昼霞
四方に広がる砂漠の断面のなか、考える。自分は何者で、どうしてここにいる。何故こんな目に遭っている。列車内のあの惨状は、砂塵は、泳ぐ化け物たちは、一体何なんだ。記憶を辿っても、卑近の光景が思い起こされるだけだ。栫と呼ばれていた青年、彼に詳しく話を聞きたい。
荷物を屋内に入れ終わった。内部に区切りはなく、どうやら一部屋だけの空間らしい。設置されているのは、椅子と、テーブルと、本棚。裏口の扉が奥に見える以外に、特段装飾も見当たらない……のだが。
女性がいた。メーゼではない。まず何より先に服装に目が行った。女性は、黒くはためく五重掛けの丈が長いドレスに、左右等しく三つずつの指輪と十数巻のネックレスを身に着け、わたわたと周囲を見回している。駅で見た囚人たちのボロ布、メーゼの薄着に、
メーゼが戻ってくるまで暇もある。聞きたいことならそれ以上だ。もさもさと移動を続けて、荷物の影に隠れたこちらに気付いていない彼女に、声をかけてみた。
「はじめまして。ここに、お世話になりそうな……ええと、ブレ、と、いう者なんですけど、色々お尋ねしたいことがあって……」
記憶がないなか、咄嗟に浮かんだ名前を仕方なく使って自己紹介を済ませる。流れで質問に移ろうとするが、振り向いた彼女の開口一番にかき消された。
「
「あ、服のことですか、これは――」
「
「え、いや、血はもう止まっ」
腕を組まれて強制連行。建物の裏に出ると、そこには地下への階段口があった。
「わたしは、……。
折り返し式の狭い傾斜を、鉄音を響かせながら下る。各踊り場の奥の壁に、一層だの二層だのの文字が彫られた扉が見える。周囲は暗くなっていくが、
七層と書かれた踊り場の扉を開き、誰も居ない廊下に出た。沿うようにして、分室が幾つか並んでいる。上層会議室、第一講堂、甲三倉庫。塗料に囲われて光っているプレートを過ぎ、目当てらしい部屋は廊下の突き当たりにあった。医務室。腕を解き、ドアノブを回す彼女の後ろで、ふと大きく体が揺れる。
階段と違って、プレートの他に照明がないこの廊下で、誤って長い女性のドレス端に乗ってしまったらしい。足が滑り、そのままずるっと、仰向けに倒れる。
鈍い打撃。響く痛みに少し悶えていると、天井を映した視界のなかに、こちらをのぞき込む人影が割り込んだ。
「あんた何をしてんの、そんな所で」
声で分かる、メーゼだ。
彼女の手を取りながら、言葉を返す。
「ああ、周防分区の衛生担当、とかいう女性にここまで連れてこられて、こけて、こうなっている」
「その子の名前は?」
再び尋ねられて、思考にノイズが走った。名前、名前……確か、名乗られたには名乗られた。それが、何だったか……。はっとして、周囲を見回す。
あの女性が、居ない。廊下は一本道で、転ぶ前の彼女の立ち位置は突き当たり側だった。彼女が廊下を去るなら、倒れた自分の横を通るはずで、その時にドレス端が少しでも見えないどころか、かからない方がおかしい。そうなると、医務室か。
何やらズボンのポケットを漁っているメーゼを置いて、ドアノブを回す。簡易ベッド二つと治療台、壁付けの長椅子に、閉まったロッカー。医務室としては申し訳程度な設備のこの部屋にも、女性の姿はない。治療台やベッド、椅子裏にも居ない。順に従って目線が動く。恐らく、あれが最後の可能性だ。
ここまで考え、首を横に振った。
違う。あの服飾では、ロッカーに入れない。
「あの子はセス。能力は、『
背後から肩を叩かれる。
「簡単に言えば、誰かの目の前に瞬間移動する力よ。発動条件は、一瞬でも視界から外すこと。あと、名前を始めに、三日間あの子を見失えば、彼女に関することは全く覚えてられなくなるから、気を付けてね」
振り向くと、メーゼが片手で小さなメモ帳を開いていた。彼女はそれをひらひらさせながら医務室を出る。ついてこい、ということか。
「能力、か」
「いまはこの分区のなかにいるわ。危ない外には出せないし、出たらほとんど戻って来られなくなるから、栫の結界で閉じ込めてるのよ」
会話を交わしつつ、廊下を出て、さらに階段を下る。十層に辿り着き、扉を開くと、そこはいきなり広い図書室になっていた。蛍光塗料の塗られた書架の群れが、暗闇に不気味な輝きを発している。
「夕飯の準備が出来たら呼びに来るわ。聞きたいことも多いでしょうけど、ここで我慢して。私、説明も
言って、メーゼが階段に戻る。言葉に少し刺はあったが、語調はそこまで強くなかった。億劫。これが彼女の性分なのだろう。気持ちを切り替え、本を探す。手前の書架から順に見ていくと、歴史や経済など学術本の類が目立った。取り敢えずの知識を得るには最適だ。
……およそ数万年前、『
……旧代三国協定では共通語の他に度量衡を定めており、その全ては『
ああ、予想外にダメだ、取っ掛かりになる知識がないなかで適当に読み漁っても疑問が増えるばかりだ。五冊くらいを流し見して、理解が深まったのは、あの砂についてくらいか。
頭をかき、探す対象を初学者用のものに絞る。今最も欲しいのは、メーゼが度々口に出す、『権力者』と『
『我々と、彼ら。
題号からして、おや、と思えるが、目を引く点はそこだけではない。比較的新しい装丁にも関わらず、薄汚れている。他のものと違って明らかに粗末に扱われている様子だ。ページを開いて、読める部分だけ内容を確認する。
……我々人類は『
彼らと我々の違いは何処にあるのか。
我々人類を『優等』たらしめているとされる二つの先天的特徴を挙げていくことにする。
一つは、
一つは、素体能力である。我々人類は、膂力に関して、平均的に『劣等血種』より優れている。また、我々人類は、外傷内傷に対して、非常に高い耐久性能と自然治癒能力を持つ。加えて、我々の体には遮蔽膜があり、塵埃圏の砂塵など微小な有害物を弾いている。
このように見ていくと、我々人類は、『劣等血種』に対して、遙かに優等であるように思える。
我々人類が、彼らより劣等である点とは何だろうか。
私が挙げる点は、二つである。
一つに、『劣等血種』は、先に示したような特徴を持たない代わり、我々より栄養効率が高い。我々は半日何も食べなければ高確率で餓死してしまうが、彼らは生きていられる。我らが祖先、遙前代の人類のような体構造というわけである。
一つに、『劣等血種』は、各々に固有能力を所持している。そのほとんどは非実用的または効力が弱く、病に等しいものだが、残りの少数、取り分け彼らの中の位階上位九名は『
我々と、彼ら、両者は違うが、やはり人間である。そこに劣等優等や貴賤はなく、ただ特性としてのみ語られるべき差異があるだけなのだ。
いずれ時を経、血で血を洗う大災禍のなか、ようやく我々人類は自らの愚かな差別を知ることになろう。
「何だこれ……」
「
声と共に一条の明かりが差し込んできた。顔を上げると、扉の近くに灯篭を持った人影が見える。先にメーゼと話していた、
夕食の知らせに来たのかと思ったが、空気が少し違う。彼は静かに図書室の扉と鍵を閉め、椅子の前まで距離を詰めた。何かを試すようにじっとこちらを観察したあと、厳しい目つきを少しだけ緩めて、肩を叩いてくる。
「助けてあげるかもしれないから、せいぜい頑張って」
「え、ちょっと待……」
「そういう訳で」
本当に、全ていきなりだった。言いたいことだけ言って、灯篭を手に取り、自身の頭上に放り投げる。瞬間、その火が吹き消え、同時に彼の姿もなくなった。そして、――。
「栫、これもあったの……って、逃げられたわね。全く、常権って腹が立つほど便利なんだから」
扉を内側に弾き飛ばして、大量の書類を抱えたメーゼが現れた。勢い余って舞い散る複数枚の紙のなか、彼女はため息を吐くと、こちらを一瞥する。
「ブレ、夕飯の時間よ、一緒に来て」
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