第14話

「この道、私知ってる」


 背中にしがみついたユリナはそう呟く。

 僕達は音楽店を最後にデパートから出て、自転車に乗り帰路を進んでいる途中だった。

 自転車の籠にはデパートで取ったクマと盗んできた子供用の服や靴の袋がぎゅうぎゅうに詰められていた。

物静かな繁華街を通り、誰が捨てたのか分からない煙草の吸殻が道端にいくつも落ちていた。


「え?」と僕は言葉を返し自転車のブレーキを握る。

 キキッと耳障りな音を立ててスピードが落ちていく。

 彼女は自転車が完全に止まるのを待たずキャリアから飛び降り、周囲をキョロキョロと見渡している。

 楽器店の件に続き、また何かを思い出したのだろうか?

 デパートの件といい、案外記憶の欠片がそこら中に散らばっているのかもしれない。

 その欠片を集めていくことで徐々に形を帯びていき、損失した記憶を取り戻すことができるのかもしれない。

 それは僕の記憶も同様の事が言える。


「今度は何を思い出したんだ?」


「・・・分かんない。でも、こっち」


 彼女は僕に目もくれず言い、帰り道とは反対方向に歩き始めた。

 また、ついていくほかないようだ。

 自転車を方向転換し、彼女の背中を追いかけていく。

 ゆっくりとした足取りで目的地の分からない場所へと進み続ける彼女は、何かに取り憑かれてしまったように見えた。


 レンガ調のタイルが敷かれた歩道を自転車の車輪を転がしながら進んでいく。

 一定の間隔で植栽や薄茶色の電柱が立ち、周りには高層ビルやマンションが多く建ち並んでいた。

 すっかり街中の中心部で観光客受けを狙ったお店が多く設営されている。

 片側三車線の大通りにでると注意喚起の意味を無くした信号機と車一台も走っていない広大な道路が人類に取り残された産業廃棄物のようで、それまでに消費された資源類が虚しく思えた。

 本当に余計なものばかりを作ってきたんだな、僕達人間は。

 ユリナは律儀にも横断歩道の線に沿って道路を横断し、記憶の匂いを手掛かりに進み続ける。

 渡った先にあるのは地元のシンボルともいえる地上十四階のタワーがあった。

 壁面は全面的に緑化され、一部の壁は外壁が取り除かれ骨組みが剥き出しになっていたが、あれも一応デザインなのだろう。

 僕が生まれて少しした頃に建てられ、当時は現代建築を活かした建築物として話題になっていた。

 それも一時的なブームで時間が経てば人通りも減っていったが、あの時が一番この街が盛んだった頃だろう。

 彼女は自動ドアの前で立ち止まり、空を仰ぐように上階を眺めていた。

 目指していた目的地はここなのだろうか?

 彼女は何も言わず、自動ドアに近づき開いた先へと足を踏み入れて行った。




 面材の嵌められたシースルー手摺を手の平で滑らせながら、スパイラル状の木階段を上っていく。

 大きなフィックスサッシが街の情景を映し出し、天井の木貼りは木目がデザイン調になり木に包まれた柔らかな空間を演出していた。

 ユリナはひたすら上を目指して歩き続ける。

 この先に何があるのか見当もつかない。

 建築された当時、小さい頃に一度来たことがあった程度でどのような施設が設けられていたのか覚えていない。

 歩きながら見渡した辺り、バルコニー付きのカフェや地元の物産館などがあり観光客の楽しめる受け皿が多く用意されているように見えた。

 地元の人間からすれば、生活の何の足しにもならないので煙たがられそうなものばかりだろうが。

 観光客からしても、個性がありそうでどこにでもありそうな店ばかりだから、一度来れば充分と片付けられてしまいそうだった。

 次の段板へ足を踏み出そうとした時、太腿辺りがプルプルと震え始めた。

 ここにきて筋肉疲労が体を蝕んできた。

 ユリナを後ろに乗せて自転車を漕ぎ続け、ショッピングモールを巡り、無限に続いているように思える螺旋階段を上り続けているのだ。

 これで疲れない方がどうかしている。


「ユリナ、まだ上るのか?」


 話しかけても彼女は立ち止まる事なく黙々と階段を上り続ける。

 休憩しようと言った時も、同様に無反応だった。

 今彼女の耳には情報の全てが遮断されているようで、感覚の全ては別のものに支配され目には見えない何かを求めて歩き続けているようだった。


「まったく・・・」


 シースルー手摺を強く握り、力を振り絞って次の一歩を踏み出す。

 足の裏が軋むように痛んだが、歯を食いしばってまた一歩踏み出していく。

 早くこの地獄の時間が過ぎ去って欲しいと思った。

 頼むから、これ以上僕に運動させないでくれ。

 この後来た道を戻り家に帰らないといけないと思うと、先が思いやられた。

 階段を最上部まで上り切る。


 タワーの最上階、そこは展望台だった。

 和室で使用されている竿縁のような天井板とそれを支える六本ほどの柱は相変わらず木が使われていたが、床の部分は濃い緑色の芝生が満遍なく敷かれていた。

 正方形のフロアは天井高のサッシが四方に設置され、街の景色が一望できた。

 冷たいコンクリートのビル街に対し環境に配慮され植えられた新緑の木々類。

 相変わらず雲一つない青空に太陽の光が遮られることなく街に降り注いでいる。

 凹凸の多い街では光の明暗が多くできていた。

 ユリナはサッシに手の平を置いて街を見下ろしていた。

 その陰りのある後ろ姿はここではないどこかを求めて思いを馳せているように見えた。


「ユリ・・・」


 近づいて声を掛けようとした時、出かかっていた言葉が喉の途中でつっかえた。

 僕が言葉を言い終えるより前に、彼女がこちらを振り向いたからだ。

 ショッピングモールで見せていた元気は見る影もなく、困ったように笑っていた。


「ここ、知ってる。来たことあると思う。それがいつだったのか、誰と来たのか、思い出せないけど・・・。大切な記憶だったのかなって、そう感じるんだ」


 彼女はそう言って訳が分かんないよねと呟き下に俯く。

 本当に訳が分からない。


 芝生の上を歩き、彼女の横に立って同じ景色を見る。

 うっとおしい位の建築物と利用されていない設備類を隅々まで見渡すことができた。

 それらはかつて人が人生と呼んでいたものを体現化した作品の様なものだ。世界に泥を塗っていく行為を正当化し、世の為人の為と自己満足の大義名分を掲げて築き上げられたもの。

 人が汚した世界の名残を見て嘆かわしくなるのと同時に、美しいと思ってしまう自分もいた。

 この世界はどうしようもなく美しい、そこに蔓延る害虫が嫌いなだけで、何もいなければ、世界は美しいままだったのだ。


「何か思い出せそう?」


 そう質問すると彼女はかぶりを左右に振った。


「ダメ。元々何の記憶が引っかかっているのか分からないんだもん」


「そっか、そうだよね」


「ねぇ、リョウ君?」


 彼女はこちらを不安気に見つめ口を小さく開く。


「この世界ってなんなのかな?私達、巨大な牢獄に閉じ込められちゃったのかな?」


 彼女の問いかけに、僕は答えに詰まる。

「・・・分からない」、そう返すので限界だった。


 根本から考えれば全く分からないことだらけなのだ。

 夢なのか、異世界なのか、彼女の言うように僕達は人との接触を遮断された場所へ閉じ込められてしまったのか。

 想像ばかりが連なり考えること自体が馬鹿らしく思えてしまうような状況だ。

 彼女の率直な疑問に、分からない以外答えようがない。


「でも、生きてみるしかないんじゃないかな」


 それでも彼女を少しでも元気づけられるよう、ポジティブとも捉えられる言葉を言ってみる。

 生きてみたところで何も起こらず死を待つ他ないのかもしれないが、個人的にはそれでも一層構わないと思った。

 誰もいない世界を好きに生きて、死にたくなったら自ら命を絶つ。考えようによっては贅沢な状況になったと思える。


 でも彼女は違う。

 彼女は僕とは違い光の浴びる世界で力強く生きていける能力がある。

 こんな訳の分からない場所で野垂れ死んでいくべきではない人間だ。

 だから、僕の様に落ちぶれてほしくなかった。

 生きる希望を捨ててほしくない、この状況に押し潰されず真っ直ぐに生き続けてほしい。

 せめて彼女だけでも元の世界に返してほしい。

 何故数時間前に出会った少女にこんなことを思ってしまうのかは自分でもよく分からない。

 僕も大概この世界に来てイカれてしまったのかもしれないな。


「生きてみるしかない、か。そうだよね。分かんない事を悩んだってしょうがないよね!」


 彼女は声を張り上げて窓から見える景色にそう叫んだ。

 そうだ、君はそれでいい。君らしく足掻いて、自分を見失わず、いつかこの世界から脱出する手段を見つけ出して、そして僕の事なんて忘れて幸せになって欲しい。

 彼女は僕の横顔を見つめ、屈託なく笑う。


「リョウ君は、優しいんだね」


 その一言は僕の心情を読んでいるかのような言葉だった。

 一瞬余計なことを無意識に発言してしまったのかもしれないと焦ったが、違った。

 彼女は僕の発する雰囲気を読み取って、優しいという言葉を用いたのだろう。


「そんなことないよ」と返すと「優しいよ」と彼女は僕の手を握ってきた。

 力強くもなく、かといって弱弱しくもない力加減は柔らかな肌の感触とほのかな体温を感じる程度で心地よかった。

 目を細めて見てくる彼女から視線を逸らし、窓から映る街の情景を眺めた。


 彼女には常に笑顔でいてほしかった。

 歪んだ世界に向かって、私は平気だよと見せつけるような笑顔をしてほしかった。

 全く、何でこんなことを思ってしまうのか自分でも不思議に思う。

 どうしようもないくらい自分という人間が分からなくなってきた。


「私には、リョウ君しかいないから」


 彼女はそう呟くように言った。

 混濁した思考の中では、その言葉が何を意味しているのか理解できなかった。

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