残星涯天壇坂寐殯ー閉
時間稼ぎが必要だった。
「――うるさい、うるさい! 貴様の正体など、始末してから調べればいい!!」
相手の我慢の限界は、想定通りの速さだった。子どもっぽいヒステリックな叫び声と共に通信が閉ざされて間もなく、気持ちの悪い地鳴りが氷原を駆け抜けた。遠方、西の空から朝が
だが、死への覚悟は必要ない。
「誰よ、あんた」
時が止まるような感覚があった。新たな太陽に熱を奪われて、夜天が
「まぁいいか。邪魔だから、どっか行ってて」
直後、
「
冷え切った身体に駆け巡る熱。さらに姿を見せた敵に撃ち放とうとした火弾は、燃える角を持つ四足獣に姿を変えた。
「きみ、能力者じゃないのか。何でこんなところにいるんだ。権限三をなんの捻りもなく使うようなやつが、王国軍に一人で敵対するなんて、正気じゃないぞ」
「
「初対面だよね。やっぱりきみにはたくさん聞きたいことが――って、ちょっとウェスタお前さぁ」
少年は厳しい目線になった途端、遠方を見て口調を崩した。振り返ると、メーゼが黒い剣を片手で弄んでいる。彼女の背後、完全に氷結した何万層もの巨柱は照射砲の砲身を押し潰しながら海に没していく。闇夜を晒す熱と光の中心にあって、彼女は色の違う両眼を細く輝かせている。剣先を北へ、パリの方に向けて口が動く。
「ジア頭領に迷惑かけんなっつってんだろド阿呆。忘れたのか、同盟は都市粛清の被害者たち中心にした能力者保護組織だ。きみと……ぼくのせいで急進的な派閥になった、なれてしまった。それを――、ああもう!!」
――抜刀、
二人の視線が合い、世界が揺れた。見える限りの上空全域が岩盤色に染まり、水平が大きく盛り上がる。疑似引力だ。数十メートル高まった海面は、オクシタニア方面軍と彼女の間を数キロ横一線に隔てたのち、白く凍て付いた。同時に、あれだけ輝いていた光が霧消する。雪に反射し、降る星明かり。黒。冷たい夜に戻った世界のなかで、メーゼの口角が上がり、赤い片方の瞳が
唖然とするしかないが、おかしい。あんな規模のものが直撃すれば能力者、権力者に関わらず数十万人が死ぬ。この襲撃でメーゼがそこまでの犠牲者を出していたら、記憶に残っていないはずがない。喉が半分干上がるままに混乱していると、先ほどまで近くにいた少年の姿が消えていた。何処に行ったか、探すまでもない。爆心に向かう彗星。めちゃくちゃな怒号が衝撃波を裂きながら空を駆ける。その先には女性がいる。仕事やり遂げましたみたいな顔をしたあと、後ろをしばらく眺め、全身から汗が吹き出し、あれこれもしかしてやばい? とにわかに震え始めた、メーゼが。風圧で微妙に髪が逆立ったその額に凄まじいチョップが振り下ろされる。
「加減を知れ、こォんのすっとこどっこいが! 責任取って止めてこい!」
「あんたも四割くらい悪いでしょバカぁあああああ!」
海から溢れ出た波が、焼ける花の群れに流れ始める。ついに、星明りのない黒になる。視力を強化したところで、ヴァータの姿も、
「――心配しなくていいよ、フランス王家はこれ以上手出しできない。規模からして、王族の一人が『
・・・・・・
いくら時間が経っただろうか。やがて、目の前にぼんやりとした光が灯った。身体を起こす。自分が倒れていたのは今朝目覚めた『九層』のベッドの上だった。もはや懐かしさすら感じる
ことの顛末を整理する。今日は分区長メーゼと
『
倒れた視界の先に、白い天井がある。目を下ろして探すが、この部屋に時計はない。あの空間で、何時間も過ごした気がする。もし半日近く食事を抜いていたなら、命が危ない。粘つく汗と悪寒のまま身を起こした――途端。
「よし、
鼻がぶつかる距離でこちらの顔を覗き込むセスと目が合った。距離を取って三秒。怪我がなくて良かった、と声をかける前に煌びやかなドレスの彼女はそそくさと視界から外れた。誰かの眼前に現れる能力、『
短い間を置いて、小さな足音が近づく。夢のように記憶は瞬く間に消えようとする。ただ、一つ残るイメージに、呼吸が荒くなる。
「ねぇ、お兄さん」
扉が開いて、目の前に少年が現れた。エッカーナだ。息を落ち着けようとして出た咳で肺が痛めつけられる。無事でよかった、と声をかけることは出来なかった。短い黒髪を揺らす彼は、今日起こった事件など忘れたような顔で、ひょこっとベッドを見上げて、こう言った。
「スマホ見せてよ。四月の新刊が出るから
トコトコと去る小さな背中。取り残された自分は、帰ってきたメーゼたちが顔を見せるまでただ唖然とするしかなかった。夢の世界で何が起こったかは、間もなく全て消えてしまった。
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