おまけ
嫌悪の呪い
(あなたは夢を見ている)
(それは、やさしい夢の檻)
(それは、貴方の願いの形)
(あなたはみんなに囲まれて幸せであった。それがずっと続けば良いと思っていた)
(一見して地獄のような世界でさえ、あなたにとっては優しい世界だった)
(きっと目が覚めたら、後悔してしまうでしょう)
(きっと、幻想から目を覚まして、現実を見たら後悔してしまうでしょう)
――この世界なんて、ロクなもんじゃない
01
暗闇の中で、のどがつぶれる思いをした。
その刺激は絶えまく俺を襲ってくる。
それは、痛みだ。
痛みはまるで、途切れる事が無い。
あまりにも連続していたため、どこかで記憶を失っていても不思議ではなかっった。
事実、俺はこの数秒前の事を覚えていないのだから。
それが大切な記憶であったとしても、どんなに忘れたくなかったものだとしても、俺の頭はそれをとりこぼしてしまっているのだろう。
だから、数秒前の俺と今の俺は別人なのだ。
俺は新たにこの世界へ生まれ落ち、そして今死のうとしている。
「――――――――っ!」
痛い。
思考の海は、すぐに悲鳴でいっぱいになった。
頭が痛い。
手が痛い、足が痛い。
腕が痛い。
腹が、背中が、腰が、指が、手首が、足首が、首が、太ももが、ふくらはぎが、みぞおちが、心臓が、内臓が、腸が、脳が……とにかく全身が痛い。
痛くてたまらない。のたうち回りたいのに、体は麻痺でもしてるのか動かなくて、それが余計に痛くて、辛くて、とにかく痛い。
涙がこぼれてくる。
吐しゃ物がまき散らされる。
血だっておそらくこぼれている。
五感が正常に機能していない。
とにかく、地獄の谷で煉獄の炎に焼かれ、永遠に蒸し焼きされているような感覚で、のたうちまわるしかなかった。
全身の血は沸騰するように熱かったり、逆に凍てつく様に冷たくなったり、聞こえもしない幻聴が大音量で耳元でなっているようで、見えもしない幻覚が視界の中を奇妙に駆け回っている。
「――――――――っ!」
のどが裂けるような、絶叫を上げる。
つぶれたってかまわない。
この痛みを誤魔化せるのなら。
けれど、誤魔化せないから、もっともっと叫び続けるしかない。
のどから出るのは声なき声。
人間の声というよりは、鳴き声といったものに近いかもしれない。
(いまの、あなたは自分がわからない)
分からない。
自分の名前も、記憶も。
とめどなく与え続けられる痛みの本流によって、大事に抱えていたはずの想いも、思い出も、全て消えてしまったからだ。
けれど一つ。
たった一つだけ覚えている物があった。
それは自分にとって大切な存在。
自分の幸せよりも優先すべき存在、家族である妹の事。
(あなたの記憶にひっかかるのは、どこにも連続しない記憶)
(その記号に付随するエピソードは何もない)
(けれど、強く覚えていたのだからとあなたはそれを「大切な記憶」だと定義つけた)
「……っっ!」
痛みを克服する。
押しのける。
そんなものにかまけている暇はないのだと、思い込み続ける。
意識を浮上させる。
意思を手繰り寄せる。
絶え間ない激痛の最中に押し流されそうになっていたのを、無理矢理に押しとどめ。
強張るだけだった体に、四肢に、力を込める。みなぎらせる。
活力を、生命力を。
行かねば。
家族の元へ。
今もどこかで待っているだろう、妹の元へ。
おそらく大切だろう、その者の元へ
指先を動かし、おそらく倒れていただろう地面を掻いて起き上がろうとする。
だが、倒れこんだ。
無様に這いつくばる。
(あなたにはもう一歩も歩く力がない)
「大丈夫、です」
不自由な四肢をもがくように動かし、床にこぼれた何かしらにおぼれながらも、這いずって前に進んでいくと
地面に向けていた顔を、誰かが持ち上げた。
まぶしい。
今まで感じなかった光の刺激が、意識に入ってきた。
顔を持ち上げた誰かの顔を認識するよりも前に、その声が耳朶をうつ。
不意に柔らかい言葉が耳に滑り込んできて、体を蝕んでいた激痛が気配を沈めていった。
「もう大丈夫ですよ。必ず助けますから」
掛けられた声はおそらく年端も行かない少女のもの。
幼さを含む、柔らかい声は気遣いに満ちていた。
頬に触れる指は柔らかく優しく。
そして、ほのかな暖かみにみちていた。
命の温度だ。
ここから動く事、痛みを押さえつける事にのみさいていた意識に余裕ができて、自分を助けたであろう声の主を探す事に余力をつぎ込む。
在る意味をなさなかった景色に、急速に色が与えられていき、闇が晴れる様に世界が広がっていく。
(あなたはこの世界で初めて人を認識した)
(あなたの世界に、彼女の存在がすりこまれる)
(そこが、どんな世界であっても、初めて認識する人間は特別なもの)
ぼんやりとかすむ視線の先、檸檬色の髪の少女が、目の前にいるのが分かる。
時間をかけて焦点を結んでいく映像の中で、想像通り幼さの残るおどけない顔をした少女は、こちらに向けてにこりと微笑んだ。
それはまるで、月のよう。
いいや夜空に淡く光る一つの星の様な、笑顔だった。
「私の名前は、パスカル。私があなたを絶対に助けます」
(あなたの名前はミレイ。あなたを示す記号は「よそ者」、付与される感情は「嫌悪」)
02
帝国帝都 グアッド=グラング
千年歴 七九九年 一月一日
帝国帝都中央駅 軌道列車用廃線坑道内 『ミレイ』
世界の三分の一の土地を支配に収める帝国。
グアッド=グラング。
機械神グアッドの恩恵を受ける国で、数百万にも及ぶ多くの人々が日々の生活を営んでいる。
そんな大国には、いくつもの怪談がある。
(あの再起の日から、数か月。あなたはそれを、並々ならぬ努力を積んで知りえた)
(何もない、真っ白な心に。懸命に色を付けていった)
人々が語る怪談は、数えればきりがないほどに多種多様、品数豊富にそろっている。が、誰でも知っている三っつの物語があった。
一つは、最近走り始めた軌道列車の地下ホームで幽霊を見かける、人がいなくなる、などだ。
(亡き人にまつわる話は豊富。この大国では、死者とは身近なものである〉
(なぜなら、この世界では驚くほど簡単に、人は死ぬのだから。特にあなた達にとってこの世界は厳しい)
二つ目の会談は、黒いフードを被った死神が要らなくなった人間を殺してまわている、というもの。
(これは子供に言い含める話の色合いが強い。「おいた」をした子供に行う教育的指導の内の一つだろう)
そして最後の一つは、この世のどこかにあって、どこにでもあると言われる禁断の果実を口にした人間が、発狂して不審死を遂げる、というもの。
(出所も、元も分からない謎の話。けれど、この大国の人々はその噂を絶えまなく口にしている)
何を根拠にして語られているのか判然としないものもあるが、それら三つは人々の記憶から薄れる事も消える事もなく、帝都に広まり続けていた。
帝都に住む人間の中には、趣味や好奇心に応じてたびたびそれらの話の真相を確かめてやろうとする者が存在し、日夜立ち入り禁止領域に踏み込んでは帝国軍人の叱責を受ける事になるのだが、
「……」
現在その駅内をうろつくミレイは、彼らとはまた違う目的を持って行動していた。
(あなたは明確な目的をもって、その場所を訪れていた。深淵へ、足を踏み入れる)
時刻は深夜過ぎ、駅のホームから浸入し、日々列車が走行している線路上を歩く青年は、得た情報を元に「ある事」を確かめるため。先を目指している。
青年の名はミレイ。
癖の強い焦げ茶の髪に、切れ長の目に紫の瞳。年齢はもうじき20になる頃で、身長は平均男性よりも若干高め、肉体は華奢とも言い難いが一般的とも言い難い体格。
身に着けているのは黒のロングコートと、茶褐色のズボン、そしてベルトには銃の収まったホルスターが吊り下げられている。銃弾一つで人を殺せる鈍色の塊は、頭上に灯る小さな電灯の光を受け、鈍い光を放っていた。
銃の名前はファントムペイン。
亡きかつての自分に恥じぬように。
亡霊となったかつての自分の想いを汲めるように。
今の自分に戒めをかける、証拠品だった。
(あたなは優しい人。だから、今あるものも、失われたものも、大事に扱っている)
「……ここか」
呟き、足を止めるのは、地下の奥。
非常灯の効果範囲から外れた、闇に埋もれる様に存在する小さなドアの前だ。
ドアは、かなり低い位置にある。
腰程の場所に扉の上枠があるのだから。
錆就いたドアにはその先に何があるのかを示すような情報は一切なく、プレートの様な物が取り付けられていることもない。
膝を折る。
固く閉じている扉、隙間に指をかけてみるが当然開かない。
そんな事は分かりきっていた。
「その為の、情報屋だったな」
懐から取り出すのは、扉と同じように錆ついている金属塊。鍵だ。
ここに来るニ、三日前になじみの情報屋に金を払って入手したものだった。
(あなたは入念な準備と下調べを経てここにきた)
ミレイは、扉を慎重に調べていく。
鍵穴は地面すれすれの、下枠のすぐ上に、よく見ないと汚れや模様だと見過ごしてしまいそうな場所にあった。
鍵を差し込み、数秒。手のひらに返って来るのは固い手ごたえ。
一瞬の間を置いて、金属がこすれるひどく耳障りな音を発しながら扉が開く。
身を屈めて用心しながら覗き込めば、その先にあるのは深い闇と……。
「地下への階段、か?」
下へ伸びていく、足場だった。
深い闇だまりのその先へと道を伸ばしている階段が、地獄への入り口の様にも見えた。
「……」
ミレイは喉を鳴らして、舌を湿らせる。
(それでもあなたは、きっと立ち止まらない)
銃を持つ手に余計な手が入るのを感じ取り、一回深呼吸した。
行かねばならない。
ここで帰るという選択肢は元から無いのだから。
気を引き締めて、扉をくぐり、階段へと足を踏み出す。
(あなたはそこで、何を得るのかも、何を失うかも知らないまま。進んでいった)
聞いていてひどく不安になる様な音の階段を、闇だまりの海を歩くこと数分。
たどりついたのは、広大な空間を有する地下室だった。
「ここは……?」
ミレイは、周囲を見回す。
そこにあったのは……。
そこに、あったのは…………。
いつか空から落ちてきた、
――儚い輝きを灯す、一つの星屑だった。
愛のキセキ 仲仁へび(旧:離久) @howaito3032
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