第3章 閑散とした世界

第3話


 落ちていく感覚があった。

 真っ暗闇の中、周囲は不気味なほど静かで、自分が今どこにいるのか確認することもできなかった。

 手足を動かしているつもりでも実際動かせているのか分からない、今自分が呼吸できているのかも分からない、それくらい全ての感覚を感じさせない場所だった。

 両手を広げ、深海の奥へゆっくりと沈んでいっているような、心地の良い空間。

 無の世界とでもいうのか、余計な全ての物を無くした場所は寂しさよりも心に平穏をもたらしてくれた。

 このまま眠ってしまおう。

 目を閉じると変わらず真っ暗で、だからこそ自然に眠りにつくことができた。




 そうして僕は、いつも横たわっている自室のソファの上で目覚める。

 目を少し開くと太陽の光がカーテンの隙間から差し込んできて、思わず視界を手の平で覆った。

 瞼を閉じたままゆっくりと起き上がりソファに座る形になる。

 外が眩しい、こんな昼間に起きることができたのはいつぶりのことだろう。

 引きこもり生活を続けているとよくあることだと思うが、僕の生活リズムは昼夜が逆転していた。

 昼間と夕方は眠り、深夜に目を覚ます。

 そこからお酒と煙草を交互に窃取しながらテレビを見るなり本を読むなり好きなことをして時間を潰している。

 お腹が空くと箪笥の中に溜め込んだカップラーメンを食べることで手軽に腹を満たすことができた。

 そんな典型的なだらしのない生活を続けている弊害で、太陽の光を浴びると僕の体は溶かされていくような感覚を覚えるようになった。

 夜行性故に吸血鬼の体に近づいてしまったような、そんな都合のいい解釈で昼間に活動することは避けてきた。


「やっぱり、太陽嫌いだな・・・」


 だからといって再び眠りにつく気にはなれなかった。

 自分でも驚くほど目が冴え頭の中がすっきりとしていたからだ。

 毎日十時間位寝ているのに、ここまで清々しい目覚めは感じたことがなかった。

 参った、このまま今日を過ごすと夜には眠くなる。

 そうなれば次の日これくらいの時間に再び目覚めてしまうのかもしれない。

 むしろ健康的だからそっちのほうがいいのではと他の人は言うのかもしれないが、自分からすれば生活リズムを崩してしまう方が精神的な背徳感を覚えてしまうのだ。

 今まで積み上げてきたスタイルを崩し変えてしまうことは自分自身の意思に反してしまうような気がする。

 僕にもそんなくだらないこだわりの一つはあるのだ。

 

 そしてなにより、僕は深夜帯じゃないと外に出られない。

 理由は単純、人と会いたくないからだ。

 深夜のコンビニの店員と数秒接するだけでも寒気を覚えてしまう。

 街を歩いていても、知らない人間に見られていると想像するだけで吐き気を感じてしまう、要は人間不信に陥っているのだ。

 なるべく人目を避けて細々と生活したい、夜行性になったのはそういう理由が大きいのかもしれない。


 はぁ、と深くため息をつき溜まった灰皿の横に置いてある煙草の箱を手に取る。

 蓋を開けて煙草を掴む指を伸ばすも中身は一本も入っていなかった。

 おいおい、勘弁してくれよ。

 ほんとに無くなっているじゃないか。

 周囲を見渡すもどれも空箱でこの部屋には煙草の一本も残されていなかった。

 買い足しに行かなくてはいけない、でも昼の世界に身を投げるのは今の僕には自殺行為に等しい。

 しかし煙草を我慢するのもまた、自殺行為だ。

 僕にとっては数少ない生きがいの一つなのだから。

 買いに行こうか、そう考えが過ぎるも閉め切ったカーテンの先にある光の世界を想像すると身が竦む。

 どうしようか、散々迷った結果外に出ることを決めた。

 やはり中毒症状には勝てない。

 コンビニまで歩いて五分、日傘でもあればいいのだがそんな高貴なものは生憎持ち合わせていない。

 ソファから重い腰を持ち上げようとしたその時だった。


 足元に柔らかな布を踏んだ感触があった。

 絨毯など敷いていない剥き出しのクッションフロアにはありえない肌触りだ。

 そこで初めて足元を見る。

 もっと早く気付くべきだったのかもしれない。

 寝起きでボケていなければ煙草が残っていない事よりも先にこっちの方で驚いていただろう。

 僕の足は、今自分が履いているスウェットパンツを踏んでいたのだ。

 足全体を生地が覆い、明らかに丈があっていなかった。

 一回り大きなサイズを着ていたのか?

 いや、今まで使用していてそう感じることはなかった。

 不思議に思い、自分の体周りを確認するように見渡すとおかしな点ばかりが見つかる。

 手首は袖から出ているもののその先はぶかぶかでスリーブの長さに余りがあった。

 リブは足首の辺りにきており、ズボンは立ち上がるとずり落ちてしまいそうな程ぶかぶかだ。

 手の平を広げまじまじと見ると子供の手の様に小さくぎこちない形をしていた。

 そう考えて混乱する。

 まさか、そんなはずはない。

 立ち上がると、案の定ズボンとパンツが腰から落ちるがお構いなしに脱衣所へと向かった。


 洗面台に置かれた鏡を見ると僕の顔がかろうじて覗くような形になり、視線を下にやると洗面ボウルの上端がすぐそこに映った。

 自身の幼い顔立ちを見て一瞬他人が映り込んでしまったような錯覚を覚える。

 ぱっちりとした大きな瞳、小粒の様に可愛らしい形をした小さな鼻、ピンク色で潤いのある唇。

 不自然なほどの色白さと前髪が隠れるくらいの長髪は健在だが、それらを除けば僕の要素はほとんど感じられなかった。

 その似た目から小学生くらいだろうか?

 当時の姿に戻ったとして僕はこんなに可愛らしい似た目をしていたのかとしっくりこなかった。

 でもよく目を凝らしてみれば、確かにそれは僕自身だ。

 十数年後の姿は酷く落ちぶれた容姿になっているけれど、間違いない。

 どうやら僕は、小学生の姿に戻ってしまったらしい。

 何故こんな姿になってしまったのか、どんなに想像しても混乱を深めるだけだった。

 悪い夢でも見ているのだろうか?

 しかし夢とは思えない程僕の意識はこの世界に存在していた。

 夢なら、決定的な何かが現実と比べ欠けているものだ。

 それは僕の感覚的なものに過ぎないけど、生きているという実感が夢の中では確かに不足しているのだ。


「現実・・・なのか?」


 そう呟く僕の声も高音で透き通っているものに変わっていた。

 次第に鏡に映る違う自分の姿に恐怖を覚え、逃げる様にリビングに戻った。

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