第7話

「大丈夫?顔色悪いよ?」


 少女の言葉にハッとしたように思考の意識から引き戻される。

 いつの間にかボーとしていたようだ。


「ごめん、なんでもないよ。ここに来る前、何をしていたのかはちょっと思い出せないな」


 僕が渇いた笑いをすると少女はクスリと微笑む。


「ふーん、そっか。じゃあ私と一緒だね」


「・・・それは、どういう意味?」


 少女は両手を背中で組み、上目遣いに僕を見る。


「私も、ここにいつの間にか迷い込んだの。誰もいない、この世界に」


 その言葉に確証した。

 やはりこの場所は現実でもなんでもないのだ。

 夢の中か、異世界なのか、分からないけど。

 恐らくはそれに近しい所に来てしまったのだろう。


「じゃあ、ずっと君はここで一人だったの?」


「そうだよ。でも、今日あなたが来てくれたから。嬉しいなぁ」


 えへへと照れたように笑い、可愛らしい笑窪が頬に浮かび上がる。

 この陽気な少女はずっとこの独りぼっちの世界で過ごしてきたのだろうか。

 僕の様な暗がりを好むような人間にとっては安息の地になっても、彼女の様な天真爛漫なタイプには苦痛極まりなかっただろう。

 ようやく話し相手が来てくれた、そう思われているのかもしれない。


「これから迷子同士!仲良くしよっ」と少女は僕の背中に両手を回し抱き着いてきた。


 嬉しそうに何回も何回もその場で飛び跳ねている。

 予想外の行動をされた僕の体は少女の勢いに押されてたじろいでしまう。

 汗なのか香水なのか分からない、甘い匂いが鼻孔をくすぐった。

 緊張のあまり力が抜け、両手に持っていた袋と籠をその場に落としてしまう。

 籠はひっくり返り中に入っていた缶ビールと煙草類がその場にまき散らされ、一本の缶が転がり彼女の足に当たる。


「あれ?」と彼女は足元に落ちた缶を拾い上げる。

 数秒地面にしゃがんだまま動かなくなり、「えっ」と絶句したような声を漏らす。

 あーあ、やっちゃったと僕は気まずさのあまり彼女を視界から外す。

 掴まれたビールがどう処理されるのか、ひょっとしたらこの少女はビールの存在を知らなくてこの飲み物はなんだろうと好奇な目線を向けているだけなのかもしれない。


 少女は立ち上がり、掴んだビールを思いっきり背後の草むらに向けて投げつけた。地面に叩きつけられた缶は小さなバウンドを繰り返し遠くの方へ転がっていく。


「どういうこと!君私と一緒位の年だよね!?ビールは大人にならないと飲んだらいけないんだよ!」


 切迫した様子で距離を詰めてくる。

 いかにも優等生の言いそうなセリフを彼女は吠えていた。


「煙草まであるじゃない!これも、これも、これもダメェ!」と手に掴んだ快楽品を次々と草むらに投球していく。

 綺麗なフォームだなとどうでもいいことに感心してしまう。

 さすがに全部を処理できないと思ったのか、少女はむっとした顔でこちらを睨んでくる。

 地面に転がった煙草類を籠に戻したくなったし、なんてことするんだ!ようやくありつけた少ない楽しみを!と抗議したくなったがもちろんできるはずもない。

 それこそ少女の怒りの炎に油を注ぐような行為だ。


「お酒も煙草もダメ!それに煙草なんて、百害あって一利なしって学校で習ったでしょ!今すぐにやめなさい!」


 こちらに再び詰め寄り、威圧的な言い方で注意してくる。

 あれこれ歪んだものに正しさを突き付けてくる、典型的な学級委員タイプ。法と倫理の後ろ盾をここぞとばかりに主張してくる。この状況で僕が悪いことは明白なんだけど。

 ただ単にいけ好かないだけだ。


「別に・・・いいじゃないか。他に誰もいないし、法律なんて、この世界にはもうないようなものじゃないか」


 投げやりな言い方で言葉を返す。

 彼女は体を小刻みに震わせ両手をぎゅっと強く握りしめ拳を作った。

 赤く染まった頬を膨らませ涙目を浮かべてこちらを訴えるように見てくる。

 全力で伝えた自分の思いが響かなかったことが悔しいのだろう。

 その時胸が詰まる思いがした。

 自分の似た目は小学生に戻っているものの考えの卑屈さは大人の自分の時のままだ。

 比べて彼女の言動、行動を見る辺り似た目も中身も小学生で純粋な心をまだ保持しているように思えた。

 これでまともに言い争えば大の大人が小学生をいじめているのと変わりない。

 今にも泣きだしてしまいそうな彼女を見て、僕はかぶりを左右に振る。


「分かったよ。僕が悪かった。だから泣かないで」


「泣いてなんて、ないもん!」


「そうだね。ごめん。もうこんなことしないからさ」


 僕は右手を彼女の頭の上に乗せ、なだめる様に優しく撫でた。

 少女は涙を手の甲で拭っていく。

 拭き終わるとまた先程見せてくれた明るい笑顔をこちらに向けてくれた。


「約束だからね。んっ」


 小さな小指をこちらに差し出してくる。

 何がしたいのか咄嗟には分からなかったが、指切りげんまんをしたいのだと遅れて理解する。

 僕もまた、小さくなった自分の小指を少女の指に絡めた。


「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます、指切った!」と歌いながら上下に何回もスイングされた。

 改めて聞くと相当怖い歌詞だよな、これ。

 屈託のない笑みを浮かべながら言われると尚更だ。


「ふふっ。絶対に約束破っちゃだめだからね。そういえば、あなたの名前は?」


 自分の名前。こんな風に誰かに伝えるのはいつぶりだろう。

 おかしいと思われるだろうが、自分の名前を声に出すのが久しぶり過ぎて、一瞬自分が誰なのかを忘れていたくらいだ。


「香山、リョウ」


 そう言うと彼女の目は大きく見開き口をぽかんと開けた。


「リョウ君・・・かっこいい名前だね!」


 少女は華やかに笑う。僕もつられて笑ってしまいそうな程、彼女の笑顔は太陽の様に眩しくキラキラとしていた。

 反射的に僕も「君の名前は?」と聞いていた。

 そこで彼女は目を細め、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに嬉しそうだった。


「ユリナ!これからよろしくね!リョウ!」


 それがユリナとの出会いだった。

 性格は間違いなく光と影の様に正反対、運命的とは程遠い出会い方だっただろう。

 笑って、怒って、泣いて、また笑って。

 喜怒哀楽の移り変わりが激しい嵐の様な少女。

 

 どうしようもなく謎に満ちた世界をこんな二人で共存していくことになるなんて。

 一体何がどうなっているんだか。

 訳もなくけらけらと笑う彼女を見て、ついに僕もつられてクスリと笑った。

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