第10話
「知っているの?」と聞くと彼女は「えっ」と漏らしこちらを見る。
ボーとしていたのか、意識が遠のいているように見えた。
聞いていない様子だったのでもう一度質問を繰り返す。
「うーん・・・分からないけど。何か引っかかって。昔やったことがあるのかな?」
昔って、君はまだ小学生だろう。
彼女の言う昔は恐らく二、三年前を指しているのだろう。
「へぇー、ユリナが知っているなんて意外だったよ」
僕はゲーム機とカセットを持ってリビングに置かれたテレビの方へと向かう。
ソファの前に置かれたテレビにジャックを刺していき、セッティングをしていく。
作業はすぐに終わり、コードで繋がれたコントローラーの一つを彼女に渡す。
「ほら、座りなよ」
ソファを指さして言う。
そう言われて彼女はぎこちない動作で移動しソファにゆっくりと腰掛ける。
一連の動作を確認してコントローラーを渡すとそれを両手で受け取り下に俯いた。
一体どうしたのだろう。
カセットを見てから明らかに放心状態に陥っていた。
「大丈夫?体調でも悪いの?」
「・・・ううん、大丈夫。なんでもないの」
「とてもそうは見えないけど・・・」
「大丈夫だって!早くやろっ!ゲーム!」
そう言って笑う彼女の表情はどこか無理をしていて辛そうに見えた。
「なら、いいんだけど」と返すことしかできず、僕はテレビのスイッチを入れる。
とにもかくにも、喫煙尋問から彼女の意識を遠ざけることができた。
後はゲームを少しやって彼女の記憶をいろんな情報で混同させていけばいい。終わる頃には煙草の話なんて忘れている事だろう。
数秒時間をおいてテレビの映像が表示される。
ザーと耳障りな音を立て地上波は砂嵐状態だった。
誰もいないんだから、放映をする人も見る人も当然いるはずもない。
電気が使えるだけまだマシだった。
「手加減してよね?」と彼女は言う。
加減もなにも、僕だってゲームは久しぶりでやり方なんてとうに忘れている。
わざと下手な操作をしなくても勝手に僕は自滅していくだろう。
「分かってる。大丈夫だよ」
ここで何かのフラグが立った気がした。
案の定、僕は彼女をボコボコにしていた。
案外やってみると操作は単調で、アクセルとブレーキ、右左のハンドルを切っていく位だった。
コツはカーブに差し掛かった時、どこでブレーキを踏んでハンドルを切り始めるか、コースから脱線せずに綺麗なラインを描いて曲道を乗り切っていくイメージを常に忘れないことだ。
レースを積み重ねていくと徐々にいろんなテクニックを試したくなって好奇心をくすぐられるようだった。
今画面の右側で動いている僕の車体はゴールラインを超えフィニッシュと表示される。
「もう!また負けた!全然手加減してくれないじゃない!嘘つき!」
彼女はブーブー文句を垂らしソファ越しに僕の背中をガンガン蹴ってくる。
床に座っている僕はその反動で項垂れる形になる。
彼女に勝たせてあげたい気持ちは山々なのだが、つい本気でやってしまいたい自分がいる。
最初こそわざとカーブラインで誤った操作をしたりして彼女を先に行かせてあげるなどして調整をしていたが、最終的には自身の闘争心に火が付き勝利への快楽を求めるようになっていた。
「ごめんって。次はちゃんと負けるから・・・」
「何よもう!ゲームなんてやらない!リョウ君のバカ!」
何もそんなに怒らなくてもと言いかけたがすぐに胸にしまった。
怒りがヒートアップする流れを繰り返すだけだ。
小学生の扱いは難しいな、と思うが今回は完全に僕が悪かったな。
アパートの駐輪場で鍵の掛かっていない自転車を見つける。
サドルの後ろにキャリアがついており、二人乗りをするには最適な構造だった。
サドルを思いっきり下に下げると小学生の僕でも跨れるような高さになった。
リヤディレイラーを靴裏で蹴って解除し、スタンドを外した後庇の下で仁王立ちしている彼女にゆっくりと自転車を転がしながら近づいていく。
「移動手段があったよ。これで少し遠くまで出ることができる」
僕がそう伝えても彼女は腕を組んだままプイッと顔を背ける。
先程のゲームの件でまだ拗ねているのだろう。
険悪な雰囲気に塗れた自室に二人っきりで過ごし続けるのは心臓に悪かった。
彼女の機嫌が少しでも良くなればと思い、外に遊びに行こうと提案したのだ。
特別小さな子供が遊んで楽しい場所を僕は知らなかったが、何も行動しないよりはマシだろう。
慣れない外出を立て続けに行うのは正直気が滅入りそうだったが、致し方が無い。
こうして今日の出来事を振り返ってみると、僕の心情は彼女の機嫌に振り回されたばっかりだな。
これをしよう!と彼女が言えば勢いに押されて渋々従い、機嫌を損ねれば怒りをなだめるために他の楽しい事を彼女に提示していく。
子供との接し方が分からず試行錯誤した結果このようなスパイラルに陥ったのだと思うのだが、ここまで自分が不器用なのだと一つ一つ気付かされていくのは単純に凹んだ。
人付き合いが苦手、それだけ分かっていればいい。
その内情を詳しく理解したくはない。
自己防衛に等しく虚しい足掻きみたいなものだった。
「ユリナ、黙ってたら分からないよ」
その言い方が癪に障ったのか、彼女は目を細めて睨みつけてくる。
「なによそれ。大人ぶっちゃって。リョウ君今何歳なの?」
そう言われてぎくっとする。年齢・・・僕は今何歳に見えるのだろう。起床後、洗面所の鏡で確認した自分の容姿を思い浮かべる。
「・・・十一歳だよ」
「なら私と変わらないじゃない。子ども扱いしないでよね」
なんでまた怒ってんだよと悪態をつきそうになったが堪える。
頑固な子だ。少しは君も大人になってくれよ。
「悪かったよ。とにかく出掛けよう。時間がもったいないだろう?」
彼女は眉間に皺を寄せる。それを見てすぐに言葉を訂正する。
「僕は君と出掛けたい。だから時間が惜しいんだ」
僕の言葉を聞いて、彼女は満足そうに首を縦に振る。
「仕方がないなぁー。じゃあ付き合ってあげるよ」
彼女は自転車のキャリアに飛んで跨り、その衝撃で危うく自転車を倒しそうになった。
左右のブレーキを強く握り締め、彼女の変わりようについていけず立ち竦んでいるとき、「ほら、早く漕いで!」と背中をバシバシ叩かれる。
僕もサドルに跨り、「しっかりつかまっててよ」と伝えると彼女は両手で僕の腹部を抱き寄せる様に回した。
過度に密着しているのか、反発性のある柔らかな肌の感触と火照った体温が背中にじんわりと伝わってくる。
異性との接触が久しぶり過ぎて、例え相手が小学生でも胸が跳ね上がる位に緊張した。
少女にこの緊張を悟られぬよう、僕は振り切るように地面を蹴って自転車を発進させた。
「きゃーあ!」と彼女は大袈裟に喜んでいるようにも取れる悲鳴を上げる。
加速しないとバランスを崩して倒れてしまいそうだ。
僕はペダルを力強く回しスピードを一気に上げた。
カーブに差し掛かっても人がいないので懸念するべき歩行者も自動車も通っていない。
その為自信をもって漕ぎ進むことができた。
路地を抜け、県道に差し掛かると自転車は道路の真ん中に躍り出た。
すっからかんの道路は不気味なほど広く感じ、進むべき道は障害物がなくクリアに見渡すことができた。
物損はともかく、対人の事故を起こすことはまずありえないだろう。
目の前の信号が赤に点滅するも、気にも留めず真っ直ぐに交差点を走り抜けた。
「信号無視!違反だぁーいけないんだぞー!」と彼女は浮いた両足を振り回してはしゃいでいる。
もはややりたい放題だ。
車の通らない道路、意味をなしていない信号機、閑散とした住宅街に人の出入りがない施設類。
目の前には黄色のセンターラインが進む方向を定めているように遠くへ真っ直ぐと伸びている。
面白いなー、映画のワンシーンでありそうな光景だ。
「ねぇーもっと飛ばしてよぉー」
少女の退屈そうな声が後ろから聞こえる。
全く、無茶言うぜ。僕は風を求める様にペダルをさらに力強く回していった。
「きゃーあ!」と彼女はまた大袈裟にはしゃいでいた。
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