秘密基地は森の奥

ハルカ

絵日記の中の秘密基地

 祖母が亡くなった夏、僕は引っ越しの準備に追われていた。


 街の新居はここよりも狭いので、あまり多くの物を持って行くことができない。持ち物を最小限にせよと母から厳命を受けている。だから、夏休みだというのに朝早くからこうして持ち物の仕分けをしているのだ。


 それにしても、そう急がなくたっていいじゃないか。

 祖母が亡くなったのはつい先月だ。

 通夜だの葬式だの挨拶だの諸々の手続きだのがやっと終わり、ようやく落ち着いてきたばかりなのに、今度は父の転勤が決まった。


 十七歳の誕生日を間近にひかえた僕は、ここに残って一人で暮らしたいとごねた。

 だが、高校生活はあと一年半も残っているし、何より僕は自炊ができない。それを理由に、両親は僕の一人暮らしを許してくれなかった。


 結局、僕は転校させられることになった。

 夏休みが終わり新学期が始まれば、別の学校に通うことになる。


あつっ……」


 ひたいから出た汗が首筋まで伝い落ちる。

 それを手の甲でぐいとぬぐう。

 外ではセミの声がにぎやかだ。街のセミたちは違う鳴き方をするのだろうか。そもそも、街にもセミはいるのだろうか。


 納戸に収められた段ボール箱を引っ張り出し、中身をあらためる。

 やけに重たいと思ったら、小学生の頃に使っていた教科書やドリル、ノートなどがぎっしりと詰まっていた。さすがにこれは捨ててもいいだろう。


 ノートを何冊か手に取り、ぱらぱらとめくる。

 まじめに漢字の書き取りをしていたり、算数の計算に途中で飽きていたり、落書きがしてあったり、自分のことながら微笑ましい気持ちになる。

 紐で縛るためにノートの束を段ボールから出していると、ふとが目に留まった。


 表紙には「絵日記」の文字。

 中を開くと、へたくそながら一生懸命描いたのであろう絵と、その日のできごとを簡単に書いた短い文が並んでいる。夏休みの宿題なんて最後の一週間にまとめてやっつけていた僕だが、意外にも絵日記のページはそれなりに埋まっていた。


 海水浴、山登り、工作、虫取り、地元の夏祭り、祖父の畑の手伝い。ページをめくるごとに、埃をかぶって色褪せていた思い出が少しずつ鮮やかによみがえってくる。

 将来のことなど気にせず遊んでいたあの頃。大人から見れば他愛のない日々かもしれないが、子ども心には新鮮でキラキラしていて宝物のような毎日だった。


 ふと、あるページに目が留まる。

 そこには気になる絵が描かれていた。三角と四角を組み合わせただけの簡素な建物。そして、僕と友達らしき5人の姿。誰かの家だろうか。それにしては、周囲にたくさんの木が描かれている。まるで深い森の中のようだ。


【今日は、ゆうたくん、けんとくん、あつしくん、まなぶくんとあそんだ。木の下はすずしい。セミがうるさかった。】


 日記にはそう書かれていた。

 その名前を、ひとつひとつ思い出す。

 中学に上がるまでは一緒だったのに、そこからクラスが別れたり引っ越していったりして、僕らはだんだんバラバラになってしまった。そして高校に入る頃にはもう、ほとんど顔を合わせる機会さえなくなってしまった。


 ふと、胸に不安が込み上げる。

 もし僕がこのまま引っ越してしまえば、あの頃の友達はいつの間にか僕がいなくなったと思うだろう。あるいは、次第に僕のことを忘れてそのまま思い出さないかもしれない。そう考えただけで、胸に大きな穴が空いたみたいな気持ちになる。


 もう一度ぐいと汗を拭い、僕はゆっくり立ち上がった。


   ◇ ◇ ◇


「もしもし?」


 幸いにして、電話はすぐに繋がった。

 しかし、固定電話の番号しか知らなかったため、緊張しつつ名乗る。


「……あの、高橋といいます。あつしくんいますか?」

 すると相手は笑った。

修一シュウかぁ? どうした、久しぶりだなあ」

 あだ名で呼ばれ、一気にあの頃の空気が帰ってくる。

 嬉しくなり、僕もあだ名で呼び返す。


「あっちゃん。久しぶり。元気そうだね」

「うん。家の手伝いで毎日忙しいけど、体が丈夫なのが取り柄だからなあ」


 彼は僕より学年がふたつ上で、もし進学しているなら大学一年のはずだった。

 そうか。あっちゃんは大学には行かず家を継いだのか。

 僕も、祖父母が生きていたらそういう人生もあったかもしれない。


「実は、親の転勤で引っ越すことになったんだ」

 そう伝えると、あっちゃんの声のトーンが少し下がった。

「……そっか。学校は?」

「転校することになったよ」

「お前のとこ、爺ちゃんと婆ちゃんいなかったっけ?」

「婆ちゃん、先月亡くなったんだ。爺ちゃんは中学のとき」

「そうだったのか」

「うん……」

「一人暮らししちゃえよ。高校生だろ」

「それが、頼んでみたけどダメだって」

「厳しいなあ。転勤って、親父さん単身赴任じゃないんだ?」

「うん。うちの母さん、都会暮らしに憧れてたから一緒に行くって」


 母は、祖父母が亡くなるまでずっと介護を続けてきた。

 家の中のことをすべて母に任せきりだった父は、そんな母の願いを断り切れなかったようだ。自身が会社勤めをしていることもあり、結局は祖父母が守ってきた家や田畑を売り払うことに決めた。


「そっか、寂しくなるなあ」

「うん……」

「でもまあ、シュウのことは俺が覚えててやるからな」


 気さくな話し声が懐かしい。

 そういえば彼には弟がいて、だから下の子の面倒を見る癖がついているんだ。そういうところも変わってなくて、なんだか嬉しくなる。


「そういえば、ひとつ聞きたいんだけど」

 僕は彼にあの絵日記の話をした。

 謎の建物の絵について説明すると、あっちゃんは言った。


「それ、秘密基地じゃないか?」

「えっ?」

「ほら、よく遊んだだろ。夏休みなんか、毎日のように集まってさ」


 そう言われて、おぼろげながら記憶がよみがえる。

 森の中の小さな建物。

 僕らはそこに好きなものを持ち寄って遊んでいたのだ。


   ◇ ◇ ◇


 翌日、僕は記憶を頼りにその場所へ行ってみた。


 用水路を追いかけるように農道をゆく。

 このあたりは舗装がされていなくて、足元は土のままだ。空から容赦なく太陽が照り付け、慌てて木陰に入る。


 小高い丘が木に覆われ、こんもりと森のようになっている。

 丘に沿って歩いてゆくと、お地蔵様の脇に山へ上るための小道があった。

 なだらかな坂道を踏みしめ、森に入る。ふと見上げれば、苔むした石の鳥居がそびえていた。その奥に今にも崩れそうな石段があり、そっと慎重に上ってゆく。


 石段を上りきると、木造の建物があった。

 それは古く小さなお堂で、森に囲まれるように鎮座していた。建物はところどころ朽ちかけ、そこかしこに蜘蛛の巣が張っている。最初はよくわからなかったが、じっくり観察するうちに、そこがあの絵日記に描かれている場所だと確信した。


 鈴や賽銭箱は見当たらず、ひびの入った手水鉢だけが残されている。お堂の周囲は土が踏み固められているためいくらか空間があるものの、すぐ近くまで草が生い茂っている。


 そうか。僕らは使われなくなったお堂を秘密基地にしていたのか。

 子どもの頃にはわからなかったことに、今さら気付く。


 あの頃は楽しかった。

 好きなものだけを集めた空間に、気の合う友達。延々と遊んだり、好きなお菓子を食べたり、誰かが持ってきた漫画を回し読みしたり。拾った仔犬をこっそり飼って、その仔犬は結局どこかの家にもらわれていったっけ。中に蛇が入ってきて大騒ぎになったこともあった。

 引き戸を開いたら別世界に繋がっている、なんて妄想を何十回したかわからない。


 小学校の高学年になるにつれて、僕らはいつのまにか集まらなくなってしまった。

 それは自分で選んだことだけど、あんなに楽しかった秘密基地のことを忘れてしまっていたことがショックだった。

 大好きだった祖母が亡くなり、住み慣れた土地を離れることになり、友達からも離れ、持ち物もたくさん捨てなきゃいけなくて、なんだか僕は自分がどんどん空っぽになっていく気がした。


 お堂をしっかりと目に焼き付け、僕は森を後にした。


   ◇ ◇ ◇


 それから6年の歳月が過ぎた。


 僕は街の大学を卒業し、そのまま都会で就職先を見つけた。

 社会人一年目の夏、祖父母の墓参りをするために僕は久々に地元へ戻ってきた。

 田舎の景色はあまり変わらず、懐かしくなってあっちゃんの家に電話をかけてみると、彼は僕からの電話をとても喜んでくれた。そのことにほっとした。


 互いの近況報告をしたあと、ふと気になってあのお堂の話をしてみた。

「なんだ、やっぱり気になるのか?」

 あっちゃんが笑う。引っ越しの前に僕が話したことを覚えてくれていたらしい。

「まだあるの?」

「うん、まあ……まさか行くつもりか?」

「せっかく帰ってきたし、そうしようかなと思ってるけど」

 すると、あっちゃんはうーんと唸った。

「あそこは人の足で行ける状態じゃないよ」

「どういうこと?」


 引っ越しの前、たしかに僕はあのお堂へ行った。

 この足で向かい、この目で見てきた。

 それなのに人の足で行ける状態じゃないとは、どういうことだろう。


「わかった、そんなに気になるなら連れてってやるから」

 そう言ってあっちゃんは電話を切った。


   ◇ ◇ ◇


 それから十五分も経たないうちに、彼は白の軽トラでやってきた。

 お礼を言って乗り込み、二人でお堂へ向かう。


 こんもりした丘が近付いてきたが、どうも様子がおかしい。

 6年前に僕が歩いたあの農道はすっかり草に覆われていた。その草を踏みつけるように、軽トラは慎重に進んでゆく。たしかにこれは人の足で歩くには厳しい。


「このへんは、もう畑をやる人がいないんだって。それでこの有様さ」

 苦々しい表情であっちゃんが言う。

 山の入り口の目印になっていたお地蔵様も、草に隠れて顔しか見えない。

 その脇の小径を、軽トラはゆっくりと進んでゆく。左右から木が生い茂り、道幅はギリギリだ。


 鳥居の前まで来て、あっちゃんは軽トラを停めた。

「虫に刺されるといけないから、車の中で我慢してな」

 石段の上に、あのお堂が見えた。

 だが、思わず目を疑う。

 大きな倒木が屋根を押し潰し、僕が絵日記に描いたあの三角屋根は無残にひしゃげていた。しかも、お堂の中から木が生えている有様だ。


「何年か前に雷が落ちて、木が倒れてそれっきりだ」

 運転席であっちゃんが呟く。

「……っ、ごめん!」

 僕はたまらず軽トラの助手席から飛び降りた。

 足元は草の海だったが、強引にかき分けて進む。石段に飛び乗ると音を立てて崩れた。それでもがむしゃらにお堂を目指す。


 あそこには宝物がいっぱいあったんだ。


 プラモデル。ミニカー。飛行機の模型。ゲーム機。変身ベルト。ボードゲーム。トランプ。夢中で読んだ漫画。ジグソーパズル。図鑑。世界地図。方位磁石。双眼鏡。地球儀。海外旅行のお土産にもらったキーホルダー。外国のコイン。家からこっそり持ち出した懐中電灯。電池式のランプ。虫メガネ。カブトムシ。クワガタ。タツノオトシゴの干物。アンモナイトの化石。恐竜の模型。綺麗な色の石。海岸で拾った流木。水鉄砲。スーパーボール。いい感じの木の枝。可愛い仔犬。友達。

 どれも、大切なものばかりだった。


 お堂の引き戸を開けば、小学生の頃の自分たちがまだそこにいる気がした。


「待て!」


 森全体に響き渡るような大声が聞こえた。

 あと少しで届きそうだった手を、慌てて止める。


 あっちゃんは軽トラから降り、石段の下までゆっくり歩いてきた。

 そして強い口調で僕に言う。


「戻ってこい、修一」

「……うん」


 そうするのがいいような気がして、言われるがまま、僕は石段の下まで戻った。

 アブが威嚇するように僕らのそばを通ってゆく。

 最後にちらりとお堂へ目をやれば、今にも朽ち果てそうな建物が見えた。


「びっくりした。シュウが秘密基地と心中でもするのかと気が気でならなかったぞ」

「……ごめん」

 僕はしょんぼりと謝った。

 もういい大人なのに、友達に心配をかけてしまって情けなかった。


 軽トラに乗り込むと、あっちゃんは車をゆっくり後退させた。

「神主は随分前に亡くなったらしいよ。俺たちが遊んでた頃には誰も管理してなかったって。元は先祖が切り開いた土地だったんだろうけど、山に取り返されるときはあっというまだなあ」


 あの小さなお堂は、このまま森に隠されゆっくり消えてゆくのだろう。

 誰の目にも触れることなく。

 僕らの秘密基地は、永遠に僕らだけの秘密になるのだ。

 そのことが少し嬉しかった。


 これから夏が来るたびに、茂った森を見るたびに、あるいは古いお堂を見るたびに、きっと思い出すのだろう。

 僕らの秘密基地で過ごした、あの特別な時間を。

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