第7話 アイギスの誓願1

僕の背後には今、化け物がいる。


漆黒の巨体に鋭い牙と爪を持つ、猫の形をした化け物だ。突如、暗闇に同化するように佇んでいた化け物が寝返りをうち、寝台を揺らした。


アイギスは恐ろしくなって何時もの安全地帯、眠るルイーゼのおでこに張りついた。

ルイーゼは起きない。ルイーゼの意識は今、此方にはなく、向こう側にあるのだから当然だ。

アイギスはきちんとルイーゼが起きる時間はまだ先だと理解しているし、眠るルイーゼの頭部に乗ったところで安全が保証されないことも分かっている。

そもそも、何故かルイーゼに甘いあの化け物はルイーゼの悲しむことはあまりしない。ルイーゼに家族として大切に思われているアイギスを理由もなく殺すこともしないはずだ。

だから、余程不愉快で目障りだと認識されることをしなければ他のモンスターのように気まぐれに殺されることもないと認識している。けれど、それを分かっていても怖いものは怖いのだ。


初めて出会った時、よくもあんな化け物に立ち向かったものだと思う。

いや、アイギスはあの時、奴が居なくなるまで叢に隠れてやり過ごそうと提案した。けれども、仲間たちが攻撃を仕掛け、巻き添えでアイギスも後戻りできない業況に陥ったのだ。

あの時は今ほどしっかりと認識できていた訳ではないけれど、それでもアイギスは恐ろしい厄災が訪れたと仲間たちに警告した。しかし、気が立っていた仲間たちは奴に喧嘩を売ることを選択したのだ。


仲間たちの気持ちも分からなくはない。

春の初め、生き物たちが冬眠から目覚め、新しい命が育まれる季節。この時期の東の草原はアイギス達、クーゲルカニーンヘェンの覇権である。力が強くなり、仲間たちに数も増え、何時もは被捕食者として狙ってくる狐も犬もこの時期ばかりは手を出してこない。もし、襲ってきたとしても数の暴力で対応する。それが分かっているから奴らも春の初めだけは大人しい。

この季節の間にクーゲルカニーンヘェンは一年を乗り越える鋭気を養い、種としての存続を保つために仲間を増やすのだ。


そんな季節に現れた探索者という異物。この時期の東の草原ではモンスターだけでなく人間もクーゲルカニーンヘェンを避けるというのに、何時もならば人間たちは東の草原に近寄ることもしないのに。集団で押し寄せて、手当たり次第にモンスターへ喧嘩を売り、何度死んでもゾンビのように甦ってまた喧嘩を売ってくる。

ルール無視、東の草原の暗黙の了解を無断で踏み荒らす無法者ども。仲間たちは荒れに荒れた。

人型のものをみたら、とにかく、殺せ!と言うくらいに気が立っていた。人型が連れるモンスターも例外ではない。むしろ、人間どもに与するモンスターなど許せない、積極的に仕留めるべきだと地面を打ちならした。

膨張しすぎた風船のような、張りつめた糸のような仲間たちには、冷静な判断力を失っていた。化け物と自分たちの力量差に気づくことなく散っていった。


最後に残されたアイギスは化け物の気まぐれにより一撃で楽になることもできずに、長時間にわたり嬲られた。いや、本当に長い時間だったのかは分からない。時間の感覚など疾うの昔に無くしていた。

ただ、身体中、痛まない場所がなく、警告を続ける己の本能により気絶することも出来ずに、早く楽になりたくて、アイギスは誰かに助けを求めた。この化け物から解放されるのなら、己の生死などどうでも良かった。


結果、アイギスの命は助けられて、化け物から解放されることはなかった。

いっそ、殺せと何度胸の内で叫んだことか。化け物は手の中の玩具を弄るようにアイギスを殺気の込められた視線で嬲り、お前など何時でも殺せるのだとアイギスの本能に刻み付けた。


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