外出任務―3 大罪人は飛来する

 死んだイストルの阿呆が増長させたから、初めての婚約会議こんやくかいぎの調停がややこしいことになった。大広間の階段をゆっくりと降りる俺を、睨み付けたままの女がいる。劣等血種インフェリアスのガキだ。会議の席に着いたまま、坊ちゃん、なんて心配の声をかけてくる爵位持ちの老人どもを手で制して、俺は二つくらい年下のその女の前に立った。

 劣等血種インフェリアスは、自然のままにしていればみな死滅している生き物だ。奴らが覆日ふくじつ塵埃圏じんあいけんの砂を吸い込まずに生活が送れるのは、王国の人類結界じんるいけっかい――原初、人々の持つ防塵膜は、集団になるごとにその強度を増して周囲の領域を覆った。こうした人々の集まりを繰り返して、現在の三王国領域が形成された――のおかげに他ならない。劣等血種インフェリアスであり、常権じょうけんが不全のため骨董品のような移動手段に頼らざるを得ず、情報の伝達にも余計な手間を必要とする。怪我一つを直すのにも信じられないほどの時間がかかる生命の欠陥品だ。


「何が気に食わないんだ」


 ――俺たちに生かしてもらっているのに。口答えをするな、一丁前に物を食べるな。まともなことができない奴は、霞を食って芸術でもやっていればいい。小娘の眉間を突いた指を、頭上に向ける。そこには変わり者のイストル公が誇っていた、日本出身の劣等血種インフェリアスが描いた天井画が組み上げられている。橙色に染まった空に巨木が伸び上がっていく絵。意味不明だ。確か題目は――。


・・・・・・


「――『琥珀こはくはか』」

 落ちるところまで落ちたらしい。背中にざらざらした地面の感覚。仰向けに見上げれば、空の代わりに橙の湖の底面が揺れている。目だけを滑らせて辺りを探ると、相変わらず赤い視界の中心に、伸び上がる黒く巨大な構造物があった。大樹、デイツの下端だ。距離にすればここからおよそ十キロ程度の彼方で、辿って登るには遠過ぎる。

 ぬるい風が傷だらけの肌を掠め、吐いたため息に血が混じる。薄まる夢の記憶のなか、考えを巡らせていると、背中の上に暖かい感覚が戻ってきた。目線を限界まで下ろして、肩口に垂れ下がった髪を視認する。ルベラだ。自分に覆い被さる形で倒れている少女は、しっかりと心拍を刻んでいた。まだ彼女も死んではいない。

 不安材料が増えたが、とにかく現状できることはほぼない。新たな敵に遭遇しないよう祈るくらいが関の山だったが、祈りは当然通じなかった。メーゼの言っていた通り、湖の下は怪物の住処だったからだ。三分も経たずに、人面の六本足の化け物、四体がデイツの方向から駆け現れた。銀の甲殻を揺らしながら並んだ怪物はそれぞれぬるっと首を動かし、口に咥えた砲のような機構をこちらに向ける。攻撃、死。もう何度目になろうかという絶命の予感が身体を駆け抜ける。

 瞬間、もぞりと動く感覚がした。ルベラが上半身を起こしたのだということは、視界の端に捉えた彼女の姿が物語っている。彼女は、そのまま右腕を引き、ふらつきながら、倒れるように振り下ろす。この期に及んで殺しに来るのか、と。思わず笑いが漏れた。彼女もまた邪悪に微笑んでいた。手早い一撃。それは夜警連の砲撃より数瞬前にこちらの喉元を襲い、咄嗟に頭を振ってかわしたことで、ざらざらと苔むした地面に突き刺さった。

 崩落が起こる。激震と合わせて、地面に亀裂が走り、それに飲まれる。眼前を四つの青い砲撃が横切り、背中に何度も打撃を受けながら、狭い渓谷をすり抜けていく。最後に少しの浮遊感を伴って墜落した先は、周防分区すおうぶんくの下にもあった地下空洞だった。少女に気を向けながら動く首で周囲を見渡すと、丁度右の壁面の横に、文字が刻まれている。

 

 日本最下脈路にほんさいかみゃくろ 北端 

 直近 出雲座いずもざまで二キロ

 

 少し安堵の声が漏れる。デイツと比べてかなり近い。冷たく滑らかな地面に背中を預け、呼吸を整える。自分を含めた権力者けんりょくしゃと呼ばれる人間には、強い治癒力があるらしい。半信半疑だったが、徐々に痛みが引いていくのが分かる。身体が動くようになるまで、あと三〇分くらいというところだ。

 最も、彼女がそれまで待ってくれればの話だが。そう思いながらルベラを確認すると、どうも様子がおかしい。左手で、自身の右腕の肘辺りを握っている。邪悪な笑顔は変わらないが、薄い汗をかいて明らかに余裕がなくなっている。色が戻りつつある視界で改めて捉えると、彼女の肘が深紅に染まっていることが分かった。そもそも彼女は指に髪に血塗れだったが、その比ではない。絶えず流れ出る血は押さえ込んだ左手からも漏れ出し、こちらの腹の上に滴り落ちてくる。

 ルベラの能力は、何らかのエネルギーを貯めて放つ力。五体を伸ばして放つまでに、そのエネルギーを扱える量まで放散させるのに時間がかかる。さっきの地面を割った一撃。早くて威力の高かったあれは、撃ち放つのに必要な時間を短縮した結果だった。巨大な反動は、彼女の腕を内に圧搾する形で破壊したようだ。

 出血量はまだこちらの方が多いが、体格が違う上に、彼女は能力者で、つまりは生存能力や自然治癒能力が取り分けて高い訳ではない。自分が十分と倒れている間に彼女はきっと死んでしまう。

 その時、ピクッと、左腕の感覚が返ってきた。しめたと思い、顔の前まで持ってくる。戦闘で繊維が痛んでいたのが助かった。ブレ・ベスト。名前付けの原因になった豪奢な青い服を思い返しながら、今日着ている白いシャツを口で千切る。動かないもう一方の腕を置いて、止血にかかる。ルベラの右腋下から布を通し、口で引いて締め上げる。後は結ぶだけだ。この隙で殺されたらあの世で一番の笑いものだと思ったが、彼女は大人しく止血を受け入れた。


常権じょうけん権限五けんげんごはだやまにれ三津合みつあい、行使」


 怪我を覆って回復を早める常権を張って、一旦息を整える。ルベラは力が抜けたのか、俯せにふらっと倒れ込んできた。抱き止めて、また考えた。出雲座いずもざ――周防座すおうざと同じく、日本にある分区の下端――までは二キロと書いてあった。距離はそう遠くないが、体力が足りない。時間をかけ、休みながらゆっくり歩いて、ようやく辿り着ける。現状の自分にとって二キロはそんな距離だ。分区に辿り着くのが先か、力が尽きるのが先か。これはそういう勝負だと、自分のなかで結論付ける。

 ……しかし、違った。姿が見えた。小型の、空を飛ぶ、何か。落ちてきた天井の割れ目を縫って現れたのは、回転刃を持った五センチほどの球体群。さっきの『夜警連やけいれん』とやらの追っ手だ。――さっきの四足歩行のやつらよりは簡単そうで助かった。


常権じょうけん、権限四、爪樹冠銘西海土そうじゅかむろのめいさいかち八津合やつあい、行使」


 久しぶりに発動したが、できた。同時に弾き挙げた左手で、降ってきた球体の一つを掴み取り、別の球体にぶつけて破砕する。途端に、手首から鋭い木の枝が伸び上がって、次々と襲い来る機械群を串刺しにしていく。大空洞のなかで、鋭い緑が空を縫う。バキンと連続する衝突音。球体群、十二機全てが機能を停止して地面に散らばったころには、自分の左腕にも深いいばらの跡が刻まれていた。

 あぁ、と思う。おかしなことをしているのは分かっていた。久しぶりって何だ。権限五の常権はまだ使えないはずだ。頭が痛い。知らない過去のことがらが、次々と積もるように脳を侵す。本当は回復も待たずに歩ける。常権で身体を起こし、ルベラを抱えて、進む。いくつもの氷柱を垂らした大洞窟。吐く白い息。澄んだ川辺に沿った苔の草原から放たれる胞子たちの明るさ。水音を乱す一歩ずつで、知らない記憶が蘇っていく。


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