大切なパートナー
まといはゆめみ高台公園の階段を下りていく。途中ふと立ち止まったまといは、先ほどまでいたベンチを見た。そしてまといは回想した。5年前、塩川と過ごした日々のことだった。
初めて出会った時のこと。買い食いは校則違反だと言っているのにふわふわとかわされてピンク色の大福を共に食べた時のこと。バイクの後ろに乗せてもらって海を見た時のこと。春だというのに雪が降った日に自分がジョーカーだと明かされた時のこと。
まといはベンチに過去の自分を幻視する。
まといと塩川は、隣り合ってベンチに座っていた。塩川の手には手錠がはめられている。それはまといが塩川と最後の戦いを終えた時の光景だった。まといと全てをぶつけて戦い、塩川は改心した。しかし犯した罪は大きく、宇宙の平和を保つ機関によって拘束された。本来ならばすぐに宇宙へと連行されるべきところを、あまりに泣きじゃくるまといをみた担当者が融通をきかせて塩川と最後の時間を作ってくれた。
「泣かなくていいんだよ。お前が泣いてたら俺は行けない」
塩川はバツが悪そうに言う。
「……だって。だって」
何度もまといはだってと繰り返した。続く言葉がまといの口から鈍くはじけた。
「私、先輩から自由を奪ってしまった……! 先輩の、一番大切なもの……」
まといの涙をぬぐいながら、塩川は言葉を紡いだ。
「違うよ。お前が俺を、俺の心を解放してくれた。俺はもうどこにいっても自由でいられる。お前が俺を、自由にしたんだ。ありがとう、まとい」
ゆっくりと顔を上げたまといに塩川が微笑みかける。
「俺が戻ってくるまで待っててくれよ。そしたら伝えたいことがあるんだ」
「伝えたいこと?」
しゃくりあげながらもまといはなんとか受け答えた。それを見て塩川はニッと笑う。
「ああ、だから泣くなよ。まとい……いつも、笑って」
そう言って塩川はまといの頭をなでた。首が揺れるほどなでられながら、まといは不思議と涙が引いていくのを感じていた。
「まとい!」
まといはベンチから声の方へと振り返った。自分より数段下を歩く塩川が、怪訝そうな顔でこちらを見ている。
「すみません!」
過去を背に、まといは早足で塩川の方へ走っていった。
数刻後。まといは塩川の運転する車の中にいた。
赤信号に引っ掛かり、塩川は車をゆっくりと停車させた。車に乗り始めてからずっと、まといはどこか落ち着かない気持ちでいる。
「先輩が四輪乗ってるの、なんか不思議な感じです」
「そうか?」
片手をハンドルから離し、塩川が答えた。
「そうですよ。先輩と言えばバイクですもん」
「バイクは今も好きだけど、今日はお前を迎えに行くつもりだったからな。こっちの方が便利」
まといは照れ笑いを浮かべた。つられるように塩川も笑う。
「やっぱいいよな。自由にどこでも行けるってのは」
まといはハッとして俯いた。
「ごめんなさい先輩私……」
すっぱりと塩川は続く言葉を遮った。
「やめろって。俺は悪いことをした。だから捕まった。それだけだろ?」
噛みつくようにまといは言う。
「だって私、先輩から自由を……奪ってしまった」
まといの強い語気と反対に、柔らかい口調で塩川が答えた。
「あの時も言ったけど、お前が俺を自由にしてくれたんだよ。お前が俺と本気で向き合ってくれたから、俺はこの先どこにいて何をしてても自由でいられる。」
「でも」
なおも続けようとするまといを塩川が制した。
「それに、捕まったあとも色々あったしな」
「色々?」
まといは首をかしげる。
「大切なパートナーにも出会えた」
「たっ、大切なパートナー?!」
塩川はまといの大声に一瞬ひるんだが、すぐに続けた。
「そ。だからお前が気に病むことはなにもねえよ」
「……はい」
まといは視線を塩川から外に移した。塩川の口調は優しかったが、これ以上この話題を続ける気はないと鈍感なまといにも感じ取れた。何より自分に待っていてくれと約束しながら他の人間をパートナーと呼んだことに、少なからずまといは憤慨していた。
「そろそろだな」
車窓に銀行が通り過ぎる。それをみたまといは今日本来の用事を思い出した。
「あ、まって」
「ん?」
塩川は前を見たまま少しだけ首を傾げた。
「振込今日までで、ちょっと寄ってもらえますか?」
「おう、了解」
にっかりと塩川は笑んだ。
ゆめみ銀行は機械の熱で少し蒸していた。
まといはATMで金を振り込んでいる。塩川は隅でぼんやり天井を見ていた。振り込みが終わったまといが塩川に走り寄る。まといは振り込み明細書を塩川に見せ、微笑んだ。
「お待たせしました!」
「おう、もう大丈夫」
か、と言いかけたその時、行内に銃声が響いた。まといも塩川も驚き、反射的に音の方を向く。覆面をした男が一人、拳銃を持って立っていた。
「全員動くな。お前はこれに金を詰めろ」
一人の行員に袋を渡しているのがまといの目に映る。行内の人々が動けずにいる中、塩川がつぶやいた。
「治安悪ぃな……」
塩川の目がスッと鋭くなった。獲物を狙う獣の瞳だった。まといはその目を良く知っていた。小声で塩川が続ける。
「さあ、ジョーカーのショウに」
「待って!」
まといが塩川の腕をつかむ。まといには、また塩川が遠くへ行ってしまうように感じられた。塩川はまといの剣幕に瞬間的にたじろいだものの、すぐに微笑みを返した。
「だいじょうぶだよ。昔とは違う。そもそも使える異能は一つだけだ。トマティーナに誓ってひどいことはしねえよ」
まといの瞳が揺れる。
「ほんとう?」
「ホント」
まといは少し目を伏せてから塩川を見た。
「はい」
信頼を乗せたまといの言葉に塩川はニカッと笑う。
「じゃあ改めて。さあ、ジョーカーのショウに」
塩川はスッと強盗の方を向いた。
「ご招待だ」
塩川の指がポケットの中で鳴らした音に気付いたのは行内でただ一人、まといだけだった。
本来閑静なはずの窓口のそばで強盗ががなる声がこだまする。
「とっとと金を詰めろ!」
突然強盗が目を覆った。
「うわああ! なんだ?!」
塩川は強盗まで一気に距離を詰めると、手刀で強盗の拳銃を床に落とす。
「なにが……がっ」
間髪入れず、塩川の裏拳が強盗の顎に入った。昏倒した強盗に塩川はほっと息をついた。
「先輩!」
まといが塩川を横に押し倒した。まといの体の横を銃弾がかすめる。強盗の仲間が客の中に紛れこんでいた。拳銃を塩川に向けながら、男は焦点の定まらない目で言う。
「何の手品か知らねえが舐めた真似しやがって」
まといを後ろに隠しながら、打つ手がないのを塩川は感じた。その瞬間何かが空を切る音が響く。同時に男が拳銃を手から取りこぼした。誰かが男の拳銃をけり落していた。その誰かは、何が起きたかを男に悟らせる間もなく、空中で身を翻して男の顔に蹴りを入れた。あっという間の制圧に、行内は静まり返る。静寂を破ったのは塩川だった。
「サカヅキ!」
サカヅキと呼ばれたその青年は、何事もなかったかのように塩川に返答する。
「塩川。お前の視覚掌握という異能は戦闘向きじゃない。無理はするな」
「わかってるって」
突然の展開の連続に、まといは首を傾げるしかない。
「おう。まとい、紹介するぜ」
塩川はサカヅキの隣に立つと、まといの方を向いた。
「俺のパートナー。唯一無二の相棒! サカヅキツカサだ」
サカヅキはまといを見ると、小さく笑んだ。
「サカヅキだ。よろしく頼む」
「あ、朱都まといです。よろしく……」
混乱しながらもなんとかまといは言葉を紡いだ。まといは驚いていた。自分以外何も信用できないと言っていた塩川が、唯一無二とまで他人に言ったことに。まといの中に渦巻くそれは、嫉妬だった。
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