片重石

@reizi_

第1話

先に伝えておかなければならない。

これは小説なんて大層なものじゃない。

小説とは娯楽であり、人の時間をまるで河のように流してくれるものである。

だから、これは小説ではない。

君たちはこれから長い長い文を読む。

とても拙く、見るに耐えないほど見窄らく、吐き気がするほど悲しく、合理性のかけらもないほど矛盾だらけで、見れば見るほど人間らしい。そんな長い長い文だ。



「暑い…」

俺は家を出て、我が苗字である『暮井』と書かれた表札を通り過ぎたくらいでボソッと呟いた。

所属していた軟式野球部を引退してから1ヶ月、6月だというのにひどい暑さだ。

「はぁ…」

「………」

普段はおしゃべりな俺も1人の時は喋らない。

つい飛び出そうな愚痴はいくらでもある。

「学校行きたくないなぁ」とか「暑いし帰りたいなぁ」とか「あいつに会いたくないなぁ」とか。

でも、高校三年生はスマートでパワフルでジェントルメンなのだ。

独り言で愚痴なんざ言わないよ。大人だもん。

平日の朝は駅に向かう。もちろん、登校する為だ。たった10分で着くというのはよい。

家をローンまみれで買った親に感謝したい。

そんな事を考えながら、今日も歩く。

駅が見えて来ると、見慣れた後ろ姿が目に入る。途端に足取りが重くなる。また今日も、一日で最も幸せで不幸な時間が始まる。



「らーくちゃん!」

俺はホームに立っていた見慣れた背中をポンと叩く。

「おはよ、龍牙」

俺に気づいた彼女は静かに振り向いた。

「ハロー、楽ちゃん」

彼女の名は林田楽。幼稚園、小学校、中学校と同じだった彼女は俺の幼馴染と言えよう。

幼馴染。うん、いい響きだ。

中学校に入って直ぐ、そんな彼女に恋をした。

理由は単純。隣の席になったからである。

そして、中三の夏祭りで見事に振られたが、この女は「異性への好きがわからない。だから、高校は違うけど、これからも友達でいて」とほざいたのだ。「異性への好き」がわからないからこそ、「振られた後に友達でいる」という事の過酷さを知らないのだろう。なんかイライラしてきたな。なんだこの女。可愛い顔しやがって。

無垢な目で見つめる楽の頬をぎゅっとつねると、腹に強い衝撃が伝わった。

「何?急に。痛いんだけど。」

冷たい目を向けて来る彼女のおかげで6月の暑さが緩和された。

「ごめんごめん、なんでもない。可愛いほっぺが見えたから。」

「キモ。」

こればかりは彼女が正しかった。


ホームに電車が来る。俺と彼女が乗り込む。他愛もない会話を弾ませ、彼女は乗り換えの為、一駅で降りる。

部活の朝練から解放された俺達は、たまたま電車の時間が合ったために1ヶ月間、毎日のようにこれを繰り返していた。

毎朝たった7分ちょい。

きっと誰もが思うだろう。

「毎日好きなやつと登校できるなんて最高じゃん!!」

ははっ。ああ、何度も言われたとも。羨ましいという単語も聞き飽きたとも。

確かに、俺は幸せ者だ。

学校に行けば友達がいる。

家に帰ればご飯がある。

なんとか大学に行ける金がある。

感謝を捧げたいと思える両親と恩師がいる。

そして、毎朝想い人に会える。

イヤミに聞こえるかもしれない。腹が立つかもしれない。これを読むのをやめるかもしれない。

でも、お願いだから考えてくれ。

本当に幸せ者は幸せなのか?

貴族の子供達はパンの一つで幸せを感じたか?それとも、味気ないパンに不幸を感じていたか?

戦争下で生まれた子供達は生きてる事に感謝していたか?それとも、何故こんなにも苦しいのに産んだのかと親を恨んだか?

幸せの定義はどこにある?

何を以て幸福だと決めつける?

何故決めつけた挙句、思考を停止する?

毎朝彼女に会う事は、毎朝脈が無い事を確認するという苦痛だ。

友達としてしか見ていない彼女の期待に応える哀れなピエロだ。

みんな、それを知る前に幸せと決めつけて思考を放棄する。

いつのまにか、恋愛感情なのかもわからなくなった。友達であり、想い人であるはずの彼女に本音を話せているかわからなくなった。

もう、何もかも嫌だ。

俺を幸福だと決めつける奴らも。

俺にピエロになる事を強いたあの女も。

愛しい人に本音を語れない俺も。

全部嫌だ。



いつのまにか学校に着いていたようだ。

俺は教室に入ってすぐ、英単語帳を開く。

受験生として、少しの間も有効に活用せねば。なんて、格好をつけているが、頭の中は楽の事でいっぱいだ。可愛かったな、夏服は新鮮だったな、などと頭の中によぎり散らかす。英単語帳を読む事はただの頭のリセットに過ぎない。単語なんざ頭に入る訳もない。

リセットが終わると朝のホームルームが始まる。

本来ならここで学校生活の様子を書くべきなんだろうが、ちょっとありきたりすぎて面白みに欠ける。てことで、割愛。

一つ言うとしたら、友達はちゃんといるよと言うことだけ。もう一度言います。友達はちゃんといるよ。でも、また今度書こうかな。

友達はちゃんといるよ。


帰りのホームルームの後、携帯が小刻みに動いた。

〈嶋 晴矢から一件〉

スマホのロック画面には見落とせないおおきさでラインの通知が記されていた。

晴矢は俺の親友だ。中学校から一緒で、変わり者同士気が合った。晴矢は県内有数の進学校に通っている秀才で、俺の目標でもある。

ホームボタンに親指を当て、LINEのロックを解除すると、

「使い終わった参考書あるけどいる?」と書かれていた。

正直助かる。受験生にとって、参考書や問題集も悩みのタネの一つだ。

決して裕福とは言えない家庭の中で、親に毎回請求するのは忍びない。かといって、自分で払うとなると値段も馬鹿にならない。

そんな俺の経済状況を知っているからか、嶋は頻繁にこういう事をしてくれる。

「やっぱ、持つべきなのは友達だな。」

自分を嘲るように呟いた後、慣れた手つきで指を滑らせた。

「マジで助かる!!ありがとうございます!!いつ取りに行けば良き?」

送信後、ラインを閉じようとした時にブブッと再び携帯が声を上げた。

「今日とかでいいよー」

既読はやっ。てか、入力はやっ。

この速度はパソコンからか。さすが、中学タイピング王者(参加者は4名だったが)。

てことは、彼はもう家に着いてるのか。

そんな友達特有の勘ぐりをしながら、再び画面に親指を乗せた。

「もう家やろ?30分くらいで着くからまっててくれろ」

「あーすまん。今学校出たわ。あと一時間後にしてほしい」

途端に顔に熱が帯びた。あーもう夏だからかな。うん。俺は帯びた熱さを紛らわせるように歩き始めた。




「お久っす〜」

「久しぶり〜」

ふたつの声が同時に響いた。

彼と会うと、つい話しすぎてしまう。

高校が違う分、学年が同じ分、久しぶりに会うと話題が尽きないのだ。

「てか、スマホ入力早くなった?」

「スマホの入力の形式をキーボードに変えたからかな。」

あったなぁ、そんな機能。流石にそれは思いつかないわ。どうやら、俺はあなたが思うよりポンコツなようだ。誰がポンコツだよ。うっせえわ。

そこから、ありきたりな話を続けた。

勉強の調子、学校であった出来事、最近ハマったもの。

この世には、なろう系が蔓延る異世界も、男子が一人だけでパンチラ溢れる元女子校もない。

だからこそ、この日常的な会話は現実世界の個性と言えるだろう。

小説にするにはまとまらず、漫画にするには画が映えず、映画にするにはオチがない。

そんな会話こそが一番の至福だ。

至福の時間が重なるにつれ、話題は異性の話になった。そりゃ、恋バナくらいするさ。だって男の子だもんっ。きゅるるんっ。

「そういえば、林田とはどうなの?」

「相変わらず、可愛いやつよ」

彼の問いに対し、ため息混じりで答えた。

「あの子は中学から全然変わらないね」

彼はクスッと笑いながら言うと、優しい目をこちらに向けてきた。同情するなら楽をくれ。あ、一応言っとくと、俺も楽も晴矢も同じ中学校ね。

「ちょっとは男に興味持って欲しいんだけどな」やさぐれたように呟く。

そうである。「異性への好きがわからない」とは、口実では無い。本当に男っ気が無いのである。中学校の頃、周りからいくら冷やかされても恋愛に興味を示さなかった。その上、高校は女子校に進学した為、今も興味を示しそうに無い。

良くも悪くも「箱入り娘」である。

「まあ、僕もあんまり恋愛感情分かってないからね。どっちの味方の出来ないよ」

優しい目のままに彼が口を開いた。

そう。楽が「箱入り娘」なら、晴矢は「箱入り息子」である。二人とも恋愛感情をいまいち理解できてないみたいだ。

「でも、龍牙を見てると恋愛も楽しそうだなって思うよ」

「ああ、楽しいぜ。恋愛は感情を豊かにしてくれる。愛しい人の微笑みだけで胸が苦しくなるし、四六時中そいつの事を考えて頭が痛くなる。そして、会えない日々が続くほど心が焼かれるほど痛い。本当に楽しいよ。」

多少の皮肉は交えれど、今言った事は本心だと思う。

彼女の一挙一動に目が離せなくなる感覚。

笑顔一つで心が潰される感覚。

楽の気分を損ねてしまった時の首を絞められる感覚。

楽の前では、自分が自分でない様な感覚。

この感情の動きが楽しいのである。

だからこそ、この感情の動きが「恋」だと信じたい。「愛」だと信じたい。

楽を形容するとき強い言葉を使うのも、自分が素直になれないだけだと思いたい。

この憎悪にも似た歪な感情が「好き」なんだと思いたい。

でないと、俺は振られた逆恨みをしている様な小さい男になるだろう?

「案外、俺も分かってねーのかもな」

「6年間人を好きになってる人がわかんないんじゃ、僕には一生わかんないかな」

「6年間も片想いなんざするもんじゃねぇわ。

まるで重たい石みたくのしかかる業だよ。」

「んー、難しい事はわかんない。」

笑いつつ、そんな会話を最後に、参考書を持って帰宅した。



帰宅後、6月の所為で溢れ出た汗を洗い流し、自室の机に向かい、勉強を始めた。

ところで、勉強は「静かにやる派」と「声を出す派」の派閥で分かれているが、どっちがマジョリティなのだろう。

俺は因みに「声を出す派」だ。それも家族に電話してると勘違いされるくらいに。

「あーね、深いなーこの問題」

「いやここで二次方程式つくるのは熱い」

え?声出した事がない?変わってる?

正論が正しいと思うなよ。正論は人を傷つける事しかしない。銃と同じくらい危険だぜ。

発砲して殺めたら重罪で、正論押し付けて殺めたら軽罪ってふざけた世の中だよな。

声を出す事3時間。すっかり、あたりは暗くなっていた。

母親に呼ばれ、夕食を口にしたあと、すぐさま勉強を再開した。



「いや、それは思いつかへんて。何その式変形。きしょ!きしょきしょのき」

その時、ピピッとアラームがなり始める。

23時の合図だ。

俺はいつも通り勉強を終わらせて、ベットの上に寝転んだ。

そして、明日の事を考える。

正確には、明日の朝のことを考える。

明日も笑顔で会おう。明日も会話を弾ませよう。そう考えると、期待と憂鬱で心が染まった。

楽の事を考えるほど、悶々としてくる。

「楽…」

彼女への感情は一体何なのだろう。

「楽っ…」

単なるありきたりな愛情か?目に見えて映る友情か?

「楽っ!…」

思春期特有の肉欲か?振られた事への憎悪か?あの箱入り娘を自分の物にしたい独占欲か?

「楽っ!…楽っ!…」

俺は思う。その全てが当てはまり、その全てが的外れだと。

「楽っっ!!」

漏れ出す声と吐息。

嗅ぎ慣れた甘い匂いが広がる。

そして、子供の様な思考が頭をよぎる。

「全部、受け止めてくんねぇかな…」



日にちが変わる直前、本日2度目のシャワーを浴びる。

寝巻きに袖を通し、30分ほど動画アプリを視聴する。

その後、疲れきった身体を横にする。

目を瞑り、次第に意識が薄れる時間を楽しむ。

俺の楽に向く感情は何なのだろう?

楽の俺に向く感情は何なのだろう?

恋愛とは?友達とは?憎しみとは?

そんな自問自答を繰り返していると、答えも出ないままに意識が途切れる。

こうして、当たり前の1日が終わる。



この気持ちはいつまで続くのだろう。

この息苦しく、心地いい気持ちはいつ消えていくのだろう。

未来の知らない俺には、永遠に感じる。

ただそれでも日常を生きていく。

何気ない顔で。無垢な笑顔で。

きっとみんなそうだから。

誰でも心に背負っているから。

重く想いがすれ違う、呪いの様に離れない。

『片重石』という名の愛情を。




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