サカヅキとジョーカー

 まといが塩川に案内された塩川邸は、カントリーハウスを思わせる荘厳な洋館だった。

 圧倒されるまといをよそに、塩川とサカヅキはさっさと中に入っていった。




 広々としたリビングはモノクロの色調で揃えられていた。

 中でも目を引く黒いソファに、まといとサカヅキは隣り合って座っていた。キッチンからはカチャカチャと食器を扱う音が響いている。まといはサカヅキをちらりと見た。片腕につや消しの黒いバングルをつけている。塩川も同じものをつけているのにまといは気づいていた。5年前のまといの記憶にはない。大切なパートナー、その言葉がまといの頭の中でぐるぐると回る。


「あ、あの。それ……」


 思わずまといは口を開くが、言葉は思うように出てこない。サカヅキは微笑み、答えた。


「ああ、塩川と揃いだな。大切な絆だ」


 大切な絆。まといはどんどん不安になっていった。まといの知る塩川は孤独な男だった。悲壮な過去を持ち、何者も信用せず、しかしそれを誰にも気づかせない……そういう男だった。まといはそんな塩川でも、いや、そんな塩川だからこそ好きだった。しかし思い返すと塩川の恋愛対象が女性に限っているという話をまといがきいたことはなかった。まさか……まといの脳内に黒雲がかかっていく。


「そ、その」

「ん?」


 サカヅキは柔らかい表情のまま首をかしげた。


「その、塩川先輩と、その」


 手を何度も組み替えながら、まといはもごもごと口を動かす。ちょうどその時、台所から塩川が歩いてきた。


「おまたせ! 紅茶入ったぜー」


 まといはその声にビクッとして、そのまま口をつぐむ。サカヅキはにこやかなまま塩川に話しかけた。


「悪いな」

「いいえ」


 塩川は三つのカップに紅茶を注ぎ、それぞれの前に置く。


「ありがとうございます」


 まといはかすかにむせつつ紅茶を口に運ぶ。サカヅキも紅茶を一口飲むと、まといに向き直った。


「それで?」

「ん?」


 サカヅキの視線を追って塩川もまといを見る。


「何が聞きたいんだ?」

「うぇ、えっと……」


 まといはうつむいた。シックなリビングに沈黙が流れる。塩川もサカヅキも、せかすことなくまといを待っていた。数秒後、まといはバッと顔を上げる。


「し、塩川先輩のパートナーって、こ、恋人ですか?!」


 再びの沈黙が三人を包む。その後、堰を切ったように二人の口から笑いがこぼれた。


「な、なんですか!」


 涙が出るほど笑いながら塩川が言う。


「悪い悪い。あまりにも突拍子がないからさ」


 まといは頬を膨らませた。高校2年生……女子大生も視野に入ろうというまといには少々年甲斐もない行動だったが、いかに憤慨しているか伝えたいが故のものだった。


「だって、唯一無二とか、大切な絆とか……!」


 塩川が涙をぬぐいながら答える。


「ああ、言ったな。たしかに」

「塩川はたしかに唯一無二のパートナーだが、恋人じゃない。俺たちは同じ任務をこなすバディだったんだ」


 まといはぽかんとした。


「任務……先輩がいたのは悪いことをした人たちが集まるとこだから……えっと刑務所みたいなところですよね。そこでの任務?」

「そ、機関から逃げた悪いやつらを捕まえる任務。で一緒に命かけた。まあ戦友だな」


 いくら改心しているとはいえいわば囚人に脱獄囚を捕まえさせるとでもいうような行為にまといはSF映画のようだとぼんやり思った。しかしそれよりもずっと深くまといの心を占めたのは戦友という言葉だった。そう言ったところで二人がアイコンタクトを取ったのをまといは見逃さなかった。二人の間の『戦友』に含まれる意味を少しでも拾うために、まといは小さく復唱した。


「戦友……」


 サカヅキが首からロケットのついたペンダントを外した。


「ちなみに俺の恋人はこっちだ」


 サカヅキからまといにペンダントが渡る。まといはロケットを開けた。中にはこちらを見て幸せそうに笑む一人の青年が映っていた。


「きれいな人……」


 まといは思わず口に出す。青年の視線の先にいるのがサカヅキなのだと、まといには直感で理解できた。


「だろう?」


 得意満面に、心の底から嬉しそうにサカヅキは言った。


「はいはい。こいつの恋人自慢は長えから。終わり終わり」

「なんだ」


 塩川は慣れた様子でサカヅキの言葉をさえぎり、サカヅキもまた慣れた様子で話を切り上げた。

爪が当たらないよう丁寧に手を差し出し、サカヅキはまといからペンダントを回収した。塩川はまといに視線を移し、いたずらに笑む。


「まといは?」

「え?」


 塩川の笑みが深くなった。


「恋人。いないのか?」

「私は、その」


 まといはきょろきょろと目を泳がせたが、塩川は返答が得られるまで引きそうになかった。まといは観念したように言う。


「いない、です」

「へえ?」


 塩川の瞳は猫のように細められた。それにどこか馬鹿にするような色をまといは感じた。5年前の塩川もよくしていたことをまといは覚えていた。恥ずかしさと、悔しさと、少しのなつかしさを覚えながら、まといは精一杯抗議する。


「なんですか!」

「なんでも」


 笑いながら、塩川はしっしっと動物を追い払うようなしぐさをした。これも塩川の癖だった。まといがなつかしさに浸っていたその時、サカヅキの意外な言葉がまといの耳に届く。


「教えてやる。塩川は今ほっとした」

「おい!」


 塩川は焦った様子でサカヅキの方を睨む。焦る塩川を見たことがなかったまといはまた悔しくなった。しかしそれに勝る興味がまといの脳内を埋め尽くしていた。


「何でですか?」

「やめろ」


 塩川はサカヅキの腕をつかむ。傍目から見てもかなり強い力で握られていることがまといにも分かった。それをものともせず、サカヅキは笑う。


「さあな?」


 塩川はため息をついた。


「塩川。茶請けがないぞ」


 サカヅキは優雅に紅茶を飲みながら催促した。まといの目がきらめく。


「お菓子!」


 まといの反応に吹き出しながら、塩川は立ち上がった。


「わーった。持ってくっからちょっと待ってろ」


 数歩歩いてから振り返り、塩川はサカヅキを指さす。


「余計なこと言うなよ!」

「わかってる。早く行け」


 塩川は舌打ちをしながらキッチンへと消えていった。




 再びリビングは初対面のまといとサカヅキがいるのみとなった。サカヅキがカップをソーサーに置く。


「まとい」

「は、はい」


 突然名前を呼ばれて驚きながらも、まといは反射的に返事をした。サカヅキは今までで一番柔らかく微笑むと話し始めた。


「塩川にとって、君は特別だ」

「とく、べつ」


 飲み込み切れず、まといはただ言葉を繰り返す。優しくペンダントに触れながらサカヅキは続けた。


「俺にとってのこの人と同じ」

「……」


 いつくしむようにペンダントをなで、サカヅキは目を伏せる。


「唯一理性的でいられない人」


 まといはやっと言葉の意味が飲み込めてきた。まといは少し悲しくなった。


「先輩は、いつも冷静です」


 記憶の中の塩川も、再会してからの塩川も、まといの目に映る塩川はいつだって冷静だった。今さっき、サカヅキの言葉に乱されるまでは。まといは唇を噛んだ。サカヅキがまといを手招きする。まといは一瞬躊躇したが、すぐにサカヅキに上半身を寄せた。塩川のことならなんでも知っておきたいとまといは思った。サカヅキは小声で言う。ほんの少しだが笑いが混じっていた。


「カッコつけてるのさ」


 まといは思わずサカヅキから離れる。


「ええ?」


 サカヅキは微笑んだ。いたずらな微笑みだったが、まといは不思議と嫌な感じを少しも受けなかった。


「泣く子も黙るジョーカーがだ。笑っちゃうだろ?」


 まといも、小さく笑った。


「まいどー。って何笑ってんだよ」


 キッチンから戻ってきた塩川は怪訝そうな顔で言った。


「何でもない」


 サカヅキを睨みながら塩川が吠える。


「サカヅキお前、あることないこと吹き込んだんだろ!」


 サカヅキはまた一口紅茶を飲みながら答えた。


「あることしか吹き込んでない」

「吹き込んでんじゃねえか!」

「まあまあ」


 今にもつかみかかりそうな塩川をまといはなだめた。サカヅキと二人でいたのは一瞬だったが、その間にまといはサカヅキを認めていた。自分の知らない塩川を引き出してしまうサカヅキがうらやましかったがまといにはそれ以上に、自分の知らない塩川を見られることが嬉しかった。

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