくなった。塩川は困惑を残しつつ答えた。


「わ、わかりません」


 まといはスウと大きく息を吸い込む。


「好きだからですよ! 初めて会った時からずっと! 塩川流が好きなんです!」


 塩川は目を見開いた。


「それを先輩は! 年の差がなんですか! 過去の罪がなんですか!」


 まといが泣きながら叫ぶ。


「そのぐらい乗り越えろ! お前は泣く子も黙る、ジョーカーだろ!」


 まといは乱暴に涙をぬぐう。それでもまといの涙は止まらなかった。そっと塩川がまといの涙をぬぐった。


「……そうだな。ごめんまとい。俺ビビッてたよ。らしくねえよな」

「塩川、先輩」


 うつむいた塩川が右手を高く掲げる。


「さあ。ジョーカーのショウに、ご招待だ」


 パチンと塩川が指を鳴らす。すると、あたり一面に花が咲き乱れた。パステルブルーの空に星がきらめき、白馬たちがまといの横を通り過ぎていく。驚きにまといの涙は引いていった。


「瞬間移動、怪人製造……様々な能力のうち、何故かこれだけが俺に残された。視覚掌握。人助けのためだなんていう奴もいた。だけど、いや、だから……これは全部幻だ」


 まといはそっと白馬に触れようとした。とたんに白馬は霧のように消える。まといの胸を切なさが満たした。塩川がまといの腕をグイと引く。


「でもこれは、幻じゃない」


 そのまままといの前にひざまずき、指輪を差し出した。


「これは」


 まといは息をのんだ。


「朱都まといさん」

「は、はい」


 返事に詰まるまといにかまわず、塩川は一切の迷いなく告げる。


「あなたを愛しています」


 まといの目から、再び涙がこぼれだした。


「一生そばにいてください」




 まといの家の玄関はにぎやかだった。

 玄関ドアを開けようとする塩川に、詰め寄るような格好のまといがいた。塩川ははっきりと言う。


「無理!」

「なんでですか!」


 まといは塩川の胸倉をつかんで揺らす。


「だからまといのイメージがアップデートしきれてねえんだって! 12歳なんだって! この間まで小学生の中学一年生だったんだって!」

「いつの話してんですか! プロポーズまでしておいて! こちとらもう17歳なんですよ!」

「ダメなんだって。正直そういう雰囲気のハグだけでも罪悪感がすごいんだって。それ以上とかもう無理! 無理と言ったら無理!」

「無理じゃない!」

「無理!」


 無理、無理じゃないの問答をまといと塩川はしばらく続けていた。塩川が両手を前に出し、降参のポーズを取った。


「わかった。わかった! コインで決めよう!」

「はあ?!」


 塩川はポケットからマジック用のコインを取り出す。


「表が出たら俺はお前にキスする。裏が出たらお前はおとなしく俺を帰す! オーケー?」

「……わかりました」


 まといは塩川から手を離した。それを確認し、塩川はコインを投げた。その瞬間、塩川をドアに押し付けるようにまといは塩川に口づけた。しかし、早く動いたためまといの唇は塩川の唇の横、頬に当たった。


「んっ!」


 コインは床へと落ちていき、床に触れてかわいた金属音を鳴らした。まといは気まずそうに体を離す。


「……イカサマじゃねえか」

「先輩の真似ですよ」


 まといはやぶれかぶれにそう言った。塩川は大きくため息をついた。


「仕方ねえな」


 塩川の手がドアノブから離されたのを見て、まといは目を輝かせる。緊張を乗せた眼を閉じ、塩川は片手を額に当てた。


「ちょっと待て。気合入れさせてくれ」


 塩川は深呼吸した。


「さあ。ジョーカーのショウに……」


 まといが言葉を遮るように再び塩川に口づける。塩川が抗議の声を上げた。


「おい!」


 塩川の口に人差し指を当て、まといは静かに囁いた。


「ジョーカーじゃ、いや」


 塩川の喉がなる。一瞬の沈黙の後、塩川は何度目かのため息をついた。


「わかったわかった。仰せのままに。お姫様」


 まといはニッコリと笑う。


「お姫様じゃありません。私はベジソルジャー・トマティーナ」


 少しだけ間を置き、まといはゆっくりと言った。


「そして朱都まといです」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

道化師はトマトがお好き ノザキ波 @nami_nozaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ