道化師はトマトがお好き

ノザキ波

帰ってきたジョーカー

 5年前。

 T市、ゆめみ高台公園。広く市内を見渡せるその公園の時計は、12時前を指している。空はどんよりと曇り、まだ昼間だというのに夜のように暗い。

 そんな公園に一人、制服を着た少年がいた。少年の名は塩川流しおかわ りゅう。17歳。地球侵略を目論む組織、ガベィジ・サーカス大幹部ジョーカーと同一人物である。彼はポケットに片手を入れ、うつむいていた。階段を駆け上がる音が響く。一人の少女が息を切らして登ってきた。少女の名は朱都あかとまとい。12歳。ガベィジ・サーカスと戦う使命を負わされた、魔法少女である。塩川はつぶやくように言った。視線は地面に向いている。


「……なんで来た」


 間髪入れず、はっきりとまといは答える。


「先輩を、止めるためです」


 依然まといを見ないまま、塩川は言う。


「俺はこの世界を壊す」


 一拍置き、まといは答えた。


「させません」


 塩川のため息がこだました。


「お前だけが俺の未練、俺の特別、俺の弱さ」

「先輩……」

「断ち切らなきゃなんねーんだな」

「せんぱ」


 制すように、塩川がまといへと指をさした。


「俺はジョーカー。その名を聞けば泣く子も黙る。ガベィジ・サーカス大幹部、ジョーカーだ」


 一瞬まといは泣きそうな顔になった。しかしまといはぐっと顎を引いて涙をこらえる。


「私はベジソルジャー・トマティーナ」


 まといはポケットからトマトの形をしたブローチを取り出し、キスをした。瞬間、まといを光が包む。次の瞬間、まといは真っ赤なコスチュームをまとった魔法少女トマティーナへと変身していた。まといは力強く言葉を紡ぐ。


「そして朱都まといです!」


 塩川は力なく笑んだ。まといは続ける。


「たとえ先輩がジョーカーでも、私の知ってる塩川流が全部うそでも、私の思い出は全部本当!」


 決意の表情から一転、柔らかくまといは微笑んだ。爪の先まで力を入れるように、まといはポーズをキメる。


「しおれたココロ、真っ赤なラブで満たします!」


 それが合図だったかのように塩川は手を差し出し、指を鳴らした。


「さあ、ジョーカーのショウにご招待だ」


 12時のチャイムが鳴り響いた。




 まといの住むワンルームには綺麗に整頓された中にピンク色が散見される。中央に置かれたテーブルに合わせられた座椅子に座り、17歳になったまといは手紙を書いていた。


「今日は朝から曇っています。先輩と戦ったあの日と同じ。あの日のこと、今でも昨日のことのように思い出せます。だってそれは、先輩と話した最後の日だから。今は時折届く先輩からの手紙が、とてもとても楽しみです。でもほんとは」


 会いたい、と書いて書いたところを消す。


「お手紙待っています。朱都まとい」


 まといの胸中を切なさが満たした。ふるふると顔を横に振り、まといは笑顔を作る。胸の中だけで陽気にまといは言葉を発した。


『いつも、笑って』


 数秒置いて立ち上がると、手紙を窓辺にとまっていた鳩に託す。そのまま窓と反対方向に向かい、まといは玄関に置かれた帽子をかぶって出かけていった。


「行ってきます!」


 誰もいない室内に元気よくされた挨拶は、しばらく空中に浮かんでいた。




 数時間後。勉強をするために街中のカフェにいたまといは、大きく伸びをしながら外へと出てきた。

 顔を上げたまといの目に、晴れ間の見え始めた空が映る。

 グッと鞄をかけなおし、ふとまといは目線を下げた。まといの目の中に飛び込んだのは高台公園だった。


「よしっ」


 意図せずまといの口からもれた気合の声はにぎやかな雑踏へと消えた。




 早足に近いテンポで歩くまといと高台公園の距離はぐんぐん縮んでいく。

 階段からまといは速度を落とし、ゆっくりと上っていった。頂上につこうかというとき、まだ冷たい春風に吹かれたまといの帽子が空へと舞い上がった。


「あ」


 まといの帽子は一本の木に引っかかって揺れる。


「もー」


 まといは少し不貞腐れながら階段と木の中央あたりのベンチに鞄を置いた。そのまま木に向かったまといは、ロングスカートをたくし上げて木に登り始める。まといはサルのように器用に木の枝を登っていく。すぐにまといの手は帽子へとたどり着いた。

 帽子を取り戻した安堵感から微笑んだまといは、静かに足を滑らせた。


「え。やっ! あ」


 言葉にならない言葉を発しつつ、まといはあっという間に地上へと落ちていく。思わずまといはぎゅっと目をつぶった。パニックの中にあるはずのまといの脳内には、瞬間的に思い出される記憶があった。

 まといが中学校に入学した日のことである。木の上から降りられなくなった猫を助けようとしたまといは、今と同じように足をすべらせて落ちていた。しかし、地上につく前に横抱きでまといを受け止めた者がいた。それが塩川流。まといにとって他校のよき先輩であり、初恋の相手であり、宿敵だった。

 塩川との出会いのフラッシュバックと共に、まといは更に落ちていった。




 5年前この町を去り、紆余曲折を経て町に戻ってきていた塩川流は走っていた。塩川も思い出していた。まといと初めて会った時のことを。今と同じく、木から落ちてきた12歳のまといを受け止めた時のことを。なんとか塩川は木の下へ滑り込み、まといの体のクッションになった。どこか間抜けな再会に、塩川は大きく微笑んだ。


「目ェ離せねー奴だな。相変わらず」


 その声に瞼を開けたまといは目を丸くする。


「塩川……先輩……」


 まといの目から涙がこぼれだした。


「お、おい。どうした。まとい?」


 塩川はおずおずとまといの顔を覗き込む。瞬間、塩川の顔面を殴ろうとしたまといの拳が空を切った。


「うお、あぶね」

「どうしたじゃ、どうしたじゃないですよ! 帰ってきたなら言ってください! ずっと、ずっと待ってたんですから!」


 寸でのところで拳をかわした塩川の胸を、まといはポコポコと殴った。俯いたまといの瞳からは涙が次々にあふれ出ていく。


「悪かったよ」


 まといの涙を塩川は丁寧にぬぐった。


「ただいま。まとい」


 顔を上げ、まといは塩川を見る。


「おかえりなさい。塩川先輩」


 まといの手の甲に留まっている涙の粒には、まといと塩川が映っていた。




 5年ぶりに再会したジョーカーとトマティーナ、もといまといと塩川はベンチに隣り合って座った。塩川は鞄からピンク色の大福をいくつか取り出すと、まといへと差し出す。


「食うだろ?」

「あ、ありがとうございます」


 塩川から大福を受け取るとまといは首をかしげた。


「いつ頃戻ってきたんですか?」

「今さっきだな」


 大福を口に運びながら塩川は淡々と答える。まといも続くように大福を食べた。小さくかみ切って大福を口に運ぶまといを見て、塩川は笑う。


「小せえ口」

「なんですか!」


 塩川の言葉に嘲笑がないことをまといは知っていた。それでもなんとなくからかいの色を含んだ物言いにまといは憤慨の意思を示す。


「はは。怒んなよ」


 まといの抗議をものともせず、残っていた大福を一口で食べきった塩川は口を開いた。


「じゃあ行こうぜ」


 まといは再度首をかしげた。


「行くって。どこに?」

「俺の家。見たいだろ?」


 そういって塩川はいたずらに笑う。まといはまた泣きたくなった。この笑顔が、ずっと見たかったのだ。ゆるむ涙腺に鞭をうち、まといは立ち上がった。5年ぶりに塩川邸へと向かうために。

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