第8話 とある探索者たちの死に戻り

*非常にクトゥルフしています。

残酷な描写が存在し、SAN値を持っていかれる可能性があります。





死んだ。そう思った瞬間に目の前の景色が変わる。黒、いや、黒じゃない、しかし、これは黒だ。


俺たちの目の前には門があった。奇妙な門だ。この門は数秒毎に認識が変わる。数秒前には黒だと思った色が別の色へと変わり、また黒へと戻る。門の色は変わっていないと認識しているのに、色の認識だけがぶれるのだ。どうやら俺たちは、死に戻り時に時々発生するイベントにより、この奇妙な門の前へと転送されてしまったようだ。


厄介なことになった。最短ルートで行けばこのままここでもう一度死に戻りを試みるのが一番早い。しかし、それをするには少々障りがある。どうしようか、とりあえず様子見で周囲をクリアリングするか。



ぅわあああぁぁああああああ!!



声に思わず振り返えって、直ぐ様これは悪手だったと気づく。まずい、これは見てはいけないものだ。そう思うのに身体が固まって顔前の光景から目をそらせない。ただ瞼を閉じるだけで良いのに………っ。



ぐしゃりっ

音がした。ついで、飛び散る緋。周囲に散らばった真っ白な紙が赤く染まっていく。あたりに鉄錆のような臭いが広がり、喉の奥に異物感を覚える。



SANチェック

0/1D3 失敗 1D3→-3



男(……正確には男とわからないが、確かめる気力も勇気もないので男とする)が落ちてきた先には建物があった。二階建ての古びた洋館だ。いかにも曰く付きなあれであれするものが出てきそうな屋敷である。


「ぅわあ………」


同じ感想を抱いたらしい仲間の一人がドン引きした声を発した。無言で視線を組み合わし、ほぼ同時に洋館から顔を背ける。


背けた視界には長閑な村の風景が映っている。草木の生い茂る洋館の庭から伸びたこれまた草木の生い茂る道の両脇に西洋風の民家がまばらに建っている。それらの家は洋館とは異なり朽ち果てた様子はないが、人の気配も感じない。蝶や鳥でも飛んでそうな長閑な村だが、不思議なことに生き物は見当たらない。そういえば、動物の鳴き声も虫たちの出す音も聞こえない。………長閑だが静かな村だ。



アイデアロール 成功



ゲームだから、ただの背景だから、獣も虫も用意されていないのだ、そう思おうとした。けれども、今までの経験がそれを否定する。俺たちが死に戻り時にこの門の前に飛ばされたのははじめてではない。そして、以前に閉じ込められた場所では虫の声も獣の声も聞こえていた。今回に限って手抜きしたというよりも他に意味があると考えるのが妥当だろう。たとえば、この場所にいる生き物たちは生命を脅かすような危険な何かの気配を感じて息を潜めているとか、本来いたはずの生物が何者かに補食されて根絶してしまっているとか………。



SANチェック

0/1 失敗 -1



脳内を以前出会った化け物たちが駆け巡る。不気味な笑い声を発する白い影がいた。二階の窓からやけにリアルな女の唇が見えた。その唇がにたりと歪み、鋭い牙が覗いた。牙が大きく開いて俺の、仲間たちの身体を………俺はある種の予感に急かされて村から視線を外した。


洋館に向き直った俺たちの視界は草で埋め尽くされている。いや、俺たちが必死に目を背け続けているだけで、草以外にも血だまりに倒れ伏す人とか、その周囲に散乱する血まみれの書類なども存在するが、そんなオブジェは心底要らない。見たくない。


今、俺たちがいるのは館の周りを囲う鉄柵に繋がった門の前だ。この柵も館と同様に永年の風雨によりかなりの劣化が見られる。例のオブジェがあるのは庭の真ん中、丁度俺たちと屋敷の中間地点の辺りだ。俺たちの位置からだと生い茂る草が目隠しとなって詳細は見えていない。ぴくりとも動かない様子から生存は絶望的だとは判断できるが、幸いなことに、あり得ない方向に曲がった脚などは見えない位置にいる。


「………あの門を潜ったら、帰れたりしないかな………」


門を眺めながら仲間の一人が呟く。


「ははっ………そんな都合の良い事が起こる訳………」


ないとはわかっているが、僅かな希望にすがりたくて身体が勝手に門を潜る。

しかし、現実はそんなに甘くない。門を潜ったところで転移のウィンドウは表示されないし、門に触れたところで変化はない。



SANチェック

0/1 失敗 -1



帰れるどころか、門に触ったことにより貴重なSAN値を喪失してしまった。失敗した。初見の印象で絶対やばいやつだと確信していたのに。無傷で帰りたいあまりに必死になりすぎたようだ。触れた一瞬の感触を早く消し去りたくて衣服に手を擦り続ける。しかし、どんなに擦ってもその感触は消えることがなかった。ああ、気持ち悪い。くそっ。


「………まぁ、無理だよな」


そんな俺の様子に諦めたような顔をした仲間が洋館を振り仰ぐ。


改めて観察しても入りたいとは微塵も思わない様相をしている。肝試しが好きな奴ならワンチャン思うかもしれないが、俺の今までの経験が告げている。入るな、キケン、出ますぞ、と。


館の一階の窓は戸板で完全に封鎖されており、中に入ったが最後、太陽とおさらばさせられそうな雰囲気を醸し出している。二階の窓はすべてカーテンが閉めきられていて、中の様子をうかがわせず、なんとも薄気味悪い。しかも、なんか所々赤茶色い染みがあって、でもなぜか破れてはいなくて、光を透さないぞという強い意思を感じさせてくる。あそこの1つだけ開いている窓の傍を旗めくカーテンとか不気味過ぎてそら恐ろしいわ。


おそらく例の男が落ちてきたのはあの窓からだなとなんともなしに、視線を送った俺は違和感に襲われた。何かがおかしい。



アイデアロール 成功



あれは、あの二階の窓は開いているのではない。あの窓はおおよそ人間には不可能なほど強い力でぶち破られたのだ。あの、ひしゃげた鉄窓の格子部分がその力の強さを物語っている。そういえば、あの男…見ないようにしていたあの男も、二階から落ちただけで絶命するとは運が悪く、打ち所が悪かったのかと思っていたが、もしかしたら……いや、だめだ、この先を考えてはいけない。考えてはいけないのに。


………これは俺の妄想だろうか。あの洋館を見ていると、頭の中をなにかの影がちらつく。その影は赤い目で俺たちを睥睨し……。



SANチェック

0/1 失敗 -1



ああ、俺の馬鹿。いや、俺は馬鹿じゃない。どちらかというと俺のINTは高すぎるのだろう。だから気がつかなきゃ良いことも気づいてしまう。アイデアばかりが成功してSANチェックが成功しないのは何故なんだろうか。ゲームをはじめて以来、成功した記憶がない。前は99とか96とかそりゃ失敗もするよなという数字が乱発していたが、最近では27とかわりと低い数字も出るようになったのに………。


「………一番損害なさそうなのはここで逝っとくやつか?」

「報酬は惜しいけど、それが安全だべ」


仲間たちがおのおのの武器を胸元に構える。俺は慌ててそれを止めた。


「待ってくれ!………その作戦は俺のSAN値がピンチだ」

「あ?」

「1d10だぞ?耐えらんねぇの?」


このイベントで俺たちは邪神のお遊びにより夢の中に閉じ込められていると考えられている。クトゥルフでは良くあることだな。夢の中での死亡は現実(といっても、どちらもゲーム世界だが)に反映されない。そして、死ねば夢の世界から出られる。だから早くゲームに戻りたい奴やSAN値がヤバい奴は安全策で探索を放棄して死に戻りをすることもある。しかし、それをした場合は当然、死の体験によるSAN値喪失が発生する。その数値が1d10。賽の目により、1から10のSAN値を喪失するのだ。


「………さっき、SANチェック、20で失敗した」


先ほどのSANチェックはなかなか低い数字を出し、賽の目は20であった。しかし、それでもチェックは失敗している。つまり、現在の俺のSAN値は18以下。以下と言うことは10とか9とかである可能性だってある訳で………。


「………………………え?」

「マジかよ?夢の10代逝ってんの?」

「やべぇ………いつの間にか隣で廃人が生まれそう」

「なんでそんなに減ってるん?」

「死亡回数一緒じゃなかったか?」


同じだよ!同じだけにゃ…様に遊ばれて同じような体験して俺だけ夢の10代に突入してんだよ!なんでなんてそんなの俺が知りたいわ!


「………なに見たの?」


顔を覆っていた手を元の位置に戻して、仲間の一人を見た。こいつは開幕ダイブきめてきた男から逸らした目線があった奴だ。こいつもSAN値やばそうなんだよな。

で、何を見たかって?見たもんは周りとそう変わらないんだよな。ただ、気づかなきゃ良いもんに気づき過ぎてるだけで。


「………俺、アイデア高いみたい」

「アイデア高いのにSAN低いのかよ………」

「POWも挙げとけ?」

「INTもPOWも高いんだよ!もちろん、SANも高かったはずなんだよ!魔術師だもの!」


アイデアはINT依存、SANはPOW依存だ。どちらも魔術師系の職業に重宝されるステータスである。このゲームではどうだか知らないが、少なくとも他のゲームではINTとPOWは魔術師が最優先で確保すべきステータスだ。このステータスは探索者ごとに異なる初期値が存在している(と考えられている)けれども、職業による補正もある。だから、魔術師見習いな俺は他よりもINTもPOWも高いはずだ。それなのに、SANチェックが成功しない。成功しないまま、気がつけば俺のSAN値は20もない。なぜだ。


「魔術師(笑)がヤバいらしいから死に戻りはよそう」

「魔術師(笑)、魔術で帰れねぇの?」

「魔術師(笑)、魔術的な勘でなんとかならねぇ?」

「(笑)ってなんだよ!あと、俺の勘があの屋敷はヤバいって告げている!」


俺は衣服を掴んでいた手を離し、屋敷を指差しながら叫んだ。仲間たちは一斉に口を開いた。


「それは皆知ってる」


異口同音に声を揃えんな。


「………あそこに入らずにクリアできる可能性ってあんの?」


俺の次にSAN値ヤバそうなこいつはさすが冷静だ。たぶん、俺と同じく他より気づいてる事が多い。そして、SAN値喪失も多い。


「……あれが丸ごと全部罠だったら………あるいは……」


他に帰り道があったりしてくれるんじゃないかなぁ。可能性は限りなく低くても、確実になんかいる屋敷に突撃するのは俺のSAN値がピンチなんだよ。俺はもう何も見たくないんだよ。


「とりま、村の方に逝ってみっか?」

「字ぃ気をつけろ。今の俺は本当に逝くぞ」

「そこ、威張るとこじゃねぇし」


頭を叩かれた。


「ひっ」


身体が勝手に動いて、気がつけばそいつの手を払い除けていた。いや、落ち着け、俺。こいつは仲間だ。こんくらいの触れ合いなら日常茶飯事だろ?なんでこんなに過剰反応してるんだ?いや、でも、だって………。


「………悪い。気が立ってるみたいだ」

「……………おう」

「……まぁ、SAN値ヤバいなら、仕方ないべ」

「しゃぁない!しゃぁない!プレパラートなみに繊細な魔術師くんのためにも館以外の帰還ルート探そうぜ!」


ぞろぞろと仲間たちが例の門を潜っていく。SAN値的にも肉体的にも頑丈そうな剣士を先頭に館から離れるように村の道を進む。パーティーで斬り込み隊長をこなすあいつはヤバいもんに気づく可能性は低いが、必要な情報を取りこぼす可能性も高い、がばがばな節穴アイを持っている。しかし、まぁ、その辺は他のメンバーが頑張ってくれるだろう。きっと。


SAN値ピンチな俺は余計なものを一番見なくてすみそうな最後尾をもらった。俺のとなりには俺の次にSAN値がやばそうなあいつがつく。


こいつの職業は確か狩人見習いだったか。パーティーではシーフ、索敵係を担っており、目系のスキルを大量にとっていた記憶がある。こいつも、たぶん、気づかなきゃ良いもんを目撃しまくってるんだろうな。思い返せば前回の探索でもよく目があった気がする。アイデアからのSANチェックのお決まりな流れの後とかに。


「………大丈夫か?」


俺は大丈夫じゃないけれど、たぶん俺とそう変わらないような状態にあるこいつも相当きてるはずだ。


「………うーん、まぁ……なんとか………」


なんとも煮え切らない返事と表情である。


「俺よりもお前………」


言いかけた言葉は途中で途切れた。前で剣士が騒いでいる。どうやら、家のどれかに試しに入ってみようとして周囲に止められているらしい。隣の狩人は剣士を見ているように見せかけて、その向こう、剣士が入ろうとしている家を凝視している。その家は一見、周囲と差異はないように見えるが、よく見ると家の扉に海星に似た変なマークが描かれていた。あのマーク、どこかで見たことがあるような………。


「そ、それよりも!それよりもお前………」


扉の印について記憶を漁ろうとしたが、突然、隣で大声を出されて思考が中断された。


「えーと、その…えーと、あれだ!えーと………」


どうした、お前?らしくないぞ?いつも冷静な狩人がなぜか急に挙動不審だ。もちつけ。


「あー……お前、このゲームの意図って何だと思う?」

「ゲームの意図?」


意図ってなんだ?ゲームをする理由なら大体の奴らが遊ぶためだろうし、このゲームの目的なら邪神の復活を阻止するとかなんとかじゃなかったっけ?


「あー、じゃなくて、このミニゲーム?の意図だよ」

「そりゃ、例のあの人のお遊びだろ」

「……たしかに例のあの人なら、なんの意味もなくこういう事しそうだけど………でも…逆に……それで誤魔化されてる可能性もあるよな………」


例のあの人、にゃ…様は愉快犯で有名だ。だから、俺たちはにゃ…様の名前が出た時点であー、弄ばれてんなと考えるのをやめる。だが、そうじゃない可能性もあるのか?


「………隠された意図があるって?」

「可能性の話だよ。大した意味はない。忘れてくれ」

「いや、一考の余地がある。覚えておいたほうが良さそうだ」


俺たち探索者はにゃ…様の名前が出た時点で思考を止める。愉悦部所属の邪神様が考えることなんて俺たちに理解できる訳がないし、もし間違ってその一部に触れてしまったら、それはそれでヤバいからだ。だから詳しい奴ほど深くは考えない。しかし、逆に、それを逆手にとられていたら?………その可能性も否定できないのがにゃ…様のおそろしいところだ。


「ほら、馬鹿なことしてないで、進もうぜ?」

「勇猛果敢と無謀は違うっぺ?」


俺たちが余談に勤しんでいる間に前方は決着がついたようだ。あの馬鹿のがばがばアイ的にはイケると思ったようだが、他のやつらはちゃんと危険を察知してくれたようだ。あきらかに怪しいマークのついた扉を何のためらいもなく選ぶところががばがばアイと呼ばれる所以である。あいつの無謀な突進に従軍すると流れ弾で周りにいる俺たちが死ぬからな。SAN値的に。隣にいるうちの回復担当が一番の被害者だな。よくボロボロになって帰ってくる。


…あまり以前の探索を思い出すと自爆しそうだ。話を戻そう。さて、大分道を進んだが村の様子に変化はない。あいかわらず周囲は小綺麗な民家が散在し、人どころか生き物の気配が一切しない。虫の音も獣の声も聞こえない。


また、数分道を進む。周囲の家々は似たような意匠ばかりで見分けがつかない。本当に進んでいるのか分からなくなるくらい同じような見た目の家ばかり続いている。その中に、剣士が入ろうとしていた怪しいマークの家とまったく同じ外観の家を見つけた。思わず足が止まる。


「………どうした?」


俺の視線を追った狩人も同じように足を止めた。前を歩いていた仲間は俺たちに気づくことなく歩き続け、前方に消えていく。


「………」

「………」


俺たちは同時に後ろを振り返った。


そこには屋敷があった。ぼろぼろの廃墟と言って差し障りのない洋館である。二階の窓の1つには穴が空いており、茫茫と草が生い茂った庭には倒れ伏す人影が見える。


おかしい。俺たちはあの洋館から逃げるように道を進んだはずなのに。少なくとも十数分は道を歩いたはずだ。なぜ、何故この洋館がこんなに近くにあるのだろう。なぜ、いや、今はそれよりも、はやく仲間たちを追いかけないと。置いていかれる前に、はやく。


「………だから、お前は無鉄砲にも程があるんだって………」

「俺のSAN値は減ってないって?俺たちのSAN値が身代わりになってんだよ!」


道の先へ消えたはずの仲間たちの声がした。姿が見えなくなるほど遠くへ行ったはずの仲間たちだったが、その声はかなり近くから聞こえた。


「………お前ら、戻ってきたのか?」


振り向けば、そこに仲間たちがいた。俺たちが付いてきてないことに気がついて道を引き返して来たのだろうか。それにしては、俺たちの方ではなく前方を向いていることが不思議だが。


「あ?なに言ってんだ?お前ら………」


振り返った仲間の言葉が途切れる。いつもはなにも気づかない剣士でさえも、異常を感じたように目を見開いて固まっている。


「え、なんで、これが……」

「え?俺たち、歩いて…………え?」

「こんなのおかしいだろ………」



SANチェック

0/1 失敗 -1



俺たちは洋館から離れようとした。しかし、あの館は俺たちを逃がす気はないらしい。館の中を隠す、カーテンの奥で赤い目が光ったような幻覚が見える。不気味な洋館からこちらを凝視するような視線を感じる。俺はお前たちを逃がさないぞと言うような、早く諦めろと急かすような。違う。こんなの気のせいだ。けれども、一度染み付いた想像が拭いされない。俺たちはあの洋館に食い殺されてしまうんじゃないか?どんなに足掻いても結局はあの洋館に飲み込まれてしまう運命にあるんじゃないのか?まるで蟻地獄のように、底無し沼に引きずり込まれるように、俺たちはもう逃れられないのだと。


「………SANゼロになったらどうなるか知っているか?」

「え?いや、分からん……」

「なんか、不自然なほど情報がないんよな」

「掲示板でも誰もその話しないんだよなぁ………」


クトゥルフ神話TRPGならSANゼロの廃人になった探索者はロスト、つまりは死んだものと同じ扱いになる。しかし、これはTRPGではなく、別のゲームだ。ロストしない可能性だってある。でも、ロストする可能性もある。ここまで育てたキャラクターを失うのはつらいし、ぜったいに亡くしたくない。けれども、


「俺はもうダメかもしれない………」


この先生き残れる気がしない。駄目だ。洋館の化け物に食い殺される未来しか思い描けない。


「あ、諦めんなよ!」

「ネバーギブアップ!!」

「もっと熱くなれよぉ!!!」

「諦めたらそこで試合終了ですよ………?」


仲間たちが次々に無責任な慰めを述べる。俺は気力を振り絞って振られたネタに答えた。


「松西先生!ゲームがしたいです………!」

「んじゃ、ゲームすんべ」


そう言って仲間の一人が指差す先にはあの洋館がある。


「おい、魔術師の目が死んだんだけど………」

「え?もう、廃人になっちまったのか?」

「おーい?どこ見てんだー?」


洋館に向かって歩いていく仲間たちの後ろを付いていく。なぜだか、目の前がぼやけていて、洋館がよく見えない。しかし、しっかりと見たい建物でもないのでこのままでも良いだろう。


「………気をたしかに持って。諦めたらほんとうに死ぬぞ」


それな。狩人の言葉に反射で返す。ここでは生存を諦めた瞬間に死ぬ、いや、俺の場合はガチで一分一秒も気を抜かずにSANチェック回避に努めないと直葬されかねん。………うん、気を引き締めないと。


「………さて、あれに入る前にやらなきゃならんことがあるよな」

「………そうだな」

「…避けては通れんぜよ」

「……………」


……洋館に入って、もう一度出られる保証はない。ホラーゲームでありがちの入った出られない、が起こる可能性はかなり高い。ならば、先にあれを調べなければならないだろう。情報の取りこぼしがあっても困る。


「っじゃ、俺は周囲に何か落ちてないか調べるわ!」

「………俺も」


例の落ちてきた人を調べなければならない。しかし、今は幸運なことに草で隠されて直視は免れているが、あれを調べたりなんかしたら追加でSAN持ってかれること間違いなし。SANチェックからは全力で逃げるにかぎる。俺は開幕ダイブ男から盛大に顔を逸らして草むらを凝視した。そんな俺に狩人も続く。うん。お前もSAN値やばいもんな。



目星 失敗



っしゃあ!何も見つからなかったぜ!いやぁ、残念だな、一生懸命周囲の草むらに何か落ちてないか探したんだがなぁ。いや、本当に、残念だ。


「特に何も落ちてないな……そっちはどうだ?」


狩人を見れば何処か一点を凝視して動かない。………え?ま?


「………なにか落ちてるな」


見つけてしまわれたか。目が良い奴も大変だな。狩人はパーティーで斥候役も勤めている。周囲の僅かな異変も見逃さないように色々と目系のスキルをとっていると聞いている。フィールドではモンスターとの遭遇を察知してくれたりと、とても助かっているが、現在はそれが災いとなっているようだ。世の中、見逃しといたほうが良いことも沢山あるよな。俺はSANチェックに巻き込まれたくないので安全が担保されるまでは狩人を見ないことに決めた。だから、拾ったもんをこっちに持ってくるのはやめろください。


「………カギがあった」


カギ?発言のとおり、狩人の手の中には鍵があった。マスターキーだろうか。手のひらサイズの輪に幾つもの鍵が束ねられたいる。ああ言う洋館はなぜか一部屋一部屋に鍵がついている事が多い。内鍵だけなら分かるが、外鍵が全部の部屋についている意味がよく分からん。金持ちってのは家の中を歩くのにいちいち鍵を持ち歩いてんのか?いや、まぁ、ホラーゲーム的には鍵を探させるって意味があるんだろうが。


「ぅおーい!そっち何かあったっぺー?」


危険物処理班から声がかかった。あいつはたしか、特級危険物の周囲に散らばってる書類とかを調べていたな。


「鍵を見つけたぞ。崇め称えろ。俺たちは素晴らしい仕事をした」


俺は衣服を握りしめていた手を離し、鍵を持った狩人を指し示してドヤった。近寄ってきた軽業師は微妙な表情だ。


「………それ見つけたのお前やないやろ……」

「俺たちの成果だ」


軽業師は狩人に視線を向けたが狩人は気にした様子もなく流した。


「そっちは何かあったの?」

「あー、うん。地図があったべ」


軽業師は戦闘中なにをしてるかよく分からん奴だ。たぶん、ジャマーだと思うけどよく分からん。敵の近くでジャグリングしたり、玉乗りしたり、変顔したりしている、不思議な男だ。しかし、器用で多才なため、探索では便りになる。なんか気がつくと色々見つけてくる。不思議と便りになる軽業師は今回もその調子で手がかりを見つけて来たようだ。


「館の地図かー」

「なんか調書っぽいもんもあったべー」

「なにそれ、読みたくないべー」


軽業師の手には赤い汚れのついた白い紙が何枚かあった。赤い汚れの正体は分かりきっているが、気づかない振りを続けることにする。そして、調書の中身は知りたくない。絶対SANチェックあるから、知りたくない。


「………とりま、彼処がお化け屋敷で、赤い光を見たら危険ってことだけ覚えとけ」


軽業師の背後から一緒に書類整理をしていた仲間が現れた。まともな方の剣士だ。節穴アイではなく、そこそこアイの剣士である。戦闘時は盾役やってる。………ついでにSAN盾もやってほしい。守護って。


俺の願いは通じて、守護剣士はSANヤバめな俺たちのために一肌脱いでくれたようだ。書類の内容をSANチェックが入らない範囲で意訳してくれた。あの洋館が化け物屋敷であることは、おそらく皆がはじめから理解しているので大丈夫だ。SANチェックはない。俺は赤い光に注意とだけ記憶した。赤い光に何故か既視感があるけど深く考えたらヤバい気がする。………何だったけ?


「おっさんの持ち物はー汚れがひどすぎてー読めないやつもー多かったべさー」


沈思黙考、する前に横から聞こえる単語が不穏すぎて思考は中断された。軽業師の言う汚れの正体は考えないことにする。考えないことにする!


「ん、サンキュ………ところで、あっちは大丈夫なの?」


振り返れば、特級危険物処理班が息をしていない。いや、してるけど、していない。がば剣士は無事だけど、隣の回復役が無事じゃない。そう言えば、あいつ、医学持ちだよな。調べたんだろうな。結果は聞くまでもないんだろうな。南無。


「神官ーいきろー」

「そなたはうつくしー」

「ふぁいとっ」


軽業師はその声をどこから出してんの?隣から突然妙に気の抜ける微妙な猫なで声が聞こえて狩人が固まっちまったじゃないか。狩人なのに姉貴の靴下の臭いを嗅いだうちの猫にそっくりだ。姉貴、猫があの表情すると無言で両頬を鷲掴むんだよな。ああすると、猫のフリーズがはやく解けるらしいけど、本当かな?


「………俺の馬鹿。剣士の隣は危険って分かってたのに……」


まぁ、分かってても上手くいかないのが現実だよな。俺もよくやる。このアイデアは危険だって理解してても、成功しちまうんだ。SANチェックは成功しないのに。


「……剣士は何してんの?」

「弔ってやっている」


両手両膝をついて項垂れる神官の隣で剣士が草むしりをしているようだ。庭を覆い隠していたはずの草が宙を舞っている。あんまりむしると目隠しが無くなるのでやめてほしい。と思っていたら、剣士がその草を倒れている男の上にばらまいている。………布の代わりらしい。こいつの行動は理解したくない。理解できたらSANチェック入りそうだ。


「………情報の共有をするか?」

「あ、お前らの情報は胸に秘めといてくれていいから!よろしく!」


黙祷を終えた剣士の提案により、情報の共有が行われた。俺たちが鍵を見つけたこと、軽業師たちが地図を手に入れ、今は亡き男が調べたと思われる資料を入手したことを共有した。資料の詳しい内容は俺と狩人が居ないところで話し合ってくれるよう頼んだ。ちなみに、神官がSANを削って調べてくれた情報は二人の胸の内に仕舞われた。共有を打診した剣士へは電光石火の拒否が叩きつけられた。ナイス!


「………さて、そろそろ腹を決めるか……」

「うむ。逝かねばならぬな………」


逝きたくないよぅ………。行きたくない、逝きたくないが、あの洋館に入らなければ俺たちは延々とこの空間をさ迷い続けることになるだろう。脱出のために突撃は必須だと思われる。そろそろ腹を括らねば。


「いざ、いかん!」

「「「いざ!」」」


皆で気合いを入れる。俺たちの冒険はここからだ!





^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^



………なんて言ったら、場面が跳んで探索が終わってくれないかと思ったが、そんな奇跡は起こらない。うん、知ってた。俺たちは洋館の前まで普通に歩いていき、現在は館の玄関前で屯っている。玄関には鍵がつけられていた。同じようなデザインの錠前が5つも!いや、なんでだよ!鍵なんて1つで十分だろ。なんで5個もつけてんだよ。防犯意識高すぎるだろ。こんなぼろ屋敷に泥棒なんて入るとも思えないのに。



アイデアロール 成功



たが、そうだ。この屋敷の中には泥棒よりも警戒しなければならないものがいる。あいつを外に出さないためにこんなに沢山の鍵をつけたのだとしたら?化け物がこんなちんけな錠前で封印できるとは思えないが、それでも何もしないなんて選択はできなくて、必死の悪足掻きがこの大量の錠前だとしたら………。



SANチェック

0/1 失敗 -1



鍵は既に開いていた。そりゃ、そうだ。俺たちの前にあのおっさんが屋敷に入っているのだから。だが、それでは、この館に潜む化け物は?ずっと、俺たちが村を歩いている間もずっと、野放しだったと言うのだろうか。


俺は背後を振り返った。そこには草むらがある。その向こうには倒れたおっさん。さらにその向こうには村がある。村からはあいかわらず生き物の気配がしない。嵐の前のような、小動物が猛獣……虎や熊が通りすぎるのを待つような不自然な静寂に支配されている。


俺は洋館を見上げた。赤黒い染みがついたカーテンとひしゃげた窓枠が見える。窓枠の真ん中にはぽっかりと開いた真っ黒な穴がある。明かりのない屋敷の中は完全な暗闇となっているようでここからでは何も窺い知れない。……その暗闇の向こう側で何かが光った気がした。


「………あか……赤い……目が……………」

「ん?何か言ったか?」


突然聞こえた声に驚き顔を正面に戻せば、軽業師がこちらを覗きこんでいた。1人じゃない、その事にひどく安堵する、と同時に底知れぬ悍ましいさを感じる。


「……あ、いや、なんでもない」

「………本当に?」


何もない、何も起こっていないと言う俺の言葉に軽業師は疑念を抱いているようだ。怪訝そうな顔を隠しもせずにこちらを凝視している。

けれど、本当に何も起こってなどいない。何も起こってなどいないのだ。そうだ。何かが起こるはずがない。俺たちはまだ館の中に突入していないのだから。だから、まだ、大丈夫だ、大丈夫なはずなんだ。なのに、ならば、この恐怖は何だ。俺は何故、こんなにも震えているのだ。何もないのに。何もないはずなのにこんなにも恐ろしい。


「お、おい……大丈夫か?」


軽業師と目があった。アルビノ兎を自称する軽業師は赤い目をしている。赤い、目を、している。


「ぅおーい!………え?どうしたべ?俺なんかしたべろ?」

「とりあえず、お前は離れろ!後ろ行け!」

「ぅおーい!魔術師正気にもどれー!」

「馬鹿!触んな!」

「えらいこちゃ!えらいこちゃ!」

「あわわわわゎゎ!」


返事をしないと。大丈夫だ、何もないって、言わなければ。そう思うのに声は喉の奥に張りついて出てこない。やばい、どうしよう。なんとか声を出さないと。



パッ————ン!!



一斉に振り向いた。視線の先には狩人がいた。両手を胸の前で合わせている。


「………落ち着いた?」


狩人がもう一度両手を勢いよく合わせて音を出す。先程の音とよく似た少し小さい音が響き渡った。……先程の音は狩人が手を叩いた音だったようだ。吃驚した。


「………はい」

「………落ち着きました」


仲間たちを順々に見渡した狩人は最後に俺と目線を合わせた。


「お前も落ち着いたな?」

「はい。落ち着きました。……お騒がせしましたッス」


いや、本当に申し訳ない。何もないとこで取り乱してしまった。


「良いよ。気にしないで。クトゥルフでは良くあることだし」

「剣士が発狂した時よりましだったしな」

「剣振り回して旋回式連突しやがったもんな………」

「あれに比べたら安全な発狂だった……」

「………すまん」


発狂はしてない、はず、なんだがな。クトゥルフでは一度のSANチェックで5以上のSANを喪失するとアイデアロールの結果次第で発狂する。俺のアイデアはほぼ成功するが、しかし、これまでのチェックに5以上を持ってかれるものはなかった。だから発狂はしてないはずなんだ。


「しかし、これ、魔術師は外で待機してもらった方がいい?」

「中にもまだまだSANチェックあるよなぁ?」

「絶対あるだろ。むしろ本番はこれからだろ」

「………俺も外で待ってようかな……」


仲間たちは今回のことでいよいよSANがヤバいと確認された俺を安全だと思われる場所に待機させたいようだ。そして一緒にSAN値ピンチな狩人も待機を検討している。だが、しかし。


「………外もまずい」


館の中にも入りたくはないが、外で待機するのはもっと危険だ。外に化け物がいないと言う確信もなければ、外にSANチェックがないという保証もない。と言うか、SANチェックは確実にありそうだ。だって。


「………落ちくるかもしれないし……」

「なにが?」


何って、決まってんだろ。俺たちは皆、ここに来てすぐにあれを目撃している。


「………………」


俺は無言でおっさんが倒れている方向に視線を向けた。この位置からは被害の詳細は見えない。しかし、おっさんが己の意思で飛び降りた訳ではないことは皆分かっている。俺の言いたいことを理解した仲間たちは押し黙った。その場に沈黙が満ちる。


「………窓に近づくときは注意しよう」

「特に二階の探索は心していこう」

「んだんだ」


注意喚起はできたが、それだけでは不十分だ。


「………一階でも油断ならねぇと思う……」


俺の想像が妄想でなければ、たとえ一階の窓から放り出されたとしても普通の怪我じゃすまない可能性が高い。おっさんを地面に叩きつけた力が重力だけとは限らないのだ。俺たちはそう言う存在がいることを以前の探索で経験している。


「………化け物屋敷じゃねぇか」

「なにを今さら」


この洋館が化け物屋敷であることなんてはじめっから分かっている。だから入りたくないって足掻いてたんだろ。


「えーと、地図によると中は二階建てで、地下にも空間があるっぽい?」

「煙突あるし、ボイラー室じゃね?」

「ほーん」


館の危険性をあらためて認識した仲間たちは地図を覗きこんで作戦会議をはじめた。館の中はどこも安全とは言いがたいため、入る前に誰が何処を探索するか、集合場所は何処にするか等を決めておくことにしたらしい。


「探索はさっきと同じ班分けで良いとして………」

「えっ」

「問題は魔術師をどこに置くかだよな」

「ちょっ」

「それな」


一瞬、神官から声が上がったが、華麗に黙殺された。神官が剣士と組まされることは決定しているのである。神官は犠牲に(ry…


「うーん、階段は玄関から一番遠いところにあるのか」

「玄関を見張るか……階段を見張るか……」

「いや、玄関はどうせ閉まるからいらんやろ」

「じゃ、階段のとこで二人待機で、他が二組で扉開けて探索?」

「り。それでいいんじゃね」

「んだんだ」


話は決着した。俺と狩人が階段で待機。残りのメンバーが二組に別れて探索するようだ。探索は一階から、各部屋の探索は扉を開けた状態ですぐに助けを呼べる状態を保ちつつ行う。俺たちの役割は探索する奴らに異常がないか廊下からの確認と侵入者が来ないかの監視だ。


「………入るぞ」


各々の役割分担も決め、ついに館に突入する時が来た。いつも通り剣士が一番槍を務める。その後に神官が続き、俺と狩人が殿を担う。


「………手前から行こう」

「じゃ、俺たちは右行くべ」

「まかせた」


館の中は外から想像していたよりも明るかった。窓は戸板で塞がれており、僅かな隙間から明かりが差し込むばかりだが、左右の壁に設置された燭台に明かりが灯っている。あのおっさんが点けてくれたのだろうか。思い返せば、おっさんの近くに松明らしきものを見た気がする。


おっさんに感謝しつつ、中の様子を窺いへば正面には廊下が見えた。それから廊下を挟んで左右に3つずつ部屋がある。事前の打ち合わせ通りに、軽業師チームが右側の部屋に入っていき、剣士チームが左側の部屋に入っていった。俺たちが待機する階段は廊下のつきあたり、一番奥にあるはずだ。部屋の中を見ないように注意しながら階段まで進む。


館は外観もぼろぼろだったが、内装もぼろぼろである。しかし、壁や床に穴は空いていない。いや、空いていた跡はあるが、修繕されているようだ。外から見たら廃墟だが、一応中は人が住めるようになっているらしい。思ったよりも生活感がある。廊下に敷かれた絨毯は新しそうだし、家具もぼろいのもあるが新しいのもある。誰か住んでいたのだろうか。


数歩歩いて、すぐに階段にたどり着く。この館はそこまで広くない。階段の手前からでも二部屋を探索する声は聞こえてくる。話の内容までは分からないが、これならば助けを呼ばれればすぐに反応できるだろう。


二階に上がる階段は途中で折れ曲がっており、二階の様子は窺えなかった。とりあえず、物音などはしない。まぁ、おそらく、人はいないのだろう。少なくとも、おっさんの同行者は居ないはずだ。居たらもっと早くに、おっさんが落ちてきた時などに俺たちが気づいているだろう。しかし、問題は人以外のものが降りてくる可能性があることだ。俺たちはそれを見張るためにここにいる。


「………魔術師」

「悪い、暗かったか?」


狩人は暗視系のスキルも持っているため、ある程度は明かりがなくても見える。館の中は燭台も点いているため他に光源は用意していない。しかし、外ほどは明るくはないため、光源があった方が見えるものも多いだろう。俺の魔術の中には光源として利用できるスキルも存在する。それは以前にも暗い場所の探索で使用したことがある。異変にはやく気づくためにも使った方が良いだろうか。


「………大丈夫か?」

「なにが?」


しかし、続いた狩人の言葉は予想外のものであった。


「………その…お前……気分が悪かったり…何か気になることがあるんじゃないか……?」

「きになること?」

「そう、気になることというか、堪えがたいことというか………」


堪えがたいこと………堪えられないことがあるかだって?そんなの………。


「ぜんぶだよ」

「え」


こちらを向いた狩人の黒い瞳に燭台の炎が映っている。ゆらゆらと、ゆらゆらと、赤い炎が揺れている。真っ黒な瞳に真っ赤な炎が。


「全部だ。ぜんぶ、全部、すべてが堪えがたいんだ。堪えがたいほどに気持ち悪い。床に触れてる足も、空気に触れてる身体も、光を映すこの瞳も、全部、全部……気持ち悪いんだ」


きもちわるい。なんで俺はこんなにも色んなものに触れているんだ。床も壁も空気も、何もかも気持ち悪いこの空間に存在し続けなければならないこの悍ましさ。何もかもすべてが堪えがたい。ああ、この足を切り落としたい、この身体を焼毒したい、この目を抉り取りたい。


「お前は……なんで平気なんだ?こんな…こんな………っ化け物の中で……!」


気持ち悪い、きもち悪い、きもちわるい。真っ赤な絨毯は化け物の舌か食道か、触れた足裏から身体が消化され溶かされていくような気持ち悪さを感じる。燭台で揺れる焔からたちのぼる煙が呼気を侵し、脳を麻痺させる。窓をふさぐ戸板の隙間から射し込む光が赤黒く変色し、生き物のように襲いかかってくる。これは幻覚か。いや、違う。だって、ここは化け物の腹の中なのだ。俺たちを飲み込み、消化しようと襲いかかってくるのも当然だ。俺がおかしいんじゃない。平気な顔をしている此奴がおかしいんだ。


俺は服を握りしめていた手を離し、狩人へ掴みかかった。


「………っ」


しかし、何かの残像が頭をよぎり、手は狩人に届くことなく、空気を掻いた。気持ち悪さに吐き気がする。


「魔術師、落ち着け。ここは化け物の腹の中じゃない。ただの洋館だ。悪霊が取り憑いているだけの普通の洋館だ」

「でも、ばけものが………」

「化け物じゃない。悪霊……幽霊だよ。死んだ人間の仕業だ」


そんなはずない。だって、俺は何度も化け物を見た。俺たちを食らい尽くそうと狙い定めるような赤い瞳を何度も目撃している。それにこの洋館は俺たちを逃がさないように不気味な術で閉じ込めているじゃないか。俺たちはこの洋館から離れられなかっただろう。


「とある邪神のいたずらで空間が歪んでるっぽいが、洋館自体は普通の廃墟でしかない」

「でも、赤い目が………」


この館の中には赤い目の化け物がいるはずだ。あいつは虎視眈々と俺たちを狙っている。己の手が、足が化け物の口の中へと消えていく絶望も先程まで話していたはずの仲間が振り返れば消えている虚無感も二度と味わいたくない。


「………そいつはあの化け物じゃないよ」

「……化け物じゃない?」

「うん。幽霊…悪霊が悪さしてるだけ。化け物じゃない」

「ほんとに?」

「本当だよ」


化け物じゃない………?俺は左右に部屋が並ぶ廊下へと視線を向けた。ぐにゃぐにゃと生き物のように蠢いているかと思った廊下はただ静かにそこにあった。揺れるものは燭台に灯された焔のみである。階段も扉も壁も床も揺れてはいない。生き物のようには見えない。戸板で塞がれた窓の隙間から外を覗いたが、そこに化け物の姿は見えなかった。



狩人

精神分析 成功



そうだった。ここにあの化け物は居ないんだった。それに今まで手に入れた情報はここが「悪霊」が出る家だと言うことだけだ。化け物が出るとは聞いていない。俺は自分がひどい思い込みをしていたことに気がついた。


「………悪い」

「あー、まぁ、悪霊も悪霊で危険だと思うよ?ポルターガイストとか……」

「ああ、気ぃつける」

「うん」


改めて見回した屋敷の中はちぐはぐな印象を受ける。

ほとんどがぼろ屋敷と言う最初の印象を覆さない内装である。修繕はされているものの歩くたびに音を立てて軋む床と斑に変色し、穴が開いて外壁である煉瓦が露出した壁はまさにぼろ屋敷だ。しかし、廊下に敷かれた絨毯は赤黒い染みはあるものの新しそうだし、壁際に取り付けられた燭台にも錆は無さそうである。


新しそうなものと古いものが混ざっているだけならば物を大事にする家主が住んでいたのかなどと推測するだけなのだが、家具の装飾まで不統一なのは不自然だ。燭台にいたっては不気味な目玉が付いたアンティーク風の金細工と趣味の良い簡素な銀細工が混在している。この二つが同じ人間の選択とは思えない。家具の趣味から鑑みて、少なくとも二人以上の家主がこの屋敷には存在したのだろう。それからそのうちの一人は、最近までこの屋敷に住んでいたと思われる。真新しい家具はその人物が用意した物だろう。そいつが悪霊になったのか、悪霊に殺されたのか、その後の行方などはまだ分からない。しかし、それも屋敷を探索するうちに判明するだろう。とりあえず今は、警戒を続けよう、そう思ったその時……。


「——っ!?」


ドッと、何かを撃つような鈍い音が聞こえた。次いで、バキリッと何かが破壊される音が聞こえる。発生源は剣士たちが調べている部屋からだ。


俺は狩人と目線を合わせ、無言で頷き合った後に件の部屋へと向かう。


「………」


部屋の中には剣士と神官、格闘家がいた。格闘家はうちの付与術士で神官と一緒によく剣士に巻き込まれている。特急危険物からは逃げられたようだが、今回は逃げられなかったようだ。おそらく1人で逝きたくない神官が巻き込んだのだろう。格闘家、強くイキロ!


さて、音に驚いて思わず駆けつけたが、よく考えたら俺たち必要なかったよな?この三人組は俺たちの中でも最強戦力である。特効隊長な剣士はもちろんとして、その剣士によく随伴する格闘家も普通に強い。と言うか、格闘家の付与魔術をのせたマーシャルキックが最恐である。下手な敵なら一撃で爆発四散する。しかも、格闘家はたいそう耳がよく、不意打ちでの攻撃にも対応可能である。もし一撃目を受けてしまっても、致命傷さえ負わなければ共にいる神官が回復してくれる。この三人なら大抵の敵を倒せるだろう。


慌てて駆けつけたが、杞憂だったな。その証拠に室内の三人に目立った外傷はない。皆ピンピンしている。むしろ無事じゃなさそうなのは室内の家具の方だ。そして、敵の姿は見えない。もう倒したのか。いや、これは……。


「剣士………」

「………お前…ここ……人ん家だぞ………」


がば剣士が本能の赴くままに怪しそうな棚を破壊していたようだ。廃墟と見まがう屋敷だが一応人が住んでいた形跡も見られる人様の家である。破壊衝動はしまえ。ついでに手に持った怪しげな日記もしまえ。クトゥルフ、日記、俺発狂……あかん未来しか見えない。がば剣士は今日もがばい。やばいもんに吸い寄せられて周囲にSANチェックをばら蒔きやがる。自分は絶対何も気づかないのに。


「しかし、日記を見つけた!これは重大な手がかりに違いない!」

「………止めたのに…壊さずに取り出す方法を探してたのに………」

「………ネイルハンマーあったのに…壊さずに取り出せそうだったのに………」


神官と格闘家がネイルハンマーを囲んで項垂れている。うん、お疲れ。お前らは頑張ったよ。そのネイルハンマーはミョルニルとでも名付けて持っときなさい。きっといつか役に立つはずだから。


事情を知らなければ、某愉快犯様が創った空間の中の建物なのだから、がば剣士の破壊活動をそこまで気にしなくても良いと思うかも知れない。しかし、空間自体は愉快犯様製だが、ここにある建物の方は現実…現実?えーと、この謎空間以外のゲームの世界から持ってきているようなのだ。その証拠に、以前の探索で謎空間の外の世界から建物ごと飛ばされてきた人と会ったことがある。これだけなら、その人も愉快犯様が用意したこの空間だけの人物の可能性もあるが……外での知り合いも招喚されるんだよな。村で仲良くなったおばちゃんとか、宿がなくて困ってた時に助けてくれたおっちゃんとか、外での知人が一緒に巻き込まれるのである。もちろん、この空間内で死亡することもある。その場合の外世界への影響は……思い出したくもない。


………そんな訳で俺たちは極力、建物等を破壊したくないのだ。しかし、剣士はそのへんの事情をすぐに忘れる。しかし、まぁ、壊してしまったものは仕方ない。覆水は盆に帰らないのである。今はそれよりも重要な議題が存在する。


「………で、どっちがSANチェックすんよむの?」

読み方ルビ!」

「絶対今、変な副音声聞こえた!」


ソンナコトナイヨ。細かいことは気にせずに早く日記を読みなよ。せっかく見つけた重大な手がかりだぞ?ほら、早く、楽しい読み物SANチェックが待ってるぞ。俺たちSAN値やばい組は絶対に読まないが。


……ここで剣士が選択肢にないのはがば剣士ががば剣士だからである。がば剣士は読ませるだけ無駄なのだ。どうせ何も気づかない。いや、気づいたとしても読ませないが。だって、奴の初期SANはおそらく四天王最弱……もとい、俺たちの中で最も低いPOWをほこると思われる。自分の初期SANどころか、現在のSAN値すらわかっていないが、それでも予想できるほど奴のPOWは低い。というか、あいつは誰でも気づくようなSANチェック案件では普通に失敗している。まぁ、奴はアイデアも低いから発狂の可能性も低いが、ああいう奴は6番の呪いにかかっていたりするから油断はできない。以前の探索では6番の呪いで全滅したこともあるしな。だから、そう、がば剣士を発狂(=俺たち全滅)させないためにも、奴にはSANチェックから逃げてもらわなければ。


「………?…???読めないぞ?これ?日本語??」


神官と格闘家がみにくい争いSANチェックの押し付け合いを繰り広げている間に気がつけば剣士が日記を開いていた。しかし、幸いにして?幸いなのか?いや、幸いか……剣士は日記の内容を理解できなかった。表紙は日本語だし、中身も漢字と平仮名がちらりと見えた。剣士よ、日本語すら怪しいのか、お前?


「いや、日本語はちゃんと理解して?」

「難しい漢字でも並んでるのか?」


(SANチェックの)譲合い精神から助け合い道連れの精神へと心を入れ換えた神官と格闘家が仲良く日記を覗きこんだ。


「???なにこれ?古語?」

「古典は苦手なんだ……他をあたってくれ」


古語?表紙に書かれた「日記」の字は筆ではなくペンで書かれている。文字の向きも縦書きではなく、横書きである。古典と言われるほど古いものには見えないのだが。


「んー?ああ、なんだ。旧字体で書かれてるのか。明治くらいの文章か?古典ではないだろ」


日記は今使われている簡略化された漢字の前の、古い字体の漢字で書かれているようだ。仮名遣いも古い方だな。しかし、古典と言われるほど古くはない。


「え?読めるのか?」

「さすまじ……俺には、どう足掻いても読める気がしない……」

「いや、頑張れば読めるだろ。草書でも連綿体でもないし、続け字もない」


手書きとしては読みやすい方だろう。これは達筆でもひどいくせ字でもない。それに芸術性を求めた書でもないから、全体のバランスを見て同じ字でも個々に形を変えたり、漢字と仮名を使い分けたりもしない。がちで古い時代の書なら漢字として使われてるのか仮名として使われてるのかの判断すら難しいのもある。同じ形だから同じ字だと思ったら、ちょとした大きさの違いで全く別の字になることもある。しかも、個々人の癖もあって更に判別が難しいのが手書きの古典作品である。あれを事前知識なしで読めとかなら無理ゲー過ぎるが、旧字体、旧仮名遣いの活字とそう変わらない書体の自筆本なら頑張れば読めるだろう。


「………………」


ナゼコッチヲミテルンデス?

格闘家と神官が無言でこっちを見ている。やめろ、そんな目で俺を見るな。


「………いや、駄目だろ。さすがに……」

「SAN値がなぁ………」


そうだよ!!俺のSAN値はピンチなんだ!こんな確実にSANチェックあるようなもん読めるか!!俺は読まない!絶対に読まないぞ!


「……魔術師は日記で直葬されかねないから」


俺のSAN値ががちでヤバいことを知っている狩人が日記を俺に読ませるか否かで揺れる二人を止めてくれた。狩人はそのまま日記を二人から受け取り、パラパラとめくりだす。狩人よ、お前もSAN値ヤバいだろう。無理はするな。


「………あった」


速読にしても速すぎる速度で日記をめくっていた狩人の手が止まる。その手が本へ伸ばされて何かを抜き取る。栞か?


「なんだ?それ……」

「メモ………?」


狩人はパーティーいちの速さでそれを格闘家と神官へ押し付けた。さすが狩人素早い。さりげなく紙切れから視線をそらし、尚且つ、目をつぶる徹底ぶり。さては冒涜的な内容の紙切れなんだな?俺も間違っても視認しないよう気を付けよう。


「………あ、あー。えー、あー、うん。」

「………残当な減り具合だ」

「つーか、この字……」

「あのおっさんか………?」


二人は順当にSAN値を減らしたらしい。ありがとう。お前たちの雄姿、今日の昼くらいまでは忘れない。


「……情報の共有…」

「SANチェックあるなら要らん」

「また今度」


俺たちはSANチェックからは全力で逃走する!これ以上SAN値を減らしてなるものか!


「………チェックない情報を言おう。このメモ、おっさんの置き土産だ」

「?おっさんて、あのおっさん?……なんで、んな所に?」


なんと日記に挟まれていた紙切れはおっさんが残した日記の要約だったらしい。ありがとう、おっさん。おかげで日記を読まされずにすんだ。しかし、なぜ、おっさんのメモが封印された棚の中に残されていたのか。棚には板が釘で打ち付けられて塞がれていたと聞いた。おっさんはどうやって封鎖された棚の中にメモを入れたのだろう。


「……釘の跡がある」

「なに?」


狩人が破壊された板をなぞっている。棚を塞いでいた板は剣士によって破壊されている。しかし、破壊は完全なものではなく、中身が取り出せるほどの穴を開けた程度にとどまっている。板を打ち付けていた釘もそのままだ。狩人が気にしているのはその打ち付けられた釘の隣に空いた穴であるようだ。


そう言えば、現在、打ち付けられている釘もおかしいな。おかしいというか、釘の打ち付けがかなり甘い。釘の棒部分が半分以上見えてしまっている。この釘を打った人物はかなり慌てていたのだろうか。


「……ちなみに、ミョルニルは最初どこにあったんだ?」

「ミョルニル?こいつのこと?こいつはここに立て掛けてあったよ」


そう言って神官は棚にネイルハンマーミョルニルを立て掛けた。なるほど、つまり………。



アイデアロール 成功



「……たぶん、おっさんは一度、板を外してる」

「でも、板はついてたじゃねぇか」

「おそらく、誰かがもう一度つけ直したんだよ」

「………誰かって?」


おっさんの同行者はおそらくいない。そもそも、おっさん側の人間に板をつけ直す理由はない。そして、この家にはおっさん以外に居ることが確定している存在がいる。


「………………悪霊」


そう、ここは悪霊の家。そして俺たちの敵、悪霊はこの家の中に居る。


「ポルターガイストか……」

「いやん。背後には注意しないと…」


部屋の中のものが突然襲いかかってくる可能性があるからな。


「…でも、俺たちがすることははっきりした」


そうだ。俺たちはこの悪霊の家で奴の妨害を掻い潜りながら、おっさんの残してくれた手掛かりを見つける必要がある。悪霊が妨害してくると言うことは、それが奴にとって知られるとまずい情報だと言うことだろうと思われるからだ。


「………先達の功績に感謝しよう」

「ありがとう、おっさん」

「あんたの死は無駄にしない……」


俺たちはおっさんに感謝と追悼を捧げ、おのおのの成すべきことをするために持ち場へ戻った。その表情は先程までよりも大分明るい。それもそのはずだ。おっさんのおかげで、この空間脱出への明るい兆しが見えたのだから。


しかし、この時の俺たちは、この後、おっさんの行いによって引き起こされる地獄をまだ知らなかったのである。








                 悪霊の家クローズドサークルver

                   To Be Continued………?
















続きません。ゴメンナサイ。

本編ながらく停滞し、誠に申し訳ございません。

ぼちぼち再開できるよう頑張ります。

そのお詫びとクリスマスプレゼントとしてとある一般的な探索者たちの探索を置いていきます。

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猫夢番外 丸い猫 @maru-cat

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