第29話


「僕は間に合わなかった。

 どんなに願っても時間を戻すことはできない。

 でも君は違う。

 元の世界に帰れば、まだ彼女は生きている。

 君はまだ、間に合うんだ」


 そこで僕は彼を見る。

 蔓延っていた疑問点が、一つに合致したような感覚があったからだ。


「まさかあなたは、その事を伝えるためにここに来たんですか?」


 彼は微笑みを浮かべ、僕の肩に大きな手をポンと置いた。


「一種の賭けだったけどね。

 奇跡的に君たちと同じ夢の中に入ることができた。

 案外、夢っていうのは時間の概念がないのかもしれないね。

 そこに行きたいと願えば、願いの強さだけその世界に導いてくれる、そんな気がするよ」


 置かれた手の温もりが熱く、彼がどれだけ強く願ったのかが伝わってくるようだった。

 彼は真っ直ぐに僕を見て、その目は僕に多くを託しているように見えた。


「目が覚めて、君が何をするべきなのか。

 今の君なら、もうわかるだろう?」


 心に熱い思いが流れてくるようだった。

 彼の後悔を、僕は無駄にしてはいけないんだ。

 彼は立ち上がり、僕の肩から手を離す。


「僕が伝えたいことは全部伝えた。

 後は君次第だ。任せたぞ」


「・・・はい。必ず」


 自らに誓うように、僕は強く言葉を返した。

 僕達はしばらく互いの視線を交え、彼が笑みを浮かべるまでそれを続けた。

 未来の僕はこんなにかっこよくなるのだと思うと、少し嬉しい気持ちになった。


「よし・・・それじゃ」


 そう言い残して彼は歩き出す。

 木漏れ日に照らされたタイルの道を進み、徐々に背中が遠ざかっていく。

 しばらくその背中を見送っていたが、僕はベンチから立ち上がって彼の元へ駆けていた。


「香山リョウ!」


 僕は彼の名前を叫ぶ。

 彼は足を止め、後ろに振り返り驚いた様子でこちらを見ていた。

 目の前まで来るとスピードを落として立ち止まり、呼吸が落ち着くまで息を荒げた。


「彼女と、会ってみませんか?」


「え?」


 そこから数秒の沈黙があった。

 思いもよらない発言だったのだろう、逡巡としているのが表情や挙動から見て取れた。


「・・・そうだね。最後に一度だけ、会ってみたいな」


 そう言って彼は微笑んだ。

 懐かしそうに、思いを馳せるように、まだ彼の中にいる彼女との決着をつけるためにそれは必要な事の様に思えた。


「じゃあ、行きましょう。

 部屋に置いてけぼりにされて、きっと彼女はまた拗ねているだろうけど」


「ははっ、彼女らしい」


 僕達はそんな彼女の姿を想像して可笑しそうに笑いあった。



 

 病院の坂を二人並んで下っているとき、以前とは世界の色が違うことに気付かされた。

 オレンジ色の光が続く道路の先を照らし、並んで植えられた植栽の影が長く伸びていた。

 後ろを振り向くと、滲むような夕日の光芒とした光が僕の視界を埋め尽くす。

 この世界で初めて、太陽が動き始めたのだ。


「もう、長くはないのかもしれないな」


 それが夢の終わりの事を指すのか、彼女の生命について意味しているのか。

 どちらにしても彼の言う通り、もう長くはないのだ。

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