第28話


 彼女の部屋を訪れ、ゴミ箱の中にあった彼女のメモを見た時から気づいていた事だった。

 自分が近い内死ぬことを分かっていて、彼女は僕と別れたのだから。

 それでも、分かっていたとしても、信じたくなかった。

 本当に死んでしまうなんて、もしかしたら間違いだったのかもしれないって、心のどこかでわずかな希望を宿していた。

 

 でも、ダメだったんだ。

 目の前の彼が全てを物語っている。

 彼女を救えなかった、自己への怒りと後悔の念がひしひしと伝わってくるようだった。


「彼女がこの世を去ってから、もう八年になる。

 二十四歳、僕が別れて二年後に彼女はいなくなったんだ。

 その事を知ったのは、つい最近の事だった」


「二十四・・・そんな。あなたは、いや僕は、その時何をしていたんですか?」


 彼は指に挟んだ煙草を地面に落とし、それを靴底で踏みゆっくりと鎮火した。

 悔しそうに眉間に皺を寄せ、両手を握り締めていた。


「既に街から去っていた。

 僕を捨てた彼女を憎んで、忘れたくて、遠い場所へ引っ越したんだ。新しい土地で再就職して、生活習慣を見直して、彼女の事を一日でも早く忘れてしまおうと躍起になっていた。

 その時の僕は彼女がとっくに他の誰かと幸せになっていて、僕の事なんて忘れてしまったに違いないって酷い被害妄想を考えずにはいられなかった。

 本当は彼女がどんなに苦しんでいたのか、もうこの世からいなくなってしまったなんて、夢にも思わなかった」


「そんな・・・」


「大馬鹿野郎だよ・・・彼女が一番助けを必要としているときに、僕はとんだ勘違いをして自分を追い込み、彼女を憎んでいたんだ。

 あれだけ傍にいて、彼女の事を一つも分かっていなかった」


 最後に彼と、会わせてください。

 彼女の最期のノートに書かれた言葉を思い出す。

 自分を忘れて他の誰かと幸せになって欲しいなんて嘘だ。

 本当は最後の瞬間まで一緒にいたかった、自分の事を永遠に忘れてほしくなかったはずなのに。


「でも、彼女は優しいからさ。

 こんな俺の幸せを願って自分が目の前から消えることを選んだんだ。

 どれだけ悩んで出した答えなのかも知らず、俺は・・・」


 彼は目頭を手で覆う。

 涙を流さないよう、必死に堪えていた。

 落ち着いて次の言葉を言うまで、僕は黙っていた。


「ごめん、感情的になって」と彼は手の甲で防ぎきれなかった涙を拭う。


「あるきっかけがあって、九年ぶりにこの町に戻ることになった。

 地元の同窓会に誘われて、今までは頑なに断ってきたんだけど電話まで掛けてきて勧誘されてさ、上手く断れず渋々出席することになったんだ。

 君は覚えてないだろうけど、僕とユリナは高校が同じでその時から付き合っていたんだ。

 当時僕とユリナが付き合っていたことを知っていた同級生がユリナの事を話し始めてさ、その流れで知ったんだ。

 彼女が亡くなったことを。

 嘘だろ、それは本当かとそいつを問い詰めると当然知っているかと思っていたと言われたさ。

 次の日、事前連絡もなしに彼女の実家に訪問したよ。

 玄関からは彼女の母親が出てきた。

 付き合っていた当時は何度か面識はあったけど、まだ彼女は覚えていてくれた。

 いつか来ると思っていました。

 そう言って中に通してくれた。

 和室に置かれた仏壇にはユリナの写真が飾ってあって、本当に亡くなったのだと僕はその場に崩れ落ちた。

 実感は沸かないが、信じざるを得ない状況が目の前にあった。

 お線香を立てさせてもらい手を合わせた後、彼女の母は最期に残したノートを僕に見せてくれた。僕はそこで自分の過ちを知ることになる。

 悔やんでも悔やみきれない、涙は止めどなく溢れ流れた。

 どれだけ悔やんでも、もう彼女は帰って来ない。

 その揺るぎない事実だけがどうしようもなく立ち塞がり僕を責めてくるようだった。

 その後お母さんはユリナのお墓を案内してくれた。

 綺麗なお墓で、しっかりと手入れをされていることが目に見えて分かった。

 お墓の前で立ち尽くしながら、僕は彼女と会った最後の日々を思い出す。

 僕が思い出したのは、彼女に振られたあの日ではなかった。

 ふとした時に見た、不思議な夢のことだった。

 それが、今見ている君の夢の事だよ」


 その話をここまで聞いて僕は固唾を飲む。

 彼も僕なら、同じ夢を見ていたとしてもおかしくない。

 しかし約十年前に見た夢の事を、彼は覚えていたというのか。


「その夢の中では、同じように未来の自分がいたんですか?」


「いや、その時はいなかった。

 小学生の姿になった僕とユリナ、二人だけだったよ。

 二人だけの世界で、日が暮れるまでただ楽しく遊んでいた。

 色々と謎の多い世界だと思ったけど、当時の僕はそんなの気にも留めずにユリナとの遊びに夢中だった。

 でも何よりも不思議だったのが、その夢の内容が今でも昨日の事の様に思い出せるんだ。

 色褪せることなく、とてもただの夢だったとは思えない。

だから彼女のお墓の前で思い出した時、もしかしたらあれは彼女の最後の願いが叶った瞬間だったのかなって思ったんだ。

 ノートにも書いてあった、夢の中でもいいから彼に会わせてくださいっていう、その願いが」


 まさか、そういうことなのか?

 今僕と彼女は同じ夢を見ていて、夢が覚めれば元の世界の記憶は戻るから再会の形はどうあれ叶ったことになる。


 夢の中で互いの記憶が失われているのは僕が彼女を恨んでいるかもしれないから、余計な感情を失くして再会をすることで楽しく終わりたかった。

 そうすることで互いの関係に終止符を打つ。


 でもユリナ、君は本当にそれでいいのか?

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