第10話 人生の最期のはなむけ

 私は水商売の華やかで安全な、透明のケースの中の男性視線を意識した派手な着物をまとった人形が、銀座特有のネオンのきらめきに包まれて生きてきた幸せな成功者である。

 作詞をし始めたころ、夜の蝶はあくまでネオン街のなかでひらひらを飛ぶべきであって、昼間の世界で活躍するなんてとんだお門違いだ。という好奇心と冷酷さのいりまじった珍奇ともジェラシーともいえる視線。

 そんな視線こそが、私に負けん気を奮い立たせたといえる。

 五木ひろしを育て上げ、レコード大賞、日本作詞大賞まで受賞した。

 

 ある直木賞選考委員が「今度の直木賞候補はバーのママだってさ。選考委員なんてあほらしくてやってられないね」

 するとある高名な作家氏曰く

「いいじゃないか。バーのママだろうと人殺しだろうと、いい作品をかけばそれで」というため息まじりの声を吹き飛ばし、直木賞と吉川英治文学賞に輝いた。


 私の作品のあとがきを書いて下さった男性が

「世の中にはすごい人がいる。

 水商売をさせればオンボロスナックからあっという間に一流の銀座バーに仕立て上げ、作詞をさせればレコード大賞、本を書かせれば直木賞。

 山口洋子氏は、才女というよりも女傑である」

 まあ、私は小学校の頃から、ずっと女子学級委員の優等生。

 私の出生は、いわゆる妾の子で、育ててくれたのは実母ではなく、実母の友人だったという複雑な家庭。

 お小遣いは、私は近所の子相手に学習塾を開き、そのお礼に少々の駄賃をもらっていた。

 私の夢は、物書きになりたかったので、駄賃は、すべて古本屋の本に消えた。


 京都女子大学付属高校に入学したものの、だんな(私の実父)からの仕送りが途絶え、涙を飲んで中退することになった。

 養母となんとか生活していかねばならない。

 私は大阪の下町に住み、年齢をごまかしてキャバレーで働き、先輩姉さんの励ましで、なんとか食べていくことができた。

 のちに、傾きかけのビルのオンボロスナックを経営することになったが、ボトルは棚にたくさん並び、いつもカウンターは満席だった。


 私の初体験は、無惨なものだった。

 レイプされたわけじゃあないけど、いわゆるパトロンに身を捧げたのである。

 無理やり花を散らしたような、奇妙で無惨な感だけが残った。

 それ以来、私は恋愛しても、燃えることはなく、男性からは

「君は感情のない人形を抱いているみたいだ」


 以上の体験があったからこそ、私は物書きになれたのだろう。

 もし、私が大学を卒業して平凡な主婦におさまっていれば、とうてい物書きになどなれなかったに違いない。

 苦労のまわり道こそが、夢をかなえる王道だったのである。

 

 まあ、私のような人は十万人に一人の確率だろう。

 たいていの銀座バーのママは、借金を抱えて自殺したり、結婚詐欺に同棲に持ち込まれ全財産を奪い取られた挙句、財産のみならず店も土地家屋も失ってしまうケースが多い。

 いくらダイヤの指輪をはめても、心の陰りまでは照らすことはできず、ブランド物の高価なコートも心の寒さまで覆うことはできない。

 しかし、銀座のネオンはなにがあっても消えることはない。

 昨日の惨劇などまるでなかったかのように、夜空に輝き、昼間の世界にはぐれた人の道標べのごとく、喧騒を醸し出している。

 まあ、さすがにこの頃はそれも時代の波とともに、薄れつつあるが。

 私のバーにもよく来店して下さった作家の故渡辺淳一氏が、銀座のバーは文化であり、そのともしびを消さないでおこうと言ってくれたが、まさにその通りである。


 現在の私は、闘病生活をおくっている。

 直木賞を受賞した翌年、ちょうど五十歳近くなってから、身体の不調が一度に吹き出てきたようだ。

 ヘビースモーカーに加え、長年ため込んできたコレステロールたっぷりの脂肪で、すっかり高血圧、手足のしびれに悩まされることになってしまい、リハビリ生活をおくっている。

 生きててよかったと思うこともあるが、それは太陽に照らされ、生き生きと輝く青葉ではなく、あくまで枯れゆく落ち葉の如く、ネガティブなため息まじりの感情でしかない。

 日本人女性の平均寿命まではあと十年近くあるが、その日まで生きられるといった保証もない。


 しかし、一度でいいから、赤ん坊を抱いた主婦の気分を味わってみたかった。

 これが唯一の心残りである。


 END(完結)

 

 

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☆嗚呼 山口洋子物語(2014年没)後編 すどう零 @kisamatuma

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