第18話

「何だ、この写真は・・・?」


 何度見ても写真に写る男は僕、香山リョウだった。

 しかし写真に写る女性を、僕は知らなかった。

 彼女は一体何者なのだ?


「僕は・・・ユリナのお姉さんと関りがあったのか?」


 部屋に置かれた唯一の写真立てに僕達のツーショットが飾ってあるのだ。

 ただの友達ではない、恋人と考える方が自然な流れだ。

 しかし肝心な僕自身は写真に写る女性の事を何一つ思い出せない。

 全くどうしてしまったんだ、僕の記憶は。

 重要な部分が全て抜け落ちているじゃないか。

 まるで使い物にならない。

 側頭部を手の平で叩き、華やかな微笑みを浮かべる女性の写真を眺めた。


 綺麗な人だ、ユリナも大人になったら、こんな素敵な女性になるんだろうなと想像した。

 感情の移り変わりが激しい所や元気溌剌な部分ばかりに目を奪われてしまうが、ユリナも顔だけを見れば目鼻立ちがはっきりとした可愛い女の子だ。


 そこで僕は引っかかりを覚えた。

 頭の中を過ぎった考えはいや、まさかそんなはずはと反射的に否定したが、すぐにまた引っかかりを覚えて一度葬った考えを蘇らせていく。

 ありえない話ではない、一度考え始めてしまうと想像が止まらない。

 むしろこの状況では、そう考えた方が色々と辻褄が合ってしまうように思えた。


「ユリナは、僕の恋人だった?」


 元の世界で、僕達は付き合っていた。

 もちろんそんな覚えは一つもない。

 あくまで見えた情報を繋げるようにして作り出した仮説にすぎなかった。

 恋人同士だった僕達は、何かのはずみでこの世界に陥ってしまう。

 姿は小学生に戻り、記憶は一部無くなり、まるで初めて出会った時のように僕達は再会をする。

 互いの本当の正体を知らず、他に誰もいないから僕達は自然な成り行きで関わりを持つことになり、そうして今に至る。

 どうしてこんなことになってしまったのか、そうすることで何の意味があったのか、なんて考え出したら途方に暮れてしまうだろう。

 予想できるとすれば、僕の元へ手紙を送ってきた謎の差出人が何かを知っているということだけだ。

 とにかくそいつに会わなくてはいけない。


 元の世界に戻りたいとは決して思わないが、なぜこうなってしまったのかという経緯や意図は知っておきたかった。

 人のいない好き勝手できる楽園とはいえ、自分の立っている場所を知らないまま終末の瞬間をのびのびと待っていられるほど、僕の肝は据わっていない。


「とにかく、何か手掛かりを」


 そう思い、目に着いた場所を片っ端から調べていく。

 衣服が掛けられたクローゼット、学習机の引き出し、ベッドの裏や絨毯の下など隅々まで見ていったが僕と彼女の繋がりを示すようなものは見つからなかった。

 手がかりは化粧台に置かれた一枚の写真だけ、これだけでは何も分からない。

 必死に部屋中の至る所に視線を送っていくも目ぼしいものは見当たらない。

 額から汗が滴り、僕の目に染みた。

 手の平で拭ってみるとべっとりとした汗が付着した。

 この部屋に入ってどれくらいの時間探し続けたのかは分からないが、閉め切った部屋でずっと動き回るのは思った以上に消耗が激しかった。

 休憩しよう、出窓を開けて蒸し暑い空気を外へ排出し、新鮮な空気を室内へ取り込む。

 キャスター付きの椅子に腰を下ろし、天井を無心で見上げて目を閉じる。

 出窓から入る涼しい風が火照った頬に当たって心地よかった。


「はぁー・・・」と深呼吸をするように息を吐き、乱れた思考を落ち着けるよう努める。

 この世界に来て分からないことが多すぎて、メモでも取らないと忘れてしまいそうだった。

 何の裏付けもない仮説ばかりが頭の中で形成され、それが正しいのかという判断材料もないので想像が膨らんでいく一方だ。

 目を閉じてから二分後に開眼し、視界には白い天井が映る。

 閉じる前と比べて捉える対象の色が鮮やかになった気がする。

 少しは疲れが取れたのかもしれない。


 椅子から立ち上がり、僕は本棚へと向かう。

 何か面白い本でも置いてないかと指をさしながら探していった。

 並べられた本のほとんどが題名を見る限り典型的な恋愛小説ものばかりだったが、一冊だけ明らかにジャンルの違う本が置かれていた。

 その本は単行本で、文庫本ばかりが並ぶ中で大きさも突出して目立っていた。

 本を手に取り、ざらざらな表紙を指でなぞる。


 黒い表紙、裏面のあらすじを読むから察するに恐らくミステリー小説だろう。

 題名と作者名は見たことも聞いたこともないしミステリー小説を特別好んでいるわけではないが、キュンキュンする恋愛小説を読むよりこちらの方が性に合っていると思った。

 表紙を捲ると作者の概要欄と題名と作者名が印字されていた。

 十八年前に新人賞を取ってデビューをし、それから何作も小説もの世に送り出している。

 中には僕の知っている作品もあった。


 椅子に戻ろうと立ち上がろうとした瞬間、本の隙間から紙切れが出てきてふわふわと空中を浮遊しながら床に落ちた。

 何だろうと思い僕は身を屈めて破られたようなメモ用紙を取る。

 細く小さな文字が数行に渡って綴られていた。


 その内容を読んで、僕の中にあった様々な仮説は形を帯びあらゆる出来事の辻褄が合っていくような感覚があった。


〈みんな大嫌いだ。消えてしまえ。私にばかり不幸なことが起こる。こんなの理不尽だよ。私は幸せになったらいけないの?どうして全部奪われるの?そうだ、私と彼以外消えてしまえばいい。二人だけを世界に閉じ込めて、そこで永遠に過ごせたら幸せじゃないかな?そうだ、そうしよう。もう手遅れなら、どうにでもなってしまえ〉


 この手紙のいう彼というのは恐らく僕の事だろう。

 二人だけを世界に閉じ込めて、そこで永遠に過ごせたら幸せじゃないかな?の部分が特に決定的だった。

 何をどうやったのか知らないが、言葉通りの意味だとしたら、僕は彼女の意図でこの世界に閉じ込められたことになる。

 要因は全て彼女にあったということか?


 さらに文面から察するに、彼女は周囲の人間や環境を酷く恨んでいるように思えた。

 彼女の身に何があったのかは知らないが、元の世界で僕達が仲睦まじく付き合っていたとしたら、果たしてこんな事をメモに書いていただろうか?

 私と彼以外いなくなってしまえ、というのも何故周囲の人間が消える必要があったのかと疑問に思う。


「本当に僕達は、付き合っていたのか?」


 その前提から怪しく思えてきた。

 置かれた写真を見る限り、二人の間で何かしらの関係性はあったのだろう。

 そして彼女は僕に好意を抱いていたのであろうと手紙の内容からは捉えられる。

 しかし僕自身はどうだったのだろうか?

 僕にとって彼女はどういう存在だったのか?

 何故彼女はこんな歪んだ文章を書く必要があったのか、動機はなんなのか?

 予想されることは、現時点で二つ思いつく。


 一つは、僕達は付き合っていて、でも何かのきっかけで破局して、彼女は錯乱状態に陥り、別れた責任を自分以外の何かにぶつけるためにこれを書いた。


 もしくは、僕達は恋人でも何でもなくて、彼女が一方的に僕の事を愛していて、でも僕には違う恋人がいて、だからこそ周囲の人間や環境を恨んで僕たち以外消えてしまえと綴り願ってしまったのか。


 どちらがしっくりくるかと言えば、僕の中では後者だった。

 彼女は僕を手に入れる為に二人だけの世界を作り出し、都合の悪い記憶は全て取り去り、初めて出会った様な演出を施し、僕達は自然と恋に落ちていく。

 そんな顛末だ。


 つまりここは彼女の欲望が作り出した都合のいい世界。

 それに僕は付き合わされているというわけだ。

 それが本当だとしたら一刻も早くこの世界から脱出したいと思った。

 何の確証もないイメージに過ぎないが、今の時点では一番しっくりくる仮説ではあった。

 詳しくは、ユリナ本人に聞いてみた方がいいだろう。

 僕は紙をポケットに入れ、黒い表紙のミステリー小説を持って部屋を後にした。




 結局手紙の差出人が誰だったのかは分からなかった。

 この世界に、僕とユリナ以外の人間がいる。

 そんな懸念を残したまま、僕は自転車のペダルをゆっくりと漕いでいく。

 ユリナの実家が徐々に遠ざかっていき、僕は晴天の空を見上げた。

 この時僕は、手紙の差出人が発する意図を理解することができていなかった。

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