第2話 天と地の道士(1)


 その日、百雲観にはいつもと違う空気が流れていた。

 どことなく浮ついているような、ぴりぴりとした緊張感も混じった空気の中、清羽はくりやの隅の椅子に座って蒸したての包子を齧りながら、忙しく動く使用人達を眺めていた。

 百雲観では、掃除や洗濯など身の回りの家事は弟子達が当番制で行うが、炊事や縫物に関しては専門の使用人達がいる。彼らを取り仕切り、周家、ひいては百雲観の家政の一切を任されているのは周慈淵の妻であり、料理上手としても有名な周夫人だった。

 包子を食べる清羽に、周夫人は茶を差し出しながら言う。


「清羽、味はどうかしら?」

「とっても美味しい! この野菜の餡、肉を入れてないんでしょう? でも、歯応えがあって旨味もあって、肉入りの包子みたいだわ。もう一個食べたいくらいよ。さすが義母上!」

「ふふ、ありがとう。刻んだ茸と、干した豆腐を炒ったものを混ぜたの。御客人は精進中ですからね。さあ、清羽。それを食べ終わったら皆の手伝いに行きなさい。鈴麗も浩宇こううも朝から準備をしているわ」

「……はーい」


 包子を称賛する声とは一変、気力の無い清羽の返事に周夫人は苦笑する。鈴麗だったら「返事はしっかりしなさい!」と叱りそうな所だが、周夫人は清羽の頭を優しく撫でた。

 おっとりとした気質の周夫人は、清羽の養母で恩人だ。

 清羽の母親は、周慈淵と周夫人の知り合いの道士だったそうで、彼女の臨終に立ち会い、まだ赤子だった清羽を引き取って、実の子である鈴麗や浩宇と共に育ててくれた。

 ちなみに浩宇は鈴麗の弟で二十一歳になる青年であり、清羽にとっては義理の兄に当たる。鈴麗に比べれば気弱ながら、誠実な性格の彼もまた、清羽を実の妹のように可愛がってくれていた。

 温かい手に宥められながら、清羽は小さく唇を尖らせる。


「どうしてわざわざ天道士てんどうしが来るの? 四柱に関する事案は地道士ちどうしで対処するのが決まりのはずよ。しかも、よりにもよって泰山藍氏だなんて……」


 ぶつくさと言った後、清羽はちぎった包子の欠片を口に放り込んだ。


 道士には、二様ある。

 天に近い五岳で修行する者と、それ以外の地で修行する者だ。

 前者を『天道士』、後者を『地道士』と呼ぶ。

 元々は、昇仙を目指して修行する者を皆まとめて道士と呼んでいた。いつ頃か、さらに高みを目指そうとした道士達が、聖地である五岳――中央の嵩山を除いた、険しい峰が幾つもある東西南北の山に拠点を移し、修行を行うようになった。

 天高くそびえ、平地よりも厳しい環境である五岳で修行を行った彼らは、修為をぐんぐん高めていき、昇仙する者が増えた。

 昇仙を目指す者は、もともとの資質に優れ、修為も高い者が多い。彼らが集まって作った門派には、優秀な道士やその一族が集まるようになり、徐々に名は高まっていった。


『五岳で修行する道士は、昇仙に近くなる』


 仙、すなわち天仙に近い存在であり、彼らはいつしか『天道士』と呼ばれるようになった。天に近い五岳の上で修行をしているからという説もある。

 そのうち、東西南北の山を拠点とする道士の門派を、それぞれ力のある一族が治めるようになった。東の泰山は、『青海廟』の藍氏、西の華山は『虎翼宮』の晧氏、南の寿山は『陽明廟』の朱氏、北の恒山は『黒龍観』の玄氏と、『天道四家』と称される一族である。

 対して、五岳以外の平野で修行する道士達は、『地道士』と呼ばれるようになった。平地で修行しているから名付けられたとも、天道士と区別するために付けられたとも言われている。

 そして、『天道四家』に対して、各平野の地道士達をまとめる四つの大きな門派が『地道四家』と称されるようになった。現在、北東の艮の地を治めるのは、清羽達が在している百雲観である。


 さて、この天道士と地道士の間には、少々……いや、だいぶ確執がある。

 天道士と地道士の間に、徐々に格差が生まれたからだ。

 数からいえば地道士の方が圧倒的に多いが、能力は天道士の方が高い。

 もちろん、地道士にも、天道士に匹敵する素質の持ち主はいる。しかし、そういう者はたいてい天道士の一門に入ることが多かった。天道士の一門に入り五岳で修行した方が、より昇仙の可能性が高くなるからである。

 地道士の門派においても、一門から昇仙する者を出して名を上げるために、優秀な者を天道士の門派へ推薦するようになった。これが長年続くことにより、地道士と天道士の力の差はますます広がった。

 さらに、天道士は同門か、天道士の門派に限った者同士の婚姻を進めた。優れた血筋を維持し、より優れた素質――仙骨を持つ者を一族に増やすためだ。

 その頃には、開いた格差による差別も見られるようになった。


 曰く、『天道士の方が優れ、より清く尊い存在である』と。


 万古大陸神話の中で、軽く清らかなものが集まってできたものが『天』、重く濁ったものが沈んでできたものが『地』とされている。また、天の上には神仙が住む天界があり、地の下には亡者が行く冥界がある。

 それゆえ、古代から人々は天を尊いものとして崇めていた。この背景からか、天道士は自らを清く尊いとしているのだ。

 また、天道士に比べて地道士の数ははるかに多い。道士の質も玉石混交であり、広い平野には門派に属さず魔道に進み、怪しげな術を使って人々を苦しめる道士もいることは確かだった。

 だが、ほとんどの者が、日々真面目に修行に励んで善行を積み、天道士と同じく昇仙を目指している。決して、地道士が劣り、汚れて卑しい存在と言うわけではない。

 地道士の中には天道士への反骨心を抱く者も多く、互いの溝は深まっていった。


 かくいう清羽もまた、その中の一人である。

 数年前、泰山藍氏から数名の天道士が使者としてやって来た時がある。

 彼らは、百雲観の宗主である周慈淵に対し、見るからに尊大な態度で接していた。丁寧なもの言いながらも、明らかに下に見ているのが傍から見て分かるくらいだった。

 地道四家は天道四家に比べて、その歴史は浅い。

 十二年毎に開かれる地道士の大会合にて、門派の伝統や規模、功績、統括する周辺都市の人民達の評判から選出、任命される。任命された後も、四家に相応しい行いをしていなければ外されることもある。霄漢周氏は、先々代の折に地道四家となって、その座を七十年以上守っていた。

 天道四家のように歴史ある名門では無いが、だからといって下に見られる筋合いはない。慈淵は一門をまとめ上げる立派な宗主であり、清羽が敬愛する養父である。

 腹を立てた清羽は、藍氏の使者達と勝負をし、そして見事打ち負かした。

 その後、慈淵からはひどく叱られて、修練場の隅で丸一日跪くだけでなく、写訓百回の罰を与えられた。もっとも、百雲観の道士達からはこっそりと「よくやった」「清々したぞ」と激励され、規律に厳しい鈴麗すらも膝に効く薬を届けてくれた。皆、内心では天道士の振る舞いに腹を立てていたのである。


 そんな経緯もあって、清羽は天道士――特に藍氏に対しては、良い印象を持っていなかった。


 思い出したらまた腹が立ってくる。清羽は包子の最後の大きな欠片を口に入れて、怒りごと噛み砕いて飲み込んだ。最後の一口を心から美味しく食べられなかったのは残念だが、怒りは抑えられた。


「ごちそうさま! ……じゃあ、師姉の手伝いに行くね」


 天道士がどれだけ憎たらしかろうと、準備をさぼるわけにはいかない。大人しく立ち上がって準備に向かおうとする清羽に、周夫人は三個の包子を渡す。


「これは?」

「準備が終わったら、鈴麗と浩宇と一緒に食べなさい」

「! ありがとう、義母上」


 周夫人の気遣いに感謝しながら、清羽は軽くなった足取りで鈴麗達の元に向かった。


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