過去より未来へ

Aiinegruth

大罪人は飛来する

渡弾列車

 重い振動が体を伝う。

 ノイズ混じりの自動アナウンスが耳を打つ。

 

 終点、日本にほんでございます。

 降車準備完了まで、しばらくお待ちください。

 冷却前に外へ出られると大変危険です。

 繰り返します ――。


 頭上には、赤黒く染まった半円状の天井。目を落とせば、基部から引き千切れ、なぎ倒された座席の群れ。右手側に、白く発光している内壁。そこに、映し出された文字列。 

 

 渡弾列車とだんれっしゃ・第三区画・降車準備中。


 目を覚ますと、身に覚えのない場所だった。ここは何処だ。列車に乗り込んだ覚えはないし、『日本』とやらにも心当たりがない。そもそも、自分は誰だ。どうして、こんな所にいる。目を瞑っても、何も思い出せない。容姿すら想像ができない。


「渡弾列車、第三区画、降車準備中」


 立ち上がり、壁に触れて、文字列を復唱する。比較的低い声だ。腕に目を落とすと、天井と同じ赤黒い跡が、青い服を肩口から脇腹にかけて一直線に染め抜いていた。捲って確認するが、痕は塞がっている。血を流していたらしい。

 椅子の残骸に目を移し、怪我を振り返る。ここで何らかの争いがあり、それに自分が関わっていた。現状で推測出来ることは、それくらいのものだった。

 しばらくして、ガシャンという音と振動があった。前後の壁が緑に点滅したあと、再びアナウンスが響く。


 渡弾列車、降車準備完了致しました。

 終点、日本でございます。当該地域は覆日ふくじつです。

 極度の視界困難が予想されますので、足下の進路表記に従い、茎下間歩群けいかまぶぐんまで気を付けてお進みください。

 繰り返します ――。


 壁の光が消え、床面に緑の矢印が複数現れた。途端、何処からか空気の抜ける音が聞こえ、莫大な量の砂塵が視界を覆う。砂は膜のようなものに阻まれて、身体には触れない。

 一歩ずつ矢印を頼りに足を進めると、およそ五歩目で、床の材質が変わる。また、足下の矢印も発光から白い塗料でのベタ塗りへと変化する。流れる砂の音に混じって、複数の声が聞こえてくる。恐らくここが、列車の『駅』なのだろう。

 指定された地下へ降りるのには、そこまで時間がかからない。既にできていた人の列に並んで、褐色の巨大な扉を潜ると、そこから先は進路ごと下り階段だった。

 数分で、広い空洞が見えてくる。声にも景色にもひどいノイズを足していた砂塵は、こし取られて天井部に溜まっている。降りた広場は、白一色の大洞窟。幾百の曲がった柱と、随所になだらかな隆起や沈降の見られる床で形成されたその空間は、まるでパースの狂った絵画を思わせた。


第一間歩だいいちまぶ錦分区にしきぶんくはこちらから』

第二間歩だいにまぶ阿波分区あわぶんくはこちらから』


 自分と同じく列になっていた人々は、柱に刻まれた矢印に従いながら散り散りに別れた。声をかけようとして、驚愕する。誰一人笑顔や、落ち着いた表情を浮かべている者が居ない。ほどんど全員ボロ布に身を包んだ彼らは、絶望を貼り付けた人形のようなぎこちない足取りで、ただただ歩き去っていく。

 ここはろくでもない場所なのではないか。脳裏に嫌な想像が過ぎる、その一瞬後。ゴンッと、背中に勢い良く何かが衝突した。前のめりにふらついた体を戻し、後ろを振り向くと、そこには大量の荷物を詰め込んだ手押し車があった。ちょっと、と言葉を挟んで、赤い髪をした女性が詰め寄ってくる。


「そんな所で立ち止まってんじゃないわよ。あんた何処宛の奴隷? さっさと行きなさい、ほら」


 言っていることの意味が十分に理解出来ないまま、両肩を勢い良く掴まれ、強制的に回れ右。……した所で何処に行ったものかさっぱり分からないのでもう一度振り向くと、今度は思いっきり張り手を食らった。


「行けって言ってるの」

「いや、あの……話を聞いてくれないか」

「嫌よ」

「えぇ……」


 さっきの人々や、いま奴隷と呼ばれたことなど、不安ばかりだ。どうにかして、自分が置かれている状況を把握したい。何度も頭を下げ、無視して荷車に手を伸ばす彼女の前に両手を合わせて立ちふさがり、そこから一悶着あった末、何とか思う会話にこぎ着けた。記憶がなくて、ここが何処で、自分が誰か分からない。伝えると、凄まじく面倒なものを見る目を浴びた。どうせいいとこの坊ちゃんでしょ、きったない服着てるけど――と青い衣裳に残った一線の血の痕を指差して、女性は説明する。


「ここは日本。私みたいな『能力者のうりょくしゃ』の自治地区で、あんたら『権力者けんりょくしゃ』の流刑地。……で、他に聞きたいことはあるかしら、残念犯罪者さん?」

「犯罪者?」

「そうよ。奴隷の左手には『刑印けいいん』が……あれ? ないわね」


 言って、彼女の口が止まった。

 彼女自身と、こちらの手を見比べて、固まっている。


「どうしたんだ」

「管理局がやらかしたかもしれないってこと。服もボロ布じゃないし。そこ動くんじゃないわよ、問い合わせてくるから」


 言うだけ言って雑踏のなかに姿を消した女性は、それほど時間もかかることなく、目立つ長い赤髪を揺らして帰ってきた。まさしく不機嫌という表情で迫ると、身をひるがえしてドスンと手押し車に腰を下ろした。

 空間の端も端。そのまま雑に命じられるままに足を動かし、彼女と荷物を『周防分区すおうぶんく』と文字の掘られた大穴の前に運び終える。凹凸のある茶色の床に苦労しながら、目的地――各分区行のトロッコ路線――まで辿り着く間、彼女との間に少しの会話があった。


「という訳で、おめでとう。私は、周防分区長のメーゼよ。これからよろしく」

「あの……何がどうおめでとうで、何がどうよろしく?」

「あんたが、罪人としてここに送られたわけじゃないことが分かった。これが、おめでとう」


 メーゼと名乗った女性は手押し車から降り、荷物をトロッコに積み替え始める。中央に付属した大きな格納庫の蓋を片手で開け、もう片手で掴んだ重そうな木箱を放り込んでいく。


「で、よろしくっていうのは、まあ……あんたをうちの分区で預かることになったから、そういうことで」


 何の意思表示の機会もなく処遇が決まってしまった。困惑の眼差しを向けると、メーゼは、こっちも面倒なんだから我慢して、と荷物を指差した。ついでにこれも手伝えと言いたいらしい。何も分からないまま不興を買わない方がいい。列車内の争い痕のことを黙ったまま思ったよりずっと重い荷物を持ち上げた瞬間、しかたないでしょ、と補足の言葉が飛んでくる。


「所在不明者は周防分区で引き取って、列車の次の便を待って送り返すって決まってるの」

「次の便はいつ?」

「……二ヶ月後」


 露骨に吐き捨てたメーゼと、思わず出てしまった自分。二人分のため息を乗せて、トロッコの車輪が回り始める。ギイィという嫌な音に合わせて、一定間隔で赤色光の点滅する壁面が置き去りにされていく。どうやら、下りが長く続くらしい。加速が十分ついた所で、彼女は舵をこちらに任せ、トロッコの先頭に立った。


「で、あんた何て呼べばいいの?」

「え」

「名前よ、名前。甲とか乙とか冤罪太郎えんざいたろうとか呼んで欲しくないでしょ」

「ああ……」


 名前。そうだ、確かに困る。身に覚えのない罪を晴らしただけで、良く考えれば現状何にも進歩していない。そもそも、自分が何者であるのか、未だ見当もつかない。


「候補ないの? なら私が決めてあげる。青服野郎だから、ブレ・ベスト。頭を取って、ブレでどうよ」


 くぐもった声で、提案が前から飛んできた。見ると、メーゼは何処からか取り出した分厚い灰色のゴーグルとマスクをつけていた。右手には短い木の棒を握っており、赤色光の明滅と相まって、その姿は不気味に映し出される。


「そろそろ結界を抜けるわ。色々慌ただしくなるから覚悟しておきなさいよ、ブレ」

「待て、説明し――」


 抗議は、謎の格好の彼女には届かなかった。唐突に、溢れんばかりの砂塵が視界を覆い、世界を漆黒に染め上げた。ガリガリと砂を噛んで動きの遅いトロッコで進むことしばらく。すうっと、複数の白い光が現れる。流れ星のように線を描いて四方を駆け回るそれらの内、一つが光量を増してこちらに近付いてきた。思わず目を細めると、さらにもう一つ、とんでもない発光を伴った爆発が至近距離に起こる。


 刹那、周囲の砂塵が吹き消え、視界が戻った。

 思わず、息が止まる。


 暗転し、再び小さな明かりが遠くを駆ける。鳥肌が立ち、たったいま網膜もうまくに焼き付いた映像が頭を巡る。 眼前のメーゼ。その右手には、振り下ろされた炎の剣。宙を舞う液体と、剥離した鱗片。逃げるように砂塵に消えていく身の丈ほどの尾ひれ。

 数を増しながら全天にうごめく星の群れは、ひれと、鱗を持つ、巨大な魚の化け物だ。急な立ちくらみにあって、倒れないようレバーにかけた両手に力を込める。深く息を吐き、目を瞑って首を振る。不思議と、呼吸が整うのは早かった。心拍も落ち着いて来たのを感じながら、ゆっくりと目を開く。


 もう一度、息が止まる。

 まるでスローモーションだった。


 見える限りの光の群れ。それら全てが、数百の弧を描きながら方向を変え、猛烈な速度でこちらに迫ってくる。加えて、その内一際大きなものが前方を横切り、重い破壊音が響いた。トロッコが跳ね上がり、格納庫のなかの荷物たちがガタガタと揺れる。路線が砕かれた。浮遊感と共に、絶望という言葉が頭を満たす。間もなく、全方位の砂面を輝きが覆う。しかし――。


「掴まってなさい」

 真下から、声がする。


 冷気が頬を撫でたのと同時、周囲の空間がまとめて崩れ落ちるような激震が走った。とんでもない重力が体を襲い、トロッコの床に叩き付けられる。振り落とされまいとレバーを全身で抱きかかえること少し経って、先程までとは違う、淡い光がまぶたに差し込んでくる。薄く開けた目に、凄まじい景色が広がった。


 眼下、見渡す限り、何処までも荒涼とした砂の海から、高さ数千メートルの巨木が立ち上り、濃紺の空に枝葉を広げている。


「あれは中央デイツ。渡弾列車の終着駅で、茎下間歩群の基部。あんたが来て、通った所ね」


 樹から少し離れた場所から爆発的に吹き上がった砂跡が、放物線を描いてここまで続いている。自分たちが乗ったトロッコが、空を駆けている。


「よし、そろそろ着くわよ」


 メーゼが飛び上がってきた。袖もない薄着から覗く彼女の褐色の肌には、びっしりと砂がこびりついている。

 視界が揺れる。放物線に従って緩やかに降下していったトロッコが、砂漠のなかに再突入する。遥か後方に幾つかの光点が見えたが、追いすがって来るものはない。安堵の声もつかの間、周囲の灰色が音を立てて引いた。


 砂を防ぐ結界。駅にあったのと同じものだ。皮膚感覚でそう悟った直後、体が、トロッコごと空中に投げ出された。滑らかな機械質の床面から立ち上る、半径五〇メートル、高さ一〇〇メートルほどの円柱状の空白。突入したその真ん中で、自由落下が――始まらなかった。


常権じょうけん、権限三、吊枷つりがせ、行使」


 トロッコと自分の身体がゆっくりと降りていき、銀の床に接触する寸前で止まる。自分の横には、いつの間にか目を細めた青年が立っている。白地に赤で周防分区と刻まれたシャツを仏頂面で着た彼は、自己阻却じこそきゃくと、小さく口を動かした。

 宙吊りから解放されて、とすんと仰向けに転がる。肩を鳴らした青年は、下ろしたものには全く注意を向けず、続ける。


「一度でいいから地に足着けて帰ってきてくれない」

「私から自由を取ったら何にもなくなっちゃうから」


 返答は彼の遙か頭上からあった。ゴーグルとマスクを外したメーゼが、青白い光を纏って浮いていた。彼女は光量を徐々に絞りながら彼の前に着地する。


「何か、異常は?」

「掃除をしていたら送付期限スレスレの調査書類が二枚見つかったけど」

「え、嘘。……ブレ、荷物はまとめて建物のなかへ。あとかこい、あんたはこっち手伝って」

「仕方ないな」


 慌てた様子の彼女に、呆れ顔の青年が追従する。結界の中心にある小屋に消える彼らを横目に、一人になった。大きく息を吐いて、吹き荒れる砂塵が奥に満ちた結界の天井を見上げる。

 常権、権限二、伝奏でんそう、行使。全くこちらを見ずに無音で歩き出した青年の声――事情は知らないが、権力者にとって周防分区は日本で最も危険なところだ、せいぜい死なないように気を張りなよ――が頭に響いて止まなかった。


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