第21話

「・・・どうしたの?聞きたい事って?」

 ユリナは水栓のレバーを下ろして水を止めた。

 話しかけられたものの黙っている僕を不思議そうに見つめていた。


 何から話すべきなのか迷ったが、まずは言葉よりも例の紙を見せた方が早いと思った。

 僕はポケットに手を入れ、二つに折られた紙切れを取りユリナに差し出した。

 彼女は戸惑いながらもそれを静かに受け取った。

 紙を広げ、そこに書かれた文面に目を通している。

 読んでいる間は両者ともに無言で、僕は表情の変化を窺うように見た。


「えっと・・・これは何なの?リョウ君?」


 困ったように笑みを浮かべながら彼女は聞いてくる。

 私はこの紙に書かれた内容について一切心当たりがない、そんな反応だ。

 それが真意なのかそれとも演技なのか、見分けるためにいくつか情報を開示してみる。


「これは、ユリナ。君の部屋で見つかったものなんだ」


「私の部屋?」


「あぁ、本の中に挟まっていた。それをたまたま見つけたんだ」


「どういうことなの?リョウ君!私の部屋って、私でもどこにあるか分からなかったのに!どうやって分かったの!?」


「それは本当なのか?」


「え?」


「君が自分の部屋、いや、家すら分からないなんてどう考えても不自然だ。本当は僕に、何か隠していることがあるんじゃないのか?」


「何言ってるの・・・隠し事なんて、ないに決まってるじゃない!」


 彼女は声を荒立てながら僕の右手を握ってくる。

 瞳が困惑したように揺れていて、とても嘘を突いているようには見えなかった。


「一体、リョウ君は何が言いたいの・・・?」


「・・・この紙は、君が書いたんだろ?知らないはずがない。現に君の部屋で見つかったんだから。だからここに書いてある内容は、君が知っていないとおかしいことになる」


「だから知らないって・・・」

 僕はユリナから紙を奪い取り、一部分を読み上げる。


「私と彼以外消えてしまえばいい、二人だけを世界に閉じ込めて、そこで永遠に過ごせたら幸せじゃないか、なんて。今の状況にピッタリじゃないか。知らないなんて言われても、信じられないよ・・・」


「ほんとに何も知らないの!信じてよ・・・」


 彼女の声は震えている。

 僕の手を握った手は、力を徐々に失くしていき解けるように離れていった。

 懇願するように、涙目になりながら僕を見てくる。

 その目を見ていられず、思わず視線を逸らしてしまった。

 それが、彼女の問いに対する拒絶の反応として捉えられてしまった。


「リョウ君が信じてくれないなら、私も信じない・・・」


 彼女は僕の横を通り過ぎ、ゆっくりとした足取りで玄関先の方へと向かった。

 足早に出て行かなかったのは、もしかしたら僕が止めてくれるかもしれないという淡い期待があったのかもしれない。

 でも僕は、その場で俯いたまま何も言ってあげることができなかった。

 乱れた互いの仲を繋ぎとめられるような言葉が、何も思いつかなかったのだ。


「じゃあね・・・」


 彼女はそう小さく呟いた。

 ドアが優しく開かれ、そのままバタンッと閉じられた。


 数秒後、室内は空気が凍り付いた様に静かになった。

 まるで台風が通過した直後の様に、上陸時に残した爪痕だけが虚しく残されていた。

 中途半端に洗われた食器、先程食べた料理の香り、彼女の笑い声や怒った声が、まだこの部屋の中には残されている。

 本当に彼女は何も知らなかったのではないか、ただ単に彼女を傷つけてしまっただけではないか。


 そう思えば思うほど、僕は愚かな過ちを犯してしまったかもしれないという後悔の思いが徐々に込み上げてきた。

 真相を確かめる手段は、もう僕の周りには残されていない。

 

 ゲームセンターで取ったクマのぬいぐるみが、寂し気にソファの上で横たわっていた。

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