舌喉虚実大審院

 再び扉が開かれ、帰ってきていたらしいかこいとメーゼに状況を説明し、その隣に控えたルベラに怪我がないことを確認するまでに、脳の混乱具合を整理するのは不可能だった。エッカーナの一件について口から出てくる言葉のままに説明を済ませ、ルベラが持ってきた軽食を腹に入れると、倒れて眠った。同日、日本の首脳陣が集まって会議をしていた錦分区が襲撃され、数百人が死亡したことを聞かされたのは、目が覚めてからになる。


・・・・・・


 翌日夕方、食堂。いつもにも増してダルそうな様子のメーゼは、別室から持ってきた長椅子に肌着一枚で寝そべっている。ブレ・ベスト用と立札が置かれた食堂端の一席には、一杯のお茶が淹れられている。

「あんまり面白くない話だから、それ飲みながら聞いてね」    

 少し冷たくて、甘い。こちらが口をつけたことを確認すると、仰向けの姿勢で右手をひらひらさせた彼女は、昨日のことについて話し始めた。

  

 分区会議は全六分区――出羽でわにしき近江おうみ阿波あわ出雲いずも周防すおう――の長と副長の出席により、錦分区にしきぶんくの甲棟第一会議室で開かれた。日本は能力者のうりょくしゃの自治区であるが、食糧問題と労働力供給の関係で、利権を排除しきれていない。三王国の敷いた国際法により、日本各分区の最高責任者は獄卒に派遣されたと定められていて、それぞれの分区は自治権を示すために副長の役職を作って能力者を置いている。メーゼが長で、かこいが副長。法を正面から完全に無視しているのは周防分区すおうぶんくだけだ。

 事件は会議終了後に起こったらしい。参加者が帰り支度を整えていると、とんでもない地鳴りが部屋を駆け抜け、会議室の窓が黒い砂に覆われた。


「日本の各分区には大きな結界が張られているの。塵埃圏じんあいけんが降りてくる期間、『覆日ふくじつ』に市街地を守るためにね――それが、砕かれた」


 一人に一つ特殊な力を持つ能力者は、常権じょうけんを操る権力者と違って、自らを砂から守る障壁を生来のものとして持ち合わせていない。そうでなくても、塵埃圏じんあいけんには光る魚の化け物が住んでいる。準備を怠っての外出は死を意味する。会議終了直後に錦分区にしきぶんくが陥った状況は、まさしく最悪だった。

 しかし、参加者の対応は素早かった。まず、『導城門どうじょうもん』、出雲副長いずもふくちょうが能力を発動した。無数の扉が広い会議室内に開かれ、次々と屋外に出ていた住人たちが転がり込んでくる。続けて、『迅漸じんぜん』、小指より小さい浮遊物の移動速度を四倍から四分の一まで加減速する能力を阿波副長あわふくちょうが起動すると、メーゼがかこい常権じょうけんで姿を消した。一〇万都市のビル群の上で燃える周防分区長すおうぶんくちょう。猛烈な上昇気流と、速度差のある砂。連携によって、分区に降りた塵埃圏じんあいけんは光る魚の群れごと一分も経たず上空に捌け、屋外の人員の収容は終わった。

 同時に、錦分区長にしきぶんくちょうは、出羽副長でわふくちょうエーゲの力を借りて各分区への緊急連絡を図ると同時に、会議参加者全員の相互通信を確立した。


「けど、砂が晴れた錦分区にしきぶんくは、正直私たち全員の想像を超えた有様だったわ。夢に出たらどうしようかしらね」


 眼下、八階建ての学校や、群設マンションの形をした居住区、点在する総合病院に、広い公園と市場街道しじょうがいどう。それら全てが、分区を囲う砂のなかから押し寄せる、数万の怪物たちの波に飲まれている。

 合わせて、数回の砲撃があった。四足獣型しそくじゅうがた夜警連やけいれんによるものだ。横に双塔を成していたはずの乙棟が上層から音を立てて崩壊していく。会議が行われていた甲棟も、中層まで這いあがってきた巨虫型きょちゅうがたの群れに侵食されているところだった。

 錦分区にしきぶんく損壊率五割八分。中空から地獄を見下ろすメーゼの耳に、『エーゲライン』を通じて、全域の捜査を終えた分区長たちから被害の正確な惨状が伝わった。

 襲撃だった。それも、先の阿波分区あわぶんくを凌ぐ規模の。会議参加者たちは、甲棟の上層を分離し、造り上げた空中要塞を拠点として、錦分区長にしきぶんくちょうかこいの二人を頭に、改めて対処を開始した。


「まずやらなきゃいけなかったのは、全分区員の救助。もちろん甲棟上層だけに入り切る人数じゃないから、私たちは学校施設の奪還を目指した」


 出羽と出雲の老練な分区長たちが敵の塊を跳ね飛ばしながら街道を駆ける。彼らの上を飛び越えて要塞に迫る数百の砲火や、直接突っ込んで来る巨鳥型きょちょうがたなどの群れには、会議室に残った権力者全員の常権で応戦した。


かこいは要塞を覆う大結界の維持。残った分区長たちは敵を撃墜する砲撃戦って感じね。私は、まぁ飛びながらぼんぼんぼんって、分かるでしょ?」


 会議参加者たちは、七や八などの上位権限の常権を乱発しながら時には空を半分焼くような劫火を呼び、時には自ら輝く一振りの大剣を握って弾幕に突っ込んだりと奮戦していたが、強力な砲撃と膨大な数に押し負けていった。途中からデイツに着弾した謎の物体を調査するために集まっていた集団の内ジアを含めた戦闘班が合流したものの、戦況はあまり好転しなかった。


「でも、私がマジなら五秒よ、五秒」


 仰向けの姿勢のまま開いた右手をわきわきさせながら、メーゼは続ける。さらに時間が経ち、勢いを増すばかりの攻撃の半数が弾幕をすり抜け、結界に直撃するようになった頃、ようやく二つの吉報が届いた。

 一つは、学校施設の奪還が成功したこと。


「要塞で敵を半分以上引き付けたのが正解だったわね。何だっけ、それで、出羽と出雲のじいさんたちが共同してそれを……」

「亜空間に移したんだ。常権でね。特に必要ないと思っていたけど、この際だから、君に『追訴ついそ』について説明しようと思う」


 『追訴ついそ』。二人以上の権力者による常権の相乗行使そうじょうこうし。一人による常権の重合行使じゅうごうこうしである『津合つあい』と違って、使用する常権が自動的に上位互換され、効力が跳ね上がる。

 発動には、行使者同士の物理的な接触が必要で、しかもかなりの危険が伴うようだ。南棟への食事運びから帰って、いきなり話に割り込んできたかこいは、淡々とした様子で皿を洗いながら言う。


「本来……失礼、権力者けんりょくしゃの主権である常権を共有するということは、つまり主体を失うということだ。頑張って週に一回。それ以上頻度を上げれば、次第に自分が他人の自我に混ざり合って侵食される。越権行為は自殺に等しい。僕は三王国で、力のために追訴を行使しすぎて廃人になった奴を何人も見た」


 追訴、権限八から九へ、御十張おんとうはりしま、行使。

 それでも、一、二キロ四方の学校を一〇枚の防護幕に守られた亜空間にねじ込むには、分区長二人の『越権』が必要だったとかこいは続けた。窓際の蛍光塗料の塗りなおしの作業を続ける彼が目配せすると、メーゼが再び口を開く。彼女の言葉に元からなかったらしい緊張感は更に消え失せていて、横入りされて説明自体が面倒になって来たことが顔を見て分かる。


「んで、権力者が小癪にも上手いことやってる間に、こっちでも前進があった。余計な奴らは大体消えたわね」


 もう一つは、近江副長おうみふくちょうの能力が起動したこと。『旭輞冪冪きょくぼうべきべき』。日に数秒間、敵を消し飛ばす爆発的な光条を、自身から二キロ以上離れた『輪』から、その外部に向けて撃ち放つというものだ。自身が陥っている臨死の窮地が三〇分以上持続した場合に自動起動するというこれ以上ない程に使い勝手に困る力らしいが、効力は絶大だったようだ。錦分区にしきぶんくの外縁に沿って大規模な爆光が複数回瞬き、直後に砂と莫大な量の異種が天に舞った。振動は要塞まで伝い、分区外に残っていた異種は、その攻勢でほとんど一掃された。


「みんな施設内に収容出来たから、分区内部の残り数十万は簡単。私がバンってやって、|錦んとこの副長ふくちょうが元通り直して、おしまい。なんだけど……」

「メーゼ、雑」


 分区員の全員を近江と阿波の分区長が『追訴』を以てして虚空に消えた学校施設へと集めた。ひとり中空を駆けまわっていたメーゼは、全員が避難したのを確認して――避難が遅い住人は起動中の『導城門どうじょうもん』に投げ込むなど急かして――、青白い火球となった。  

 公園も移動も居住区も凍りついた居住区で、煌々とした彼女は墜落する。上空一三〇メートルから、五秒。接地。爆発的な閃光と激震の後に残ったものは、半径四キロメートル分のすり鉢状の洞だった。錦分区そのものの消失と引き換えに、戦闘は終了した――わけだが、


「錦分区が実質『日本』の首都であることと、その高い人口密度の理由の一つに、錦副長にしきふくちょうの能力があるんだ」


 『回生造かいせいづくり』。本陣ほんじんを設置し、その本陣の周囲の建造物と生命以外の内部構造を全て修復する能力。年に一回しか移動できないため、阿波分区復元には対応不可能だったが、中心に本陣のある錦分区は何度破壊されても寸分違わず元に戻せるらしい。


 「これが、昨日起こった襲撃の始終だ。で、問いたいことがある」


 かこいは短く言葉を切って、続けた。


 常権、権限八、舌喉虚実大審院ぜっこうきょじつだいしんいん、行使。


 途端、腹のなかが蠢いた。喉から遡って口元に弾ける、熱さと苦み。吐き戻すと同時に、カップが砕け、液体と破片が丸テーブルに『審』の字を形作る。狼狽える間もなくテーブルに置かれた立札が天井付近まで伸び、ブレ・ベストと――メーゼがつけた仮の自分の名前――書かれた先端部分が燃えた。立ち上がれない。座っていた席の周囲にも四本の石柱が生え、それぞれから伸びた白い紐に身体が縛られる。


「君は、阿波分区、錦分区襲撃に関わっているね」

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