第5章 十年後の後悔

第25話



 水道メーターを開けると三通目の手紙が入っていた。

 これが最後の手紙になるかもしれない、長方形の白い封筒を手に取った時そう感じた。

 中身を取り出し、三つ折りにされた紙を開いてそこに書かれた文面に目を通す。


〈木村ユリナが元の世界でどんな状況下にあったのか、君はもう薄々気づいている事だろう。だからこれが最後の手紙になる。

 この場所に来てくれ、そこで全てを君に託そう〉


 数行の空白があり、一番下の行に数キロ先にある国立病院と東病棟三〇一号室と書かれていた。

 手紙の差出人はそこで待っている、いよいよ対面する時がやってきたのだ。

 全てを託そうとはいったいどういう意味なのだろうか、ユリナに関する事には間違いなさそうだが。

 この人は僕とユリナについて知っていた、僕達の関係性をこの世界で誰よりも把握している人物だ。

 残された記憶の中で探ってみるが、誰一人として見当もつかなかった。

 疑問点は他にもある、何故この人は手紙という回りくどい手段を使ったのか。

 姿をさらさず、恐らく遠くから観察し、僕がユリナに関する記憶を思い出させる為にヒントとなる言葉を手紙に綴り送る。

 

 あまりにも手間がかかり効率が悪いように思える。

 僕が手紙に書かれたこと通りに動くとは限らないというのに。直接会って話すのではダメだったのだろうか。

 手紙の差出人は、僕とユリナに会えない理由でもあるのか。

 こればっかりは直接聞いてみないと分からないか。

 

 僕は部屋にいるユリナにちょっとコンビニに行ってくると一言掛け、「えー私も!」とついてきそうだったので急いで自転車に跨り病院へと向かった。

 帰ったらまた拗ねられているだろうな。




 県道から外れ、緩やかな坂道を登った先に病院はあった。

 広大な敷地に白いタイルが並べられ、その上に木目調のベンチと一定の間隔で植栽が植えられていた。

 そびえ立つ病院の外壁は全面白く塗装され、部屋の数だけ同じ形の窓がいくつも設置されていた。

 自転車を玄関口の庇の中に駐車し、自動ドアから中に入ると吹き抜けのロビーが広がっていた。


 電球色のダウンライトが煌びやかに室内を照らし、真ん中にはアクリル板の貼られた廻り階段が設置されていた。

 ロビーを横切り隅にあるエレベーター扉の前に立ち、上階のボタンを押す。

 しばらく待つと両扉は静かに開き、中に入り三階のボタンを押して扉を閉じる。

 異音も揺れもなくスムーズに動くエレベーターに一瞬ちゃんと上に上がっているのか不安になったが、すぐに扉は開いて三階フロアに着いた。


 三〇一号室、頭の中で唱えながら袖壁に掛けられたプレートに目を通していく。

 ナースステーションの前を通り過ぎ、すぐ隣に三〇一号室の病室はあった。

 プレートに木村ユリナと書かれてあることを確認し、引き戸の取手に手を掛け開ける。

 自分の身長よりもはるかに高い大きな建具の割にはあまり力を加えずスムーズに開閉することができた。

 蛍光灯の光が反射したリノリウムの床を歩き、袖壁の先に囲いが設けられその中に柔らかそうなベッドが見えた。


 真っ白な部屋だった。

 壁も天井も照明も窓を包むレースも、白に統一され神聖な雰囲気を作り出していた。

 レースの隙間から差し込む太陽の光と、収納置の上に置かれた花瓶と白い花が室内の圧迫感を緩和し開放的な気分にさせてくれた。

 僕は壁に建て掛けられたパイプ椅子をベッドの隣に組み立て、そこに腰掛ける。


 彼女はずっとここにいた。

 自分の死を意識せざるを得ない程の病に侵され、終わりの瞬間までただじっとここで待ち続けていたのだ。

 それが数年なのか、数か月なのか、数日なのか、余命宣告を満たすその日まで、あらゆる情報から隔離された静かな部屋で、病室という名の監獄に、彼女は閉じ込められていたのだ。


 人が生きる人生の果ては、こんなに寂しい結末を迎えてしまうのか。

 僕の知っているユリナは外の世界でこの身が尽きるまで笑顔で走り続けているような少女だ。

 でも、この部屋にいたユリナはどこにもいけない。

 走るどころか、歩くことすらままならなかったのかもしれない。

 ユリナの心は、とっくに壊れていたに違いない。

 ベッドの傍に置かれた車椅子を見て、僕はそう想像する。


 視線をベッドに移した時、枕の下にノートの端が挟まっているのを見つけた。

 手に取ってみるとそれはA4サイズの大学ノートだった。

 ノートの表紙を一枚開けると、彼女の丸っこくて小さな字が見えた。

 日付と天気、それから三行程使い簡単にその日の出来事をまとめていた。

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