あなたが運命の人。
兎飼悠都
あなたが運命の人。
プロローグ
「たすけて、たすけて!ねぇ、あ゛っ…!!」
そんな声は密室に響くだけで、誰にも届かなかった。
××が私を繋ぐ鎖を掴む。
ガシャン、と重々しい音が鳴った。
首を絞められるような不快感に涙を流せば、
「ずっと一緒だからね。」
××はそう言った。
ふと気がつくと私は桜の樹の下にいた。
何かを忘れているような気がして、ただ呆然と空を見上げた。
空なんていつも見ているはずなのに、何故か新鮮に感じられた。
ぶゅう、と風が荒々しく吹き、私の不規則に伸びた髪を攫った。
舞い散る桜の花弁を掴もうと手を伸ばせば、それは私の手をすり抜けていった。
そうして、地面に落ちた。
あぁ、そうか、私は死んでいるのか。
抜けている記憶と、透けてしまった体がその答えだ。
何故か悲しくはなかった。
どこか救われた気がした。
それだけが希望だった。
「こんにちは。」
誰も来ない丘の上、青年は言葉を発した。
どこか懐かしい気がした。
…けれど、その言葉はきっと私に向けられたものではないのだろう。
私が見えないであろう彼に微笑んだ。
彼以外ここに来ない気がしたからだ。
「あの…。」
彼の探し人はどこにいるのだろう、と桜の樹を回ろうとした瞬間、
「貴女です!…貴女。」
私の腕を掴んでいた。
いや、掴む、という表現とは少し違うだろう。
私は幽霊なのだから。
「こんにちは。」
そう彼は微笑んだ。
確実に私に向けられた言葉。
…感動しないはずがなかった。
「こ、こんにちは。」
大丈夫だろうか、変な声じゃないだろうか。
「少し、お話ししてもいいですか?」
「えぇ。」
泣きたくなるほど、嬉しかった。
彼はこの丘の下に見える高校の生徒らしく、桜の樹が珍しく満開であることに気付いてここに来たらしい。
「貴女みたいな綺麗な人に出会えて嬉しいです。」
嘘のない瞳でそう告げた。
「ふふ、恋愛漫画の主人公みたいなこと言うのね。」
と笑えば、貴女こそ、という言葉が返ってきた。
平日の午後5時からの1時間は、私たちの秘密の時間だった。
その刻のためだけに私は幽霊として生きているのだろうし、彼も学校に行くのだろうと思った。
顔を合わせれば幾度も幾度も笑い合って、話し合った。
ずっと独りだったからこそ、私の空虚な心が埋まった気がした。
「僕、ダメな人間なんですよ。」
と彼は自嘲気味に言った。
「どうして?」
と聞き返せば、
「好きな人に、好きって言葉も言えなかったんです。きっと、これからもそうなんだろうな、って。生きてるうちに言っておきたかった。…最期にしか言えなかった。」
と困った顔で笑った。
あぁ、彼には好きな人がいたんだろう。
それこそ、幽霊の私と違って、生きている人間を好きだったんだろう。
勝手に彼を想って、偲んで、馬鹿だなぁ私は。
「そんなことないよ!…人を好きになれるなんて、素敵なことじゃない。そんな風に人を想えたのに…貴方はダメな人間なんかじゃないわよ。きっとその子も嬉しかったはずよ。」
「そうでしょうか。」
「えぇ、きっとそうよ。」
きっと、彼の好きな人は同じ学校の生徒で、私の時みたいに敬語なんて使わなかったのだろう。
彼にとって私はただの友人で。
私のことなんて恋愛の眼中にないのだろう。
…ずるいなぁ、そんなの。
前から生きてない私が、勝てるわけないじゃん。
「大丈夫だよ、君なら。」
嘘のない瞳を、私は作れていたのだろうか。
彼と私は会わなくなった。
いや、来たけれども私が隠れていた。
暖かい桜の幹の中に。
幽霊じゃなきゃ、きっとできないだろう。
「あれ、今日もいないんだ…。」
彼のその言葉が、悲しくて、嬉しくて。
堪らなく泣きたくなった。
愛していた。
これは愛だった。
恋なんて生ぬるいものじゃない、無償の愛だった。
ごめんなさい。
私は、貴方のために消えます。
ありがとう。
私にこんな気持ちを教えてくれて。
どうか、私のことを忘れて、好きな人に、仏壇の前で、好きだと何度も何度も伝えてあげて。
そうしたら、きっと成仏できるから…。
その日はまん丸の月が綺麗で、幹から出た。
まるで桜の妖精になれたみたいだ。
夜の風は暖かく、私の心を溶かしてくれた。
ずり落ちそうになったカーディガンを掴んだ。
ふわり、と懐かしい香りがした。
それに驚いて振り返れば、
「こんばんは。」
彼がいた。
「…こんばんは。お久しぶりですね。」
と彼に向かって笑えば、
「なんで、泣いているんですか?」
暖かくて、すぐに冷たくなる水滴が、私の頬を伝った。
「なんでだろうね。」
声は震えていて、会えて嬉しいのに、悲しくて。
また、別れるんだろうな、と思ってしまった。
「伝えても、いいですか?」
彼の真っ赤になった耳が、握った拳が、私の視線を奪った。
「なにが?」
「…貴女に、言えなかったこと。」
「いいよ。」
聞きたくなかった。
きっと、いなくなろうって、別れようって言うんだろうな、って。
…いや、付き合ってすらないか。
「好きです。…桜井まことさん。好きです。…僕のこと、覚えてないですか?」
抜け落ちた記憶が、心の奥にあった何かが戻ってきた気がした。
「なんで、私の名前…。」
「幼馴染の布瀬秀一です。覚えてませんか?」
ふせ、しゅういち。
布瀬…秀一。
どこかで聞いた気がした。
幼馴染かどうかは分からないけれど。
この胸の高鳴りと溢れる涙が、彼を運命だと告げているのだと分かった。
「…お久しぶり、ですね。名前を呼ぶのは。」
と彼は静かに笑った。
その顔に、なんとも言えぬ思いが出てきた。
ドキドキだか、ずしずしとか、擬音でしか表せないような、そんな感情。
私はその感情を知っているはずだし、知っていなければならないはずだった。
それなのに答えは出てこない。
なんで、どうして?
「分からない、分からないよ。」
溢れる涙の理由も、私が知らなければいけないことも、心が抉れるような喜びも。
…私の死んだ理由も。
「当たり前、ですよね。もう亡くなったんだから…。けど、でも、運命だと思いました。」
彼の指が私の涙を拭おうとする。
「また、まことに会えて、嬉しかった。…でも、また僕の前から消えちゃうんじゃないかって、思って、中々言い出せなかったんだ。ごめんね。」
顔を上げれば、彼…秀一と私の鼻がくっつきそうなほど近かった。
「僕は、間違ったから。…愛してるって、好きって、まことに伝えられなかった。生きてるうちに。」
もっと早く言っていれば変わったかな?と彼は私と同じように泣いて言った。
「ごめんなさい、思い出せないよ。布瀬くん…秀一のことも、私のことも、全部。まだ空っぽのまんまなんだ。」
そうだ、見せてしまおう。
私の全て。
カーディガンを脱ぎ捨てる。
夜に似合わない半袖の生腕が月明かりに照らされて光る。
「…それ、」
秀一の見開いた目が、私の腕が全てを物語っていた。
「私ね、きっと虐待されてたんだよ。」
青痣が、煙草の押し付けられた跡が、細かったり太かったりする無数の切り傷が、首の鎖の跡が。
…そして、私を探しに来ない両親の存在が。
全てが証拠だ。
「気付かなかった。…気付けなかったんだよ。ごめんね。」
丸くて優しい輪郭の涙が彼の頬を伝う。
月光に照らされたそれは、まるで幾万もするダイヤのようだ。
「…私は、なんで死んだの?」
彼は私と合わせていた顔を地面に向け、話した。
「いつもと、同じように帰ろうって話になったんだ。」
いつもと同じ帰り道。
寄り道なんてせず、僕らは話して笑って帰路についた。
高校特有の長い部活は、どちらかと言うと嫌いだった。
けれど、この田舎町から見える星空が綺麗だから、僕を待つ君が好きだから、好きになった。
「…死んだら、星になるって言うじゃない?私はならなくてもいいかな。」
唐突に彼女は言った。
「どうして?」
「だって、星になったら好きな人だけじゃなくて、嫌いな人も見守らなきゃいけないでしょ?」
さも当然かのように彼女は笑う。
「…そうだね。」
その寂しい笑みの理由を僕は知っていたはずだった。
それなのに、言える勇気なんて大層なものは持ち合わせていなかった。
彼女は星空を見上げた。
「だったら、私は桜になりたい。」
「桜…?」
夜空に関係ない言葉を彼女は紡ぐ。
「だって秀一、桜好きでしょ?だからだよ。花弁でも幹でもいいから、桜になりたい。」
彼女の突拍子のない発言と、その笑顔に顔が赤くなった気がした。
「だって、秀一は私を傷つけないから!…だから、私が死んだら桜の下に埋めてよ。」
"桜の樹の下には屍体が埋まっている"
とは言うけれども。
「いやだよ。」
「なんで?」
「だって、僕が埋める時、まことは側にいないんでしょ?…なら嫌だよ。」
「…そっか。」
「…だから、一緒に居ようよ。生きようよ。」
泣きそうになりながら、まことに言えば彼女は笑って、ごめんね、と言うだけだった。
迷子の子供みたいに、生と死を彷徨っている彼女の痛みを少しでも分かりたかった。
理解したかった。
愛したいから、哀を知りたかった。
唐突に僕らの目の前が明るくなる。
軽自動車が真っ直ぐに僕らに近付いてきた。
逆光のせいで運転手の顔も、ナンバープレートも見えない。
異様な速さで鳴る心臓と、彼女と僕の息遣いだけが、普通じゃないことを告げていた。
呆然として突っ立っていれば、ドッ、と何かに突き飛ばされる。
まことだ。
不規則に切られた髪と、主張しない柔軟剤が彼女であると告げていた。
「逃げて、」
言い終わるか否か、彼女は車に撥ねられた。
それから車は急停車して、そして、何事も無かったかのように走り去った。
ナンバープレートのメモをしなきゃ、なんて冷静なこと、考えていられなかった。
血溜まりに髪を委ねて彼女は笑った。
彼女の綺麗な脚はおかしな方向に曲がっていた。
彼女の家族が正常だった頃、よく褒められていたその端正な顔は傷だらけだった。
「なんで、」
笑ってるの?僕を助けたの?
「消えたい。…私、消えたいんだよ。」
君は不意に僕に言った。
まるで独り言のように、子供の我儘のように。
「疲れたんだ。」
ねえ、君は何を求めていたの?何を奪われたの?
「これで、終わりにできる。」
やめて、やめて、そんなこと言わないで!
…そうしたら、僕の恋も終わるから。
「桜の樹に私を埋めてよ。…秀一、愛してる。」
…きっと、その愛は本当の愛なんかじゃないんだろ。
曖昧な愛を告げるから、君を信じていいかどうか、分からなくなる。
「ねぇ、もう全部終わらせたいんだよ。」
まことは、もう壊れていた。
身体も、心も、この世の全てを呪っていた。
バウバウッと野良犬が吠える。
その音で、我に帰った。
救急車と警察を呼ぶべきだ。
スマートフォンに手を伸ばす。
…いや、けれど、でも。
スマートフォンの指認証は指が血でベトベトなせいで、上手く働かなかった。
彼女はこの出血量じゃ死なないだろう。
これで、彼女を生かして、愛を囁いて。
それは、僕のエゴなんじゃないか?
「ねぇ、まこと。」
「なに?」
荒い息遣いと汗と血が彼女の美しさを一層、際立てていた。
「桜の樹に行こう。」
「丘の上のがいいな。」
僕は血塗れの彼女をおぶった。
「好きだよ。」
「私も、そんな貴方が大好き。」
壊れていたのはどちらだったのだろうか。
「僕が君を殺した犯人だ。」
そう秀一は告げた。
それでも、
「違うよ、私たちは共犯だよ。」
この胸の高鳴りと共に居られるのなら。
「私を埋めてくれて、救ってくれて、ありがとう。」
全部全部認めよう。
自分の弱さも。
自分が壊れていたことも。
彼が好きなことも。
認めよう。
「大好きだよ。私も。」
幽霊となった今では意味のない言葉かもしれないけれど。
「私は、今でも貴方のことが大好きだよ。」
そう告げれば、秀一は笑って、
「ありがとう。…遅いかもしれないけれど、僕と付き合ってくれますか?」
私の答えはたった一つ。
「はい。喜んで。」
ありがとう、秀一。
私の記憶を思い出させてくれて。
私をまだ好きでいてくれて。
この手を掴んでいてくれて。
エピローグ
布瀬秀一はほくそ笑んだ。
もう、間違えないよ。
君のこういう感情の揺れに単純なところが好きになったんだ。
俺のことを幼馴染だと思っている彼女の背を抱きしめる。
ぎゅっ、と彼女の体温のない手が俺の腕を掴む。
あぁ、なんて滑稽なんだろう。
自分を誘拐し、監禁し暴行した挙句、殺した人間に愛を求めるなんて。
愚かで、狂おしいほどに愛おしい。
ねぇ、その手首の傷も、煙草の跡も切り傷も、首輪の跡も、俺の愛の証なんだっていつ気がつくの?
可愛いかわいい、俺だけのまこと…。
彼女が死んだ理由を聞き出そうとした時は、正直焦った。
口から出まかせで作った物語を、ここまで信じるとは…。
「しゅう、いち?大丈夫?」
あぁ、可愛い。
前は俺のことをそう呼んではくれなかったね。
『お前なんかが、○○に勝てるはずない!』
『私が好きなのは、○○なのに…!!』
『たすけて、○○…。』
だなんて、俺の名前をちっとも呼んでくれなかったね。
そのくせ、○○も君の両親もこの場所を見つけられてない。
可笑しくて笑っちゃうよ。
それが昔の君が言ってた愛、なのかな?
今の君はもう大丈夫だよね?
「大丈夫だよ。」
「そっか、なら良かった。」
安心し切った顔で彼女は俺に笑いかける。
まことの笑顔も、思い出も。
未来も過去も、俺のもの。
俺のためだけのものだということを、以前はさらさら忘れていた。
俺のものだって、知らせてあげるんだ。
「もう、間違えないからね。」
あなたが運命の人だって、言わせてあげるから。
『探しています!』
櫻ノ岡高校
桜井まこと 当時17歳
指定制服に黄色のカーディガンを着用。
部活終了後、19時頃から行方が分かりません。
どんな些細なことでも構いません。
この写真の少女に見覚えのある方はご連絡ください。
両親:090-×××-×××
櫻ノ岡高校:022-###-###
櫻ノ岡警察署:022-○○○-○○○
某着せ替えゲームにて書記。
2021.05.23 活動名:黎明
あなたが運命の人。 兎飼悠都 @redspiderlily1532
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