妖狐誘拐事件

 往く道に、高速道路で巨大な狐に出会った。

そういえば、此処にはそんな道路標示があったっけ。

えぇっと、思い出せないけど。

こーんこーんと、くぐもった鳴き声は、窓際の夕日に似合わない気がした。

ので、「御呼びじゃない」と口にすれば……きっと殺されていただろう。後に思えば。

だから代わりに


——男はなんともありきたりな、愉快さのカケラもない一言を発した。

「狐か。めずらしいな」


*****

 暁薫る午後4時。

アタシこと、嘶真凛いななきまりんは校門に向かって歩みを進めていた。

疲れたな。

とぼとぼとした歩みの中でふと、そんなことを考えてるアタシ。

校門を出て坂道を下ると、目の前には大通りが広がっている。

右へ左へと行き交う生徒たちを尻目に、私はガードレールの側に佇んだ。

「『学校おわったよ。早く来てね』っと」

慣れたような手つきで、私はそうメッセージを送った。

突然だが、ここで一つアドバイスをしよう。

特に、現役JKを狙う悪い大人たちに。

やめておけ、その一言に尽きる。

なんせアタシのカレシ、めちゃ怖いんだよ。

彼の名前は春野修二はるのしゅうじ

清廉な名前をしているが、これでも結構ブイブイ言わせているらしい。

どうも彼、この辺りの繁華街であるB区周辺でも名のある情報屋の下で働いているらしくてね。

まぁ、世間的にかなり物騒なのよ、彼。


ふとそんなことを考えていると、白いハイブリットカーがアタシの近くにやってきた。

「おい。さっき連絡しただろ? どこにいるのか分からなかったじゃねぇか」

「ごめんごめん」

そういってアタシは車内。彼の隣の特等席に座った。

車は再び、走り出す。


 「…………でね。田中の奴がこう言うんだよ、今度ウチに来ないかって。ほんとキモくない!?」

「全くだ。誰の女に手を出そうとしてるんだ、そいつ」

「でしょ!? 修二と私が付き合ってるって、学校じゃ相当有名なはずなんだけどな……ホラ、修二ってけっこう物騒だし」

「たぶん、そいつ的にはどーせすぐ別れるって算段なんだろう。全く、失礼極まりないな。ぶっ殺してやりてぇ」

「あっ、信号赤だよ」

車内で繰り広げられる会話は、とても他愛のないモノだった。

けれどもこうした会話が、数少ない修二との絆を確認できる行為。だから、とっても大切。……だと、思う。

「……けどさぁ。ぶっちゃけ、これから俺達どーする? 俺は朝桐さん傘下で働いてるし、自分で言うのもなんだけど金回りもかなりいいから、真凛ぐらい食わせてやれるんだよな。……いっそ、高校中退して結婚でもするか?」

「あっそれはダメ。私、ちゃんと働きたいの。大学には行きたい。結婚や子供はその後がいいな」

「ほう。」

「修二だけに負担、かけられないでしょ。そ・れ・に、私の夢は朝桐さんみたいにかっこいい大人になること。アンタのヒモなんてカッコ悪いじゃない」

「……その朝桐さんも、ほぼヒモな男ひっかけてるけどな」

「それとこれとは関係ないでしょ」

「確かに正論だな。あーやめやめ。この話なしだ」


 アタシたちの出会いは、B地区にある。

その頃のアタシは、金欠なことも相まってちょっとだけ危ないバイトに身を入れてた。

……修二に言わせれば、それ以外にも問題だらけだって言うんだろうけど。

そんなアタシを救ってくれた、というか新しい、健全な仕事を斡旋してくれたのが修二だったのだ。


「オイ……お前。なんでこんな店で働いている」

「はぁ。説教ですか。こんな店来て説教ですか。よくいるんですよね、チンカス野郎の癖に平気で人を説教する奴。さっさとヤることヤって気持ちよくなれってんだ。それでお兄さ——!」

気が付いたら……アタシとキスする十秒前まで近づいて、ものすごく怖い顔でこう言っていた。

「悪いが俺は客じゃない。……ったく店主め。高校生雇うなんて逝かれてるのか?

店潰れるっての。……まぁ嬢ちゃん、明日からここ来るな。代わりのいい仕事、紹介するからさ」

……正直、もっとえげつない職場に異動になっても不思議じゃない誘い文句だったが、面白いし乗ってやった。

そしたら前の職場より健全な、それで待遇もいいバイトを紹介してくれて、かなりびっくりしたことを覚えている。

「……そういうモン紹介するのも、情報屋の仕事さ。何、対価を取ろうって訳じゃないんだ。世間知らずの嬢ちゃんを騙そうなんてヤツ、この街にはごまんといる。そういう奴から守って、正しい情報を渡す。……朝桐さんからの受け売りだけどな」

「—————」

そうして、アタシたちは知り合うことになった。

あれから色々あって……まぁ、今に至る。


 「————妖狐、か」

「?」

楽しげな会話に一つ、彼の意味深な言葉が針の様に刺さった。

「ラジオ、聞いてみな」

そういう修二に従い、私はスピーカーに耳を傾けた。

「——と言われております。警察は、この『失踪』を同一のものとして見ており、捜査を強化しているそうです」

「失踪? ごめん、話が全然見えないんだけど」

「いやな。どうもここ最近、ココ蛇皿の辺りで女の子の行方不明が続いてるらしいんだ。で、その話には、妖狐が絡んでるんじゃないかって噂があるんだよ。さっきのニュースは、件の失踪者が新たに出たって話しな訳さ」

「……警察も動いてるの?」

「あぁ、当然だ。妖狐の仕業か、人間の仕業か。どちらにせよ、今回の事件は女の子たちの共通点が強すぎる。明らかに同一犯による犯行だとバレバレだ」

「どうして断言できるの?」

「失踪した女の子全員、失踪の直前に同じ髪留めをしてたらしいんだよ。三日月の装飾が付いた、黒い髪留め」

「……なるほど。それは妖狐かもね」

妖狐。

文字通り、妖の狐を表す言葉であり、その性質も通常、千差万別になってくるが、この辺りで語られる妖狐の持つ性質は、他に語られる妖狐とは異なる。

正式怪異名『妖狐ベルン』

その本質は、異常なまでの少女性愛。

少女という概念そのものを愛しており、時に年頃の女の子を攫うという伝説が残っている。

三日月の、髪留めと共に。

この街での迷信を一つ教えよう。

『三日月黒い髪留めはするな。その三日月は、空に浮かぶ美しい月景にあらず。その三日月は、狐の瞳。にたにた笑って女を攫うぞ』


「で警察は、妖狐か、それを模倣した愉快犯による犯行であると断定していると。なんとまぁ……面白い事件もあるもんだね」

「後者であれば警察の領分で、これは解決可能であるが、前者の場合——」

「私たちの領分で、警察単体での解決は難しくなるって訳ね。……朝桐さんに連絡はしたの?」

「一応な。曰く、赤城を動かすらしい」

「へぇ……あのぽっと出のヒモ野郎か……そういえばまだコレ絡みで顔を見たことがなかったね。お手並み、拝見でもしとく?」

「いや。アイツに手柄は寄越さない。今回は俺達だけで解決するぞ」

「嫌な先輩だねぇ。後輩いびってかわいそー」

「元々、アイツは気に食わないんだ。天使のチカラだか何だか知らないが、人間でもないのに人間のフリして、朝桐さんにしっぽ振ってやがる。それが何よりイライラするんだよ……!」

「全く……キミがしっぽ振るのは、この私。でしょ? 朝桐さんはそいつに譲ればいいじゃん。もしかして……朝桐さんの方にしっぽ振り振りしたいの? ねぇねぇ」

いじわるに聞いてみた。

「違う! そうじゃなくてだな……」

「はいはい、キミの気持ちは分かってるよ。キミがしっぽ振り振りしたいくらいだーい好きなのは、この私だもんね。……正直私もね、ちょっと寂しいっていうか……あの朝桐さんが男ひっかけるなんて……とてもそんな風に見えなかったからさ」

「そうか? あの人、色仕掛けぐらいなら容易くしてきそうに思うが……」

「違うの。あの人、自分を武器にはするけどそれを本命に使わないってカンジだから……いや、使えない……のかな。あ、もしかして、大河も本命じゃないのかも……?」

「だったら尚の事、馬鹿が過ぎてムカつくな。真凛、この事件速攻で片づけるぞ」

「りょーかい」

やがて車は、蛇皿市B地区。この辺り最大の繁華街へと進行方向を定めていた。


 「ここが……」

「みたいだね。最後の失踪者の住んでた一軒家。」

B区を少しずれた所、最後の失踪者唯一の痕跡。

アタシたちは今、寂れて規制線の張られた家を目の前にしていた。

情報については、既に朝桐さんから『買った』修二が持っている。

「はいこれミドリ剤。朝桐さん特製の、精度高い奴」

「うげぇマジかよ。俺これ苦手なんだよなぁ……」

「我慢する! そもそもコレ、不法侵入なんだから……」

白いケースから、緑色の錠剤が取り出される。

対人服用生物認識阻害剤。通称ミドリ剤。

服用することで一定時間、同じ型のミドリ剤を服用した人物以外からは認識されないという代物である。

これは、服用者の代謝機能に作用して、認識させるような分泌物————においなどをシャットアウトすることで認識を阻害することに成功している。

また、大手の認識要素、視認についてはそもそも特定の光以外を反射させないように一時的に肉体を変質させることによって阻害に成功している。

……要するに、超化学によって同型を服用した人間以外には認識させないという薬なのだ。こういうものを作らせると、私たちの周りで朝桐さんにかなう人はいない。

まぁ、かなり割高なのだが。

「苦っ!」

「大丈夫?」

「お前こんなんよく平然と飲めるよな」

確かに。よく味覚には疎いといわれる。

「まぁ、こればっかりは体質だし、仕方ないんじゃない? さぁ、行くよ」

「うぅ……これ嫌いだ……」

ミドリ剤を服用したアタシたちは規制線を潜り抜けて、不気味な一軒家に入った。

数少ない、『人間』として収集できる手掛かりを手に入れるために。


鍵は……開いていた。どうやら捜査していた警察が開けたようだ。

「……不用心だな」

「よし。入れるみたいだ」

「知ってる」

そうしてアタシたちは、玄関をくぐった。

靴は、既に特注のシューズに変えてある。土が床に付着する恐れは無しって寸法さ。

通常なら、というか現状なら一発でアウトなのだが、ミドリ剤のおかげで難なく入れている。

入った直後、目の前にあくびがちな若い警察官が現れた。

しかし、アタシたちは難なくこれを通り抜ける。

……もしかしたら。

この警官に限るかもだが、ミドリ剤抜きでも突破できたかもしれないな。

とにかくとにかく、家の中にほかの人影は見受けられない。

ここからは、アタシの時間だ。


 二階、『彼女』の自室。他者の干渉を受け付けない、無垢なる領域。

アタシたちの、情報収集にうってつけの場所。

「さて、始めよっか。修二」

「おう。の方は任せとけ」

そうしてアタシはデスクの上に座り、目を瞑った。

意識を集中させ、精神を統一させる。どこぞの宗教みたいに。

……朝桐さん曰く、どうやらアタシは残留思念を読み取る力が高いようだ。

この技能スキルは、そんな高ステータスを利用したモノ。

残留思念を一つの『幻影』として練り上げ、情報を引き出す。

その名も————

幻想投影ファントマ・トレース開始アップ

そう唱えると、アタシの脳内に何かが上りあがる感覚が走った。

あぁ……生きてるってカンジ……!

そして、他人がアタシの脳髄を走る。誰だ?

すぐに分かった、彼女だ。彼女の幻影だ。

もっと生きたかった、そう願う彼女の幻影だ。

「美しい……」

思わず唇からそうこぼれる。

いけない、いけない。仕事はここからだ。

アタシは幻影に問うた。

「ねぇ、アナタはどのように生きていたの?」

「……」

幻影は、戸惑ったように何も語らない。

「アタシはさ、アナタの世界を知りたいな。ね。教えて」

瞳を覗き込む。

そうすると、何かに怯えたように顔が歪み、そして泣いた。

「うん……そうだね。辛かったね。大変だったよね」

今、アタシの脳内は彼女の記憶が走るサーキットと化していた。

それは、一言に置き換えられない人生。

彼女という、少女の歩んだ23年間。

アタシの脳に走るのは、彼女の全てだった。

「大丈夫。アナタはアタシが、必ず救ってみせるよ」

「はい。私を……助けてください。お姉さま」

泣きそうな笑みで、彼女は私にそう言った。

分かったよ。

アタシが、救ってあげる。

そう決意してみると、途端に彼女の幻影は、消えた。


「ん、く……どれくらい時間たった?」

「なんと、脅威の約10分」

「上々じゃないの。この調子で時短を極めるわよ」

「で、何かつかめたのか?」

「うん。けっこう大きい情報がつかめたよ。てか————」

轟音が、耳を突いた。

敵だ。


「あの子曰く、って」


アタシは平然と、得た情報を説明した。

*****

 何が、起こったんだ?

気が付くと部屋は残骸まみれの廃墟みたいになっていた。

白い。

それが、第一印象だった。

目の前に浮かぶ巨体。

一瞬で理解した。妖狐だ。

「オイ真凛! 逃げろ!」

真凛の体に手を掛けると、ドアの向こうにやった。

逃げ、階段を下りる真凛。よかった。

背負った日本刀を手に取る。

朝桐さんが若い頃に作ったという、自称ガラクタだ。

確かに現在の朝桐杏子・ワークスから見れば、玩具同然といわれても当然だろう。

しかし、それでは世の若き刀匠が可哀そうであろう。

一般的な視点で、その刀は名刀といわれても文句のないモノだった。

名を『名刀 群月むらつき幻想げんそうごろし』

幻想を、妖を殺すことに特化した一刀である。朝桐さんの名刀だ。

「てめーを殺せば、この話はお仕舞いなんだ。おとなしく殺されろよ、このデカブツ」

「おや少女は……? 美しき少女をどこにやった、クソガキ」

「はん。アイツはお前なんかにはやらねぇよ。アレは、俺んだ」

「無様に死ね。餓鬼」

「同じくッ!!!」

そうして、遠慮無用の殺し合いは始まった。


「だぁりゃぁぁぁぁぁ!!!!」

飛び上がり、頭を狙う。

ここさえ。

ここさえカチ割れば全てが終わる。

もしイージーモードだったなら、体験版ならここで終わりだろう。

だが、俺の人生は

「ふん。間抜けが」

どうやら、ベリーハードで製品版らしい。

「上等。次に殺せばいい話」

「面白い」

そうして俺は再び、妖狐に迫った。

……でも、当たらない。

再び迫る。

やはり当たらない。

「くそっ! 化け物じみてっ! やがる!!!!」

「化け物? そりゃあ誉め言葉であろう。私はそう、妖の王なのだから」

「畜生!!!! このっ! このっ! なんで! 当たら! ねぇんだ!」

「ふっはっは。当ててみせろ、この下郎が」

剣劇は彼を楽しませるに過ぎなかった。

クソォ……こんなに、こんなに当たらないなんて。

「出鱈目すぎるだろ……!」

ダメだ。諦めそうになる。

「これで終わりなのか?ならば————」

白いデカブツは俺めがけてやってくる。


「こ ち ら の 番 だ な。」


クソォ……畜生ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!

あいつ出鱈目すぎるだろ!

なんで……なんでこんなに攻撃があたるんだよ!!!!!

傷だらけの俺。

今の俺では、とても情けなくて真凛に顔向けなんてできなかった。

壁にすがる傷まみれの俺。

終局は、誰の目にも明らかだった。

「ほっほっほ……終わりだな、クソガキ。」

「くっそぉ……畜生……!!!」

そして、迫る白塊ハクカイ

結果は、もう見えている。

……畜生。


俺、こんなところで終わるのかよ。 

           ————進め。

まだ、アイツにきちんと、ちゃんと

           ————動け。

『好き』だって、そう全力で

           ————体を動かせ。

伝えてすらいないのに……!

           ————ならば、その答えは一つだろう?


「くたばりやがれぇぇぇぇぇぇェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


捨て身だった。

向かってくる白塊、それに対しての反撃として選んだのは最悪手だった。

「愚か!!!!!」

白塊は依然向かってくる。

構うか。いや好都合だ。

ここからはもう、出たとこ勝負だ。

いや、戦い始めた時点で気づくべきだったのかもしれない。

とんでもない奴に向かって、喧嘩売っちまたことに————!

だから、こんな戦いは元より運ゲーだったんだ。

ならば、我が生涯を賭けるに等しく。

これは、不平等の決闘だった。


瞬間。

床が、崩落した。

あぁそういえば忘れていた。

ここ、二階だってことに。

「あっ……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

「ちっ……ここは、一時撤退とするか。坊主! いずれ、かの美しき少女は頂くぞ」

転落していく俺、いや部屋。かなりヤバい。

墜ちていく俺、死は覚悟するほかなかった。

認識されない死。恐怖されるべき死。

畜生……だから、あんな薬飲みたくなかったんだ……!

正確には、生物の死によってミドリ剤の効能は解除される。

が、そんなこと考える余裕が、使える糖分が、俺には無かった。







俺を

唯一迎え入れたのは純白に染まったバルーンであった。

*****

間一髪だった。

本当に、本当に、危なかった。

今、アタシたちは崩落した二階部分の真下に居る。

床の一部ごと崩落した彼を救ったのは、他でもなくこの救命バルーンであった。

「よかったぁ……」

あまりの感嘆に、思わず漏らしそうになる。

いけない、いけない。

「お前……ずっと一階にいたのか?」

「うん。危ないってわかってても、やっぱり気になってさ……」

「はぁ……お前、本当に運がいいな。あの狐がもうちょい頭良ければ、お前今頃ここの主と同様の末路を辿ってたぞ」

「……ごめんなさい。」

「はぁ……まぁ良い。ここまで派手に壊したんだ。目立つ前に、ココを離れるぞ」

「うん……」

そうしてアタシたちは『彼女』の家を後にした。

……後に。

この崩落については、家の老朽化が原因であるとされたらしい。

アタシ達の侵入については、一切バレていないようだった。


 「はぁ……」

 B区から帰り、自分の部屋でため息をつく。

今回も、うまくいかなかった。

いつもこうだ。

アタシが絡むといつもうまくいかない。

「アタシ、やっぱり普通になるべきなのかな……?」

これは、ずっと考えてきたことだ。

……彼ならきっと理解してくれるだろう。残念がるだろうが。

実を言うとアタシはどうやら、こういった生活を嫌っているフシがあるのだ。残念ながら。

何故嫌いかって、そりゃあ口にできるほど軽いもんじゃないけどさ。

ただ、時々思うんだよ。もし、普通に生活できたらって。

時々、鏡の中の私が言ってくるんだよ。お前はこんなの望んじゃいないってさ。

確かに、望んでこんなことしてるわけじゃない。危なし、ケガするし、最悪死ぬ。そういう世界に片足突っ込んでるんだ。痛いし、辛い時もあるよ。


『そういうのってさ、厳しいけど結局甘えなんだと思うんだよね。私さ、特別な力を持つ人間は普通の人間生活を送れない分、普通の人間の役に立つべきだだって考えているの。だから真凛ちゃんにはこういうお仕事、してもらいたいの。……もしかしたら、私のエゴなのかもね』


 ある日、朝桐さんに言われたことを思い出す。

確かにそうだと私は思う。

けどさ、普通の人間にもなれる私はどうすればいいの?

確かにアタシには、人より残留思念を読み取りやすいって特殊な能力は持ってるよ。

でもアタシは至って人間だ。普通の生活を、送ろうと思えば送れると思う。きっと。

それは甘えなのだろうか、愚かなのだろうか。

違うと思う。

アタシは人間。

人間なんだからそう、人間らしい生活を送る権利だってあるはずだと思う。

……じゃあ、アイツはどうなるんだろう。

元人間のヒモ野郎、赤城大河。

確かに今は半天使なんて中途半端な生物している訳だけど、アイツだって昔は、人間として過ごしてた日々が、そうきっと存在するはずだ。

それが、理由も分からずいきなり常識外に墜ちたのだ。

きっと当初は戸惑いもしたし、焦ったりもしただろう。

じゃあ彼はその後現在、人間をやめた存在として自分を受け入れたのだろうか。

違う。

彼を見るに、どうも諦めたとかそういう訳ではない感じだ。

アレは、決意。

何かに対する決意。

そういうものが彼の中に絶対的、根源的にあった。

……うまく、言葉に表せないや。

でもこれだけは言える。彼ほど、アタシは割り切れないってことだ。

「結局、アタシは常識外で、血に飢えているんだな」

化け物として生きていくしかない。

そう自嘲すると、気分が軽くなった。

そうして意識が軽くなり、軽くなり、軽くなり……

アタシは、眠りに落ちた。鏡の中のと共に。

おやすみなさい。


 三日月の髪留め。

ポストに入ったそれを視認したとき、冗談かと思った。

しかし、目の前の事実は変わらない。

「……いいじゃないの。決着、つけようじゃない」

何もしていないのに、偉そうに。

アタシは修二にそのことを連絡した。

決戦の夜は、近い。

*****

 今日は、真凛より早く来ることができた。

夕日をバックに、車を停めている俺。

「……アイツ遅いな」

予定より、少し遅れる彼女。

……いつもは、待たせてたのかな。

「ごめん。待たせた?」

そういって彼女は、俺の後ろに立っていた。

「お前……いや真凛。覚悟、出来てるんだろうな?」

これが、決戦だ。この事件最後の戦いだ。

彼女……真凛は、親指を立てて見せた。

「ばっちし」

「よし。それじゃあ行くか」

車は、再び動き出す。

*****

 B区、とある路地裏。そこが決戦の地だ。

なんてことも無く、同封されていたのだ。髪留めと共に、果たし状のようなものが。

時間は、ぴったり。

そんな時にヤツは来た。白塊は、毛玉は、妖狐ベルンは其処に居た。

「ようロリコン。アタシ様が、欲しいのか?」

「貴様の人間性などいらん。我が求めるのは少女という像のみだ。うぬぼれるな、小娘」

「傷つくなぁ……ソレ。私なんていらないの? ……言えばあげちゃうのに」

「いらん、必要なのは貴様の体だけだ。素直に従わぬなら、殺してでも奪わせてもらうぞ」

「あら残念。交渉は———」

彼が後ろから飛び出した。日本刀を傍らに携えて。

「死にやがれ、ロリコン野郎」

一抹の暴言と共に。


「決裂、みたいね。ま、元々交渉の余地なんてないんだけどね。やっちゃいな、修二」


*****

先制攻撃はかなり効いたようだった。

どうやらダメージを受けているような妖狐。

「御狐様ぁ……! 人間ごとき、下郎ごとき、小僧ごときの攻撃にダメージを見出しちゃったんですかぁ……?」

「ごっ……ふぁっ……! き……効かぬわ。」

「強がっちゃってさァ……!」

そうして、斬りつける。

何度だって、難度だって、斬りつけてやる。

こいつだけは、絶対に殺す!

……なーんてね。


後退する妖狐。

どうやら反撃してくるようだ。

だが————!

「ばーか。」

そこにいたのは、俺の後ろにいるはずの真凛だった。

指を鳴らす真凛。

そして飛び出たのは、肉体を束縛するような鎖状の何かだった。

……作戦は、成功だ。

*****

「なん……だと?」

「じゃじゃーん。朝桐さん監修私特製、対物一時追束縛剤。通称アオ剤。こんな事あろうかと、事前に仕掛けといたんだよ。いやぁ、見事。お手軽☆マリンちゃんトラップワークス、決まったねぇ……!」

「何……だと? おい……貴様らまさか————」

「嵌めた、なんて言わないでよね。わざわざ実直に果たし状なんて渡したお前の責任だ。そんなの、仕方ないじゃん。ねぇ?」

「貴様ら……威信は無いのか……? プライドは無いのか……? こんな卑怯で卑劣なマネをして……!」

脱出しようとすると、ぐいぐいぎいぎいとキツくなっていく鎖。

あぁ……最っ高……! 朝桐さんマジで最高ですよ、コレ!

「威信? プライド? 聞いたこたあるが興味ないね。私たちはこのB区に巣くう超絶悪い子ちゃんだ。卑怯なんて、私たちには誉め言葉だよ。何だってやる。それに邪魔なプライドなら、吐き捨ててやるさ」

「貴様……! いや、嘶真凛んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

「ホラホラ、それより上。気をつけな。」

「え?」

素で上を見上げる、妖狐ベルン。

そこにいたのは、だった。

「死にサラせぇぇぇぇぇぇェェェェェェェェ!!!!!! このロリコン野郎!!! ヒャッハー!!!!!!!」

そうして彼は、上から斬りつけた。

……最後の一文は、うん。無視してあげて。彼、時々こういうところがあるの。

直撃で、妖狐の急所を狙った攻撃だ。

血が、噴き出していた。

「あ……ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!! 貴様ら……許さんぞ……絶対に、絶対に許さないぞ……! 必ず! 必ず地獄から引きずり還って、代わりに貴様らを地獄の業火で燃やし尽くしてやる……! 絶対にだ!」

そうして、妖狐は、この街の怪談の一つは消滅した。

髪留めは外し、捨て去ってやる。

愚かな怪奇現象に、アタシたちは声を合わせてこう言ってやったのさ。


「「地獄でやってろ」」


*****

「うん。ありがとう。お礼はそっちに送っとくね……大丈夫だって。ちゃんと、真凛ちゃん分も弾ませとくよ」

『あぁ、悪いな。朝桐さん』

「気にしないでよ。私、今回のあなたたちには感謝してるんだから。……じゃね」

そうして朝桐さんは電話を切った。

今回はどうやら、俺の出番がないようだ。

「という訳で、今回の仕事は修二君と真凛ちゃんが解決してくれたので終わり。ごめんね、大河。カッコつけたかったろうに」

「いや、構わないです。単に俺の出る幕が無い、雑魚な事件だっただけですから」

「そうかな? 私が見るに、結構悔しいんじゃない?」

コーヒーを一口飲む。

「悔しいなんて思いません。もう終わったことですから。……朝桐さんにカッコつける機会なんて、これから何度もあります。きっと」

「そっか。じゃあ————」

朝桐さんが、ち……近づいてきた。

やっぱり俺、この人の匂い好きだ。

「次は、もっと貪欲に。私にカッコつけて……ね? いい?」

そう耳元で囁く朝桐さん。最後はもう、息だけだった。

嗚呼。もう、死んでもいい。いや死んじゃだめだけど。

*****

 夕日、いつもの車。

今日は早めに来てくれたようだ。

「よう真凛。学校、お疲れ様」

「あんたも、お仕事お疲れ様」

「俺、今日はなんもやってないよ。今日はどうやら休暇みたいだね」

「あら? じゃあその定義で行くと、いつも休みなんじゃないの?」

「言えてる」

そうして、車は動き出す。アタシと修二を乗せて。

……窓ガラスに写る私。

こうしてみると、結構一般的な少女だと思うんだ。顔立ちは。

鏡面の向こうの私が、ふいに問いかける。

このままで本当にいいのか? 非日常に浸って、普通をないがしろにしていないか?

……考えたことがある。そうやって、この生活から逃避しようとしたこともある。

『一体なんで、こんなことになっちゃったんだろう』

……半年前の私はいつもコレだ。厭になる。

まぁその時の私に言ってやれることが今あるとするなら、運が無かったってことさ。

だって、私は修二に出遭ってしまった。そして今のアタシを作り上げてしまった。

それはもう、きっとしょうがないコトだと思うから。だから、運が無いの。

……でもね、アタシ、やっぱり大好きだ。

彼も、この生活も。大好きで仕方ないんだ。たまらないんだ。

だから、アタシはきっとこのままでいい。このままがいい。鏡の向こうの私は……まぁせいぜい少女的な生活を送ればいいさ。

それに————


「この生活、超絶楽しいん、だぜ?」


「……なんか言ったか?」

「いいや、なんでも」

……鏡面上の私は、当たり前の様に何も答えなかった。

さようなら、鏡面上の私。特に好きでは無いし、思い出も無いけど、また会いましょう。

そうして車は今日も走る。

薄暗くて、出口の見えない。夜になりそうもなく輝き続ける夕焼けを。



妖狐誘拐事件・了




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

VS 夏眼第十三号機 @natume13th

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ