残星涯天壇坂寐殯ー閉

 時間稼ぎが必要だった。常権じょうけんは発声か両手での印号で行使できる。手首を千切れるほどの速度で動かす。権限五けんげんごはだやまにれ五津合いつつあい、行使。手先が痺れ、吐く息は白い。心臓は疲れを超えた緊張に暴れている。しかし、目を離さない。氷の上に血の跡を引きながら進む、小さな身体から。会話を引き伸ばして、離れていくヴァータの傷をできるところまで治す。命さえ留めさせれば、あとは彼らが守ってくれる。


「――うるさい、うるさい! 貴様の正体など、始末してから調べればいい!!」


 相手の我慢の限界は、想定通りの速さだった。子どもっぽいヒステリックな叫び声と共に通信が閉ざされて間もなく、気持ちの悪い地鳴りが氷原を駆け抜けた。遠方、西の空から朝がおこる。海上待機していたオクシタニア方面軍三〇〇〇人が打ち上げた攻撃常権じょうけんは、数万の色鮮やかな光の軌跡となって天を滑ると、薄く拡がって重なっていく。軍の広域殲滅砲撃こういきせんめつほうげきだ。自分たちを中心にした半径三〇〇メートルの円状に、分厚い衝撃波の柱が落ちて来る。七色に輝く一層一層がそれぞれ権限六以上の出力。まだ音を立てずにこちらを睨んでいる照射砲しょうしゃほうは、これらすべてを合わせた威力を上回る。

 だが、死への覚悟は必要ない。悉率ハルゴル討伐作戦が失敗した最も大きな理由は、煌々とした光を携えて、眼前に降り立った。右腕のバングルに、対伊西仏いせいふつ大同盟だいどうめいの文字。幾度となく正面を切って三王国と敵対する唯一の位階持ち劣等血種インフェリアス、メーゼ・大日執ウェスタは、振り向いて目を細めた。


「誰よ、あんた」


 時が止まるような感覚があった。新たな太陽に熱を奪われて、夜天がてる。地を砕くはずだった破壊の巨柱が、下層から凍り、宙に縫い留められていく。吸熱反応だ。中空に浮いてこちらを見下ろす赤と白の瞳の後ろで、凄まじい炸裂音がした。放たれた照射砲が彼女に激突するが、それは腰に届くほどの赤い髪を青白く変じさせただけだ。冷たい塔の下、都市をいくつも灰にしてきた死の光線を背で弾きながら、メーゼは虚空に出現した黒い長刀を握る。


「まぁいいか。邪魔だから、どっか行ってて」


 直後、権限五けんげんご彼方かなたの火が使われた。元の位置から数キロ離れた海沿いの山地に転送された自分とヴァータの元に、一人の少年が駆け寄ってきた。強力な常権じょうけんを用いて二人ともの傷が治癒されていく。追って現れたオクシタニア方面軍突撃小隊の八人を透明な壁で崖下に弾き落とした少年は、敵に慌てて権限三翔撒火しょうざんかを構えた右手の甲に触れた。


追訴ついそ、権限三から八へ、旅する銀花ぎんかのクジラたち、五津合いつつあい、行使」


 冷え切った身体に駆け巡る熱。さらに姿を見せた敵に撃ち放とうとした火弾は、燃える角を持つ四足獣に姿を変えた。五津合いつつあいのとおり、五体に分離した怪物が、後続の第二波、第三波の兵団を爪と牙で押し返す。ただ、相手も軍隊だ。全ての獣が攻撃常権じょうけんの物量に消滅させられる数秒前にどうにかヴァータと自分たちを包む結界が完成した。少年はわずかに息を切らせながら、こちらに驚いた視線を投げる。


「きみ、能力者じゃないのか。何でこんなところにいるんだ。権限三をなんの捻りもなく使うようなやつが、王国軍に一人で敵対するなんて、正気じゃないぞ」

かこい。助けたかったん……だ。自分が、自分が全部悪かったんだからさ」

「初対面だよね。やっぱりきみにはたくさん聞きたいことが――って、ちょっとウェスタお前さぁ」


 少年は厳しい目線になった途端、遠方を見て口調を崩した。振り返ると、メーゼが黒い剣を片手で弄んでいる。彼女の背後、完全に氷結した何万層もの巨柱は照射砲の砲身を押し潰しながら海に没していく。闇夜を晒す熱と光の中心にあって、彼女は色の違う両眼を細く輝かせている。剣先を北へ、パリの方に向けて口が動く。あっちもやっていい?暇、暇暇


「ジア頭領に迷惑かけんなっつってんだろド阿呆。忘れたのか、同盟は都市粛清の被害者たち中心にした能力者保護組織だ。きみと……ぼくのせいで急進的な派閥になった、なれてしまった。それを――、ああもう!!」


 常権じょうけん権限九けんげんきゅう天体皮てんたいひ、行使。

 ――抜刀、万煢墜ばんけいつい


 二人の視線が合い、世界が揺れた。見える限りの上空全域が岩盤色に染まり、水平が大きく盛り上がる。疑似引力だ。数十メートル高まった海面は、オクシタニア方面軍と彼女の間を数キロ横一線に隔てたのち、白く凍て付いた。同時に、あれだけ輝いていた光が霧消する。雪に反射し、降る星明かり。黒。冷たい夜に戻った世界のなかで、メーゼの口角が上がり、赤い片方の瞳がおぞましいまでにぎらついた。心臓まで氷結していく感覚がある。それは、ほとんど終末の神の笑みだ。

 大日執ウェスタ。彼女の背後に続いたのは、大移動の地響きだった。視力を強化する常権じょうけんで分かる。頼りない炎のように揺れ動いた黒い剣先から、いままで吸収された熱が丸ごと放たれた。八〇テラジュールの炸裂。それは、背後の氷の巨塊を溶かす前に、推した。――動く、全てが。余波で眼前の兵士数十名が吹き飛び、強固な結界がビリビリと揺れる。メーゼが起こしたのは、オクシタニア方面軍を全員巻き込んでフランス南岸を薙ぎ、スペイン東岸まで届く、氷塊津波だ。

 唖然とするしかないが、おかしい。あんな規模のものが直撃すれば能力者、権力者に関わらず数十万人が死ぬ。この襲撃でメーゼがそこまでの犠牲者を出していたら、記憶に残っていないはずがない。喉が半分干上がるままに混乱していると、先ほどまで近くにいた少年の姿が消えていた。何処に行ったか、探すまでもない。爆心に向かう彗星。めちゃくちゃな怒号が衝撃波を裂きながら空を駆ける。その先には女性がいる。仕事やり遂げましたみたいな顔をしたあと、後ろをしばらく眺め、全身から汗が吹き出し、あれこれもしかしてやばい? とにわかに震え始めた、メーゼが。風圧で微妙に髪が逆立ったその額に凄まじいチョップが振り下ろされる。


「加減を知れ、こォんのすっとこどっこいが! 責任取って止めてこい!」

「あんたも四割くらい悪いでしょバカぁあああああ!」


 常権じょうけんにより、棒立ちの姿勢のまま縦に高速回転したメーゼが水平の彼方に吹き飛んで行ったあと、少年は疲れた笑顔で戻ってきた。続いて聞こえたバリンと割れる音には、自分だけが気付いた。左を向く。海しか広がってないはずの視界の奥に広大な赤が広がる。

 残星涯天壇坂寐殯ざんせいがいあまひなさかゆめもがり、そのなかにいることを思い出す。大日執ウェスタの攻撃で世界の境界が崩れ去った。見えているのは、序の空間の大火災だ。横一線、煌々とした熱が、海と丘を照らしたのは一瞬だった。

 海から溢れ出た波が、焼ける花の群れに流れ始める。ついに、星明りのない黒になる。視力を強化したところで、ヴァータの姿も、かこいの姿ももう見えない。闇は水音を散らしながら世界を覆い、全ての光は間もなく全て消え去った。最後に聞こえたのは、少年が痛みに耐えながら傷だらけの女性を背負う音と、安心させるような言葉だった。


「――心配しなくていいよ、フランス王家はこれ以上手出しできない。規模からして、王族の一人が『悉率ハルゴル』に襲撃を仕掛けたんだ。。一発決めて逃げ切る。いつものことさ。ほら、ついてきて」 


・・・・・・


 いくら時間が経っただろうか。やがて、目の前にぼんやりとした光が灯った。身体を起こす。自分が倒れていたのは今朝目覚めた『九層』のベッドの上だった。もはや懐かしさすら感じる周防分区すおうぶんくだ。

 ことの顛末を整理する。今日は分区長メーゼとかこいが会議に出て、ジアも別の用事で分区を外していた。大人といえる大人が自分一人のなか、午後に事件が起こる。まず、エッカーナの暴走で南棟みなみれんの廊下が大燃焼し、同じ分区員であるヴァータの命が危機に晒された。セスやルベラの力を借りて消火したものの、さらに能力を暴走させたエッカーナは、痛みをばらまく能力者であるヴァータの部屋に走った。

 『液呪えきじゅ』。多様なわざわいに自分たちが呪い殺される寸前、まずいと思ったヘロンは周防分区すおうぶんくごと彼を自身の世界に閉じ込めたらしい。ヘロンの能力はそれ自体が相当に複雑怪奇で、解除するために自分が招かれることになった。他人の過去を模した三つの世界で、あらゆる光を失わせる。はじめは無理難題に思えたが、解除条件は自動で達成できるように設定されていたらしい。浮き出る筆記の形で状況を伝えてきたヘロンは、最後に大きく銀河の渦巻き模様を四方の壁に描いて気配を消した。

 倒れた視界の先に、白い天井がある。目を下ろして探すが、この部屋に時計はない。あの空間で、何時間も過ごした気がする。もし半日近く食事を抜いていたなら、命が危ない。粘つく汗と悪寒のまま身を起こした――途端。


「よし、つけた! ってて!」


 鼻がぶつかる距離でこちらの顔を覗き込むセスと目が合った。距離を取って三秒。怪我がなくて良かった、と声をかける前に煌びやかなドレスの彼女はそそくさと視界から外れた。誰かの眼前に現れる能力、『昼霞ひるがすみ』を使って、自分を探しに来たらしい。

 短い間を置いて、小さな足音が近づく。夢のように記憶は瞬く間に消えようとする。ただ、一つ残るイメージに、呼吸が荒くなる。かこいが言っていた。。敵。誰の敵。ヴァータや、メーゼや、かこいの敵。誰が敵。三王国。フランスの権力者。性格がねじ曲がった、子供のころの、――お。


「ねぇ、お兄さん」


 扉が開いて、目の前に少年が現れた。エッカーナだ。息を落ち着けようとして出た咳で肺が痛めつけられる。無事でよかった、と声をかけることは出来なかった。短い黒髪を揺らす彼は、今日起こった事件など忘れたような顔で、ひょこっとベッドを見上げて、こう言った。


「スマホ見せてよ。四月の新刊が出るから明屋はるや行くんだけど、バスの時間が分からなくて。あれ? ない? 令和のご時世にスマホ持ち運ばないなんて珍しいね、大抵の買い物ってキャッスレス決済のがお得なのに」


 トコトコと去る小さな背中。取り残された自分は、帰ってきたメーゼたちが顔を見せるまでただ唖然とするしかなかった。夢の世界で何が起こったかは、間もなく全て消えてしまった。

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