忘却者は歓迎される

阿波分区ー1 案内

 日本、周防分区すおうぶんくにやってきて結構な時間が経った。脳に直接響く通信を聞きながら目を覚ます。九層の寝室から出て、蛍光塗料の光る廊下を歩く。


常権じょうけん、権限二、空接くうせつ六津合むつあい、行使」


 未だぼやけた頭で念動力の常権を使い、ドアを開ける。続く階段を下り、辿り着いたのは十四層、食堂二号だ。今度はドアノブに手を回し、中に入る。

 食堂には既にいつもの人員が揃っていた。テーブル最奧の席を陣取って、大きく欠伸をする周防分区長、メーゼ。彼女に料理を運びながら、脳天気な様子に半笑いになっている副長兼獄卒の青年、かこい。彼ら二人を囲うように走り回って注意を引こうとしている少年、エッカーナ。少年を落ち着かせ、自身の膝の上に乗せて読書を始める壮年の男性、ジア。そして、この四人の視線の何れかに被さるように移動しながら、朝の挨拶をして回るドレスの女性、セス。

 自分も含めて六者六様の食前の風景に、少し前から一人の少女が加わった。名前はルベラ、髪も肌も全体的に白い彼女は、いま、横に立って、片目が見えなくなった自分に付き添ってくれている。この分区に来てから、彼女には何故か散々恐怖させられたが、それも過ぎたことだ。

 食事を終え、日課の配膳に向かう。それなりに痛い思いをしながら少し迷って仕事を片付けると、食堂ではメーゼ、ルベラ、ジア、それから栫が待っていた。


「今日、遠征よろしくね」


 いつも通り勝手な様子のメーゼが、怠そうに机に突っ伏しながら、手だけをこちらに振ってくる。両手に握った小さな旗には、「がんばれー」と「それいけー」の文字。誰がいつ作ったんだ。一言二言足りない彼女の話の補足は、洗い物の片付けついでに栫がしてくれた。

 そもそもここ、周防分区に飛んでくる任務は二種類に大別されるらしい。一つ目は、討伐任務。古種、時には夜警連やけいれんなどを相手取り戦う任務で、主な目的は狩りと防衛。二つ目は、遠征任務。他の分区に直接に向かう任務で、交流事業や支援を目的とするものだ。今回の遠征は、食料品の譲渡らしく、大きなテーブルの上に乗った袋詰めの荷物たちが、その大変さを予感させた。

 グループは栫を含まない二人ずつに別れ、壮年の男性、ジアと組むことになった。討伐には一度出たが、その時の記憶はあいまいで、遠征は初めてだ。どうやったものか手順が分からず突っ立っている自分の横で、ジアは荷物の積まれたテーブルの端に腰掛けた。そのままこちらに座るように促すと、彼は栫に低い声を飛ばす。


「では、向かう。いつものを頼む」

「気を付けてね。常権、権限五、彼方かなた、行使」


 宙を舞って返ってきたのは、いつか見た灯篭だった。ジアは、それを片手の甲で頭上に弾くと、もう一方の手でテーブルの縁を掴んだ。瞬間。視界が暗転する。

 揺れるぞ。光が戻るや否や、真横から声が聞こえた。反射的に振り向いて、戦慄する。横には、相変わらず壮年の男性がいる。テーブルの上には、袋詰めの荷物が置いてある。しかし、景色は大きく変わっていた。遥か彼方に天を貫く大樹デイツ。その枝葉が掴む分厚い砂の雲。四方水平を走る根の群れと、広く溜まった橙色の湖。そこから立ち上る白い塔。端的に言えば、自分たちは浮いていた。周防分区直上およそ百二十メートルの中空に、テーブルごと浮いていた。息が干上がる。両足は投げ出されている。いま、身を乗り出せば、また湖へ真っ逆さまだ。


「こ、これ……」

「落下せぬ。そういう力だ」


 こちらの不安を察してか、壮年の男性は落ち着いた様子で諭すように呟いた。同時に、景色が横へと流れていく。テーブルがゆっくりと移動を始めたのだと悟るのと合わせて、能力者のうりょくしゃ権力者けんりょくしゃという言葉を思い出す。

 この世には、どうも二種類の人間が存在するようだ。権力者と、能力者。前者は自然治癒力や軽い防壁を含んだ高い生存能力に加え、多種多様の超自然的な力を行使できる『常権じょうけん』を扱えるという特性を持つ。対して後者はそういう特徴がない代わりに、一人に一つ、特別な能力を備えている。周防分区において、自分と栫以外は全員能力者だ。

 と、自分としてそれらの認識がかなり曖昧なのは、覚えていないからだ。ここ日本に来る途中の乗り物内で、自分は記憶を失った。定期便まで待って、三王国と呼ばれる地域に戻れば治療の方法があるらしいが、やはり自分が何者か分からないままなのは少しもどかしい。


「常権、権限三、幻観郷えそらみのさと、行使」


 発声によって、常権、自分が権力者である貴重な証明を行使する。権能は視野を広く拡張するといったもので、何だかんだあって片目が見えなくなった自分にとって、重要度は高い。幻観郷えそらみのさとは、両目での有視界範囲にほぼ等しい視野を確保できる上に、阻却そきゃく、つまり解除されない限り行使一回につきおよそ一日持つので、あと二か月で治るのならば以前と比べて思ったより視力的な不自由はない。

 呼吸が落ち着いて来るのに従い、テーブルも徐々に加速を始めた。張り巡らされた巨大な根の合間を潜って、どんどんと進んでいく。障害物を避ける過程で右に左に度々大きく傾き、時に上下反対にまでなったテーブルだったが、不思議なことに、置かれた荷物や、乗っている自分たちに全く影響はない。どうやら、縫い付けられたように一体になっているらしい。これが、かこいに聞いていたジアの能力、『絶閣ぜっかく』なのか。おおぉ、と感心していると、隣に座った壮年の男性は、こちらを向いて小さく微笑んだ。愛想よく褒めて返そうとしたが、言葉が詰まった。笑顔。間近で目にしたその表情の裏に、隠しきれない深い悲しみが見て取れたからだ。一人しか乗せられぬのだ。浮遊する板の上で、前方に目を滑らせた大男の呟きは、激しい風音に乱されて消えた。

 道無き空を駆ける。やがて辿り着いたのは、周防分区とは全く似ていない場所だった。大樹デイツの幹から二キロの地点。巨大な根を十数本横に束ねた上に、三つの尖塔が立っている。それらに囲われた部分には建物が並んでいて、まるで一つの街のようだ。到着した阿波あわは、中規模の分区らしい。広場に降り立つと、一人の男性が到着を待っていた。


「いつもいつも済みません」

「ただ余り物を渡すだけだ。……私は残りを取りに戻る。簡単な連絡事があれば、そこの獄卒ごくそつにな」


 腰の低い細身の男性と会話を済ませると、ジアは荷物をこちらに預けて、テーブルごと飛び去っていった。話の流れからして自分は伝言係で呼ばれたようだ。

 阿波分区長あわぶんくちょうと名乗った男性に従って、三つの内一番デイツ側の塔に入る。通されたのは、大広間だった。壁には数枚の絵画が掛けられており、天井からは豪奢な照明具が吊り下げられている。殺風景な部屋しかない周防分区とは対照的だ。


「しかし、初任であそこの担当とは大変ですね」


 目の前、大きなソファに腰掛けながら、男性が聞いてくる。どうやらこちらの記憶がないという事情は他の分区には伝わっていないらしい。一通り説明すると、彼はひっくり返る勢いで驚いた。

 それから、彼に色々と尋ねた。人の話を聞かない周防分区長に比べて、阿波分区長は頷きながらしっかりと要点を読みとって説明してくれた。

 まず、ここに囚人として流れてくる権力者について。ここ日本には、知っての通り罪を犯した権力者けんりょくしゃが追放されてくる。名目では殺人以上の罪状でこの刑の対象になるらしいのだが、少しばかり状況は複雑なようだ。


「ここに来るのは、どうしようもなく狂った大悪人か、王族や貴族に睨まれた市民なんですよ。前者は僕ら獄卒の定例議会か、あなたの所なら特にだと思いますが、能力者が自発的に処刑しますので、残るのは後者だけです」


 『刑印けいいん』を付られた権力者は、常権を行使できない。末期発作も発生しない。不幸な市民を人種的に括って排斥するほど、能力者も理解がない訳ではない。だから、少なくない分区では、権力者は良く働いてくれる労働者の同僚として扱われているらしい。関係で言えば、本国の人間と劣等血種インフェリアスの関係の方がよほど差別的なようだ。

 次に、権力者の常権について。常なる権利と建前の付く常権だが、その行使において、練度と同様に才覚がとても重要になるらしい。常権の権限は一から最大十まであるが、権力者の半分は六にも至れない。そういう意味で、こちらの獄卒、栫は天才なのだそうだ。


「常権の存在を以て、本国では人と劣等血種そうでないものを区別しています。けれども、常権も平等ではない。そのことに目を向けて本当の権力者たちの機嫌を損ね、日本ここに流された方は多くいます」


 自分は才能に選ばれた半分か、そうでない半分か。言及せずに、阿波分区長は呟いた。その言葉は、穏やかな声も相まって、深く、心に下りてくる。

 

 我々と、彼ら、両者は違うが、やはり人間である。そこに劣等優等や貴賤はなく、ただ特性としてのみ語られるべき差異があるだけなのだ。


 とある本の記述が頭を過ぎる。

 能力者と権力者の間に思い描いていた壁が、薄いものへと変わっていった。


 続けて、周防分区について。

 阿波分区長に聞く限り、どうやら周防分区は特殊な事情を抱え込んでいるらしい。

 

 唯一、分区長が獄卒でなく能力者である。

 唯一、権限九、準王大権じゅんおうたいけんを単独で行使できる権力者が所属している。

 唯一、構成人数が二桁を切っている。

 明震めいしんの震源地である。


「あなたの所属する分区は、特殊な遊撃部隊のような働きをしています。危険な任務も多いでしょうが、身体には気を付けてくださいね」


 日本について。新入りの獄卒の心構えについて。塵埃圏じんあいけんや三王国について。常権の様々な行使様式について。それから彼と談笑すること少し、ドアが開いて、壮年の男性、ジアが顔を出した。


「お疲れ様です。少し、お話があるのですが」

「……後に閊えてはいない。良いだろう」

「すいません。ブレさんは、他の施設をお好きに回っていてください。他の分区に来るのは初めてのようですので、見るものもそれなりにあると思いますよ」


 席を外せと、阿波分区長は柔らかく告げていた。いまからの話題は、それなりに聞かれては困るものらしい。先ほど、ジアは「簡単な連絡事があれば、そこの獄卒にな」と言っていた。初めてだから当然だが、自分の伝言係としての信頼は、まだ高くはないようだ。

 二人に手を振って、部屋を出る。階段を下り、辿り着いた街は活気に満ちていた。見ない顔だからだろうか、時折好奇の目を向けられることもあったが、悪い気はしない。商店か宿か遊興施設かは分からないが、視界の左右に並ぶ高楼たかどのたち。中央通りを往く人々の合間を抜け、街の東端の展望デッキからデイツを眺める。

 世界の柱にさえ思えるような巨大な木は、空の分厚い砂の層を突き刺して聳え立っている。背後から聞こえる街の笑い声を遠くに感じながら、上を向く。薄暗い砂の層のなかに、小さな輝きが見えた。周防分区の任務では衛星の文字に気を取られて気付かなかった。初日に襲ってきた魚の化け物が、砂の雲海を泳いでいる。降って来ないだろうかという不安もあったが、綺麗だという感想の方が強かった。様々な図形を描いて空を巡る光の群れは、それだけを見れば美しい。


 どれだけ時間が経っただろうか。首が痛くなってきたことに気付いて、視線を下ろす。再びデイツが眼前に陣取り、根に満ちた地平が遙かまで続く。


 そこまでは良かった。

 いる。さっきは居なかったものが、いる。

 六本の脚を生やし、獣のような姿をした怪物が三体、丁度数十メートル先の根の窪みに身を潜ませながら、砲口をこちらに向けている。


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