サカヅキとジョーカー

 塩川邸。荘厳な洋館。

 圧倒されるまといをよそに、塩川と坂月はさっさと入っていく。




 リビング。モノクロで揃えられたシックな部屋。

 まといと坂月がソファに隣り合って座っている。キッチンからはカチャカチャと食器を扱う音が聞こえた。まといは坂月が片腕につけたバングルを見る。塩川も同じものをつけていた。大切なパートナー、その言葉がまといの頭の中でぐるぐると回る。


「あ、あの。それ……」


 思わず口を開くが、言葉が思うように出てこない。坂月は微笑み、答えた。


「ああ、塩川と揃いだな。大切な絆だ」


 大切な絆。まといはどんどん不安になっていく。


「そ、その」

「ん?」


 坂月は柔らかい表情のまま首をかしげた。


「その、塩川先輩と、その」


 手を何度も組み替えながら、まといはもごもごと口を動かす。ちょうどその時、台所から塩川が歩いてきた。


「おまたせ! 紅茶入ったぜー」


 まといはその声にビクッとして、そのまま口をつぐむ。坂月はにこやかなままだ。


「悪いな」

「いいえ」


 塩川は三つのカップに紅茶を注ぎ、それぞれの前に置く。


「ありがとうございます」


 坂月は紅茶を一口飲むと、まといに向き直った。


「それで?」

「ん?」


 塩川もまといを見る。


「何が聞きたいんだ?」

「うぇ、えっと……」


 まといはうつむいた。沈黙が流れる。塩川も坂月も、せかすことなくまといを待っていた。少しの後、バッと顔を上げるまとい。


「し、塩川先輩のパートナーって、こ、恋人ですか?!」


 再びの沈黙。その後、堰を切ったように二人の口から笑いがこぼれた。


「な、なんですか!」


 涙が出るほど笑いながら塩川が言う。


「悪い悪い。あまりにも突拍子がないからさ」


 まといは頬を膨らませた。年甲斐もない行動だったが、自分がいかに憤慨しているか伝えたかった。


「だって、唯一無二とか、大切な絆とか……!」


 塩川が涙をぬぐいながら答える。


「ああ、言ったな。たしかに」

「塩川はたしかに唯一無二のパートナーだが、恋人じゃない。俺たちは同じ任務をこなすバディだったんだ」


 まといはぽかんとした。


「任務……刑務所で会ったってことですか?」

「そ、なんやかんやで一緒に命かけた。まあ戦友だな」


 戦友、と言ったところで二人がアイコンタクトを取ったのをまといは見逃さない。その言葉に含まれる意味を少しでも拾いたくて復唱した。


「戦友……」


 坂月が首からロケットのついたペンダントを外した。


「ちなみに俺の恋人はこっちだ」


 坂月からまといに渡るペンダント。まといはロケットを開けた。中には、こちらを見て幸せそうに笑む一人の青年が映っている。


「きれいな人……」

「だろう?」


 自慢げに坂月は言った。


「はいはい。こいつの恋人自慢は長えから。終わり終わり」

「なんだ」


 まといからペンダントを回収する坂月。塩川はまといに視線を移し、いたずらに笑んだ。


「まといは?」

「え?」


 塩川の笑みが深くなる。


「恋人。いないのか?」

「私は、その」


 きょろきょろと目を泳がせるが、塩川は返答が得られるまで引きそうにない。まといは観念したように言った。


「いない、です」

「へえ?」


 塩川の瞳は猫のように細められる。それにどこか馬鹿にするような色をまといは感じた。6年前の塩川もよくしていたからだ。恥ずかしさと、悔しさと、少しのなつかしさを覚えながら、まといは精一杯抗議する。


「なんですか!」

「なんでも」


 笑いながら、しっしっと動物を追い払うようなしぐさをする塩川。これも塩川の癖だった。まといがなつかしさに浸っていたその時、坂月の意外な言葉がまといの耳に届いた。


「教えてやる。塩川は今ほっとした」

「オイ!」


 塩川が焦っている。こんな塩川を見るのは初めてで、まといはまた悔しくなった。しかしそれよりも、興味の方が勝る。


「何でですか?」

「やめろ」


 坂月の腕をつかむ塩川。傍目に見てもかなり強い力で握られていることが分かった。それをものともせず、坂月は笑う。


「さあな?」


 塩川はため息をついた。


「塩川。茶請けがないぞ」


 坂月は優雅に紅茶を飲みながら催促する。まといの目がきらめいた。


「お菓子!」


 まといの反応に吹き出しながら、塩川は立ち上がる。


「わーった。持ってくっからちょっと待ってろ」


 数歩歩いてから振り返り、坂月を指さす塩川。


「余計なこと言うなよ!」

「わかってる。早く行け」


 塩川は舌打ちをしながらキッチンへと消えていった。坂月がカップをソーサーに置く。


「まとい」

「は、はい」


 突然呼ばれて驚きながらも、まといは反射的に返事をした。坂月は今までで一番柔らかく笑むと、話し始めた。


「塩川にとって、君は特別だ」

「とく、べつ」


 飲み込み切れず、ただ言葉を繰り返す。優しくペンダントに触れながら坂月は続けた。


「俺にとってのこの人と同じ」

「……」


 いつくしむようにペンダントをなで、目を伏せる坂月。


「唯一理性的でいられない人」


 まといはやっと言葉の意味が飲み込めてきた。そして少し悲しくなる。


「先輩は、いつも冷静です」


 記憶の中の塩川も、再会してからの塩川も、いつだって冷静だった。今さっき、坂月の言葉に乱されるまでは。まといは唇を噛んだ。坂月がまといを手招きする。まといは一瞬躊躇したが、すぐに坂月に近寄る。塩川のことならなんでも知っておきたかった。坂月は小声で言う。ほんの少しだが笑いが混じっていた。


「カッコつけてるのさ」


 まといは思わず坂月から離れる。


「ええ?」


 坂月は微笑んだ。不思議と嫌な感じは少しもしない。


「泣く子も黙るジョーカーがだ。笑っちゃうだろ?」


 まといも、小さく笑った。


「まいどー。って何笑ってんだよ」


 キッチンから戻ってきた塩川は怪訝そうな顔である。


「何でもない」


 坂月を睨む塩川。


「坂月お前、あることないこと吹き込んだんだろ!」


 紅茶を飲みながら答える。


「あることしか吹き込んでない」

「吹き込んでんじゃねえか!」

「まあまあ」


 今にもつかみかかりそうな塩川をまといはなだめた。坂月と二人でいたのは一瞬だったが、その間にまといは坂月を認めていた。自分の知らない塩川を引き出してしまう坂月がうらやましかったが、それ以上に、自分の知らない塩川を見られることが嬉しかった。

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