死にたいわけじゃない でも生きつづけたいわけでもない
花田璃子は、病室にかかっている名札を確認した。
「木下 太郎」
この病室で間違いない。
緊張から、深呼吸をした。
璃子は、この木下 太郎氏のお見舞いに来たのである。
だが、知り合いと言うわけではない。
1週間前、駅のホームで起こった通り魔事件。
5人もの男女が刺された。
大学に向かっていた璃子はその現場に遭遇してしまったのだ。
黒いニット帽をかぶった男が大きな包丁を構えて璃子の目の前で振り上げる。
”あ・・・・死んじゃうんだ・・・”
その時、スーツ姿の年配の男性が立ちふさがった。
通り魔の持った包丁が、その男性の腹部に突き刺さる。
その男性は大きな声で叫び、刺されながらも通り魔を組み伏せた。
おかげで、璃子は無傷ですんだ。
木下 太郎・・・警察で教えてもらった璃子の命の恩人である。
コンコン
「はい、どうぞ」
ノックの返事の声を確認し、中に入った。
手には花と菓子折りを持ってきている。
璃子は病室に入り頭を下げた。
「あ・・・あの・・」
その男性はベッドに横になったまま不思議そうな顔をする。
年齢は40代後半だろうか。
「ええと・・どちらさまでしたでしょうか?」
怪訝な顔をしている。
「あの・・・私、花田といいます・・・。通り魔から助けてもらった・・」
「あぁ・・・」
苦笑した男性・・・ちょっと困ったような顔をする。
「あの時の・・・無事でよかった」
「木下さんのおかげで・・・助けていただいて、本当にありがとうございます!
でも、そのせいで・・」
「いや、全く気にしなくていいですよ」
優しそうな笑顔。
それから、璃子は何度か木下氏の病室に見舞いに訪れた。
罪悪感からである。
木下氏は、璃子のせいで大けがをしたにもかかわらず璃子に何も要求してこなかった。
いつも、優しい笑顔を浮かべて穏やかな口調で話をする。
璃子は、ずっと不思議に思っていたことがあった。
それを聞きたくて・・・聞けなくて。
何度も来訪していたのであった。
そして、ある日勇気を出して聞いた。
「あの・・・木下さんは、どうして私を助けてくれたんですか?見ず知らずの私なんかを」
「そうだね・・・私みたいな年寄りより未来ある若い人が助かった方がいいと思ったからかな」
「でも!・・・・でも・・死んじゃうかもしれなかったんですよ。それなのに・・・どうして?」
すると、木下氏は寂しげに微笑んで静かに言った。
「私は・・・ずっと仕事人間でね・・・。気が付けば独身のままこの年齢になってしまった。
おかげで、会社ではそこそこ出世はしたが・・・
父も母も亡くなって、気がつけば天涯孤独になっていた」
窓の外に目をやる。
「最近、ふと思っていたんだよ・・・
このままあと10年ちょっとで定年を迎え、独りで年金で生活を続けて・・・そのままいつか死ぬんだろうって」
璃子はなんと声をかけてよいかわからず、木下氏の横顔を見つめるしかできなかった。
「私はね、死にたいわけではないんだ。でも、このまま生き続けていたいわけでもなかったんだよ。
だからね、別に死ぬことが怖くは無かったんだ」
そして、さみし気に微笑みながら璃子の目を見て言った。
「もう、こんな寂しいおじさんの所に来ることは無いよ。今まで来てくれてありがとう」
璃子は、病院を出てとぼとぼと歩きながら思った。
あの人は、ずっと孤独だったんだろう。
そして、それはこの先もきっと・・・
木下氏は璃子の恩人・・・せめて怪我が完治するまでは、またお見舞いに来よう。
そうすることで、孤独がまぎれるのなら少しは恩返しになるかもしれない。
璃子も木下氏も、この時は全く思ってもいなかった。
3年後、二人は結婚することになるなんて。
短編集 ちょっと濃い目 三枝 優 @7487sakuya
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