第31話


 ローテーブルには彼女の作った温かな料理が並べられていた。

 茶碗に盛られた白いご飯とお味噌汁からは湯気がモクモクと上がっていた。

 白く平べったい皿にはボール状のコロッケと瑞々しいレタスとトマトが乗せられ、色合いが考えられた華やかな食卓になっていた。


 腰を下ろそうとした時「まずは手洗いうがいだよ」と彼女に注意され洗面所に引っ張られていった。

 手を洗っている間も、彼女は腕を組んで僕を見張っていた。

 まるでお母さんの様で、ユリナは小さな頃からこんなにしっかりとした子だったんだなと今更ながら感心を覚える。


 はっきりした物言いと、家庭的な料理、僕の部屋をせっせと掃除してくれた几帳面な性格。

 きっと元の世界の彼女は、素敵な女性だったんだろうな。

 そして僕は彼女に敷かれてあれこれ文句を言われていたに違いない。

 想像すればするほど、それは微笑ましい光景だった。


 手洗いうがいを済ませ彼女の許しを得ると僕はようやく腰を落ち着けられる。

 彼女も向かい側に座ると、僕達は示し合わせたように合掌する。「いただきます」と互いに言うと彼女は嬉しそうに笑みを浮かべた。


 僕が食事に手を付けている間、彼女は僕の反応を楽しむようにニヤニヤしながら眺めていた。

 コロッケを一口齧って中にカボチャが入っている事に驚くと、狙い通りと言わんばかりに彼女はクスリと笑った。

 こんな芸当もできるのか、コロッケとご飯を口に含んで飲み込むと美味な味が口いっぱいに広がった。


「凄くおいしいよ。ユリナは料理が上手だね」


 率直な感想を述べると彼女は片手を首に当て照れたように身を捩った。


「えへへ、おかわりはまだあるからね」


 キッチンワークスペースに置かれたプレートにはコロッケがあと五個程残っていた。


「張り切って作り過ぎちゃって、明日のご飯にしてもいいかもね」


「・・・そうだね」


 恐らく明日は来ない、目覚めれば元の世界に戻っている事だろう。

 互いに少年少女の姿でいられる瞬間は、もう残りわずかだ。


「そういえば、ユリナは僕より早くこの世界にいたんだっけ?」


「え?そうだけど。それがどうかしたの?」


 彼女はお味噌汁を啜りながら答える。

 僕の感想に満足したのか、ようやく自分の作った料理に手を付け始めていたところだった。

 部屋に戻って彼女と話している内に、ある話題に触れない事に僕は違和感を覚えていた。

 何故彼女は、世界に夜が訪れたことに疑問を覚えないのだろう?

 彼女の性格を考えると、「リョウ君夜だよ!夜が来たよ!」とまず一番にはしゃぐイメージがあるのだが。


「いや、だって夜になったんだよ?今まで太陽がずっと出ていてこのまま沈まないんじゃないかってくらい昼が長かったから、僕びっくりしちゃって。ユリナは驚かないのかなって」


「驚くって・・・あ、そっか!リョウ君夜を見たの初めてだよね!」


 僕は肯く。

 彼女は合点しているようだが、僕は何が何やら分からない。


「この世界のお昼はね、とっても長いんだよ。でもいつか夜が来て、眠るとまたお昼になってる。お昼の時間が長い分、眠る時間もきっと長いんだろうね」


 筋が通っているようでおかしな理屈を彼女は言う。

 つまり、この世界の夜を彼女は何度も経験しているということだろう。

 しかしどうだろう、もし今この瞬間が元の世界の僕と彼女が互いに見ている夢の中だとしたら、彼女はずっと夢の中にいて僕がその中に誘い込まれたということだろうか?


 もしかして彼女は、元の世界の病室で昏睡状態に陥っているのか?だとしたら目が覚めて病室に行っても、彼女はまだ夢の中にいるのかもしれない。

 そうなると僕達の再会は果たせない、それは現状況で最悪の想像だった。


「どうしたの?ボーとして」


「・・・え?いや、なんでもないよ。そうなんだ。昼が長いんだね。知らなかったな」


 上手く表情が取り繕えず、乾いた笑いが出る。

 夢が覚めてどんな現実が待ち受けているのか、心の中にある雲行きが怪しくなってきた。


「でも、怖いな」


 彼女の呟くような声が聞こえ、僕は顔を上げ彼女を見る。

 下に俯き、わずかに覗く表情には陰りが差していた。


「夜になる度、新しい明日がようやく来るんだって、ワクワクしてた。でもリョウ君が来て、怖くなった。

 ずっと一人で遊んでいたから、誰かとゲームをしたり、街に行って出歩いたり、食事を一緒にするなんて、なかったから。すごく楽しかった・・・。

 でももし起きてリョウ君がいなくなっていたら、私は泣くと思う。

 今まで一人でいて寂しいなんて思わなかったけど、きっと寂しくなるんだと思う。

 誰かといることがこんなに楽しかったなんて知らなかったから・・・」


 彼女はまばたきを何回も繰り返し、目からは今にも落ちそうな涙が輝き揺れていた。

 俯いた顔はこちらに向けられ、真っ直ぐに見つめられる。


「・・・ねぇリョウ君、どこにも行かないよね?ずっと私の傍にいてくれるよね?」

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