ルベラ

 七層、上層会議室。階段を上って通されたのは、丸テーブル一つに可動式の椅子が二つほど備えられた、殺風景な部屋だった。テーブルの上には幾つか土製の皿が並べられている。メーゼは椅子一つを寄越すと、皿を全てこちら側に寄せて、わずかに開いたスペースに書類を置いた。


「それは、何だ?」

渡弾列車とだんれっしゃの荷物の契約書。うち、周防分区は大体傷薬や日用品だけだけど、他が多いの。ほれ見なさい、半分くらい奴隷の受領証書よ」


 何とも言えない沈黙の後、料理に手をつけ始める。彼女は目を擦って紙を睨み付けながら、袖から出したペンで何かのサインを書いていく。


「食べないのか?」

「ああ、それ全部あんたのだから」

「え?」

「各分区のなかでも、うちの人材は少数精鋭。食料なんて基本的に余るの。権力者けんりょくしゃって燃費悪いから、半日で餓死するんでしょ。恵まれてると思って残さず食べなさい」


 頷いて、続きを口に運ぶ。並べられた大量の料理らしきものは、どれもこれもグロテスクな見た目だった。血がついたままの魚の頭に、大きな目玉が浮いている緑の汁。赤黒い虫の死骸や、吐き戻しにしか見えないグシャグシャの何か。視覚的に食欲が減衰するそれらを彼女の手前何とか平らげる。量は大きな敵だったが、見てくれの割に味は悪くなかった。


「はあ、ねえちょっと話しかけて」


 一息ついていると、前から雑な声が飛んできた。二割ほど片付いた紙束を机から降ろし、メーゼが伸びをしていた。だいぶダレた様子の彼女は、欠伸をしながら続ける。


「眠いの。あんた聞きたいことあるんでしょ。ほら、何でも聞いてきなさいよ」

「なら、『能力者のうりょくしゃ』と『権力者』について」

「あー、記憶喪失なんだっけか。んじゃあ短くね。『能力者』、これは私たち。一人に一つ、特別な能力を持った人たちよ。『権力者』これはあんたやかこいたち。権力を欲しいままに操る傲慢な奴らのことね。ほら、次は?」


 随分と差別的な物言いだが、能力者から見て『権力者』はそういう扱いだということだろう。図書室で見た本を思い出す。『劣等血種インフェリアス』。内容から、それが指すものは何となく予想がついている。これについて彼女に尋ねるのは些か気が引けるが、確認しない訳にもいかない。


「じゃあ、劣等血……」

「それ、ここじゃ禁句。察してる顔してるからいうけど、そうよ」


 メーゼの声のトーンが下がった。警告の声色だ。ただ、敵意はないようで、彼女は眠そうなかおのまま髪を掻いている。

 これではっきりした。劣等血種とは、権力者側から見た能力者のことだ。権力者にとって自分たちはただの人類で、能力者は劣等血種。お互いの立場により呼称が異なるとは、やっかいなことだ。


 ――注意を向けよ。

 ただいまより、喰祷しょくとうを開始します。

 次回警報まで、目を瞑るよう。


 突然、脳内に栫の声が響いた。何事か分からないまま取り敢えず右に倣えでまぶたを閉じると、メーゼの立ち上がる音が聞こえる。


「セスのためよ。飛んできちゃうから、目を開けないでここで待っててね」


 彼女は言い残すと、一人部屋を後にする。途中で何かにぶつかるような音がするので、彼女も目を瞑ったまま動いているのだろう。昼霞ひるがすみ。あのドレスの彼女は、誰かの眼前に瞬間移動する能力だと、メーゼから聞いた。だから、周防分区の結界内に閉じ込めているとも。それは逆説的に、分区のほかの人々全ての目を閉じれば、彼女が特定一人の目の前に現れ続けることを意味する。能力とは難しい。食事中にどこかに行ってしまうことがないように、という配慮が必要なようだ。

 少し経って、一つの足音が会議室に入って来る。足音は全くぶれない軽快な様子でとん、っと飛び上がり自分からして正面の位置でとどまった。


 ――注意を向けよ。

 本警報を以って喰祷を終了します。


 首を振って目を開くと、丁度正面、テーブルの上に、見知らぬ一人の少女が立っていた。引き絞るような痩躯の彼女は、その口を歪めた。寒気が全身を駆け抜ける。白く傷んだ短髪の奥で、血の色をした瞳がぎらついている。この少女が誰かは分からないが、間違いなく自分の敵だ。そう感じられるだけの殺意を、彼女は纏っている。

 トン、という横の床への着地音のあと、ゆらゆらとこちらに迫りながら引かれる右の拳。殴ってくる気だ。ほとんど大人と子供。体格差だけを考えれば、避けるまでもないはずだった。しかし、『能力者』という言葉が頭を過る。ここにいる人間は何らかの特殊な力を持っていて、目の前の少女も例外ではない。


 椅子から離れ、大きく後ずさる。

 少女の攻撃から、必要以上の距離を取る。

 だが、結果から言えば不十分だった。


 拳が空を叩く。瞬間、およそ会議室の半分、少女から見てこちら側の壁が、発生した衝撃波で大きく凹んだ。視界がぶれる。壁に打ち付けられた反動で、さっき食べたものが喉にこみ上げる。危険だ。この少女はやはり危険だ。顔を上げると、彼女は既に二発目を振り被っていた。会議室のドアは変形していて開きそうにない。ドア以外に会議室から脱出する手段もない。

 混乱と合わせて山ほどの疑問が脳を埋め尽くす。何だこれは。メーゼは何処に行った。なぜこの少女と二人きりの状況になっている。この子は誰だ。列車に、光る魚の怪物に、次から次へいい加減にしてくれ。自分のことすら何も分からないっていうのに! 全身の力を両足に込め、半分やけくそ気味になりながら地面を蹴る。少女に飛びかかって何とか抑え込むつもりが、予想以上の力が出た。

 跳躍は早く、そして高く、小柄な能力者の頭上を飛び越える。着地と同時に、二回目の衝撃波がひしゃげた背後の壁を消し飛ばした。先程の比ではない激震と爆轟が足下を揺らす。……一発目と比べて、威力が跳ね上がっている。次、貰えばただでは済まない。

 息を吐き、振り向くと、痩躯の少女は再び腕を引いていた。三発目だ。撃ち放たれる前に、行動を取る。彼我の距離、およそ五メートル。引いた彼女の拳を掴んで、そのまま足払いをかけ、押し倒した。殴打に衝撃波を乗せる力、これを封じる。倒れた彼女の肩口に両手を置き、腕が動かないよう固定する。

 助けを呼ぶにも、誰が味方か分からない。粉々に破砕された丸テーブル、床に飛び散った食器の残骸。痩躯の少女の暴威によって、会議室の半分は原型を留めないほどに破壊され、沿った廊下の壁面も同心円状に陥没している。

 頭を振って視線を戻すと、不意に呼吸が止まった。

 

 髪が触れる程の距離に、彼女の顔があった。

 それは、お前を殺すぞという笑みを湛えている。

 

 呼吸に次いで思考も断線する。世界が真白に染まる。軋む建物も、転がる小さな瓦礫片も、張り詰めた空気も、全てまとめて遠ざかっていく。実際には二秒も経っていなかった。けれど永遠とすら思えたその空白の途中に、見逃してはならないものがあった。感覚として最初に戻ってきたのは、自分と彼女の鼓動。次に、二人の呼吸音。三番目に、とても微かな、布の擦れる音。自分の後ろから感じる、緩慢な動き。具体的には、少女がわずかに片足を持ち上げる様子。

 そもそも、認識が間違っていた。腕だけではなかった。三発目の衝撃波は、彼女の左の爪先を起点にして、会議室の全てと上階二階層を粉々にした。

 生きているのが不思議なくらいだ。彼女の肩口から手を外し、すんでの所で廊下に飛び込んだまでは良かったが、猛烈な余波を浴びた。体中から、赤いものが抜けていく。四肢は全て深く裂傷し、立ち上がることすら出来ない。痩せぎすの少女は、こちらを見て、また笑った。


「お前一体誰だよ。同じこと聞き返されても困るけどさぁ……」


 かけた言葉も無視して、彼女は、こちらに二、三歩足を進める。ゆっくり拳を引き始めた。四回目。間違いなく、トドメになる。彼女が拳を引ききった途端、小さな揺れがあった。度重なる負荷に耐えかねた、建物自体の小規模な崩壊だ。近くに穴が開けば、何とか逃げられるかもしれない。少しだけ希望が見えた気がしたが、それは思い違いのようだった。鉄筋のぶら下がる上階からの瓦礫は、少女との間を隔てるようにでもなく、ましてや少女に直接降り注ぐでもなく、その質量で、廊下の階段側の横一線に塞いだ。動けないのに、わざわざそこまでやるか? 偶然に吐いた悪態は、ひどく広くなった空間に響く。

 見下ろす目に、感情は見て取れない。ゆっくりと腕が伸ばされ始める。脳内を巡る景色。訳の分からない列車から降りて、ここまで。本当にろくでもない思い出たち。走馬燈そうまとうとは、死に瀕した時に生存の可能性を過去の記憶から探すためのものらしい。この分区に来てからの短い間に、何か引っかかるものがある気がする。スローモーションで迫る一撃を眼前に、脳が回る。手が触れるほど浅い底なら、浚うのに時間もかからない。

 

 まずは、事実から。

 目の前の痩せぎすの少女、彼女は能力者。

 次に、メーゼの言葉から。

 対して、自分と栫という青年は権力者。

 本の記述から。

 権力者は常権というものを、両手での印号、もしくは発声によって行使できる。

 再び、メーゼの言葉と、栫の行動から。

 栫は、図書室で空間から消失した。その際メーゼは「逃げられた、常権は便利だ」という旨を口にしていた。

 図書室の様子から。

 栫の消失時、図書室の扉は鍵も含めて閉められていた。


 つまり、栫が図書室で用いていたのは常権であり、それには閉鎖空間から逃避する効力がある。加えて、栫と同様に権力者である自分も同じことが可能だ。

 思い出せ。栫は図書室で、最初に何と言った?


常権じょうけん、権限五、彼方かなた、行使」

 

 発声に合わせ、身体全体が熱を帯びる。内側から、骨格が徐々に拡張するような感覚が満ちてくる。だが同時に、目の前の少女から表情が消える。彼女が伸ばしかけていた腕をもう一度引くと、ブチッという音がして、彼女の背後の空間が大きく歪んだ。現れたのは、痩躯の少女を中心とした左右十、合計二十の白い槍。それは一見長大な骨の翼にも思えたが、直ぐに様相が変わる。少女が右手を開き、握るのに同期して、うち五本が中折れし、先端部が赤い電光を帯びる。

 理解に時間はかからなかった。これらは指だ。両手両足、二十本の。少女自身の細い指は、その平と甲以外の皮が爪と一緒に綺麗に剥がれ落ちてしまっている。距離にして、およそ八メートル。右手、五本の指先が、こちらを向く。背後に控えた槍が血の雷を散らしながら、追従する。

 空気がひりつき、音を上げて軋む。身体に宿りかけていた熱と力、どちらもが、不意に消えていく。絶望を悟った。次の連撃、全てが三発目の威力を上回る。そして、どうやら自分は、常権とやらの発動に、失敗したらしい。

 呼吸を荒げながら、ぼんやりと少女を見る。対して、彼女は感情の消えた瞳でこちらを眺めている。どんな声をかけても無駄だろうということは分かっていたが、それでも言葉が吹き上がりかける。聞く耳を持たない槍がその切っ先をこちらに向け切る。――その、一瞬手前。


「うわ、なになになになに!?」


 ぶわっと、視界にかさがかかった。痩せぎすの少女と自分の間に、横合いから大きな影が割り込んでくる。着重ねられた黒いドレスに、有り余るほどの宝飾品。気付けば、驚いた様子の女性が、崩れた会議室と廊下の境界、双方の目の前に立っていた。少女の瞳に色が戻り、動きが止まる。


「うっへぇ、ごっちゃごちゃ」


 今度は、床を伝って冷気が走り抜け、廊下端の瓦礫群が消し飛んだ。開かれた階段口から姿を現したのは、一枚だけ着た上着をパタパタとさせるメーゼだった。


「って、ちょっとルベラやりすぎ。栫に怒られるの私なんだから。それに、ええと、セスも飛んできちゃってるし……」


 分かりやすく面倒そうな顔をした女性は、あれこれ言いながらこちらに歩いてきた。張り詰めた空気が一気に弛緩する。何が何だか分からないが、急場の事態はここまでらしい。もう警戒する体力もない。


「ブレ、生きてる? ……みたいね。よし、後は下層の医務室で話をしましょう。んで、ルベラはその指治してもらいなさい」


 メーゼに担がれ、半壊した第七層を抜ける。亀裂は階段全体を歪ませ、夜光塗料がぼんやりと輝く手摺は、少しばかり波打っていた。暗闇に揺らめく淡い無数の光。疲れによって、意識が遠ざかっていった。



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