第8話
「これもゴミ!これもゴミ!もう、切りがない!どれだけ汚いのよ!」
再びユリナは声を荒げていた。
彼女は部屋中に散らばるゴミらしきものを片っ端から手に掴み傍に置かれた袋に詰め込んでいく。
既に一つのゴミ袋はもう何も入らない位パンパンになり、新しく出した袋もまた上限に達そうとしていた。
彼女がリビングとキッチンを掃除している間僕も同じように和室のゴミをかき集め袋に詰めていた。
どうしてこうなったのか、必然といえば必然なのだが、望んだ展開ではなかった。
缶ビール、煙草、カップラーメンの空き箱が多く占め、その他は衣服や細々としたお菓子のゴミやプラスチックのトレイなどが床やテーブルに幅広く展開されていた。
我ながらよくここまで部屋を汚せたものだ。
彼女が最初部屋に足を踏み入れた時、空き巣に入られたのではないかと本気で心配してきたくらいだ。
当時は片付ける気なんて更々なかったから、汚すことに一切の躊躇いを感じなかった。
だがいざ掃除するとなると正直めげそうになる程酷い有様だった。
「ほらっ!ボーとしてないで手を動かす!」
彼女は定期的に僕の方を振り向いてちゃんと掃除をしているか厳しい視線を向けてくる。
やれやれ、第一ここは僕の部屋なんだからどう使おうと僕の勝手だろう!と反論したいところだが、そうすればまた泣かせてしまうかもしれない。
さすがの僕も子供相手にそこまで心を鬼にすることはできなかった。
異臭の発生源ともいえる吸殻が溜まった灰皿の中身を袋の中に流し込む。
彼女がここに来てしまったのはもちろん僕から誘ったわけではなく勝手についてきたのだ。
もちろん僕は断った。しかし意固地な彼女がそこで引き下がるわけもなかった。
公園からアパートへ向かう帰り道、「リョウ君の家に行きたい!」と彼女は何々ちゃんの家に遊びに行きたいと同じような感じで僕に言ってきた。
「あまり人に見せられるような部屋じゃないから、汚いし」ともちろん僕は断ったが、「大丈夫!私掃除するから!こう見えても整理整頓は得意なんだよ!」と自信気に言われた。
だろうな。
君はいかにもきっちりしていないと気が済まないたちに見える。
そんな人が僕の部屋を見たらどうなるのか、予想がつかないわけじゃなかった。
しかし彼女が「どうしても行きたい!」と引き下がらず、それどころか「なら勝手についていくもん」と意地になって僕の後をついてきた。
もう好きにしてくれと僕は半ば諦め状態で抵抗する気も失せていた。
人が嫌いだと言っているのに、ここまで元気溌剌な彼女と話し続けていると精神の疲労が激しく段々頭が痛くなってきた。
もうすぐアパートに着く手前、「君の家はどこにあるの?」と聞いてみた。
彼女が帰る流れをなんとか作ろうかと最後の力で足掻いてみたが、返ってきた答えは「私に家はない」だった。
変なことを言う子だなと思ったが、真剣な彼女の表情を見てふざけているようには見えなかった。
「正しくは、私は自分の家を覚えていないの」
僕がここに来る以前の記憶がはっきりと思い出せないように、彼女の記憶もまた、忘れていることがあるのかもしれない。
しかし自分の家を覚えてない、つまりは帰られないということになると彼女は今まであの公園で寝泊まりしていたのか?
こんなに小さな子が、過酷なサバイバル生活を送っていたというのか?
「住む場所が無い・・・それは、不便だね」
「そう?別に必要ないと思うけど」
変なこと言うなーと彼女は不思議そうに首を傾げる。
僕は呆気に取られ、何も言い返すことができなかった。
彼女は一体、何を言っているんだ?
考えを巡らせている内、アパートの敷地内にいつの間にか入っていた。
「へぇーここがリョウ君の家かー。なんだか雰囲気ある所だね!」
目の前には築三十年程の修繕工事がろくに施されていないボロアパート。
サイディングの外壁は所々クラックが入り、基礎は表面が割れ一部鉄筋が剥き出しになっていた。
手摺やドアノブといった金属の部分は当然のように錆びれている。
彼女の言う雰囲気とは幽霊屋敷みたいだねということだろう。
「リョウ君!早く入ろうよ!どんな部屋に住んでいるのかなー。楽しみ!」
それから片付け騒動に突入するまで五分もかからなかった。
「はぁ・・・」
久しぶりに見た畳の目に僕は背中から倒れ込む。
仰向けになって見た天井クロスはヤニが付着し黄ばんでいた。
一通りの片づけを終えた部屋は引っ越してきた直後と見違える位綺麗になっていた。
元々荷物自体は多く置いていなかったから、散乱したゴミを取り除けば深い霧が晴れたように開けた空間になった。
「もう。はぁ、はこっちのセリフよ」
ゴミ袋を捨て終えてきたユリナが隣に寝転ぶ。
彼女は横向きになり僕の顔を見つめる形になり、その視線を感じながら僕は天井に吊るされた照明をじっと眺める。
「ゴミ袋はアパートの裏に置いてきたよ。ポイ捨てみたいで申し訳なかったけど、全部君のせいなんだから」
表情こそ見えないけど、視線が痛いものに変わったのは感じ取れた。
なんて返したらいいのか、乾いた笑いしか出てこなかった。
「どうすればあんなに部屋を汚せるのかな?・・・ねぇ?聞いてるの!?」
その瞬間腹部に鈍い衝撃を覚える。
彼女が僕の上に跨り視界を覆うように急接近で見つめてきた。
「・・・ごめんって」
「全く、こんなにだらしない人初めて見たよ。もう・・・疲れた」
彼女はそのまま僕の方へ倒れ込み、体全体が密着する形になる。
互いに運動を終えた後の様な状態だ、熱い体温が触れ合い溶けそうになる感覚を覚える。
程よい重さを感じながら僕は身動きが取れなくなる。
妙になれなれしいな、最近の小学生はこんなにベタベタしてくるものなのか?
外見の年齢は近いとはいえ、男女だぞ?
つい数時間前にあった男に抱き着くなんて、そのフットワークの軽さに彼女の将来が不安になった。
「スー、スー」
真横に垂れた彼女の顔から寝息のような音が聞こえる。
まさか、寝たのか?やれやれ・・・冗談じゃない。
僕の耳元に熱い吐息が一定の間隔でかかる。
くすぐったくて彼女を払いのけたい衝動を抑えながら僕は身を捩る。
少女の心境と言うのは未知の領域だな。理解不能だ。
十分程この姿勢を保持しただろうか、さすがに彼女の熱を受けすぎて体が燃える様に熱かった。
脱出しよう。
そう決めて彼女を起こさないよう慎重に体を動かす。
両手で彼女の肩をそっと持ち上げ、わずかにできた隙間から素早く外に出た。
腫れ物に触るように優しく畳の上に彼女の体を置く。
「スー、スー」
何も気づいていない様子で気持ちよさそうに寝息を立て続けている。
今のうちだ。足音を鳴らさないよう慎重に足を踏み出していく。
少しでも足先が物に触れてしまわないよう、ゆっくりと。
そろり足で玄関先まで向かい、靴を履いたところで一旦安心する。
ドアノブに手を掛け、彼女を部屋に残して外に出た。
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