第3話 黒い景色の夢見人

  ブラック企業という言葉が出来て随分経った。尚もその言葉は現実として残り、理不尽な鎌を振り続けている。


「席についてー。日直、黒板消してないよ?

...ったく、また僕が消すのか。」


その中で最も黒く環境が悪いとされる職業は、学校の教師だとされている。


「あれ、先生きてたんスか?」


「影薄くてわかんねぇっての!」

指をさして笑い上げる生徒達。怒鳴れば更に馬鹿にされ、手を上げればクビになる。


「..先生、気にしないで下さい。」


「有難う...」

(慰めるなら黒板消しといてくれよ..。)

たまに優しい言葉を掛けてくれる生徒もいるが、保身の為だ。成績の減少を防ぎたいだけ、ただそれだけの気遣いだ。


「教科書開いて、全開の続きからやるぞ」

 日渡 由寿ひわたり ゆずる26歳

学園ドラマに憧れて教師になったが、実際に待っていたのはストレスと絶望の日々。


「先生〜教科書忘れました〜」


「隣のひとに見せて貰って。」


「隣の人も忘れました〜ギャハハ!」


「……後ろの人見せてやってくれ..。」

生徒を可愛いと思った事は、一度も無い。


(全員受験なんて落ちちまえっ...!!)


「...フン?」



易殿名えきどな高等学校

街にある最も大きな教育機関で多くの生徒が通うマンモス校。故に校内での問題も多く、出来事も通常より活発に生じる。


「と、いう訳で頼むわね。

今日一日はこの学校中のラクガキを消して貰うわよ、いいわね?」


「なんでお前が指示をしてんだ?

いつから社長になってんだよお前は!」


「昨日からよ。」

思い付きで仕事を合併したが、ビルはレイサの持ち物であり売り上げも格段に上。そうなれば必然的に個人業者であったコレオンは一社員に成り下がり雇われる立場に、力の差をまんまと見せつけられた訳だ。


「いいからそこの壁の絵消しちゃいなさい。終わったら中もね、忙しいわよずっと」


「お前はその間何するんだよ?」


「偵察..かな。」「はぁ?」

要は暇つぶしな訳だが、また物騒なモノを撒き散らしたわけが現れるかもしれない。それに備えるという意味合いもある。


「昨日の〝アレ〟ちゃんと持ってる?」


「デッキブラシか、持ってるよ。」

壁に立て掛けた大きなブラシを指差し見せる


「違うわ、DeCkY《デッキィ》よ」


「適当な名前付けるなよ」


「本当よ、しっかりロゴが刻まれてるわ」


「……。」

デッキブラシの持ち手を掴み、じっと見る。すると真ん中に小さく〝DeCkY〟の文字が。


「..ホントだ、書いてある。」「でしょ?」

若干の悔しさを胸に抱えながら、普通の小さなブラシを握り落書きを消しに戻る。


「...デッキィ。」


「....うるせぇ。」



職員室


 「日渡先生!

アナタの受け持つクラスの授業がうるさ過ぎます、何度も言ってますよね?」


「すみません..。」


「本当にわかっています?

いつになったら改まるんですかね!」


「……。」

新人の教師に他の教師の注目を浴びながら説教される、感覚が麻痺する程幾度もされてきた仕打ちだ。周りの目も冷ややかに刺さる、卑下するように視線が貫く。


(お前にいい顔してるだけなんだよ!)

新人の小町 楓は謂わば美人教師であり生徒からは人気が高く評判が良い。彼女が生徒に一言〝静かに〟というと、直ぐに教室は話し声を止める。しかし実際は彼女の受け持つクラスは軒並み成績が悪く授業も決してスムーズとはいえない。


(前任者からアンタに変わった途端に受け持つクラスの成績が落ち始めたんだ。かといって俺はそれを諭した事は一回も無いし、ましてや悪口なんて面と向かって言った事絶対に無いよな?)

己の授業は棚に上げ、こちらの悪い要素をずけずけと指摘する。なんという面の皮の厚さ。


「まったく、後輩として恥ずかしいです!」


「……そうかよ。」「え?」

職員室に味方はいない、説教される様を皆が白い目で流し見る。随分前から慣れたつもりでいたがまだ、抵抗する気力が残っていたようだ。死に際の空振りの拳でも、振らないよりは余程マシだと思いたい。そんな事を考えつつ、項垂れながら外へ歩いた。


「..屋上でメシでも食おう...。」

青空を見上げて腹を満たせば、少しは気が晴れるかもしれない。下向きの感情とは裏腹に、脚は上へと向いていた。階段を登り今より向こう、更に外へと進んでいきたい。


「羽でも生えてれば、自由なのかな..?」

最後の階段を登り屋上へ続く扉を開く。爽やかな風が吹き、青空が大きく広がっている。


「...これの何が楽しいんだ?」

幸いにも生徒はいない、しかし安らぎも自由も感じない。外へ出ても教師は教師、結局は何も変わらない。


「..羽が欲しいなぁ。」

コンビニで買った弁当は、強い屋上の風に当たって冷めていた。買ったものすら白い目で彼の事を卑下するのだ、悲惨は連鎖する。


「もういっそこのまま...」


「自由がホシイ?」「......え?」


背後に掛かる、黒く大きな影。


「うわぁぁっ!!

な、なんだお前...どっから出てきた!?」


「ボクの名前はドガ、人に夢を与えるモノ!

サァ、君にも夢をアゲヨウか?」

白塗りに民族メイクを施した表情の窺えない顔立ちに異常な脚の長さの長身、青いタキシードにシルクハット....エンターテイナーというよりは胡散臭い占い師のような出立ちだ。


「現実はツライヨネ?

カナシイし痛いシ嫌な事バカり、チガう?」


「……」


「チガう? ネェチガう?」

おかしな格好で煽るように言う彼の言葉は、何故か深部に突き刺さる重みがあった。言葉や振る舞い自体は随分軽い筈なのだが惹きつけられる魔力、大きく揺さぶられる強い誘惑に心ががっしりと捕らえられた。


「..その通りだ。

生徒は生意気で、教師は皆卑怯で最低。夢見た先生という職業がこうも汚れていたなんて..もう一度夢が持てるなら、持ってみたいよ。」


「イイよイイよ、見せタゲる。

そシテ叶えタゲる。そシタラまた一カラ作りアゲチャエば?」


「自分の手で学校を作る?

...いいな、それ。最高の夢だっ!!」


「ジャあイッテらっシャい」

ドガが指を弾くとカラフルな球が漂いはじめる。暫く宙を蠢いた後、日渡の頭上で音を立てて弾けた。日渡には大量のインクが降り注ぎ、全身を包まれた日渡は派手な装いへと姿を変えた。


「フハハハハハッ! 俺の学校を創るぞっ!」

怪しげな仮面に色彩豊かな一張羅。

教師というよりは、まるで〝そちら側〟の装いに見えてしまう。


「楽シい夢を、見れタライイね...」

手を降り日渡を見送ると、指を鳴らして何処かへ消えた。


「ハァッー!!! アアッ!!」

インクの波が身体から溢れ、校庭を含む学校内を包み込む。これでキャンパスは確保した


「何から始めようか?

...先ずは邪魔な教師を描き変えるとするか」

上がった階段を再び下がりあの場所へ。

理不尽は切り捨て夢と希望を与えに向かう



「……なんだコレは?」


「外が膜に包まれてる、出たのね...。」

異様な光景は二度目でも見慣れず、目を丸くしてしまう。ここに現れると明確に睨んでいた訳では無いのだが、レイサの散歩は意味ある

ものになってしまった。


「直ぐに連絡を..」

端末を取り出し電話を掛ける

相手は勿論雇ったあの男。


『もしもし?』


「なんだよ」


『外、見てる?』


「そりゃ見るだろ、いちいち掛けてくんなよ」

外壁の落書きを消しているのだ、当然目に入ってくる。煩わしいのは目だけで無く耳もだ、張られた膜の向こう側で騒がしく何かの声わ音がする。駅前のように〝気にしない〟というタフな振る舞いをする人間は少ない。


「騒動が起きてるな、警察も来てる。微かにサイレンの音がしてるぞ」


『サイレンって消防車じゃないの?

..ってそんな事どうだっていいのよ、今からどうするべきかわかってるわよね』


「わかってるよ、やる事変わんねぇんだから」

立て掛けたデッキブラシを握り締め、校内へ


「中で落ち合うぞ、待ち合わせ場所は?」


『...そうね、図書室なんてどうかしら。』

会う前に落書きに汚されなければいいのだが..


 職員室

 マウントパワハラモラハラと、ハラスメントの宝庫であるこの空間も今や夢を描く素敵な画用紙と成り果てた。


「日渡くん! 何のつもりだ!?」


「日渡? 誰の名前を口にしている?

私の名前はアブソリュート、夢と希望を与えるドリーム学園の校長だ。そしてお前達はこの学校の教師、私の部下だろう」

夢の創設者アブソリュートの教訓

良い学校を作るには、良き指導者がいる。


「描き変えてやる、お前達を。

希望の無い教師は必要ないからな」

インクを波のように扱い掌で操作する。


「先生、やめてくださいっ!」

声を上げる女教師、やはり己が好きらしい。


「小町楓か、醜い女だ。

おのれの授業の不出来を蔑ろにし、周囲を下げる事でしか均一を保てない。」


「...何が言いたいんですか、私が不出来?

そんな事ありません、生徒の皆は私の授業を楽しんで聞いてくれています。憶測で適当な事を言わないで下さい!」


「そーだそーだ!」「屁理屈男め!」


「日渡くん、失礼じゃないか!

自分の実力を棚に上げて何て言い分だっ!」

泣きマネをする無能に寄り添うこれまた無能、腐り果てた教卓を作っているのは間違い無くこの連中だ。


「..やはり描き変える必要があるな。」

ジェル状のインクが教師達を呑み込むように包む。職員室に、幾つものインクの卵が産み落とされた。後は孵化を待つのみだ。


「...最後まで愚かだったな、次は生徒だ」

夢を壊すのはいつでも大人。まるでそれが役割かのように煌めく瞳を潰しにかかる。それを鵜呑みにした子供はやがて夢を失い絶望し、心を傾けていく。


「ヒトの芽を摘む奴は消えろ、一人残らずな」

アブソリュートは夢を見る子供の味方だ。


 易殿名高校前


 彩の繭に包まれた学校を疑問視し、周囲の住人がごった返し眺めている。いつも見ている学校がインクに塊になっているのだ、常人ならば不思議に思うのが自然である。


「...あ来た、警官さん! こっちです!」

パトカーで駆けつけた警察官が、目の前の異様な光景を見て眉をひそめている。


「なんだ..コリャア...⁉︎」

騒ぎ立てる人々、中には歓喜する者まで。普段見られない景色に気分を昂らせているのだろうか。


「穏やかじゃないな、とにかく本部に..」


「マッタク、随分派手ニヤッテクレマシタネ」


「..なんだアンタ、誰の仕業か知ってんのか」

警察に問われたところで答える訳無し

ただこの〝やり方〟に酷く腹が立っていた。


「コチラノ労力ヲ考エテ欲シイモノデスネ..」

小柄なピエロ風のメイクの男が人々の先頭へ立ち両手を大きく広げる。


「なんだ?」「誰だ、あの白塗り。」

見覚えの無い小柄な男が、インクの繭の前に立ち注意を強く集中させた。


「サァ始マリマシタ、スペシャルマジック!

ワタシガ素敵ナマジックヲゴ覧ニイレマス。」


「は、マジック?」「急になんだよ?」


「マァ見テイテクダサイナッ!」

ステッキを取り出し、横に構える。ステッキの先端と先端を掌にあてがい、そのまま合掌の要領で手を合わせる。中心にあったステッキは消え、合わさった掌だけが残った。


「杖が消えた!」「スゲー、何処いった⁉︎」


「サァテ、ドコデショウ?」

合わせた掌を弾くように開いて見せると、一気に観客に大量のインクが降り注ぐ。


「……」


「サァショーは終ワリデス!

皆サン、カエッタカエッタッ!」

何も言わず、虚な目で退散していく人々。おかしな出来事は無かった事に、いつもの日常に心も体も引き戻される。


「..サテ、記憶ハ上手ク消エママシタ。

外観モシッカリ描イテオキマショウ」

次なるじゃじゃ馬を呼ばないように、似せた学校の風景画で景色に蓋をする。


「ヨット..」

蓋をした後は自ら校内へ入り込み、様子を伺う。観察すれば、違いは直ぐにわかった。


「ドガさんデスカ..。

ナンドモ言ッタデショウ?

目立タナイヨウニ行動ヲシテクダサイト。

...少シ文句ヲ言ッテキマショウカネ。」

そう簡単に夢は見させない、説教も兼ねた様子見に知り合いへ見に行く。


学校内•教室


「よっと..これで最後かな?」

職員室同様クラスの生徒も繭に包まれ、新たな進化への過程を体現する。校内は既にアブソリュートの創る新たな支配下に成り果てた


「一応生徒の数を確認しておくか。

取りこぼしは厳禁だからな、名簿を見せろ」

教卓の上の生徒名簿を開いて席に実った繭の数を当てはめていく。


「何人か欠席がいるなぁ..。」

随分手を焼いたクラスの主犯格、阻害の元凶達が軒並み欠席している。


「安達健吾、宮舘晴臣、高岡壮士...」


「やっぱりテメェかよ!」

背後から箒で頭を狙う青年が一人、主犯のリーダー安達健吾だ。


「おかしな面で隠してやがるから気が付かなかったぜ...お前日渡だろ?」

名簿に目を向けたまま腕のみで一撃でを防ぐアブソリュートこと元日渡は始めから気付いてた、彼等が息を潜め狙っている事を。


「どこから湧いて出た?

..そのまま隠れていれば良かったものを」


「好きにさせるかモブ教師がよ!」


「そうか?

お前の友は既に脇役に成り下がったがな」

健吾の背後で二つの繭が形成される。


「健吾ぉ..」「助けて..」


「晴臣! 壮士!

...てめぇ、ふざけてんじゃねぇぞっ!」


「黙れ小蝿め、お前も描き変われ。」

教室に並ぶ机の中の教科書から、落書きが実体化する。殆どは歴史の肖像画ばかりだ、やはり偉人は弄られやすい。


「なんだコイツら!?」


「行けケンタウロス家康、ハーレー信長。」

下半身を馬にされた徳川家康とバイクに乗った織田信長が健吾に迫る。慌てて箒を振り回すと、落書きの一部が落とされ動きが鈍る。元はペンで描かれたただの線、耐久性は無いに等しいただの絵だ。


「へへ、なんだよ脅かしやがって。

めちゃめちゃ弱いじゃねぇか、見かけ倒しが」


「湯たんぽし過ぎだ、自惚れめ」


『……』

背後に仁王立ちする筋骨ザビエル、太くしっかりしたペンで描かれた身体は恐ろしく硬い


『開国っ!』 「くっ、離せ!」


「そのまましっかり掴んでおけよ?

..余り暴れられると包みにくいからな。」

掌にインクの波を生み出し、太い腕に掴まれる健吾に放り投げる。


「くっ..あっ...なんだこれ..!」


「お前は生まれ変わるのだ〝良い子〟にな。」


「..くそったれ、なって...たまる..か....」

最後まで反抗的な態度を取り続けた彼の振る舞いはやはり元凶そのものだった。これで校内総ての生徒の保管に成功した。あとは生まれ変わるのを待つのみ、そうすれば理想の学校が出来上がる。日渡由寿は本当の夢、真校長アブソリュートへと進化する事が出来る。


「歴史的な瞬間をどこで垣間見ようか。

..良く声の通る場所がいいな、世界改変の瞬間を高らかに宣言できる大きな場所だ」

世界の始まりを、大々的に閲覧する。校長とは学校における神なのだ。


「先ずは木が熟すのを待とう..」

自ら決めた会場にモニターを描き、そこから新たな景色を眺める。


「もう一度校内を確認しておくか..。」

耳に手を当て情報を探る。校内の至る箇所にインクを少量付着させておいた。発信源としたインクから、音や映像を拾う事で中の様子を伺う事が出来る。


「...これは、生徒では無いな。

..ネズミが二匹程侵入している、いや三匹か?」

要らぬ業者が隙間に入り、何やらチョロチョロと動き回っている。


「..軽く掃除をしておくか。」

各箇所のインクから、ラクガキ兵を出現させる。これでネズミは愚か、見えない箇所に潜んでいるかもしれない生徒達も根絶出来る。


「ゴミが綺麗に片付く間、眠りにでもつくとするか。待機場所は...あそこだな。」

選ばれし間へと、静かに足を動かし始める。


2階廊下

 大きなデッキブラシを携えた落書き業者は事の元凶であろう目立つ存在を探していた。


「..様子がヘンだな、まぁ当たり前だが。

幾つか教室の中を覗いたが、生徒のいる気配は無ぇ。」

教室の扉は固く閉ざされ、小さな小窓から中が見える程度だったが、そこから見えたのは確実に生徒では無い何か。大きなインクの塊に包まれた幾つもの卵のように見えた。


「何なんだアリャ。

机にこびり付いてるって事は生徒なのか?」


『妹子、お前妹子か?』『良い曲書かせろ!』


「...ん、なんだ?」

壁から突然現れるおかしな風体の知った顔。

教科書の落書きもこうして動くとアートに見えなくもない、不思議なものだ。


「太子にシューベルトか?

随分な出立ちに仕上げられたもんだな。」

探索よりも先ずは本業に勤しむべきらしい、次々と廊下に動く落書きが溢れ返っている。


「取り敢えずは図書室を目指すか、コイツら消しながらじゃあ大した情報は得らねぇだろうが仕方ねぇ。アイツの見識に頼るぜ!」

面倒事は人任せ、所詮雇われの身だ。


『良い曲書かせろ!』「うるせぇっ!」



 三階 美術室

 おかしな彫刻や意味のわからない難しい絵は、最早模様の一種、これがこの場所を表現するインテリアとなっている。


「ふぅ..何よココ、変な匂いする。

思い付きでやるべきじゃないわね、こんな事」

好奇心で天井裏に隠れてみたが得るものは無し、板をパネルのように一枚外し上から美術室の中を見ている。


「思ったより楽しくないわね、天井板が外れたところまではワクワクしたんだけど。誰もいないんじゃ顔だけ出しても何も聞けないじゃないのよ、なんか秘密の話とかしなさいよ」


誰もいない部屋に呼びかける

当然返答は無い。今のところ情報は皆無、コレオンと別れてからずっと天井を伝ってきたのだ、誰かと出会う筈も無い。


「マズいわね..これは早いとこ図書室に向かってアイツの情報頼りにしないと...」


『ガチャ』「..ん?」

扉が開く音、しかし部屋の入り口は引き戸でありしっかりと閉まっている。音がしたのは壁の方。天井から目を凝らして良く観察すると、模様のような絵が壁に張り付いているのが見える。


「あのマーク、まさか...」

ペインターが行き来する紋様、鳥のような四つの翼に実のなった幾つもの木の枝。それが何を意味するかはわからないが、駅の壁に描かれていたものより線がしっかりと描かれているように見える。


「前は雑過ぎて判断が遅れたけど、やっぱり間違いない。この学校にもペインターがいる」

一度姿を見たペインター、派手な風貌を忘れる訳も無い。姿を現せばすぐに分かる、紫の服に道化師のようなメイク。


「出てこいちびピエロ、顔に思いっきり洗剤吹きかけてやるわ!」

あの紋様が入り口ならば、既に部屋の中にはいる筈だ。何らかの力で姿を消しているか、見えない箇所に点在しているか。


「何処にいる?」


「フーン、面白い部屋だネ!」


「...声がする、近くにいるわ。」

息を潜め天井にて目を凝らす、暫く部屋を見つめていると、奇怪な影が部屋を散策し始めた。


「コレは...アートだネ!

知っテル知っテル、面白いヨネ!」


「前と違う...あんなヤツじゃない。」

不出来な石膏の彫刻を眺めてるいるのは以前と違う見知らぬ人物。脚が非常に長くかなりの長身、上下しっかりとしたスーツを見に纏い、やはり顔には白塗りのメイク。しかし少し模様が違う、ピエロというよりは民族風だ。


「顔でか...どこからが首なの?

まるでお面だわ、土産屋で見た事あるもの。」


「...ハぁ、退屈ダナぁ..。夢を叶エてヤッタわイイけドその後スる事いつもナイ。」

机の上に座り込み、長く持て余した脚を無駄に揺らしたまま項垂れ愚痴を言っている。


「..なんか暇そうね、夢を叶えた?

やっぽりアイツが元凶か。だとしたら今回の敵はアイツってワケね」

異様な姿をした人間だが、頭は余り良く無さそうだ。隙を付いて攻撃するか、縛り上げて交渉するか、手は幾つも考えられる。


「真上からの奇襲..燃えるわね。」


「ソレにシても、何に使ウんダ?

盗ってキタわいいケドこんナ玉っコロ、遊び道具にモならナイと思うケドネ。」

手元でコロコロと遊ばれる赤い玉、綺麗な色で光に照らされ下の床が透けて見える。


「...あの玉、何処かで見た事あるような..。」

宝石に近いが高価には見えない。

但し〝貴重な物〟であるという事はわかる。


「マぁイイか、大事にシマっとコ!」

口をあんぐりと開け、つまんだ玉に舌を這わせて喉へ導く。


「何をシテイルンデス?」

下品な保存を呼び止める声、聞き覚えのある声は直ぐに見かけた風貌を露わにする。


「あ、あいつ!」


「アナタ少し自由スギマス、ドガサン。」


「ナンだ、パブロ?

ドうシたのイキナり?」

駅前で見た小柄なピエロ、脚長仮面とは知り合いのようだが仲は余り良く無さそうだ。


「ソレ、ドウスルオツモリデス?

アナタニハ必要ナイモノダト思うノデスガ。」


「アルよアルアルアル。

陛下の欲しいモノはボクも欲しいモノ!」


「...陛下?」

何かに従っているのか、その為に玉を集めている。ペインターは何かに支配されている?


「オヤ、思ってイタヨリ素直ナノデスネ。

...ソンナコトヨリ目に余ルノデスヨ。」


「アら、ナーに?」

耳に大きく手をあてがい舌を出して聞き返す。小さなピエロの沸点に更に熱を加えるような挑発的な態度に白い顔も赤くなる。


「アナタ、個人的にウゴク刻は形跡を消シテカラコウドウシロト言った筈デス。マッタク、ヒトニ夢をミセルノハ勝手デスガ..」


「ソンな事よりサ..アレって、ナニカな?」

パブロを見つめていた視線を首ごと上に向け、筒抜けの天井から覗くレイサの顔を見る。


「ひっ..!」「ミぃツけタ。」

不敵な笑みと共に向けられた眼は獣のように光を放っていた。


「..フンッ!」「あっ!」

空いた穴にインクで蓋をされ眼の光が消えた


「ナニしテんノ?」


「ソレハコチラノセリフデス。

マダ話がオワッティマセンデシタノデ..。」


「ヘぇ、ソレ面白いハナし?」

校内は更に汚れを被る事になりそうだ。


「らあっ!」『開国..』

次から次へと湧いて出る落書きに手を焼きつつ図書室を目指す。脚よりも圧倒的に手の稼働が多く、中々先へ進めない。


「はぁ、疲れちまった..重過ぎるぞこれ。

一旦何処かに隠れて様子を見るか」

デッキブラシを適当にふり距離を取った後、目についた部屋に入り鍵を掛ける。落書きたちは暫く扉を叩いていたが、やがて何処かへ消えていった。


「...ふぅ、取り敢えず一段落か。」


「ひ、ひぃっ!」「なんだ?」

入った部屋は倉庫のような小さな部屋で、中には一人の男がいた。男はこちらを見ては身を退き怯えながら震えている。


「大丈夫だ、落書きじゃねぇよ。」


「な、なら何者だぁっ!?」


「ただの業者だよ、落書き消しの清掃員だ」


「清掃..員?」

男は安堵するように胸を撫で下ろし深い息を吐いた。危険な目に遭いここに逃げて来たのだろうか?


「そうでしたか、同業者..。」


「アンタも業者なのか?」


「私は用務員です、この学校の。

校内で仕事をしていたら、突然こんな事に..」


「そうだったのか。

..面倒な事起こしやがって、落書き屋が」

消す側はいつも迷惑を被る。作業量に比べて報酬や仕返しが余りにも少ない、横暴な話だ。


「私、見てしまったんです。

学校をこんな風にしたのは、日渡先生」


「日渡?」


「数学教師です。

おかしな仮面を被り、他の教員を繭のようなもので包んでいました。」


「あれか、教室の卵みてぇなやつ。」


「..全員を繭に閉じ込めた後言っていました。

〝私が学校を創り変える〟と」


「学校を創り変える?」

神にも似た思想、規模はあくまでも青春の城。


「大人しく控えめな方の印象でしたが、あんな野望を抱えていたなんて...恐ろしいです」


「人なんて何考えてるかわからんからな。」


「はい、そうですね..」

JPのときと同じ、心に強い形のある者に後から力を与えている。今回の形は夢、果てしなく大きい無限の拡がりを見せるもの。


「用務員さん、その日渡って男が今何処にいるかってわかるか?」


「..さぁ?

分かりませんが、確か〝良く声の通る場所〟に行くと言っていた気がします。」


「良く声の通る場所...成る程な。

神気取りの奴ならあそこだろうな」

心当たりは直ぐに見つかった、歌をうたう場所では無く大きな声を出すところ。そこで奴は待ち構えている、己の世界の改編を。


「先ずは図書室だ。

レイサと合流して情報を分ける」


「外に出るのですか?

ならば裏の入り口を開けましょう」

入ってきたところとは異なる反対側の扉を開けて、道をつくる。


「有難う、アンタは暫くここにいてくれ。

..多分次出る頃には普通に戻ってる」

用務員に言葉を残し、部屋を出た。もう部屋には戻れない、その為の宣言であり覚悟の言葉を紡いだつもりだ。


「.,.フフ、お気をつけて。」

用務員は再びしっかりと扉に鍵を掛けた。



易殿名高校•体育館

 目立つ玉座に鎮座し、大きなモニターを見つめる一人の男。新たな学校せかいの王と成り得た者である。


「フフフフフ..もう直ぐ、あとほんの一時で世界は変わる。長年の夢は現実となるのだ‼︎」

高らかと笑う顔にかつての面影は無い。

本音を晒し、搾取されない新たな視野が彼の存在を大きく変えたのだ。


「フフフ、ハハハハ..アハハハハッ!!」

体育館がドス黒いインクに包まれる。


美術室


 「何をスるツモりナンダっ!」


「決マッテルデショウ?

〝お仕置き〟デスヨ。」

 ドガを石膏に紐で括り付け自由を奪いながら不敵な笑みを浮かべる。勝手な雑行動、お眼鏡のモノを盗られた恨み、ピエロの顔で分かりにくいが相当にご立腹だ。


「コレハ、イタダイテイキマス。」


「あ、カエせ泥棒!」

赤い玉を手元でチラつかせながら、煽るように見せつける。


「アナタニハ必要ナイモノデショウ?

アッテモ無くテモ変ワリマセンヨ。」

怒るドガを他所に赤い玉を懐に仕舞い、冷めた口調で言ってのける。


「夢を叶エテアゲル...デスカ。

夢ハ叶えるモノデハナクテ眠りナガラ見ルモノデス、我々は神デハナイノデスヨ?」


「……」


「オヤ、ダンマリデスカ。悲シイデスネ」

下を向き無視を決め込むドガに少しだけ胸を痛め落ち込むも、顔の表情は動かない。



 「……ナンノオツモリデス?」

悲しんだと思えば鋭い声で問いただす、彼に情緒など存在しない。


「静かガにがテ?」


「..イエ、イツモ騒がシイアナタガ黙っテイルノガ不自然デシテ。」


『開国!』『最終定理!』『左手の法則!』

突如鼓膜が忙しい、しかしドガの声では無い。


「..モウ一度オキキシマス。

コレハ、ナンノオツモリデス?」


「分かラナいか? お前を殺すンダ!

人の夢をコワス奴は死ンでイイんダヨッ!!」

ザビエル、フェルマー、全員が描き足された剣を握りパブロに突き立てている。皮肉なものだ、歴史に名を馳せた時代を創りし者達が人を殺めるとは。


「ナルホド、チカラ尽くデスカ!」


「ついデに玉も返シテもらウ。」

得たものは取らせない。夢からモノに至るまで全て、自分のモノは譲らない。


「フゥ、舐メラレタモノデスネェ。

..たかが落書き風情が調子に乗るなよ?」

表情の無かった眼は酷く血走っていた。



校内では様々な色が飛び交っている。

それと同時に、見えない場所では更に豊富な色が塗られている。絵というものは皆同じ、落書きでもアートでも筆さえあれば何処にでも描く事が出来る。


「欲望を写す鏡、それが絵だ」


『何、まぁたソレ?

暇さえあれば言ってるわよねその言葉!』

暗い部屋、光るモニター越しに聞こえる高い女の声。それを聞く椅子に座った背の高い男


「..順調か?」


『ん〜まぁね、玉は園長が持ってた。

そっちの状況はどう?』


「安心しろ、静かに眠っておられる。」


『...そ、ならいいけど。直ぐに持って帰るわね、こんなとこ長居しても臭い獣しかいないし。お風呂沸かしといて』

帰ることを伝えると、一方的に通信を切った。

モニターの光が消えると部屋は漆黒となり、男の影すらも闇に隠された。


「……もうすぐです、モーナス様。」

暗闇に信言が映える。



 藏衣須くらいす動物園

 街に点在する大きな動物園で、多種豊富な動物を扱っている施設。特に肉食獣の種類が盛んで勇ましく肉を喰む姿は圧巻だと子供を中心に絶大な人気を博している。


「ふぅ..さて、帰りましょ。

欲しいもんも手に入ったしね〜。」

透き通り火に照らされた綺麗な玉を眺めつつ、その輝きにうっとりと目をとろけさせる。


「あーん、なんか渡すのもったいないなぁ。

どうにかアタシのもんになんないかしら?」

ついつい欲が出てしまう。大した高価には見えないのだが、手放したくない絶妙な輝きを見せる為、目が離せなくなってしまう。


「そんなにいいのか、それ?」


「当たり前でしょ〜、まるで宝石よ。

アタシにぴったりのホ・ウ・セ・キ♡」


「ならオレにくれよ。」


「...はぁ? てかアンタ誰よ」

突如口を挟んできた髪を立てた赤毛の青年、腰には白い大きなチューブのようなモノを下げている。


「オレか? オレはフィク。

汚ねぇヨゴレを掃除してる修正屋だ。」


「.,汚いヨゴレですって?」


「そうだ、丁度お前みたいなな。」

モラルの無いと言いたげだが業者が認めた正式な汚れだ、綺麗に掃除するに限る。


「アッタマきたっ!

可愛いジャナティエちゃんに向かって汚いなんてよく言えたものだわ!」


「...お前、振る舞いがベタだな。」


「誰がベタベタよ!!」


「言ってねぇよ、んな事。」

都合の良い耳は己の聞きたいように言葉を変換する機能がある、何を言っても無駄だ。


「覚悟しなさい、お掃除屋っ!」


「..修正屋だよ、別にいいけど。」

腰のチューブを抜き、細い先端を向ける




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