祓い人の信介さん

境内 仁太郎

祓い人の信介さん

あるブランド品店での話だ。

店内で何かに怯えたように震えながら商品を選んでいる女性がいる。その横に、髪が青い青年がいた。

青年は気味の悪い笑みを浮かべながら、女性に話しかけていた。女性はまだ震えていた。


怪奇とは、常にどこかに潜んでいるものだ。実は我々がその存在に気づいていないだけかもしれない。

奈良時代や平安時代などの古代に比べ、今ではずいぶん怪奇は減った。だが無くなったわけではないのである。

そして、それを祓う者も当然存在する。

それは世界各地に、常々存在した。遠く西洋では聖人と言われるごく少数のキリスト教の人間がそうだった。そして、インドではバラモン(聖職者)のごく一部の人間がそうだった。

中国では道士。日本ではそれは陰陽師や神官とも呼ばれていた。

そして、彼らはそれぞれの地で妖怪やら悪魔やらを祓ってきた。だが、こんな怪奇たちも、呼び方が違うだけで、実際はほとんど同じ存在だ。そして、知られざらことながらそんな邪を払う彼らは太古の昔、連携をしていた。だが、各国々の文明が栄え、それぞれの文化の特色が鮮明になるにつれ、その繋がりは消えていった。

そして、長い年月を経て情報化が進んだこの現代社会でまた彼らは繋がりを持ち始めた。

互いにつながりを持った彼らは自分たちのことを「祓い人」と呼ぶようになった。妖怪も悪魔も、突き詰めていけば邪悪な欲の化身である。祓い人はそんな化け物たちとは対照的に、人を守るという強い欲の力で動いていた。

祓い人は怪奇を祓っても今の時代には尊敬されることはない。怪奇は普通の人間に見えないことが多く、彼らにしか見えないため人が信用しないのだ。だが、彼らは怪奇を祓い続ける。

彼らは、祓うことに失敗し命を落とすこともある。それでも彼らは、傷だらけになりながら祓い続ける。今宵もどこかで、怪奇を祓っているのかもしれない。



西暦二千年。季節は春から夏に移り変わった。木々は生き生きとした緑に溢れ、街では道ゆく人がタオルで汗を拭いていたりする。そんな街中を、男は麦わら帽子を被り、サングラスをかけ、白いTシャツを着るというラフな格好で歩いていた。

火野信介。それが彼の名だ。独身、二十八歳。職業、祓い人。

信介は道ゆく人を見た。信介の視界には人が光を発していたり、時には炎を出していたり、時にはどす黒い闇の渦が出ている様に見える。欲の内容や強さによって、信介の視界にはこのようなものが人から出ているように見えるのだ。言ってしまえば欲の可視化だ。

信介は公園にいる子供たちを見た。鬼ごっこをしているようだ。信介には子供たちが炎を纏っている様に見える。

「いいな。幸せの欲。正々堂々と競う欲。向上心に満ちた欲。こういう欲は大好きだ。時に優しく、時に熱い。」

「欲」。それは人間の原動力だ。自分のことしか考えない利己的な欲もあれば、誰かのためを思う優しい欲もある。欲とは原動力であり、人間が生きていく上での目標にもなり得る。

信介は人間の欲を可視化することもでき、本人の心の声も聞くことができる。だからその欲がいい欲か、悪い欲か、可視化された欲の様子と心の声からすぐにわかる。良い欲と悪い欲かというのは、正の感情と負の感情のようなものだ。

街を回ると、多くの人の欲を覗き見することができる。

そして、欲をたくさん見ていると、色んな人が色んな欲を抱いている、そう思える。欲の内容は実に多様で面白い。

「いいなあ。こういう風に街を歩いていると欲がたくさん見れて面白い。」

「そうっすか。欲マニアは暇みたいで幸せっすね。僕はさっきまで仕事していたのに。」

信介の後ろから声がした。信介は振り向くと、そこには毛色の真っ赤な猫がいた。しかも人語を話せる猫なので、かなり特殊な猫だ。毛色が真っ赤という時点で普通ではない。

「あれ、もう捜索終わったの。早いねえ。」

「早いねえ、じゃないっすよ!こっちは相手の素性を探るのに必死だったのに、何の対策もせず街で人間の欲を見てニヤニヤ笑っているってどういうことっすか!」

「まあ、そうかっかせんの。猫丸は本当に短気だなあ。」

「いや、僕の名前、赤丸ですけど。」

「どっちでも同じだよ。」

猫の赤丸は機嫌が悪そうな顔をする。そんなこともお構いなしに、信介はてくてくと街を歩いた。

信介はこの奇妙な猫にあることを探らせていた。


今から10日前、信介はある神社にいた。

信介は人から怪奇祓いの依頼を受け、それを祓う事を生業として生きている。今から10日前、信介はある神社にいた。信介は自由気ままな人間で、野宿をすることもあればホテルに泊まることもあり、固定の家は持っていない。なので、普段は神社にいる。そのため信介に用がある依頼人は信介がいる神社に足を運び、信介に会いに来るのだ。


その日も、信介は草神神社のベンチで日向ぼっこをしていた。すると、小学校高学年くらいの少年が信介を訪ねてきた。

見るからに気が弱そうである。少年は信介にいった。

「あの、お祓いの依頼を火野信介っていう人にできるって聞いたんですけど、ここで合っていますか?」

少年はおどおどしながら信介に聞いた。人見知りなのか、目を合わせようとしない。

「俺が、その信介だよ。あと、人と話す時は目を見た方がいいね。」

少年は信介に注意されたと思い、ビクッとした。

「そんなに怖がらなくても良いよ。」

「ああ、はい。すみません。ちゃ、ちゃんと、目を見て話します・・・!」

少年は信介を一生懸命にみた。少し肩に努が入りすぎているな。そこまでかしこまらなくてもいいのだけれど。信介はそう思った。

「依頼の内容は、何だい?」

「あの、その・・・。」

信介は見た。この少年を包んでいる欲の姿は暗い煙のようなものだ。禍々しくも、醜くもなく、ただただ薄暗い霧。これは、怒りや嫉妬というよりかは、恐怖の感情だ。

「随分、怖い思いをしたみたいだね。」

信介はにこりと笑って言った。

少年は信介の笑顔を見ると表情が柔らかくなり安心した様子を見せたが、それでもなかなか具体的な事を信介に言え出せずにいた。

少年は自分に関係するある事を、言葉に出すのも恐ろしいと思いつつも、ぽつりぽつりと信介に話し始めた。

「実は・・・、兄が・・・、兄の様子が変なんです。・・・その毎日、元気がないというか、やせ細ってきているというか・・・、その。」

信介は努に笑いかけて言った。

「うん、怖がらなくても大丈夫だよ。君がここで何を言っても、君が恐れている存在は君に手出ししないから。だから、君の体験した事を言っても大丈夫。」

信介がそう言うと、少年は少し安心したようで、肩から力が抜けていった。

少年は詳しく信介に事を話しだした。


少年の名前は木枯努という。高校生の兄が一人おり、兄の名前は勝という。母親とは幼い頃に死別し、父と兄と三人で暮らしているらしい。

父は仕事が忙しく、家を開けることがしょっちゅうある。

そんな訳で普段から父が家にいないため、努は小さい頃から勝と協力することが多く、仲がいい兄弟らしい。努は気が弱いため、いつも兄の後ろについて回っているとのことだ。

そして話は一ヶ月前に遡る。この日も、父は出張で家にいないため努は勝と一緒に生活していた。

毎晩寝る時間に、努は勝と一緒に寝ていた。それが習慣になっていたので、この日も勝に一緒に眠ようと誘った。だが勝は努の誘いを断り、一人でどこかへ外出した。一緒に寝るのを断られたことに対する衝撃もさることながら、夜遅い時間に兄が外出することを努は少し不自然に思った。だが、高校生だから自分がわからない事情があるのだろうと思い気にはしなかった。

だが、それからというもの勝は毎日夜遅くに外出するようになった。

そして翌日には元気がない様子であり、顔色が悪かったりしていた。

勝は優しい人なので、努に心配させまいと自分の元気がない様子を努に見せまいと、必死に笑って誤魔化すが、実際には誤魔化しきれていなかった。

それからも、日を追うごとに兄の元気はなくなっていった。どんどんやつれていく兄を見て、努は心配になった。

そして、遂に努は兄が夜遅くにどこへいっているかを調べるために、兄をつけることにした。


兄は家の前である青年とあっていた。その青年は髪が青く、瞳は赤い。そして、おしゃれな服装をしていた。

その後、兄と青年は一緒に街の方へと歩いて行き、しばらくすると街中でも人通りが少ない道にある、もう使われていない工場についた。

工場の中はゴミやガラクタまみれで、壁も所々錆びている。そのまま二人は工場の中に入っていき、あるゴミ山の前で止まった。

そのゴミの山の前にはボロボロの鏡が一つ、立てて置いてある。

そして、信じ難いことに二人は鏡の中へと消えていった。

努はその光景を見て、恐くなって工場を飛び出し、走って家に帰った。


努はその後、恐くてもう兄をつけていない。だが、日に日に弱る兄をこれ以上放っておけ、信介を訪ねてきたという。


信介はそれを聞いて、その青年が怪奇である可能性はあると考えた。

そして信介は努の依頼解決のために、この奇怪な猫に青年の正体を探らせていたのだ。

「で、どうだった、赤丸。」

「予想通りっすね。怪奇っすよ。ご主人の見立て通り、おそらく一連の事件もあいつの犯行じゃないかと思われます。」

「そうか。にしても、どうやって突き止めたんだ、赤丸?」

「ご主人が言っていた、深夜に人が工場に入っていく様子と、謎の鏡、おしゃれな青年っていうこの三つの要素から、隣町の猫達に情報提供に協力してもらって、突き止めました。ここ最近、あの工場に深夜に足を運ぶ若い人たちの数が増えているらしっす。」

信介は思った。努に動いてもらうしかないと。


信介は努に電話をし、いつも居座っている草神神社に呼び出した。

「な、なんですか?信介さん?」

努は信介にといた。

「君の兄が一緒に行動していた青年の素性が掴めた。

奴は出生も住所も不確定で謎に包まれている。だが、この街の博物館に残っている江戸時代の奉行所の記録で、今回の事件によく似た事案が載っていた。

おそらく奴は、現代に生まれたわけじゃない。もっと昔、江戸時代の半ばごろにはもうすでに存在していた怪奇だ。」

「怪奇って、おばけか、幽霊とか?」

「この場合は、怪奇はそういう死人が化けて出た類ではなく、妖怪や化物といった、なんらかの影響で人が化け物に変貌した存在のことを指すな。」

「どんな、化け物なんですか?」

「妖怪や、鬼、羅刹と言った化け物は呼び名が違うだけで存在はおんなじものなんだ。吸血鬼も妖魔も悪魔も、出現した場所が違うから各地方で違う呼ばれ方をしているだけで存在は変わらない。奴らは人の魂、別名<精気>を吸って生きている。いや、正確にはもう人としては死んでいるに等しいから、生きる屍といったところかな。」

努の体に寒気が走った。努はかなり現実的な性格で、霊魂や幽霊という非科学的な存在は信用しないが、この時、自分が信じていない存在と自分が接触することになることに衝撃を受けていた。

妖怪、化け物。物語ならまだしも、本当にいたら洒落にならないくらい恐ろしい存在だ。

努はそう思った。

「君、お兄さんが青年と外出するたびに元気がなくなっていくと言っていたね。」

「は、はい・・・!」

「これはかなりまずい状態だ。」

「え、そうなんですか?」

「ああ。君のお兄さんはその青年から、精気は吸い取られていないものの、精気を吸い取りやすいように弱らされている可能性がある。このままだと、君のお兄さんの体から精気が出るようになるのも、時間の問題となってくるな。」

「え、ど、どうすれば!」

「君のお兄さん、何か強く望んでいるものや目標はなかった?」

「え、僕は兄のそういうのはあまり聞かされていないんで、わからなんいですけど・・・。」

「そうか。精気は人間の欲深さに比例して増えるんだ。欲深い人間は、金にがめつい利己的な人やみんなのために何かを頑張ったり、大きな功績を残すために努力している人など様々だ。そして、その欲が強ければ強いほど、精気の量は増す。だから、そういう人たちがこういった怪奇の標的になりやすい。」

「で、あの、僕はなんで呼ばれたんですか?」

おろおろしながら努は聞く。せっかちな上に口下手だから、努はオロオロしてしまいがちである。

「君にはこの青年とお兄さんの後をつけて、鏡の中に入っていってほしいんだ。」

「えええ、僕が・・・!?」

努は驚いた。

「無、無理ですよ・・・!僕、怖いのとかは無理で、勇気もないし、ほんとに弱虫なんです・・・!それにこんなことをしてもし失敗でもしたら・・・。」

「努くん。」

「はい・・・。」

「その失敗した場合の対処法は練ってある。もし、相手に君の存在が気づかれたら、これに思いっきり俺の名前を叫んでくれ。」

信介はそういうと、努に古いガラケーを渡した。

「こ、これは?」

「俺の知り合いに優れた科学者がいてね。その人に作ってもらったんだ。ただのガラケーじゃない。開らかずにそこに俺の名前を叫ぶだけでいい。それだけで、俺の携帯が反応するようになっているんだ。

緊急事態だと、いちいち電話番号を打つなんていう余裕がある行動はできないからね。俺は呼ばれたらすぐに反応して君の元に行くよ。そして君を確実に助ける。」

努は服を思いっきり掴み震えながらいった。

「で、でも・・・・、やっぱり・・・・、無理ですよ・・・!僕は、気が弱いんです。あなたが思っているよりもずっと臆病だ。そんな勇気ありませんよ。」

「だけど、俺があの鏡に入ろうとすると、君の話に出てきたその青年は素早く逃げる可能性がある。だが、君が行けば青年は逃げないし、強く警戒もしない。君が鏡の中に入っていたら俺も後から入りやすくなるんだ。頼む。」

「無理です・・・・!僕みたいな臆病者ができるわけがない・・・!」

「じゃあ君は、お兄さんのことを諦めるのか。」

信介は冷たい口調で言った。

「そ、それは」

「守れる人間はなるべく守った方がいい。それが大切な人であればあるほど。君の救いの手がその人に届くなら、救ったほうがいい。その手が届かなくなったら、おしまいなんだ。

失ってからではもう遅いんだよ。」

努はそれを聞くと言葉を失った。信介の言ったたったこれだけの言葉は、努には確かな重みを帯びていた。信介は自分に大切なことを語りかけたのだと、努は思った。

「わ、わかりました・・・。やってみます。」

それを聞くと信介は「ありがとう」と言って微笑んだ。



計画を実行する日が来た。努は予定通り、兄をつけ鏡の世界へと入ったらしい。

そして努が鏡の中に入ったことを赤丸の知らせて信介は把握し、すぐに隣町の工場へと向かった。工場についた信介は思った。錆びたトタン屋根や辺りに捨てられているガラクタなどをみると、もうずいぶん前から使われなくなった工場だと言う事がよくわかる。

すると、信介は誰かに肩をぽんぽんと叩かれた。後ろを振り向くと、一人の男がいた。

男は髪は黒髪のロン毛で、目元も黒く、口や耳にピアスを付けており、いかにもヤンキーという風態をしていた。

「ここだな。兄貴。」

男は信介にいった。


火野信吾。それがこの男の名前だ。信介の義弟である。ただし、血は繋がっていない。記憶喪失で倒れているところを信介に保護され、共に生活をするうちに、いつしか信介のことを兄と呼ぶようになった。


信吾に信介は答えた。

「その通りだ、信吾。」

信介が返事をしてすぐのことだ。

「信介さあぁぁぁん!!」

信介のポケットの中にあるガラケーの携帯電話から声がした。努の声だ。努が、自分が渡した電話に向かって叫んでいる。何かあったのかもしれない。

「今、例の少年が声を上げた。俺を呼んでいる。」

「ああ、聞こえたよ。えらくでかい声だったな。敵に感づかれていなけりゃあいいが。」

「感づかれても、何があっても助け出すさ。信吾。電波の発信源の場所はわかるか。」

「ああ」

そういうと、信吾は懐からスマホを取り出し、操作すると、信介にスマホの画面を見せた。

「ここだあ。」

スマホの画面には見たこともない複雑な地図が載っていた。一つの部屋から道が三つ繋がっている。そのうちの一つのある地点に、赤い点が映っている。

「ここだな。努がいるところは。」

「恐らくな。」

「行ってくる。」

「ちょっと待ってよ兄貴。俺はどうすりゃあいい?兄貴と一緒に行きたいんだが。」

「すまない信吾。お前は鏡の前で待っていてくれ。万が一俺がやられて、敵が外へ出た場合、お前が対応できないと、もう彼らを守れる者がいなくなってしまう。」

「やられるだなんていうなよ兄貴。俺は兄貴がやられるなんて嫌だぜ。」

「ありがとな、信吾。だがなくはない話だ。覚悟はしておいてくれ。」

信吾と信介は例の鏡をすぐに見つけ出した。

信介と信吾の目には、鏡の周りにに紫色の澱んだ空気が漂っている様に見えた。

欲。それも悪しき欲。憎しみ、怒り、恐怖、あらゆる負の感情が混ざり合い、それらの負の感情を強く吸収した欲だ。怪奇は喜びや幸せを感じない。人が当たり前に持つ生の感情が彼らの中には存在しないのだ。だから生きているうちに負の感情がここまで増大し、欲に反映される。そしてこの青年の欲は、他の怪奇の欲と比べても、あまりにも大きく、禍々しい。

「兄貴。欲だ。それもかなりの量の。禍々しい。」

「ああ。それだけ大勢の人がこの鏡の中にいるんだろう。」

信介の頭に筋が浮き出た。この中に努がいるのだ。

『早くしなければ、また、昔のようなことが起きる。』

信介の握った拳は少し力んでいた。

「兄貴、昔の親友のこと、気にしてんのか?」

信吾は肩に力を入れすぎている信介を心配するように言った。

信介は一度ピタリと動きを止めた。

「そうだなぁ。分からない。だけど、俺は昔あいつを失ってわかったんだ。目の前にいる救える人は何がなんでも救わなければいけないって。そうじゃないと、きっと一生消えないような後悔をする。」



あの頃、信介は二十四歳になりたてだった。

幼馴染の親友と戦場カメラマンをやっており、戦地へ赴き、戦地の様子を撮影していた。

親友は静かだが、どこか無邪気でとても慈悲深いやつだった。


彼と知り合ったのは小学二年生になってすぐのことだ。彼は転校生だった。両親を事故で亡くし、弟とともに施設に保護された。そして、今まで通っていた場所が施設から遠かったため、施設から近いこの学校に転校してきた。

親もおらず性格がおっとりしているためいじめられやすいが、ふとしたきっかけで仲良くなった。

子供の頃の信介は親の帰りが遅く、いつも一人で寂しい思いをしていた。だが、彼と仲良くなってからは一人っ子の信介は彼とよく遊ぶようになった。いつしか信介は彼と兄弟のように親しくなり、ともに育った。

そして、信介はそんな彼については幼い頃から心配なことがあった。彼は困っている人がいると自分の身の危険など顧みず、その人を助けにいってしまう。いつか彼は自分を身代わりにして誰かを助けて死んでしまうのではないか。そんな不安がまだ子供の信介の中に生まれた。

その不安は成人しても信介の頭からは消えなかった。

信介は彼とともに育ち、やがて二十歳になった。まだ、大学生真っ只中だ。

二十歳になってすぐ、信介は両親を交通事故で亡くした。信介は悲しみに暮れる中、それでも前へ進まなければと思い、大学で熱心に研究を行うようになった。

やがて、大学を卒業した信介と親友の二人は共に戦場カメラマンをするようになった。二人で戦場の様子を、戦場の現実を世界の人に知ってもらおう。そういう志を持っていた。中学生の頃からの二人の目標だったのだ。

ある時、撮影のために滞在していた町が空襲に遭った。

そんな時、大きな博物館に爆弾が落とされた。すぐに二人はその博物館へ向かった。目そらしたくなる様な光と、口を手で覆いたくなる様な凄まじい熱気を放つ炎が博物館を包んでいた。その前に六人ほどの子供たちがいる。兄妹なのだろうか、みんな顔が似ている。ただ、空襲で、博物館と道路の間には亀裂ができ、時が進むにつれてその亀裂はより深まり、博物館と道路が徐々に離れていっていた。

はやく博物館の方の地面まで行って子供たちを移動させなければ。ノロノロしていると手遅れになる。信介は子供たちがいる博物館の方に飛び移るために、少し助走をつけようと後ろに下がった。

次の瞬間、信介は見た。親友の彼が博物館の方へとジャンプするのを。博物館に飛び移れた彼は、すぐに子供たちの安否を確認した。

「何をやっているんだ!お前はそんなところ行かなくてもいい!戻るんだ!俺が行くから!」

「でもしんちゃん!この子達を放っておくわけには行かないよ!それに、こっちからそっちまでもう結構距離がある!もう子供が飛びうつれる距離じゃない!」

彼はそう信介に言うと、子供の方を見た。そして、子供たちに笑いかけた。

「大丈夫?怪我はない?ちょっと待ていてね。今助けるから。」

彼は子供たちにそういうと、信介の方を見た。

「しんちゃん!この子達を一人一人そっちへ投げる!キャッチしてくれ!」

信介のもとに、子供が一人づつ投げられる。信介はそれを丁寧にキャッチしていった。

辺りの大人は逃げまどっており、こちらを助けられるような状況ではない。仕方なくこの危険な方法を選んだ。

最後の一人の少女を投げる時だ。

何かが、少女の真上から落ちてきた。焼けた大きな木の柱だ。少女が腕で顔を覆って身を守ろうとする。すると、彼は少女を庇って、それを背中で受けた。彼の背中に大きな火傷ができ、彼の動きが止まった

「おい!大丈夫か!」

「大丈夫だよ・・・。しんちゃん・・・。」

彼のおかげで女の子は無事だ。しかし、公道と博物館の間の溝はさらに広く、深くなっていく。もう彼が信介のいる方へ移動できるのは今しかない。

「もういい。その子は諦めろ!はやくこっちへくるんだ!」

「しんちゃん。それはできないよ。」

「どうしてだ!いいから早く・・」


彼は自分の痛みも、自分の苦しみも顧みずに子供のことを考えている。

彼はそういう人なのだ。昔から。

すごく優しい。だからこそ、信介は死んでほしくないと強く思っていた。彼がこういう無茶をするときに、それを止めるために自分はいると思っていた。

信介は当然、子供達も助けたい。だが、それと同じくらい、大怪我をしている彼を助けたいと思った。


「しんちゃん。僕たちが子供の頃のこと、覚えてる?」

「おれたちが、子供の頃?」

「僕は、いじめられやすかったけど、しんちゃんに助けてもらった。それから、僕たちは仲良くなったよね。」

「そんなことはいい!」

「しんちゃん。弱い人や、まだ力の無い子供を見捨てるなんてことは、大人が決してやってはいけないことだ。僕は命に変えてもこの子を守るよ。

しんちゃん、僕たちが子供の頃、一緒にいて楽しい思い出がいっぱいできたよね。僕は転校してすぐの頃は親もいないし、施設の生活にも馴染めなくてつらくて寂しかった。でもしんちゃんと仲良くなってからは、寂しくなかった。僕はしんちゃんのことをすぐに大好きになった。しんちゃん、大人はいつも争うのに、子供ってこんなにもすぐに仲良くなれるんだよ。すごいと思わない?」

「そ、そうだけど・・・。その子も大切っていうのはわかっているけど・・・!でも今一番辛いのも、苦しいのもお前じゃないか!」

「ありがとう、しんちゃん。心配してくれて。でもね、この子達は僕たちとは違う。今、こんな苦しい時を生きているんだ。こんな苦しい思い出ばかりで、人生が終わったら、この子達は可哀想じゃないか。この子達は、光なんだ。わかるだろ。人類の希望なんだ。どこに住んでいようと、何人だろうと、この地球上のすべての子供は、人々の希望なんだよ。」

「お前、まさか・・・。」

「きっとしんちゃんも僕と同じ立場だったら、こうしているよ。それに、僕は自分を犠牲にしているわけじゃないんだ。自分の意思でこの子達を助けたいと強く思っている。

しんちゃん。誰の役にも立てなかった、でくの坊の僕が誰かの役に立てるチャンスなんだ。

この子を頼んだよ。」

彼はそう言って、最後の一人を信介に投げた。信介は子供を受け取り、その場に座らせると、

信介は叫んで彼に向かって手を伸ばした。手が届かないことなど分かっている。それでも助けたい。諦めきれない。

その瞬間、炎に包まれた博物館が崩れ落ち、彼の上から焼け崩れた物が落ちてきた。そして彼の周りは炎に包まれ、彼は見えなくなった。



信介は鏡の中を覗き込む。そこには下へ下へと続く渦巻き状の階段があった。底が見えないくらい階段は長い。奥は薄暗く、空気は淀んでいる。

「兄貴。こりゃ亜空間だな。」

「どうやらそうみたいだ。」

一応、努がいる場所は掴めている。事前に赤丸がこの亜空間を捜査し、見取り図を作ってきてくれていた。

この階段にもしっかりと終わりがあるらしい。そして、階段を降りると何か部屋が広がっているはずだ。そして、さらにそこから無数の道が絡まり合う縄の如く複雑に交差している。だが、どの道の行き着く先も一つの空間らしい。

信介はためらわずに鏡の中に入り、走って階段を降りた。この階段は何も危険じゃない。本当に危険な場所は他にある。

階段の終わりまで行くと、一瞬視界が白くなった。視界が開け、辺りを見渡すとそこには豪華な装飾に包まれた部屋があった。四本の金色の装飾の、豪華な装飾を帯びた柱で支えられている部屋だ。壁には綺麗な絵が至る所にかけてあり、その絵の額縁にも豪華な金の装飾が施されている。そして、その部屋にはたくさんのブランド品が綺麗に並べてあった。大事そうにブランド品がショーケースの中に入れられており、レジまである。売り物なのだろうか。だが人は一人もいない。店ではないのだろうか。

ブランド品店か。信介はそう思った。

そして、努が家に帰った後、自分の元に来た赤丸の忠告を思い出した。

この、部屋はまだ危険じゃない。本当に危険なのは、この部屋の先にある道だと。

どういうことか、話を聞くだけではよくわからなかったが、どうやらこのブランド品店のような部屋のどこかに、さらにこの先に通じる道への扉があるらしい。信介はこの部屋の中を少しぶらぶら歩くと、不自然なところに扉があるのが見えた。この扉だけ、なんの装飾も施されていない。この部屋に似合わず、地味だ。

信介は扉を開けると、目を大きく見開いた。

鏡の道だ。天井も、壁も、床も、全てが鏡でできている道がある。この道は見取り図の情報だと複雑に入り組んでいるため、光が乱反射し道がないところにすら道があるように見える。

そして、人の欲が見える信介の視界には、この道にはこれまでのものとは比べ物にならないくらい禍々しく濁った色の淀んだ空気が渦巻いているように見える。

これか。危険な空間というのは。確かに負の感情にまみれた欲に満ちている。少なくとも、人一人では抱えきれないほどの負の感情だ。相手は相当危険な敵なのだろう。

信介はそう思った。

信介は渡された見取り図を頼りに進んだ。この道を進めば、部屋のような空間に辿り着くはずである。

そして、数分後、信介はようやくこの道を抜けた。そこには、ただの部屋があった。壁は白く、装飾もない。

だが、横を向くとそこには大きな牢屋があった。中に、人がいる。それも若い人ばかり。何かに恐怖し、怯えているようだった。

そして、壁の端の方に努が立ちすくんでいる。努は涙を流しながら、ガタガタと震えている。努の前には髪の青い青年が立っている。あの青年か。努が言っていたのは。信介はそう思った。

そして、牢屋の中から十代後半くらいの少年が青年に向かって叫んでいる。

「やめてくれ!弟なんだ!弟を殺すなら俺を殺せ!」

どうやら、努の兄のようだ。

いきなり、青年の服の背中が音を立てて破れた。するとそこから、無数の帯が出てきた。和服を縛る時などによく使う帯だ。

どの帯もそれぞれ青年の背中から生えており、生物の触手の如く動いている。青年は努に言った。

「さようなら。」

青年は努に帯を放った。帯はまっすぐ努の方に飛んでいく。

「避けろ!努君!」

信介は叫んだ。その声に反応した努は咄嗟に体制を低くして攻撃を避ける。

努は信介の方を見ると目から大粒の涙を流して言った。

「信介さあん。」

信介は努にもう『大丈夫』と口パクで伝えた。

「ううん?どうやらネズミが入ったようだな。」

青年はそう言って信介の方を見た。

信介は思った。今だ。信介は努の目の前まで目にも留まらぬ速さで走った。

この青年がどんなタイミングで努を襲うかわからない。油断せず、相手の少しの動きにも敏感に反応しなければ。

「よく生きていたね。てっきり死んでしまったかと思った。」

「し、しんすけさあん・・・!」

努は尻餅をつき、嬉しさのあまりまた泣きだした。

信介は思った。

臆病で気が弱い少年だと思っていたが、何とか恐怖に打ち勝って、途中で逃げることなくここまできたのか。この少年は勇気を出して頑張ったのだな。だが今は、勇気を出せた努のことを褒めたり、共に喜んだりする余裕はない。早く次の行動に移さなければ、相手が何をしてくるかわからない。

信介は努に言った。

「早く泣き止むんだ。今は助けが来た事を喜んでいる余裕も時間もない。俺が何か言ったらすぐに動けるように用意しておいてくれ。」

努はすぐに涙を拭いた。そして、いつでも動けるように前屈みになった。



「人間一人がこの空間に入っても意味はないよ。」

いきなり男はそう言うと信介に帯を放った。信介は咄嗟に帯を避け、自分の真横を通った帯を掴んだ。

「!!」

男は驚いた。

「おかしいな。普通の人間じゃ掴めないほどの切れ味になっているんだけど。君、一体何だい」

「祓い人。こう言えばわかるか。」

「祓い人。ああ、僕らの天敵か。しかし、僕の素性が君たちにバレるとはねえ。うまく隠れてやってきたつもりだったんだけど。」

「どんなに隠れようと見つけ出して、祓う。それだけさ。」

信介が帯を離すと、帯が青年の方へと高速で戻っていった。次の瞬間、信介の体が震えた。努は何が起きているかわからない。ただ、信介が震えている。それはわかる。

すると信介の瞳の色が赤くなった。次の瞬間、信介の背中のスーツが破れそこから赤い鳥の様な羽が生えてきた。信介の首元に小さな鷹の絵が浮き出る。そして、信介の腕が少し膨らみ、スーツの袖が破れた。腕はトラの様な柄の毛が生えており、手が人間の手ではなく虎の手になっている。

式神。太鼓の昔より祓い人に力を与える神だ。

祓い人は式神に命令して相手と戦う場合もあれば、式神と融合して戦う場合もある。

信介は後者の方だった。


「式神を宿しているのか。厄介な。」

青年はそう呟いた。

「努くん。いいね。今から俺がこの檻を壊す。その時に檻から出てくる人達を連れてここを抜け出すんだ。」

そう言うと、信介は懐から自分のスマホを出し、努に渡した。ロック画面にこの部屋の地図が載っている。

「ねぇ、信介とか言う君。」

青年が信介にいった。

「なんだ。」

「そそれ、この空間の地図だよね。どうやって手に入れたのかな?」

「俺には強力な助っ人がいてな。小動物だが並の人間以上にはいい働きをしてくれるんだよ。」

信介は青年に向かって走り出した。青年は体の周りに浮いている帯をさっと後ろに移動させ、そこから信介に向けて一気に解き放った。帯は信介の体の至る所に刺さり。その傷口からは、血とともに小判がジャラジャラと溢れ出る。

だが信介は帯が刺さったまま声をあげて走り続けた。そして、牢屋の端から端まで移動した。

「あれえ、攻撃を全部食らったようだねえ。でも、再生できるからいいってわけだ。案外君って弱いのかな。」

信介は青年の言葉を無視した。

途端、牢屋の檻が音を立てて壊れた。

「何!?」

青年が驚いた瞬間、努が声をあげた。

「皆さん、こっちです!俺についてきてください!」

努がそう言うと、檻の中の人たちは一斉に努の方へ走った。

帯を脱走する人達に向けようとした瞬間、青年は体を地面に押し付けられた。信介だ。体中に傷があり、血で汚れている信介に押さえつけられている。努は脱走した人々を率いて、鏡の道へ入っていった。手には部屋の地図が書いてある信介のスマートフォンがある。

努が鏡の部屋に入る瞬間、真っ赤な毛色の猫が見えた。その猫は自分に話しかけてくる。いきなりのことに少し驚いたが、今はそんなことに動揺している場合ではない。努は猫と共に道を急いだ。

「ほおう、やってくれるなあ。でもいいや、天敵だし元々手加減する気はないね。」

「ああそうだな。俺も元から手加減する気はないよ。」

信介がそう言ったとたん、青年が急に起き上がり、信介の体は宙に舞った。

信介はなんとか着地し、青年の方を向くと体制を低くした。

起き上がった青年は充血した目で信介を見ている。

途端に信介は青年から強い重圧を感じた。鉄の鉛を肩に乗せられたような重圧感。

青年の目は紅に染まり、頭に大量に筋が浮かび上がっている。その怒りがこちらへと強く伝わってくる。

信介は思った。この青年はここで決めにくる。

その刹那、青年は信介に無数の帯を放った。帯の放たれる速度は今までによりかなり早く、信介はその速さについていけない。一度避けても次の帯が当たり、体の至る所が傷つき動きが鈍る。押され気味だった。なんとか避け、反撃をしてはいるものの、青年の体の傷はすぐに再生する。キリがない。強い跳躍力を持つ足で飛んでも、すぐに狙い撃ちにされる。自分の爪の斬撃よりも相手の斬撃の方が威力がある。

相手からの威圧感。かなり推されているこの状況。信介は焦った。このままだとまずい。こちらが殺られてもおかしくない状況だ。だが、相手は容赦なく攻撃を仕掛けてくる。信介の危機感はどんどん増していく。

もっと早く走れ、もっと強く攻撃しろ。より早く、強く!

信介は攻撃に磨きをかける。それでも戦況は相手の方が有利だった。生物の身体能努がいきなり向上することは基本的にない。それには例外なく、体を持った信介も当てはまっていた。

まずい。負けるかもしれない。ねばれ。ここで勝たねば。

「うおおおおおお!」

信介はさらに腕を早く動かし、長い爪で帯を切り裂いた。くそ、もっと早く動けよ!俺の腕!

自分に対する怒りが、信介の身体能力を限界ぎりぎりまで引き出した。

信介の粘りように、青年も焦りを見せる。

相打ちになってでも、勝たねば。弟の元へは行かせない。努の元へもだ。

すると、何かが信介の頭によぎった。


誰かが、荒れた戦地で写真を撮っている。親友だ。今も忘れることはない、子供を守って死んでいった、幼馴染の親友の彼の姿だ。彼と写真を撮っているのを思い出した。


なんだ。こんな時に、何を思い出している?

信介は自分のことなのに、訳が分からなかった。


戦況はまだ、相手の方が優勢だ。そろそろこちらの体も再生速度が追いつかなくなっている。頭を回せ、どうする、どうすれば。ああ、攻撃が奴の胴体まで届かない!

信介は攻めた。青年に何度も果敢に攻めていった。

負けそうになるとき、諦めそうなとき、信介は今でも思い出す。



親友の周りが炎に包まれる間際、彼の体から何かが光を発して飛び出した。それは巨大な鳥だった。それも体から火を放つ鳥だ。

子供たちも、その鳥に目を奪われていた。そして、その鳥は空高く消えていった。

信介は子供たちを避難所に送り届けた。やがて空襲は終わり、信介は親友の遺骨だけでも得ようと、自分がさっきいた道路まで戻った。道路と博物館の間にはかなり距離があり、飛び移るのはとうてい無理だ。

「信介さん。」

声がした。下からだ。足元を見ると、そこには真っ赤な毛の猫がいた。

「猫が喋っている?」

「信介さん。私は貴方の親友の式神の一つです。」

信介ははじめこの猫が何を言っているのかわからなかった。そして、自らを赤丸と称す猫から信じられないような話を聞いた。祓い人。親友の彼は祓い人だったらしい。彼は今までずっと自らの怪我なども顧みず、怪奇を祓ってきたとのことだ。彼らしいなと、信介は思った。そして戦場カメラマンになっても、戦場でそれを行なっていた。赤丸は泣きながら信介に伝える。彼は両親を怪奇がらみの事件で失ったらしい。そして赤丸は偶然、彼の心の声を聞き、親を亡くしたことを後悔し、誰かの力になりたいと強く思っていた彼を祓い人になるよう誘ったらしい。祓い人の素質があったため祓い人になったらしい。

彼にはたった一人の弟がいた。祓い人をやりながら、生計を立てながら弟と暮らしていたそうだ。だが、彼はもうその弟とも会えない。信介は知った。彼はもっと多くの人を助けたかったらしい。赤丸の言葉からは彼の無念がよく伝わってくる。

赤丸は続けた。

「僕はご主人に祓い人の話を持ちかける前に、信介さんかご主人かで迷ったんす。どっちも素質はあるから。でも、両親を怪奇がらみの事件で亡くしたご主人にこの話を持ちかけた。ご主人はすぐにその話に同意したんす。でも、信介さんには言わないように固く口止めされました。危険なことに巻き込みたくないと。」

信介は黙って話を聞いていた。

「御主人は自分のことを顧みずに誰かを助けるほど優しいお人ですから、今回はそれが仇になって命を落とされた。子供を守るのに必死で、傷を癒すだけの力も、ご主人は持っていませんでしたから。」

信介は赤丸に問うた。

「ねえ。彼の意思を継ぐ人はいるの?」

「いないっす。御主人は自分の身に起きる危険なことに誰も巻き込みたくないから、弟子も取らなかったっす。」

「そうか。本当にあいつらしいな。赤丸。」

「はい。」

「俺に素質があると言ったね。」

「はい。素質はあります。」

「今からでも、俺は祓い人になれるかい?」

「え・・・。慣れるにはなれますけど、御主人はそれを嫌がって」

「一つ、聞いてもいいかい?」

「なんなりと。」

「もし、祓い人になったら、俺はもっと多くの人を助けられるようになるの?」

「それはまあ。今よりも、身体能力が上がるから助けられる人は増えます・・・。」

「そうか。じゃあ、アイツを失うみたいに、誰かを失う様なことは防げるのか。

じゃあ、なれるなら俺は祓い人になるよ。あいつはいい奴だから、自分の意思を他人に継がせることはしなかったのだろう。でも内心はきっと誰かに意思を継いで欲しかったんじゃないかな。」

「・・・。」

「こんなに誰かのために尽くした奴なのに、誰からも忘れられて、意思も継がれずに消えていくなんて、こいつが浮かばれないじゃないか。可哀想だよ。」

信介は静かに言っていた。口調は静かだが、両目から涙があふれている。信介は必死に涙を拭った。それでも、涙は目からたくさん出てきた。止まらずに出てくる涙を、ただただ手で拭っていた。

「でも、いいんすか?この先の人生を棒に振る様な選択っすよ。」

「いいさ。あいつは俺の片割れみたいなものなんだ。あいつが死んだなら俺の半分が死んだのとおんなじだよ。それに、」

「それに?」

「もうアイツを失った時のような思いはしたくないんだ。」



信介の体力は限界に近かった。いくら式神で再生できるからと言えども、限りがある。

「祓い人。君は今まで僕が戦った中で一番強かった。でも、僕には叶わないね。」

信介の身体中に帯が刺さった。

信介は一瞬意識を失いかけた。

だが、すぐに正気を取り戻し、立ち上がった。

状態は今でもこちらの劣勢だ。だが、倒れるわけにはいかない。


誓ったのだ。彼に。

安心しろ。お前の意思も、思いも俺が引き継ぐ。お前が助けてやれたはずの人たちも、俺が助ける。俺が力をつけてもっと多くの人を助ける。お前に届かなかったこの右手で、誰かを助けられるようになってやる。

あと。ごめんな。助けてやれなくて、ごめんな。俺が無力なために、お前を死なせてしまった。あの時お前に向けた右手で、お前を助けてやれなくて、ごめん。


信介は青年から攻撃を喰らっていた。

倒れるな。倒れても、起き上がれ。

信介は自分にそう言い聞かした。

なぜ、アイツの代わりに自分が生きている。なぜ、俺ではなくアイツが死んだんだ。

アイツが代わりに生きていたらどんなによかったことか。アイツと過ごしていたいつもが戻ってきたらどんなによかっただろう。


信介はまた、攻撃を喰らった。そして、反撃した。攻撃が男の腕に届く。


信介は、親友の彼を助けられなかった無力な自分が許せなかった。どんなに嘆いても、もう彼は戻ってこない。いつもが、彼と過ごしたいつもがまた戻ってきたらいいのになと、ふと思った。だが、そんなことは起きはしない。無力で役立たずな自分を決して許すことはなかった。


信介は青年の攻撃を喰らっても倒れることはない。そして、攻撃を喰らいながらも青年の体に反撃を喰らわせた。


信介の傷口から血が噴き出す。信介は体を突き抜ける痛みに耐え、さらに反撃を加えた。

信介は青年と激闘を繰り広げ、気がつけば青年の目の前に立っていた。信介の体には男の帯が全て貫通している。意識が飛びそうになる。信介は朦朧とする意識の中で、力を振り絞り右手に手刀を作った。

『俺が死んでも、悲しむものはほとんどいない。いるとしたら、ごく稀に信吾くらいだろう。俺はおそらく、誰からも覚えられず、名もなく消えていくだろう。だからこそ、安心してこの身をボロボロにして戦える。

そして、もうあの時と同じ後悔をしないようにこの身を投げ出してでも誰かを助けようとできる。

耐えろ。耐えるんだ。

もう同じ後悔をしない様に。』

「くそおお!なぜくたばらない!攻撃は全て当たっているのに!」

青年は叫んだ。青年の体も傷だらけだ。至る所から血が出ている。信介は身体中の力を右腕に込め、青年の胸に向けて強い努で勢いよく手刀を突き刺した。

信介の手刀は男の胸を貫通した。青年は信介への攻撃を強める。

辛い。耐えていても辛いだけなのに、耐えていた。その行動に迷いも後悔もなかった。躊躇も、信介の中には起きなかった。彼の意思を継いだのだ。この体が滅びるまで、諦めることはない。


やり遂げろ。奴を弟の信吾や努達の元へは行かせない。彼らはだれひとりとして死なせない。

信介は思う。彼が死んでから、自分の死にこだわる人などいないだろう。

信介は思う。誰に覚えてもらう必要もない。祓い人でなかった頃より、無力だったこの手が少しでも多くの人を助けられればそれでいいんだ。誰かが悲しまなくても、覚えてくれなくても、それができればそれでいいんだ。こんな自分が辛い目に遭うのは当然のことだ。この身が朽ちるならば、傷つくならば、死にかけるならば、勝手にそうなればいい。それで自分が死のうが瀕死で生きまいがどっちでもいい。

ただ、何があっても守るべき人たちは守りきれ。


信介に彼が笑っている姿が青年の後ろに見えた。穏やかに、ただただ微笑んでいる。


信介の目から涙が溢れた。そしてつぶやいた。

「守り切らないと。あっちに行ったときに、あいつに顔向けできないな。」


その瞬間。青年の体の胸の奥にある青い小判にヒビが入り、それが割れた。

青年は断末魔の悲鳴を上げた。その悲鳴とともに、青年の体は徐々にすべて銀色の小判になり崩れ落ちいた。

青年の体が崩れても、信介は手刀を突き出したままその場に突っ立っていた。体の至る所から血が吹き出している。


信介の目には目の前に親友がいるように見えた。少し困った顔をして涙を流しながら信介を見ているのだ。

信介は親友に微笑みかけた。

「なあ。そんな困った顔しないでくれよ。泣かないでくれよ。俺、守り切ったよ。だから、そんな顔しないでくれ。俺はお前の笑っている顔が見たいんだ。」

信介がそういうと、親友は微笑んだ。

「やっと、笑ってくれたな。俺、嬉しいよ。」

信介は力尽きたようにその場に倒れた。


鏡の外には、もうすでに若者たちと努、勝が出ていた。勝はことを全て聞かされ、弟を危ない目に合わせた自己嫌悪に陥っていた。若者たちの後ろには信吾が黙って目を瞑り、近くの柱に寄り掛かって立っていた。

信吾は何かに感づくと鏡から出てきた人々に言った。

「おい、今すぐ帰りなあ。」

「え、で、でも、信介さんに何か一言言わないと。僕らを助けてくれたんだから、お礼くらいは」

「いいから帰れつってんだろ。兄貴には俺が言っておく。いいから帰るんだ!」

信吾はそう言って、鏡から出た人々に怒鳴った。若者たちは渋々帰って行った。努と勝だけは信介が気がかりで、工場の前でこっそり待っていた。

信吾はすぐに鏡の中に入り、信介がいる場所に走って行った。

亜空間は崩壊寸前だ。亜空間が壊れた場合、鏡が割れたり砕けたりと、なんらかの影響が出るかもしれない。

そうなると、鏡の近くにいる人が危険な目に遭う。信吾はそれを避けるために、若い人たちを追い払ったのだ。

だが、崩壊寸前の亜空間に信介がいるのもかなり危険だ。最悪の場合、信介は亜空間に閉じ込められるかもしれない。

信吾は走った。部屋や階段にはヒビが入り、みしみしと音を立てて壊れ始めている。亜空間が崩壊しかけているるようだ。

信吾は信介がいる部屋まで行った。その部屋では、信介が人の体に戻って倒れていた。



「伸びちまったか、兄貴?」

「ああ、今回はくたびれたな。でも、まだまだ俺は生きて残ってしまったらしい。死んだんじゃないかって、一瞬思っちゃったんだがな。」

信介の目には涙が溜まっていた。

信吾はすぐに信介を担いだ。

「すまない信吾。」

「いいんだよ。それよりこの亜空間、もう壊れそうだ。急いで外出るぜ。」

信吾はそう言うと、信介を担いでスマホの地図を見ながら外に出た。鏡から二人が出た瞬間、鏡の中の階段は消え、鏡はなんの変哲もないただの鏡に戻った。

「終わったぜ、兄貴。」

「そうか、他の奴らは。」

「助かったぜ。全員な。」

「ならよかった。」

信介は信吾の肩を借りながら歩いていた。

勝と努はその様子を見た。

努は信介に声をかけた。

「あの、信介さん。」

信吾に肩を借りて歩いている傷だらけの信介は努の方を見た。

「どうしたんだい?もう彼奴も祓えたし、君のお兄さんも大丈夫だ。」

「はい。ありがとうございます。僕、今回すごく勇気を自分の中で出せたんです。臆病だけど、臆病なりに頑張って、兄を助けられました。」

信介はにこりと笑っていった。

「そうか。それはよかったね。」

「僕、信介さんのことは忘れません。」

「いいよ。忘れて。何も覚えてほしくてこんなことをしているわけじゃないんだ。それに、君にとっても今日のことを覚えているのは少し怖いだろう。」

「でも、傷だらけになっても僕らのことを守ってくれた。」

「それは結果としてそうなっただけだ。別に僕は自分が死のうが傷だらけになろうがどっちでもいい。俺は大して価値がない人間だと思うから、別にどうなっても大丈夫なんだ。」

努は少し驚いた。と同時に少し悲しかった。自分を助けてくれた恩人が、自らのことをここまで悪様に言う。

「僕は人のことを云々言える資格はないですけど、信介さんはどうでもいい人なんかじゃありませんよ。どうでもいい人なんてこの世にいません。信介さんは自分のことをどう思っているかは知らないですけど、僕は信介さんに死んでほしくもないし、できれば傷だらけにもなってほしくないです。」

信介は言葉が出なかった。こんなふうに言われたのは初めてだ。

「僕は振り返ってみると、信介さんのおかげで少し変われた気がします。なんとなくですが、そんな感じがするんです。僕たちは、短い間ではあったけど協力しました。僕らにとってあなたは命の恩人です。そう思っている人は他にもいるはず。

だから、あなたは自分を卑下しているけど、あまりそういうことはやめてほしいなって思います。」

信介は努の言葉一つ一つを驚いた様子で聞いていた。

「僕は忘れません。あなたは僕ら兄弟だけじゃなくて、その、牢屋に閉じ込められていた人たちみんなの命の恩人です。本当に感謝しています。」

信介はそれを聞くと、努から顔を逸らし、前を向いた。

「好きにするといい。でも、ありがとうね。」

信介はそういうと信吾とともに歩いた。

赤丸が、信介のそばにきた。

「ご主人。大丈夫っすか。」

「ああ。ありがとう。大丈夫だよ。ねえ。」

「はい。」

「俺は今でも、自分に大した価値は感じないよ。でもね。」

「はい。」

「俺の死を悲しんでくれる人も、俺を覚えてくれる人も、いるんだな。」

信介は努の顔を思い浮かべた。横にいる、信吾の顔も頭に浮かぶ。

「その通りです。」

赤丸は涙目で頷いていた。赤丸とは遠慮せずに話せる仲だった。

「俺は今まで、この身がどうなってもいいと思っていた。別に死でも構わない。どんなに傷だらけになっても、辛い思いをしても構わない。心のどこかで、さっさと死んでしまいたかった。と言うか、死ねばいいと思っていた。」

「はい・・・。」

赤丸は静かに泣きながら答えた。自分をこき使うところがあっても、信介は大好きで大切なご主人なのだ。

「だけど。努君と会って、少し考えが変わった。俺のことを思ってくれる人も、確かにいるんだ。だから、死ねばいいなんて、考えることはやめにしたんだ。自分を投げやりにするのも。」

「はい。」

「今までの俺の戦いは、死にに行く戦いだったよ。これからも、この身を投げ出してでも人を守ることに変わりはない。だけど、自分を無闇矢鱈に傷つけて、あえて死にに行くような戦いは、もう止めようと思うんだ。

俺が助けた人で、俺に感謝してくれる人がいる。だから、まだ頑張って生き抜くよ。寿命が来る日まで、生き抜いてやる。」

「はい。」

信介はそういった。言いながら、微笑んでいた。幸せな気持ちで、ただただ微笑んでいた。

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祓い人の信介さん 境内 仁太郎 @Maskedrider03

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