外出任務ー4 食事
日本到着まで、残り一時間三十分。
「――は?」
気が付くと、
現状について尋ねようとして、悪態を吐いてきた無礼者の首を斬り落としたところで、自分が妙に腹立っていることに気付いた。まぁいいか。奴隷の自分を殺すということは日本を敵に回すことになるぞ、なんて脅しをかけてきた阿呆もいたが、念入りに剣を差し込んで腸をかき混ぜてやった。知るか。刑印付きの奴隷と同じで、
「焼いた方が早かったでしょこれ」
たった二十人かそこらしか乗っていなかったのに、何人か特に癇に障ったのをひどくねばつく壁の染みにしていたら、三〇分も経ってしまった。別に安くはないがお気に入りでもない青服に血が付いたのを残念に思ってると、車内に足音がする。直感で分かる。俺をここに招いた誰かだ。権限五の常権を使って現れ、血肉を踏み越えながら声をかけてくる。そいつは――。
・・・・・・
視覚と聴覚が戻り、辺りの風景が鮮やかに蘇る。
眼前に、袋小路になった地下通路。足元に茶色の池と、積まれた死体の山。
零下の洞窟の亡骸の丘の上。首を絞めるような形で、右手はいつの間にかルベラを掴み上げていた。体は勝手に動いている。
ルベラが何度も襲ってきたのは、婚約会議で彼女に敵対して、彼女から全てを奪ったのが、俺だったからだ。メーゼが初めに疑ったとおり、同じ車両の奴隷たちを皆殺しにしたのも俺だった。どうして記憶を失ったのかはまだ分からない。でも、日本に降り立った時点で、全ての罪は俺にあった。この袋小路は、
「何もかも、俺のせいだ。ごめん」
いつの間にか脳内に現れていた灰色のレバー。それが末期発作を解除するための手段であることは、講じれば、自身にどれだけの反作用が起こるのかということは、本能が、感覚が知っていた。そして、迷わなかった。確かになった過去から一歩踏み出し、ルベラの首の代わりに掴んだレバーを、叩き折る勢いで振り下ろす。
バチッと、麻痺を伴った衝撃が身体を駆け巡った。全身が弛緩し、ふらりと倒れる。餓死の倦怠感が全身を覆い、立ち上がれない。頭がぼやけていて、何の考えもまとまらない。冷たくなっていく身体に呆然としていると、ゴンっと死の丘から蹴り落とされた。ルベラだ。亡骸を踏み越えてくる小さな影。白い息を吐く少女は、翼にも似せて、赤い電光を放つ二十本の指を開いたままこちらへ歩み寄ると、眼前で腰を下ろした。右の五指を額に当てて、小突かれる。繰り返し響く、コンコンという音。彼女が能力を添加した瞬間、この袋小路ごと自分は粉砕されるが、もうそんなことはどうでもよかった。『
「――イストル
「ぁ、あ、ぁ……ごめん、ごめんごめん……」
血濡れた槍先が消えて、柔らかな指先が眉間に触れる。凛とした声。滑らかで理性的な語彙と口調が、一瞬目の前の彼女のものだと思えなかった自分を恥じた。朦朧とする意識のなか、わめきたてるように同じ言葉しか返せないことが情けなかった。理性と感情。狂気と平静。正当と不当。善と悪。それらが簡単に反転して、あまりに酷い自らの有様を認識せざるを得ない。ぼんやりとした意識のなかに、笑う人影が浮かぶ。差別的で、傲慢で、少なくとも二十人殺している。これが、本当の自分だ。
次第に声は出なくなった。耳も、聞こえなくなってくる。今日何度目か、落ちていく意識。どこまでも冷たい地下空洞で、最後に見たのは、痩せぎすの少女が指で壁面に大穴を穿つ姿。
「うわ、いた! ……レ、しっかりし……!」
最後に聞いたのは、
・・・・・・
目が覚めると、寝室にいた。
「……それは、当分の間元には戻らない。末期発作を強制終了させた代償だ」
隣、暗い視界の半分から声がする。顔を向けると、可動式の椅子に座った
末期発作と名前を持つそれは、想像通りのものだった。餓死を防ぐ
「本来
栫が加えて言うことには、列車を待って三王国という地域に戻れば、視力と記憶に関して、専門の機関があるそうだ。謝る彼に、大丈夫だと返す。二ヶ月くらい記憶が戻らなくてもそう困らないだろう。いまの自分には不思議と余裕があった。
ジアが目を離した隙にルベラはいなくなった。彼は直ぐに警告弾を上げたが、逆効果になった。メーゼが単独で
「待て、入って来るな」
青年が彼女を制止する。
「接触禁止だと、君は何度言ったら分かるんだ。自分が何をしたのか覚えているのか。大人しく部屋に帰りなさい。あれだけ襲い掛かっておいて、何を考えて……」
捲し立てられて、数歩下がる痩せぎすの少女。そのまま廊下の闇に消えていきそうになる彼女を、大声で呼び止める。青年が驚いた顔をしたが、気に留めない。ベッド脇に彼女を座らせ、お盆を受け取る。
ルベラは何も語らなかった。貴族の婚約会議など、メーゼから色々と情報はもたらされたが、彼女が自分を散々殺しにきた理由は、まだ不明だ。結局、自分は変わらず彼女を欠片ほどしか知りはしない。だが、それで上等だ。こちらは完全に記憶がない。自分のことすら分からないのだ。知らないこと尽くめはお互いさま。どういった意味があったか分からない襲撃は、既に終わったらしい。そして、いま、目を見れば、手を握れば、ルベラはもう襲っては来ないだろうと疑いなく思える。
「念のため、外に控えておくから」
言って、栫は立ち去った。二人で残された部屋のなか、距離感が掴めず食事に苦労する自分を、ルベラは支えてくれた。美味しい。この綺麗な見た目の料理は彼女が作ってくれたものだろう。そう思うと、心に暖かい気持ちが沸いてきた。
食べていると、唐突にぐぅと音がする。今まで威圧感が優勢して気付かなかったその小さな音は、目の前の少女のお腹から聞こえていた。食べない。不意にメーゼの言葉が頭を過ぎる。スプーンで穀飯を掬い、彼女の前に差し出す。
「一緒に」
数秒の沈黙があった。ルベラは深く過去を思うように目線を落としたあと、少し考え、最後には穏やかな笑顔で頷いた。
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